『絶望と希望を天秤にかけて』3
“腹の中”って例えだと思っていたのに、まんま腹の中だったわけだ。ナユタ君の体の構造ってどうなってるんだろう、一体。ネコ型ロボットのポケットみたいな――?
「セツナ、ほら僕、大丈夫だから。落ち着いて。ね?」
様子が変わらない妹に、ナユタ君は優しく話しかける。傷も塞がっていないのに、立ち上がろうとして。
「っ!」
――それを、優海さんが止めようとした。流れているのが血だろうが体の一部だろうが、怪我をしている少年に変わりはないと、優海さんは思ったのだ。
だけども……
「触れるな! 小娘!」
「……ッ」
自分の肩に触れた手を、ナユタ君は強く払い除けた。
口調がまるで別人で、優海さんも私も唖然となる。
「嗚呼、忌々しい……。我が主は、何故こんな娘に時間を与えてやるのか。あの阿呆も共に喰ってしまえば楽に片付くというのに……。主はお前を喰うなと言う」
歯ぎしりするナユタ君。光る紫の隻眼が、獲物を仕留めようとする肉食獣のそれに見え、私と優海さんは一ミリも動けなかった。
魔獣。化物。頭に浮かぶのは聞かされた双子の話――。
「花音さんも、『食べちゃダメ』って言いましたよねぇ」
「――え?」
今度は、しょんぼりと肩を落とす少年に。
口調はいつものナユタ君で、鋭かった瞳が瞬時に丸くなった。
「そ、そうだよ! 食べちゃ駄目なんだからね!」
「また人間が喰えると思ったんだがな……。おい、娘。主がアイツを片付けたら、さっさと此処から去れ。旨そうな匂いをそこら中に残されたら、たまったもんじゃない」
「あの、本当にナユタ君なんだよね?」
「……」
(二重人格、それとも演技……。どっちが本当のナユタ君なの?)
こちらの問いに何も答えず、ナユタ君はセツナちゃんをギュッと抱きしめた。セツナちゃんは掌で顔を覆い、まだ震えている。指の隙間から辛そうなうめき声が、細く漏れていた。
「セツナ。僕、ちゃんとここにいるからね」
囁くナユタ君の背中を見つめる優海さんが、切なげに溜息を吐く。もしかして、優音君が成長していると聞いていた彼女は、ナユタ君に息子を重ねて見ていたのかもしれない。
拒否された事が相当ショックだったみたいだ。――私だって衝撃的すぎて、何と言ったらいいのか。
「花音さん、どうしよう。セツナが元に戻ってくれない」
振り向いたナユタ君は涙目だった。威圧感たっぷりの存在はどこにも無くて、なんだか、すごくホッとする。
「こういう事、よくあるの?」
「…………いえ」
ナユタ君は俯いて、首を振った。
双子の兄ですらお手上げらしい。ならば、他に方法はあるのか。……多分、無いんじゃないかな。手段があるなら、結城さんが最初に教えてくれるはずだもの。
私なら分かる事がきっとあるんだ。だから、頼まれた――。
「参考までに聞きたいんだけど……もし結城さんが『言うコト聞け!』ってマジギレしたら、何すると思う?」
「うーん……足を千切るとか」
「千切る!?」
「そっか。それならビックリして気付くかもですよねっ。ちょっと痛いし」
「いやいやいや! 納得しないで、怖い!」
結城さん、日頃どんな扱いしてるの――!
(そりゃあ、獣化したり不穏な人格が潜んでいる双子を使役するには、時には力でねじ伏せる必要もあるんだろうけど……)
手足をもがれても平気なのも凄いが、だから良しと引き千切る方も相当では!?
……聞かなかった事にしよう。
「セツナちゃんに届く方法はある。絶対」
優しく心に響く様に。
セツナちゃんの頭を撫でてから、固まっている掌に自分の手を重ねた。
冷えきった小さな手へ、私の体温を。
「セツナちゃん」
「セツナ」
「私の声を聞いて。目の前を見て」
伝われと強く願った。苦しい場所から戻っておいで、と。
すると、ほんの少しだけ指先が反応して。私とナユタ君は顔を見合わせて微笑む。これだ、と確信した。