『罪人は誰なのか』16
その後、二人は『約束』について話し始めた。
――透明者の奥村花音は未熟な能力者。一人前になるには多くの魂を取り込まないとならない。が、未熟なくせに選り好みするものだから、その修行もままならない。協力者という名の“提供者”が必要――。
「ホント手のかかる子でねぇ……。とはいえ、色々お膳立てしてやるのはズルだからさ~。こっちとしては、周囲の目を避けてコソコソやりたいわけよ。――条件とタイミング合う人間も、なかなかいねぇし……。その点! 優海ちゃんはオールクリアに近くてね! 救世主!」
「そうなんだ」
自分の正体をいい具合に誤魔化して明かさず、嘘設定を巧妙に作り、そして、
(どさくさにまぎれて、私の事ディスっている様な……)
素直に聞き入っている優海さんを見ていると、色んな意味で悲しくなってきた――。
「指示通りに動いてくれれば、何も難しくないから。強いて言えばタイムリミットがあるくらいかな。それだけ」
「時間ですか……」
「全部終わったら、願い事ひとつ。OK?」
確認を求める零さんの表情に、鳥肌が立つ。ニコニコ笑っているけれど、反論は許さないと圧力をかける、冷えた目だった。
それでも優海さんは戸惑いも見せずに、「分かりました」と素直に返事をする。
「手のかかる……とは、よく言いましたね」
笑っている場合じゃないんですけど……。
「零さんってば言いたい放題ですよ! 優海さんも素直に聞いちゃってるし……。少し位、おかしいかな? と思っても」
「零は守る気の無い約束でも、彼女にとっては“願いを叶えて貰える契約”ですからね。それに、谷口優海はすでに従属の身なので反論なんて……」
そこまで言って、結城さんは考え込む。
「どうしたんですか?」
「いえ。軽い契約ならば、双方が同意していれば口約束でも成立させる事は可能ですが……。従属契約はそれだけでは駄目なのです。この二人は書面の代わりに何を取り交わしたのか――と考えていました」
「はぁ……」
「成程。やるじゃあないですか」
結城さんは口角を上げ笑い、
「一体何を?」
「ハサミです」
左胸を指で突いた。ジャケットの胸ポケットの位置だ。
「あっ……」
魂を切り離すハサミ。確かに、零さんから優海さんへ。優海さんから零さんへ。私達の目の前で、それは受け渡しされた。
「零さんが何を言ったか分からないけど、自分でハサミを使い、ここまで来て、零さんに返す――。優海さんの意思が無いと出来ない事だ……」
「いつも勢いだけの零が、こうも頭を使うとは……。ハサミの出処といい、今回は気になる点が多いですね」
私を見る琥珀色の瞳の中に一瞬、青い色が現れた気がしてドキッとする。死神の魂も人間と同じ色なのかな? 私はそっちの方が気になる――。
「それだけ花音さんの魂が欲しいのでしょう。まぁ、はじめから無理な話ですが。花音さんはずっと前から私のものですからね」
「……」
メリットが沢山あるから?
頭に浮かぶ自分の声。零さんにからかわれた時の、消化されていないモヤモヤがずっと残っている。
取り合う程の価値が、沢山の犠牲と引き換えに出来る何かが、自分にあるの?
結城さんに「私のもの」と言われると、きゅっと胸が締め付けられた。――嬉しさだったり不安だったりで、その切なさは毎回変わる。
きっと受け身だけで生きているから、相手の一言で世界がすぐに反転するのかもしれない。
優海さんの過去を追いかけてきて、私はそれを実感し始めていた。
優海さんのひたむきさは、私には無いものだった。今のままでは駄目だ……と、もう一人の自分が呟く。
「作戦仕掛ける時、優海ちゃんにはちょ~っと嫌な女の子になってもらうけど、いい?」
「それは?」
「相手に悪口……とまではいかなくても、なんかこう……ムカつく女だなぁっぽい感じの」
うねうねと腕を回す変な動きをする零さんに、優海さんは笑いをこらえ肩を震わせた。
「私、相手の気持ちはさておき、自分の思っている事を、ガーッ! って勢いで言ってみたかったから。そういうの……生きてる時は出来なかった。余計な事ばっかり考えちゃって――。あっ! でも棒読みになっちゃったら、どうしよう!」
零さんが楽しそうに言うものだから、優海さんもつられたらしい。後半は、友達と悪戯を計画している、無邪気な子供みたいな顔になった。
「吹っ切れたカオしてるね」
「ですね。はい」
「じゃ、俺も頑張りますか。お願いって何? 息子君に会いたい?」
「……いえ」
優海さんの声のトーンが変わる。楽から哀へ。下唇を軽く噛んで……。
「おとくんには、会わない」
「へっ!? 違うの? なんで? 息子君、ちゃんと大っきくなってるよ」
「え……」
「この間は、とあるカフェでお絵かきしてたけど?」
「そう……なんだ……」
テーブルの下で、優海さんの手が微かに震えている。「お絵かきか……。すごいなぁ」と呟く声も、震えていた。
「でも……会わないよ。会いたいけど……会えない」
結城さんと零さんは、二人とも驚いた顔をする。同じ驚きでも少し違うけれど。
零さんは「意外だ」。結城さんは「どういうことなのか全く」といった感じ。
「花音さん。会いたいのに会わない、とは? 会いたいのですよね?」
「もちろん……会いたいと思いますよ」
「では何故」
私だって聞きたい。というか……
「その辺りの事を知りたいから、今ここにいるんじゃないですか」
「ああ! でした、ね」
両手を合わせて、結城さんは「そうでした、そうでした」と笑った。
「せっかく感動の親子再会が叶うのに。もったいない」
「会ったら、お別れする時が辛すぎるよ……。おとくんが、大きくなってるなら余計に――」
「ふーん……。四年間分のしんどさってやつ?」
「どうしても、“あの時”、自分だけが生き残っちゃった罪悪感が消えないんです。自分勝手だなって思うけど、だから……おとくんに会うのは……。未だに、『産まれてきてくれてありがとう』より『ごめんなさい』が強いの。こんな自分が嫌い……」
「……」
一粒の涙が頬をすべり落ちる。優海さんはすぐにそれを拭った。
『ありがとう』より、『ごめんなさい』が強い。そして、ずっと消えない罪悪感――。
繰り返すと、急に息苦しくなり、どくどくと心臓の音が耳に響く。
落ち着け。落ち着くんだ――。深呼吸して自分に言い聞かせる。
零さんは、しばらく黙っていた。
ジャズだけが流れる静かな時間。
(優音君が迷子で、優海さんを待ってる事は……言わなかったんだ――)
迷子と聞いたら、優海さんは動揺して「迎えに行く」と言うかもしれない。零さんは相手を振り回すのが好きだし、それに、こっちのお願いの方が彼にとっては手っ取り早い。
約束を守る気がないならば尚更、彼曰くの『そんな面倒な事すっかよ』だ。適当に話を進めてしまえば……。
けれど零さんは、涙を拭ったあとも必死に感情を抑えている優海さんを、悲しそうに見ていた。
「んじゃ、無理強いはしない。だって、アンタの望みじゃねーもんな」
ようやく口を開いた零さんが、腕を組んで軽く息を吐く。優海さんが落ち着くのを待っていたのか……。
望みじゃないなら無理強いはしない――色々と意外だった。その口から出ちゃうの? 後で文句言いたいんですが。
「『ありがとう』だろうが『ごめんなさい』だろうが、言える分、楽だと思うけどね――」
低い呟きに、優海さんの肩がピクリと動いた。それを見て見ぬ振りをした零さんは、次の瞬間にはもう笑顔で、いつも通りの調子で喋り始める。
「息子君が違うなら……彼氏の方?」
「……あ」
「んあ~! いいのいいの! そういうの多いから! 自分を置いてった男に、ちょっとでいいから仕返ししてやりたい。うん、多いんだよね~ソレ」
「あ、あの」
「ん?」
「そうじゃなくて。私は」
早口の零さんを両手で止めて、優海さんは「違くて」と困った様に笑った。