◆◇◆銀色の狼◆◇◆
不穏な気配に気が付いて目が覚めた。
それは呑気な僕でも直ぐに危険だと分かる銀色の狼が僕を狙っていた。
そして、その狼から僕を守るように威嚇して唸り声をあげる金色の猫。
「下がれ!」
咄嗟に僕は金色の猫の前に出た。
「前に出ちゃ駄目! こんな犬っころなんて私一人でも充分よ」
金色の猫はそう言って僕の肩に乗り、また唸り声をあげた。
用心深く、首を下げ様子を窺う銀色の狼。
ちゃんと躾をされた犬ならば、この様な小さな猫にだって簡単に追い払うことはできる。
躾が出来た犬は、攻撃されたとしても、危害をくわえる事はしないで逃げてくれるから。
しかしこいつは違う。
野生の狼だ。
山猫は鋭い爪と、鋭利な牙、それに類まれなる俊敏性が武器。
だけどパワーと持久力に於いては、狼には叶わない。
特に狼の顎の力は、山猫に比べてはるかに強い。
例え急所を外されたとしても、骨のある場所なら簡単にその牙は骨を砕く。
皮膚を噛まれた場合は、もっと悲惨な末路が待っている。
彼らは、獲物を咥えたまま強力な首の力で振り回し、何度も硬い地面に打ち付ける。
一回や二回打ち付けられたくらいで死ぬことはないが、硬い地面に打ち付けられる度に体力が奪われ、そのうちに死んでゆく。
ネコ科最強で300キロ以上の体重を誇るライオンの最大の敵はヒョウでもなければチーターでもなく、体重僅か60キロのハイエナ。
イヌ科のハイエナは意外に知能が高い。
もちろん頭の良いハイエナでもライオン相手に1対1では戦わない。
群れ対群れであればハイエナはライオンと互角に戦える。
ライオンの群れのターゲットは、相手の群れから外れた者か、傷ついた者。
しかしハイエナは群れを崩さないし、たとえ傷ついた者が出たとしても、それを攻撃の輪の後方に移動させて代わりの物が攻撃してくる。
ライオンの攻撃に対してハイエナの攻撃は、狙った個体を上手に群れから切り離す作戦を取って、1対多数の鉄則を崩すことはない。
つまりハイエナたちはランチェスターの法則を実行していることになる。
ハイエナよりも遥かに知能の高い狼に狙われた獲物は、もう逃げることは叶わない。
彼らはハイエナのように直ぐに命を奪おうとはしない。
その代り相手にプレッシャーをかけ続け、寝る事も落ち着いて食べる事も許さなくて、徐々に獲物の体力を奪ってゆく。
そしてヘトヘトになり、弱った所を襲う。
不幸中の幸いは、僕たちの目の前に居るのがこの銀色の狼一匹ということだけ。
「どうする。逃げる?!」
「いや、逃げることは出来ない。狼は時速70キロの速度で20分も走れる驚異の体力の持ち主だ。異世界に転生したとはいえ人間の走力で逃げる事など叶わない」
「じゃあ、どうするの?」
「待つ」
「待つ?! 待ってどうするの?」
「待って、何もしない」
「何もしない??」
「狼はIQが高い。だから2対1の今の状況をよく理解しているはずだ」
「でも、私も貴方も敵わないんでしょ。だったら直ぐに襲って来るわ」
「いや、僕が思っているくらいこいつが賢ければ襲ってはこないだろう。襲えば必ず勝てて獲物を手に入れることが出来るが、その代り傷を負うリスクもある。一匹で生きている場合、傷を負うことは捕食者から非捕食者に立場を替えることになる。だから、こいつは時を待つはず。僕たちが眠るか、離れるかのどちらかになる時を」
銀色の狼は、隙を窺うようにゆっくりと用心深く一定の距離を開けて歩いている。
「おい、金色の猫。近くの木に細くて丈夫そうなツルはないか」
「その、金色の猫ってやめてくれない。私にはルルルと言う名前があるんだから」
「ルル!? 風邪薬みたいな奴だな」
「ル・ル・ル! ルが一個少ない!」
「すまないル・ルル」
「ル・ルルと区切らない! そのままルルルと続けて呼べばいいの」
「ごめん、ごめん、なんとなく区切ってみたらフランス人ぽくて。それにしても可愛い名前だねル・ル・ル」
「うふ♡可愛いだなんて……、それよりアンタなんて言うのさ」
“名前!?”
考えたが、どうしても自分の名前を思い出せない。
そのとき足で何かを踏んだ。
”貝殻だ”
「カイ、僕のほうはカイと呼んでくれ。じゃあルルル、探してくれ。それと1メートルくらいの木の棒もな」
ルルルは僕の肩の上でキョロキョロと辺りを見渡していた。
「カイ、あったよ。取りに行ってくるね」
「駄目だ、僕の肩に乗ったまま誘導して!」
狼は僕たちが分散することを願っているはず。
1対1の戦いに持って行けるから。
そうなれば必ず動きの速い、厄介なルルルが先に狙われる。
体の小さいルルルなら、一瞬で殺すことが出来るしルルルが攻撃されている間、動きの遅い僕は何も出来ない。
逆に僕を攻撃した場合は、直ぐに殺せないばかりか、直ぐにルルルの攻撃を受ける恐れがある。
ルルルに誘導されながら、僕は後ずさりしてツルと棒を手に入れることに成功した。
「弓を作るのか?」
ルルルが期待に満ちた声で聞いてきたが、僕は「いいや」と答えた。
先ず棒の先を地面で擦り、先を鋭く尖らせた。
「槍だね」
「まあ、似たようなものだ」
その次にツルに付いた余分な葉を千切り、一本のロープを作り、そのロープをさっき作った棒に巻き付けた。
「さあ行くぞ、今度はルルル、お前が狼を見張る番だ」
「えっ、それで攻撃するんじゃなかったのか?」
「攻撃はする。でも、それはあの狼じゃない」