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14―女難の相

エルフリーデが誤ったかもしれないと思ったのは、あの舞踏会の時である。

彼女を見る皇帝クニシゲの目が、完全に男が自分を欲している時のものだと、この女王にはわかった。

恋は賢者を愚者に変える病になりうる危険なものだと、彼女は身をもって知っている。

まして、お人好しのあの皇帝では、最早賢い選択など求めようがないであろう。


一度は誠実に向き合って、その結果がこれなのだから、これからエルフリーデがしようとしていることも、さほど非道というほどのことではないだろう。

ほんの少しだけ、彼の感情を利用する働きかけ方をするだけだ。

それも、彼の命も立場も救うためにである。


事は動き始めている。

時間が無いのだ。


船が壊れたこと、滞在期間を延長したいことをエルフリーデが伝えると、皇国側はそれを受け入れた。

船が無くとも帰る手段はあるのだが、この際それは黙っておくことにした。

この女王の滞在が長引いたことを、皇帝クニシゲは案の定喜んだ。


内密に目通りを、という件も、その日の夜に叶った。

こうして非公式で会話することを望んでおきながら、エルフリーデはちゃっかりいくつかの書面を用意しており、あれやこれやと言いくるめて皇帝の署名を捥ぎ取った。

中には、同行者の中に優秀な地理学者がおり、彼に皇国内での地質調査を許可してほしいという、皇帝からするとわけのわからないものまで混じっていた。

そんなことを許可する書面に署名してしまう皇帝も皇帝であるが、美貌の女王が青い瞳を潤ませて上目遣いに頼むもので、内容などどうでもよくなってペンを走らせてしまったのだ。


更にエルフリーデは、古くからの臣下を傍から離さない方がいいと、クニシゲに強く言い聞かせた。

あれやこれやと有る事無い事その理由を最もらしく語り、例えばクニシゲにとってそれはユキマサのことであろうと話を持って言った。

極めつけは、

「この国では私の容姿は目立つのか、どうも男性からの目線が気になるのだが…。ユキマサ殿にはそれがなくていい。彼は私に興味が無いようなので接しやすい」

と、ありそうで本当かわからないような嘘まで吐いた。

こう言っておけば、エルフリーデが異性としてユキマサを気に入ったのではないかなどという、見当外れな邪推をされることもないであろう。


エルフリーデにできる根回しなど知れている。

緊急連絡用の魔道具もユキマサに渡してある。

これ以上のクニシゲの身の回りのことは、真に忠節な臣下に期待するとして、女王一行は彼らにしかできない仕事を急ぐことにする。

彼らは彼らで、守るものが多いのだ。


「では私は少し、キルヒナー宰相と話してくる」


滞在延長を勝ち取っておきながら、数十分の間ではあるが、この女王はお忍びで転移して帰っていった。


「あたしらも行くか」


そう言うミリヤムと共に立ち上がったのは、ギュンターとヨハネスである。

エルフリーデは地質調査に出かけるヨハネスの護衛として、ミリヤムとギュンターをつけた。

公爵二人が平民の護衛など、他国であれば無茶苦茶な指示であろうが、アルテンブルク王国女王はそういう人材の配置が十八番である。


アルベルトとトシツネは、エルフリーデが戻るまで待機という指示を受けている。


「トシツネ殿。わたくしが貸し与えた剣を持ってきていますね?」

「はい、先生」


トシツネは、腰に下げていたそれを、鞘ごとアルベルトに差し出した。


「必要になることがあるかもしれません。わたくしの魔力を込め直しておきましょう」


その柄にあしらわれた赤い水晶に念じるようにして、アルベルトは赤い光を込める。


「それは、一度しか使えないのではなかったのですか?」

「何度も使えると言えば、無駄打ちしてしまうのが人の(さが)ですからね。さあ、お持ちなさい」


アルベルトはそれをまた、トシツネの手の中に戻した。


「わたくしが常に傍にいられるとは限りませんから、次にいつその剣に魔力を補充できるかわかりません。今度も、一度きりしか使えないと心得て動きなさい」

「はい」




―――――――――――――――




半月型の下縁眼鏡の奥から、若葉色の瞳が書類を見下ろしている。

彼女が溜息を吐けば、赤銅色の豊かな髪が肩でふんわりと揺れる。

アルテンブルク王国宰相ハイデマリー・ローザリンデ・キルヒナーは、悩み多き大人の女性である。

その中でもごく小さな悩みとして、女王に押し付けられている仕事量の割にはいつも損な役回りばかり引き受ける、ということがある。


「陛下ったら、留守中のことは全部私に押し付けて海外旅行だなんて。事が上手くいった暁には、ごっそり休暇をもらってバカンスにでも行かなきゃ、やってられないわ」


女王は会談に行ったのであり、旅行に行ったのではないのであるが、出かける前の浮かれぶりからすると、宰相にこんな愚痴を吐かれても仕方がないであろう。

宰相は今日も孤独な執務室でひとり、非常に勤勉に働いている。


「キルヒナー宰相。あなたが海外でバカンスを過ごせるようになるまでに、いくつか片付けなければならない問題がある」


そこへ、いきなり転移してきた女王が声をかけた。


「陛下!突然戻られては驚きますわ」


愚痴を聞かれた割には、ハイデマリーは驚いても焦ってもいない。

優秀で媚びないこの宰相は、役回りこそ損であるが、エルフリーデの大のお気に入りである。


「まず、今回結んだ条約の内容だが――」


エルフリーデは、条約の内容など公式の決定事項を話終えると、続けてイヅノメ皇国で起こった全てを語って聞かせた。

そして、今後の方針までを告げた時、ハイデマリーは呆れたような諦めたような表情になっていた。


「わかりましたわ。ミュラー大将とお話して、この国に攻めてきた人間達を追い返せばよろしいのですね」

「話が早くて助かる。殺すなと厳命してくれ」

「そちらへの増援は必要ですの?」

「ああ。この後ミュラー大将のところへ寄って、空軍の半分と陸軍の一部を借りていく。それ以上については、私から指示をした場合と、アルベルトからの定時連絡が二度無かった場合に、頼むことにしたい。詳細は――」


エルフリーデは、敵の行動パターン別の指示をまとめた紙を、どさりと机に下ろした。

優秀な宰相はそれをパラパラとめくって要点を把握した。


「それにしても、あちらの軍艦や武器の素材や形態まで、どうやってお調べになったのか…私、少し怖いですわ」

「舞踏会という、恰好の情報収集の場があったのでな。臣下たちが頑張ってくれたのだ」

「そうですの」


足が遠のいてしまった社交界のことを思い、ハイデマリーは感慨に耽りそうになる。


「では、宰相。世界地図を借りていく」


そう言い残すと、エルフリーデはハイデマリーの執務室にあった世界地図を、許可も得ずに持って転移して行ってしまった。


「…もう!陛下ったら相変わらず勝手なんだから!」


いくら文句を言おうと、この優秀な宰相は早速仕事に取り掛かる。


勤勉すぎる優秀な女性というものは、幸せになれるものなのであろうか。

これは、ハイデマリーのことを良く知る者がふと思い付きがちな、切ない疑問である。




―――――――――――――――




「ユキマサ殿」


回廊で皇帝の側近を呼び止めたのは、フードを目深に被った妖しげな男――ミカゲである。


「女難の相が出ておりますよ。女人の言うことはまともに相手にしないほうがよろしいかと」


エルフリーデの話を聞いた今なら、ユキマサにもミカゲの言わんとすることがわかる。

あの女王の側につくなら、ユキマサのことも見逃さないと、この陰陽師は彼に警告しているのだ。


「女難ですか。拙者はしばらく、人類のうち半分も相手にしてはならないわけですな」


ユキマサなりに、あの女王から助言を受けたことをミカゲに悟られぬ返事を考えたつもりである。

フードの下の口元には、いつも通り表情はない。

どこひとつ動いた気配はないというのに、何故かユキマサはそこから笑ったような気配を感じ取った。


「拙者はもう参ります。残念ながら、ミカゲ殿にその女難を振り払う祈祷をして頂けるほど、拙者の懐は暖かくありませんので」


懐どころか、心の臓までその温かみを失うことになったとしても。

ユキマサは彼の主君のために、どんなことも覚悟している。

それをミカゲのほうも感じ取ったのであろう。

彼もまた、何も言わずに立ち去った。

女王様が悪女化してきています…。

これはいかがなものかと思いつつ、ここで思い切り振ってこじれては守れるものも守れなくなるし、やはり命のほうが大切かなという私の独断の偏見により、こうなりました。

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