『罪人は誰なのか』1
「――さん、……さん、花音さん!」
「ッ⁉」
私を呼ぶ声で意識が一気に浮上した。
プールで潜水していたところを無理矢理引っ張り上げられた感じだ。
脳が揺れ、視界がブレる、本当に水の中で溺れていたのをすくい上げられたんじゃないかと思ったくらい。
ぶはっと大きく息を吐き出した後は、目と鼻の奥が痛くなり何かが込み上げてきた。
苦しい。痛い。辛い。
「戻りましたか」
結城さんが言う横で私はゴホゴホとせき込む。全然止まらない咳。
喘息持ちの朋絵が軽い発作を起こした時に似てるな……と思った。朋絵、いつもこんなに苦しい思いしてるのか……。
「大丈夫ですか? 無茶をするからですよ」
結城さんは私の背中をポンッと叩いた。それだけで、咳が止まり嘘のように苦しさが引いていく。
苦しかった。痛かった。
「辛かった……」
――今度は涙が止まらなくなって。
ああ、そうか。私さっきまで、優海さんになっていたんだ。
彼女の記憶を追体験してた……。
「私を通して谷口優海の記憶を覗くだけじゃなく、同化してみるなんて……。聞いたことありませんよ。滅茶苦茶というか何というか……花音さん、相当がっつくタイプなんですねぇ」
「自分じゃ何がなんだかサッパリ分からないんですけど……」
「貴女が“谷口優海の気持ちを深く知りたい”と望んだからでしょう。私には出来ない大技です。花音さんだから可能な事だったのでは?」
クスクスと笑った後、結城さんは「ああ」と手を打ち言った。
「お茶、飲みます?」
「………………は?」
――今、このタイミングで言う事ですか、それ⁉
どこから持ってきたのかティーポットなど準備し始める結城さんをしばらく呆然と見つめていた私は、ここでやっと周りの景色が目に入った。
(……結城さんのお店の中庭? え? なんで? 公園は……)
「花音さん。どうぞ」
「あ……」
手を引かれて着席。カモミールの香りが鼻腔をくすぐる。
「結城さん、あの、ここって」
「えぇ。私の店の庭ですよ。この庭はどこの世界にも通じていますから。私が入口の鍵を開ければ、ね」
「こんなのんびりお茶飲んでる場合じゃないんじゃ……。零さん達は……?」
と言いつつ、飲む私。
カモミールの香りは落ち着くし、何より喉が乾いていた。結城さんはそんなのお見通しの様だ。
「あまり良い方法ではありませんが、ナユタの力を少しだけ利用しています。現実の公園内は、半分ナユタの腹の中……と言ったところでしょうか」
「お腹の中!? みんなが!?」
「もちろん花音さんも含んでいますよ。ここにいる貴女は実体ではなく精神体ですから。さっさと現実に戻り、喰べられてしまう前に術を解かないといけませんね」
ナユタ君の力……? ナユタ君のお腹の中……?
ぜんっぜん分からない。
(早く戻った方がいいのは、まぁ……そうなんだろうけど……)
「……だけど。戻るってつまり、これ以上は優海さんの記憶を辿らないという事ですよね?」
「もう十分見たでしょう」
「肝心な部分を見てない気がします……。私はまだ、彼女をちゃんと見てない……」
「それは想像で補えないのですか?」
結城さんの表情が途端に厳しくなった。
「彼女が何を想い、何に悲しんだか、花音さんは知っているのですよね? 谷口優海の思考の一部は、さっきまで確かに貴女のものだった……。ならば『彼女はこう考えたのだろう』と後の事も想像出来ませんか?」
「それは……私には難しいです……」
そよ風に揺れる薔薇の花々は結城さんの意見に同調している――風に見えた。
頷いたり、隣の花と「そうよねぇ」とヒソヒソ言ったり? ……ここは不思議の国の花園だ。耳をすませば本当にそんな話が聞こえてきそう。
(なんだこれ……アウェイ感がすごいんだけど。花って香り以外に圧力も放つものだったっけ?)
「なんとなく想像は出来るけど、知るには無理があります。特に優海さんに関しては……。“彼女になって分かった”のは、この子は自分の思いを喋る事はほとんど無いんだなって、それくらいで……」
私も自分の気持ちを押し出す方じゃない。周りからの反応を先に考えてしまうからだ。……そういえば、田所さんに遠慮がちと言われた時もあったな――。
でも優海さんは。
彼女は、私より酷い。かなり酷い。
反応を見るとかそういう次元の話じゃなくなってる。