『罪人は誰なのか』3
***
カフェの庭から出ると、世界が変わる。
薄暗い場所。
「ここは……」
「あ! 優海さんの部屋だ」
遮光カーテンの向こうでひぐらしがないていた。
「一年経ってる……。私が優海さんだった時から一年経ってます」
隙間から入ってくる西日は、まだ夏の強さを失っていない。
八月のカレンダーは半分以上バツ印で消されていた。
彼女がこうして日を数えるようになった理由。知っているだけに胸が痛む。
「随分と怨みがこもっている様に思えます」
結城さんは真っ黒のバツ印を指でなぞりながらクスッと笑った。
「哀しみもこめてますよ」
「マジックとクレヨンを使い分けている理由はご存知ですか?」
「え?」
見れば、太い黒マジックの他にクレヨンの青が二・三個ある。これは知らない、初めて見る。
「なんでだろう。でも、同じバツでもクレヨンの青だと印象が違うな。少し柔らかい感じ……」
「この青、増えていくと思いますか?」
「はい。時間はかかるかもしれないけど」
「なるほど……面白いですね」
カレンダーを見つめる結城さんが呟いた。
二重三重の印、色の差や筆記用具の使い方。そこから感情が読めるというのが、興味深いらしい。
筆跡心理学――そんな話を前にチラッと聞いた事がある。知識があれば私達はもっと優海さんの気持ちを感じ取れるのかな……と思った。
どんな字を書く子だったっけ?
(“友成君”にたくさん手紙書いてたよな……)
――もう、日記も手紙も書いてないのだろうか。
気になるが、机の引き出しを開ける訳にはいかない。
(すごく気になる、けど……)
隠されている場所を知ってるのも考えものだ。つい目がいってしまう。軽率に手を伸ばしたくなる。
人間性を試されている気がした。
「しかし、シンプルな部屋ですね。ここまで何も無いと逆に落ち着かないのでは?」
「生活感の無い部屋に住んでる人が言いますか」
「花音さんの部屋とは全然違いますね」
「…………そうですね。私の部屋はゴチャゴチャしてますので」
「おや。怒りましたか?」
「いえ……別に」
「私は花音さんの部屋、好きですよ。お彼岸の時のえにし堂みたいで」
「はい?」
例えが、おかしい……!
(えにし堂ってアレだよね? 自治会長さんが言ってた、和菓子屋)
彼岸時の和菓子屋――賑わう店内。くそぅ、そういうことか!
結城さんの顔ならクリスマスマーケット辺りの単語が出てきても良かったのでは!?
「あっ。すみません……気が利かなくて」
私の心を読んだ結城さんは、ハッとした後に肩を竦め笑った。
「最近あの店の“ねりきり”に藤本さんと二人で嵌っているので、つい」
「ねりきり」
えにし堂、人気商品多いな。路地裏の銘店か。
綺麗な花や可愛いらしい鞠などのねりきりが頭に浮かんだ。
美味しそう……。違う。そうじゃない。
「優海さんの部屋、前は色々飾ってあったんですよ。コルクボードに写真とかいっぱい貼ってたり、キャラクターのぬいぐるみとかポスターとか」
女の子らしいカラフルな部屋だった。
カレンダーは黒に占領されても、そこ以外が塗りつぶされる事は無かった。
「引っ越しの予定でもあるのでしょうかねぇ。――ああ……でも本棚はキッチリと整理されていますし、机の上もハンガーラックの洋服も、片付け方が潔癖症の様」
結城さんが部屋を見渡して言う。
「これで部屋を出ていくつもりなら、ご丁寧な夜逃げか、それとも……」
「それとも?」
「今まで回収してきた中での話ですが、自殺を決意したヒトもよくこういった部屋にいましたね。妙に片付いた殺風景な部屋に」
「自殺!? でも優海さんが亡くなるのはもっと先、あのバス事故でですよ。自殺なんてする訳ない……――あっ、趣味が変わった可能性は! 雑誌の特集読んで……的な。大人シンプルに憧れたんですよ」
「……」
ほとんど願望に近い。だけど結城さんが言う事も現実的ではないから。
身に振りかかった悲劇の重さが、もとの性格を一時別人の様に変えてしまった話の方がもっともらしい。と思う。思いたい。
自殺未遂――浮かぶ言葉を蹴散らして。
「そうだそれに……彼女はこれからバンド活動するんだもの。衣装も黒ワンピース、カラフルは卒業して……」
尻すぼみになっていく私に、結城さんは憐れみの目を向けてくる。そして「そうですね」とサラッと流した。
「心境の変化があったのは確かです」
「――はい……」
それはもういい、次! と言わんばかりに勢いよくドアを開け部屋を出る結城さん。「ま、ま、待って」と後ろ姿を追いかける私。
「不法侵入してる気分……」
「何を今更」
――急な階段をおそるおそる降りていくとすぐ玄関だった。
そういえば私達、靴をはいたままじゃないか。いくら記憶の中といっても、家の中を土足で歩き回っていいのかな?
「花音さんは変なところで真面目ですよね。たまに使いどころ間違って損してる時あるでしょう?」
「…………」
否定が出来ないので黙って目を逸らす――。
縁側で風鈴が二つ、風に揺れ清らかな音を奏でていた。
洋風のたてすが立てかけてあるからか室温は思ったほど高くなく、扇風機がうまい具合に夕方の涼風を呼び込んでいる。
「クーラーつけなくて平気?」
「大丈夫大丈夫。この家、風がよく通るわねぇ。ウチとは大違い」
「高台だからじゃないか? 市営住宅じゃこうはいかねぇよなぁ。兄さん、豊島台はどうだったんだ。あそこも良い所だっただろ」
「まぁなぁ……でもあっちは家も人も多いから夏は暑苦しかったなぁ」
わははは! と、二間続きの和室から笑い声が聞こえてきた。
(人数多い……)
自分の姿は相手には見えていないと分かっていても、つい柱のかげに隠れてしまうのは仕方がない。だってこんなの初めての経験だもの。
まるで幽霊になってる気分……。