『手を出したら殺しますよ』1
『結城さんってさぁ……ホストなんじゃない?』
携帯向こう側の朋絵の声に、私はチョコレートへと伸ばしかけた手を止めた。
それまでだらけて座っていた姿勢が、衝撃的な朋絵の発言によって意味も無く正された事は言うまでもない。
ソファーベッドの上で、私は気付いたら正座して電話にかじりつく。
そして今度は、意味も無く小声になりながら……、
「は? 何言ってんの朋絵!?」
『何って、花音が言い出したんじゃん。結城さんの職業ってなんだろーって』
「いや……そうだけどさ……。でも、いくらなんでもそれは無いでしょ、それは」
ビジネススーツを常日頃のスタイルにしてるホストっているもんなの? それに……。
『出勤着かもしれないっ!』
「……。真面目に考えようよ。朝から仕事に赴くホストがどこにいるの」
うーん、と唸る朋絵は、店で仕事が残ってたんだとかお客さんとデートだったのかもしれないとか……適当な事を言って続けた。こうなると、どうしても結城さんをホストにしたいらしい。
――朋絵に結城さんの事を打ち明けたのは間違いだったんだろうか……?
昼間私が先に帰ったので続きの話が出来なかったと、朋絵はこうして夜電話をかけてきた。
明らかに興味津々。何かを期待して電話してきた朋絵の好奇心を、上手くあしらえる術なんて私にはない。
だから、若干迷ったものの、このままずっと隠し通せる事でもないし別にそうしたいと思った訳でもなかった私は、彼女に結城さんの事をはじめから説明することにしたのだ。
もちろん、キスの件とかまだ隠しておきたい部分はしっかり端折ってだけど……。
隣に越してきた結城さんがとにかく素敵なんだけど不思議な人だっていうのと、今日のバイト帰りに偶然会ってお茶した事。
とりあえずはその辺りをザックリ話した感じだ。
『だってさ、駅で女の人と会ってたんでしょ? 仕事終わったばっかだって言ったんでしょ? だったらその女の人、お客さんかもしれないじゃん』
「でも、あれがお客さんで結城さんがホストだとしたら! あんな……あんな雰囲気出すかな……」
偶然見た二人の姿を思い出すと、何か胸のあたりがモヤモヤした。
チラッとしか見えなかったけど、あの時の光景は切り取った絵の様にくっきり思い出せる。
そう。小柄な女性だった。
薄いピンクの生地に赤い水玉のワンピース。ストレートのロング、色白の綺麗な横顔。……そして、悲しそうな顔。
結城さんは彼女に語る。やがて彼女が小さく頷くと、結城さんも頷いて。笑った。
優しい微笑み。
彼女のさらさらとしたストレート髪を撫でる手。
「ちがうよ……。多分」
私には、あれが“ホストとお客のとある日”には到底見えなかった。
だけどそれを、見ていない朋絵に上手く伝えられない。なんとなく「違うのだ」と言う事しか出来なかった。
『やだなぁ、花音』
朋絵は苦笑した。表情は見えないけど声の調子で分かる。彼女の眉尻をうんと下げた困り顔が浮かんだ。
『私、別に花音を泣かせたくて言ってるんじゃないからね?』
「え? ……何、急に」
『だって、花音ってば“ショックだわ感”丸出しなんだもん』
「はっ!? 違うよ、そんなこと思ってないって!」
朋絵の発言はいつも突拍子もない。だけど、中々に的を射ている事もある。
“結城さんがホスト”説は的外れでも、私が少し心乱れた事は当てにきた。
朋絵の言葉に自分の気持ちを丸裸にされた気分だ。
それが恥ずかしくて、私は必死さを隠しながら答える。
泣きそう? 私が? いや、そんな事は無い! そりゃあ、結城さんと女性のあのシーンには、ちょっとはショックを感じたけど……。
『うんうん。そうだよね。ごめんね、花音。話に聞く結城さんが花音のいう通りの人なら、いくらなんでもホストな訳ないよね!』
「う、うん……!」
『所構わず女性に迫る、一見紳士……その実野獣男子! な訳ないさッ』
「うっ……うーん……」
ああ……なんだろう。完全に否定出来ないこの感じは……。
ははは、と私は複雑な胸の内を乾いた笑いで誤魔化した。
『まあさ、結城さんがどんな人かはこれから仲良くなれば解る事じゃん? ゆっくり行きなよ、ゆっくり。折角の恋のチャンスだもんね』
「こ、恋……。恋かあ」
『そうだよ、恋! 勉強とバイトばっかじゃつまらないよ? 大学生活だって人生だって、まだまだこれからなんだからね!』
朋絵はそう綺麗に話をまとめると、満足げに電話を切った。
今後結城さんとの仲が進展したら必ず教えてよ、としっかり言い残してから。
(仲が進展ねぇ……。実はもうキスしちゃった、って言ったら、朋絵ひっくり返るかもしれない)
あれで案外、純情で古風な所があるのだ、朋絵は。ついでにロマンチスト。隠している事実を教えたら、ビックリするどころか怒り出すかもしれない……。
そしたらどうしよう。私だって今の自分の状況とか気持ちとかよく分かってないのに。
二人でパニックになって、まとまるものもまとまらなくなりそう。恋愛初級者は、何も私に限った事じゃないのだ。
(やっぱりキチンと説明出来る状態にしない限り、話しちゃダメだよね。例えば)
結城さんと付き合う事になりました、とか?
ぱっと浮かんだ自分の考え。
一個浮かぶと、あとはもう雪崩のように頭の中へ入ってくる回想。
朝のこと。駅でのこと。歩いた道のりでのこと。カフェでのこと。
――カフェといえば。
あそこは不思議な雰囲気を持つお店だった。綺麗な中庭のあるすごく静かな場所で。
小さな店長ナユタ君と、常連客っぽかった老紳士藤本さん。結城さんとは随分仲が良いみたいだった。
あれ。そういえば私……あの時、「大事な人と思ってる」みたいな事結城さんに言われてなかった……?
聞いた言葉を思い出したら、それに重なるように彼と交わしたキスの記憶がよみがえる。
頬より先に、唇が熱を持った気がした。
「わああ……っ、またなに思い出してんの私っ!」
自分以外いない部屋。私は独りだというのに大慌てで手をぶんぶん振り、脳内映像を打ち消した。
残る記憶がリアルで困る。
それが、しっかりと脳や身体が覚えてますって主張してるみたいで。
結城さんとのやりとりは、どうしていつもこんななの!? しかも、段々とそういうの……強くなってない!?
「……お、落ち着こうよ、私。……そうだ、コンビニでも行って頭を冷やしながら冷静に」
ぶつぶつ独り言を言いながら、私は玄関に向かう。お財布と鍵を無意識に掴んでいたのは、我ながら凄いと思った。
だって、そんなの忘れて出かけてもおかしくない位動揺してたはずなんだもん。
課題のレポートを書く時はこんなに色々考えないでさくさく出来るのに、恋愛になるとこの有様って……。
あーもう! 本当になんて言ったら!
***
ペットボトルのお茶と小さな菓子パンをひとつ。とりあえずそれだけすぐに選んでから、私は店内をあてもなく歩いた。
時間潰しのつもりで来ても、雑誌を立ち読む気もないからちっとも時間は潰せない。
(どうしよ……)
生活雑貨のコーナーは人も通らないので、なんとなくぼんやりそこにいると……
「あれ? 花音ちゃんじゃん」
と声をかけられた。
……ん? この声は……。
「田所さん。何してんの」
「何って……働いてる」
「それは見ればわかります。本屋の後、ここでもバイトしてんですか?」
「他にも色々やってるけどね。今日はココ。ほら、十時以降って時給良いじゃん? 朝までやると結構稼げるんだよねー」
「……あぁ……時給……」
……。
この人、何の為に大学行ってるんだ?
ていうか、朝までって……。いつ寝てるんだろ。書店のバイトは昼間フルで入れてるのに。
謎の生態をみせる田所さんは、寝不足の雰囲気も全く感じさせずイキイキと働いてる。タフな人だ。
「で? そっちは?」
「はい?」
私が立つ生活雑貨コーナーに商品を補充しながら、田所さんはニヤリと笑った。
「こんな時間にココで買い物って……。もしかしてお泊まり準備?」
私の持つカゴを覗いて。棚にあったトラベルセットを寄越してくる。
とんだ誤解だ! こんな所に突っ立ってたのが裏目に出てしまった。
「違いますよっ! ただ暇潰しに来ただけなんですから!」
「あ、そうなの? なんだー。スクープかと思ったのに」
そう言って辺りをキョロキョロ見る田所さん。田所さんの言いたい事が分かって、私は「言っときますけど」と声を低くした。
「彼氏と一緒……とか無いですからね? それ以前に彼氏なんていないし!」
「ハハハ。そりゃすまん」
トラベルセットを棚に戻し、仕事を再開する田所さんは、
「じゃあさー、花音ちゃん」
それまでの明るい口調から一転、諭す様なそれになった。
「ちょっとした買い物でも、こんな時間に女の子が一人で来るのは駄目だよ? なんかあったら危ないでしょ」
「うん。まあ……そうなんですけど……」
「家近いの? 俺、ちょっと抜けて送ってあげようか?」
「え!? いや、大丈夫ですって! すぐそこのマンションだから!」
面倒見のいい人だと思ってたけど、まさかここまでいい人だったとは。
ほっといたら本当に仕事を抜けて送ってくれそうな勢いの田所さんを、私はジェスチャーで抑えた。
そう? と返ってくる返事。
「じゃあ、早く会計して帰んなさい」
「ふふっ、了解です。ありがとうございますね」
お世話焼きの店員さんに笑って。
私は結局、時間潰しそこそこにレジに向かう事にした。
満足げな表情の田所さんは「またねー」と商品を振っている。
それがストッキングなもんだから、私はさらに可笑しくなって笑ってしまった。
夜のコンビニは意外に人が多い。週末だから余計なのかも。私がレジに並ぼうとした時には、すでに数人が並んでいた。
田所さんがすぐにもう一台のレジを開けて対応する。男性三人組の後について、私は彼のいるレジの列に並んだ。
「お前、どんだけ食うの? 買い過ぎだろ」
「マジウケる!」
「っせーな。しょうがないだろ、俺成長期なんだから」
「誰が成長期だって?」
「だからそんな肥えんだよ。モテねーわけだ」
一人が肉まんやおでんを注文し、お会計には少し時間がかかる模様。カゴの中にもお菓子やビールなどが沢山。この三人組はこれから誰かの家で飲み明かすみたい。
三人の会話がコントみたいで、私は後ろから見ながら笑いをそっとこらえていた。
「なあ、そういえば」
ピッ、ピッ、とレジの音が鳴る間。急に思い出した様に一人の男性が言い出した。
「お前見た? 朝のバス事故。ほら、美咲が丘の」
「ああ、アレ? 先輩から聞いたけど見てはねーよ。スゴかったらしいじゃん」
「ナニ、見たの?」
「いや、オレも実際は見てないけど。いつも使う路線だから、ちょっとビビってさ」
「マジで? 時間ずれてたらヤバかったな」
うんうん、と頷いた言い出しっぺの男性は「だよな」と苦笑する。けれども、すぐに表情を明るくさせて言った。
私は彼らの会話に持っていたカゴをギュッと握った。
「危うく飲み会参加出来なくなる所だったぜ」
「そこかよ!」
「命の危機より酒の心配とか、ウケんですけどー」
軽く言いながら、彼らは三つのビニール袋を分担して持ち店を出ていく。
男性たちが居なくなると店内も静かになり、BGMがはっきり聞こえる様になった。
「花音ちゃん、大丈夫?」
「え? 何がですか?」
「……平気ならいいけど。昼間もそうだったけどさ……」
ピッ、とレジを鳴らし。田所さんは困った様に笑う。
レジに表示された金額をお財布から出す私に、彼は何かを言いかけた。
「いや……何でもない。帰り道気をつけなよ?」
優しい声音に救われた気がしたのは、田所さんが何を言おうとしたか分かっていたからだと思う。
気を遣わせてしまってるんだな。ちょっと反省。私はどうやら顔に色々出してしまう傾向があるようだ……気を付けないと。
「ありがとう、田所さん。じゃあまた」
「うん」
二度目のお別れ挨拶は、笑顔度数割増しで。田所さんも二カッと白い歯を見せ笑った。
「また月曜。バイト先でねー」
「……」
彼と大学でバッタリ会うのは、一体いつになるのだろうか……。