『どうして』20
友成と会えなくなってから、優海は何通も手紙を綴った。妊娠中は寂しさと不安から、それはもう沢山。
でも、優音が生まれてからは育児の忙しさと疲労で手紙は二通だけしか書けていない。書きたいことや伝えたい言葉があるのに、優音を寝かしつけているうちに一緒に眠ってしまう。
慣れてきたとはいえ初めての育児と学業の両立は大変だった。親の手伝いがなかったら、とっくにノイローゼになっていたかもしれない――。
友成への手紙は書くごとに便箋の枚数が増えていく。行く宛のない分厚い封筒は机の引き出しの中へ。夢の国のお土産で貰ったお菓子の缶。そろそろ蓋が閉まらなくなりそう。
今度は優音の誕生日会の様子を書こうと決めていた。多分……いや絶対に、枚数新記録達成だ。
(新しいレターセット買わなきゃ)
いつもは徒歩五分の公園に散歩に行ってるけど、今日は少し遠出しよう。
十五分ほど歩くと、大きな公園と、その近くにショッピングモールがある。レターセットはそこで買おうと思った。
「お散歩日和だね、おとくん」
「あ~!」
「うんうん。青空!」
足をパタパタさせている優音が空を指差す。ベビーカーの日よけを上げ、ご機嫌な様子を覗きこんだ。
いつもと変わらない散歩の光景。
違ったのは目的地だけ。ちょっと歩く距離が伸びただけ。
歩道にある花壇の花に、親子で興味をもっただけ……。
――立ち止まって笑う。空を見て笑う。
真っ黒な運命は、その二人にあらがう間も与えず襲いかかった。
優海の育児日記と友成への手紙は、“あの運命の日”を境に書かれていない――。
*
病室で目が覚めた時はちょうど回診中だった。「奇跡的だ」医師と看護師達があげた喜びの声に、優海は顔を歪めた。
なんでこんな所にいるんだろう。私――。
自分は一か月も眠っていたらしい。あの日の記憶は曖昧で、思い出そうとすると視界が真っ暗になる。
花に触れる優音のちっちゃな手。そこで途切れている記憶。
「……おとくん……」
思い出そうが出すまいが関係ない。あの手はもうどこにも無いんだ。消えてしまった。――私を残して。
受け入れがたい現実が、毎日、毎時、毎分、優海を殴る。
頭が痛い。身体がギシギシと悲鳴を上げる。
それでも優海は泣けなかった。
病室に出入りする医師と看護師達の優しい言葉に「頑張ります」と返し、疲れた顔の両親を安心させる為になるべく笑ったりして。
優海もそうしていないといられなかったのだ。
誰も自分を責めないのが、辛くて怖い……。
睡眠薬で夜を短く、数種の抗不安薬で昼を誤魔化しながら一日一日ぼんやりと生きた――。
「谷口さん。中庭まで行ってみない? 検査続きで疲れたでしょう。気分転換に」
「中庭……?」
(そんなのあったんだ……)
一番仲良くなった看護師の武田さん。彼女に誘われはじめて中庭に出たのは、退院二日前の話だ。
「退院かぁ。谷口さんいなくなっちゃうと寂しくなるな~。……あれ、看護師的に大丈夫かな? この発言」
「あはは」
彼女が姉だったらな、と何度も思った。変に気を遣う人がいる中で、彼女だけはそういう事をしなかったから。
武田さんと会えなくなるのか。寂しいな……。と、優海も素直にそう感じていた。