『罪人は誰なのか』19
彼が完全に悪魔にならず崖っぷち状態のままなのは、結城さんが落ちないように手を掴んでいるからじゃないの? 契約を破棄させる事は、間違っている二人を正して救う為に――?
「結城さんは零さんを」
「許しはしませんよ」
言葉を遮られた。「許す」「救う」? 勘違いしてくれるな――と、結城さんが無言で不快感を露わにする。
「この男は腐っても“選ばれた者”。処分の判断を誤れば悪しき前例に成り得るため、慎重に行動すべき――私も周りもそう思っているだけです」
零さんはサンプルであると、結城さんは続けた。扱ったことがない魂だから、より詳しく調べたい。
おそらく、私もそこに含まれる人間なんだろう。透明者は希少。忘れてたけど、私……零さんに「珍品」って言われた時あったな。
「消す作業は一瞬で終わりますので」
ぽつりと呟かれた言葉は、死神らしく残酷だ。
「これ以上は……という時までは、泳がせますよ」
「……」
(泳がせる……か)
――瞳に冷たい光が宿っていないか確認したかった。けれども、結城さんの目はさらりと揺れる前髪に隠れてしまっていて。出来なかった。
「貴女は結論を出せますか?」
「え?」
「零が全て悪いと花音さんは考えていますよね。この男がいなければ、谷口優海の一件どころか事故も起きなかった、と」
「……当たり前です。みんなそう考えると思います。この人のやった事を知ったら」
「勧善懲悪は処理しやすい。私も一定のラインを設けて、そこで区別しています。ですが、最近は線が曖昧で難しいケースが増えてきて――」
「曖昧?」
「零が起こした問題と谷口優海の行動。この二点へ対する罰は簡単に結論が出せます。……私が度々迷うのは、処分内容の詳細を決める際に参考とする、“動機”や“原因”の中身」
「はぁ……」と間抜けな相槌しか出なかった私。苦笑する結城さんは、肩を竦めて目を閉じた。
「谷口優海の過去を見て思いました。生きる為の理由はあったのに、それから目を背けたくなった原因。それは、彼女を囲む人間達の感情ではないか……。過度の期待、無意識の悪意と偽善、相互理解を無視した議論」
「結城さんが言った、『負が負を呼ぶ』というやつですね――」
優海さんは何年も前から、自分が抱える負の感情の他に、他人のそれらを持たされてきた。
普通なら投げ出したくなる辛さ。だけど彼女は、自分の心を殺してまでも全部受け入れてきた。
――私は知っている。悲しみや怒りを、他人にほとんどぶつけなかった訳。
それは、優海さんが優しかったからだ。
相手の優しさを……信じたからだ……。
自分を傷付ける言葉でも、相手の善意や良心が深くに埋まっているかもしれない――と、彼女は考えていた。
見つけなければ。信じなければ。時にそれは一種の強迫観念で。
……彼女の優しさは、きっと、誰よりも強い。
しかしその強さが、優海さん本人を苦しめる解けない呪いになっていたのだと思う。
「一人の言葉が決定打にならなくとも、多数集まれば死を決意させる程のひどい一撃になる――ならば、谷口優海に死を決意させた周囲の人間は、それぞれどんな罪を? 殺人?」
「……っ!」
「不幸な流れを作るキッカケが、田所友成との出会いだとしたら? 彼こそ諸悪の根源という事になりますね……」
「そんなの」
「『おかしい』ですか? でしたら、“アイツ”さえいなければ、こんな事は起きなかった。“ヤツら”が声を上げなければ、こうはならなかった。言い始めたらキリが無いと分かるでしょう?」
「……」
眉根を寄せ、結城さんは言った。
「“悪意の無い”悪行と、“善意が無い”善行。何なのでしょうね、これは。人間の矛盾は本当に理解出来ないです……」
薄茶の瞳が遠くを見つめる。ここではない、どこかを。
前にミツキさんが同じ目をしていた。過去の人を想い、私の知らない世界へ戻っている……僅かな時間。
「あの時の魔女狩りとまた違うのでしょうか……」
「ま、魔女狩り?」
「ああ……いえ何も。――さて、花音さん。貴女は結論を出せますか?
『真の罪人は誰なのか』
いるのか、いないのか。零と谷口優海が犯した過ち以外で、裁くべき罪が存在しているか」
「……え」
これはひどい無茶振りだ。
話が難し過ぎて、結城さんの質問だけが頭の中でぐるぐる回る。やまびこみたいに響く。
(こんなの、一人の人間が感情論で口を挟める問題じゃないよ!)
「私は、永遠に考えを保留出来る貴女と違います。必ず結論を出さなければならないのですよ」
テーブルに指で線を引いた結城さんが、微苦笑を浮かべた。
「とはいえ、サンプルとして扱い観察するというのは、考えを保留する言い訳にも聞こえるでしょうがね……」