13―揺れる大地
それは朝食の最中であった。
大きな揺れが彼らを襲った。
「地震か」
ヨハネスが呟く。
「皆様、座布団の下にでも伏せてくださいませ!」
既に座布団を頭の上に乗せて伏せている女官が、慌てたように言う。
何か落ちてきても魔法で防げると思っている魔族たちは、余裕たっぷりだったのである。
咄嗟にテーブルの下に頭を突っ込んだのは、トシツネくらいであった。
ミリヤムは味噌汁がこぼれる前にと、揺れる中で一気に飲み干そうとし、溢して服と床を汚した。
ギュンターはそんなミリヤムを微笑ましく見守りながら、手拭きを差し出してやっていた。
ヨハネスは何かに思い当たり、中庭のほうへ強靭なバランス感覚で歩いていく始末。
アルベルトは、予備の箸で器用にエルフリーデの鯛の小骨を取ってやっている。
エルフリーデはというと、手に青い光を宿して、テーブルごとその上のものを床上五センチに浮かせて固定し、料理や食器を揺れから守った。
つまりミリヤムは、味噌汁の椀を地震が収まるまでテーブルに置いておくべきだったのだ。
「皆様、危ないですから…!」
ヒステリックな女官の叫びに、共感したのはトシツネのみ。
そのうちに揺れは収まった。
「あーあ、勿体ない!これ美味かったのに!」
「総帥、着替えていらしてください。床は僕が拭いておきますから。それから、このスープでしたらおかわりをお願いできますよ」
「ほう。この建物は揺れを押さえ込むのではなく、揺られることで倒壊を回避する構造か」
「陛下、取れましたよ。どうぞ」
「揺れたくらいで騒がしい。我が臣下ならばこの程度のことに動じるな」
鯛の塩焼きをたいそう気に入ったエルフリーデは、上品にそれを口元に運ぶ。
その様子を見上げながら、トシツネは床に戻されたテーブルの下から這い出した。
「ご、ご無事で何よりです」
苦笑しながら、女官は諦めたように言った。
彼女は目の前で魔法が使われるのを見てしまったわけだが、恐怖はなかった。
魔族の世話を命じられた時は、死を覚悟したというのに。
実際に接してみると、女官である彼女に気遣いを示してくれるような者ばかりであった。
「怪我はないか?」
美しい女王が女官に問う。
「はい、何ともございません」
笑顔で答えながら、彼らが悪魔だなんてとんでもないと、女官は思った。
しばらくして、バタバタと足音が近づいてきた。
この場所を誰かが訪ねてくることなどなかったので、彼らは怪訝な表情を浮かべる。
「ユキマサでございます。皇帝陛下のご命令で参りました」
戸の向こうから声がする。
ユキマサというのは、エルフリーデが初めて皇帝の元を訪ねたときに、取次ぎを頼んだ側近だ。
「入ってよいぞ」
エルフリーデが許可すると、すっと戸が横に開く。
がっしりと体格の良いユキマサは、精悍な顔立ちをした朴訥な印象を与える若者である。
「女王陛下のご無事を確かめて参るようにと、皇帝陛下からのご命令を受けました。皆様ご無事でおられますか?」
「全員無事だ。だが――」
エルフリーデが、女王としての威厳ある顔で、ユキマサに真っ直ぐ視線を向けた。
「側近中の側近であるはずのユキマサ殿が、何故皇帝の傍を離れてまでここへ?確か貴殿は護衛も兼ねていたはずだと思ったが」
返す言葉に詰まって、ユキマサは俯いている。
「当ててやろうか。クニシゲ殿が何かしらのミカゲの言を聞き入れ、その結果、貴殿が常に彼の傍にいる必要がなくなった」
はっと、ユキマサが顔を上げた。
その様子で、当たっているということが見て取れる。
「護衛を別に雇えとでも言ったか。また占術結果とでも言ってな。おおかた、新しい護衛に誰を雇うかまで占術で決めたのであろう」
ユキマサが瞠目する。
その仕草がまた、肯定を表している。
「見え透いた策だ。しかし、言いなりになるなとあれほど言ったのに、無駄であったか…」
エルフリーデは、クニシゲに関しては読み違えたようだ。
一朝一夕で得た中途半端な信頼など、脆いものだ。
落としたい女というものは、信頼の対象から外れる。
こういう場合、相手の男を狩人にしてはいけないのだ。
「しかしこれでよくわかった。ユキマサ殿は信頼できる」
この暴君が最初の取次ぎの時にユキマサの前に姿を現したのは、きちんと相手を選んでのことである。
エルフリーデはあの日、夜更けの闇に隠れてイヅノメ皇国の皇都上空を飛んで、皇城までやってきた。
そして行儀が悪いのは承知の上で、信頼できる者を探すため、窓から見つからない程度に様子を覗きつつ、様々な会話を盗み聞きして回った。
ユキマサは、皇帝クニシゲの傍に仕えていた。
そして、皇帝の所有物である壺を掃除夫が割ってしまった折、正直にそれを告げては掃除夫の首が跳びかねないからと、側近であるユキマサが罪を被ってやったのを、エルフリーデは偶然にも目撃したのだ。
ユキマサの立場ならば、壺ひとつのことで命までは取られないであろうが、かといってお咎め無しというわけには普通はいかない。
降格や失職の可能性だってあったわけであるが、つまり彼はそれよりも、下の者とはいえ他人の命を尊び憐れんで、優先したのである。
それを受けたクニシゲは、全てを察したのか、事情も問うことなくユキマサを無罪放免とした。
壺ひとつよりも家臣の方が大切であり、怪我のなかったことを喜ぼう、と。
その一部始終を覗き見したエルフリーデは、この主従のあり方がいたく気に入ったわけである。
「ユキマサ殿に問う。貴殿はクニシゲ殿の忠節の臣下か?」
「はい」
エルフリーデが問えば、ユキマサは迷いなく答える。
「だったら何故、主君が傀儡となっていくのを止めもせず、あのような胡散臭い陰陽師などをのさばらせておくのだ」
他国の事情に遠慮もなく首を突っ込むようなこの問いに、僅かにユキマサは身じろぎした。
「それは…。拙者のお役目は、皇帝陛下の御意のままにお仕えすることでありますので」
「たわけが!!!!」
エルフリーデが一喝する。
これは始まるな、と思ったアルベルトが、気配も無く女官に耳打ちしに行く。
「すみませんが、少し席を外して頂けますか?」
「は、はい!承知致しました」
そそくさと部屋から出て行く女官のほうをちらりとも見ず、エルフリーデの青い瞳は射るように、跪いたままのユキマサの下げられた頭に向けられている。
「唯々諾々と主君の命に従うことが忠義ではないわ!そんなことは躾けられた犬にでも任せておけ!」
美貌に剣幕を纏わせ、暴君は他国の皇帝の側近に説教をする。
彼女の臣下たちは、意図があってのことであろうと、口を挟まずに見守っている。
「真の臣下たらば!主君を諫め、それでも過てば時には殴ってでも止めろ!」
ミリヤムの拳を腹に打ち込まれた夜のことが、エルフリーデの中では美しい主従愛の記憶となっているようである。
「クニシゲ殿は、良くも悪くも人が好く、付け込まれやすい。真に信頼のおける臣下の支えが必要だ」
他国の女王の言であるために、ユキマサは何も言い返せないでいるが、ともすれば主君への侮辱とも取れるあけすけな物言いに、彼は思わず眉を顰めた。
「敵も命を取りには来ないだろう。あちらもクニシゲ殿に失脚されては困るはずだからな。しかし、毒や薬を盛られることは充分に有り得る」
一方的に話し続けるエルフリーデの言葉を、ひたすら浴びることしかできないユキマサだが、事が差し迫っているということを感じ取れてごくりと唾を飲み込んだ。
「ユキマサ殿。貴殿は私の臣下ではない。だから、これは頼み事だ」
美貌の女王は優雅に歩を進めてユキマサに近づくと、彼の前に膝をついて視線を合わせた。
一国の主にそんなことをされて、ユキマサのほうではぎょっとする。
しかも、目の前にあるのがとんでもなく美しい女の顔なので、彼はおかしな動悸までしてくるのを感じた。
「クニシゲ殿を守ってくれ。命は勿論のこと、人格や意思もだ。この意味がおわかりか?」
「い、いいえ…。残念ながら拙者にはそれだけでは理解が難しく…」
寒い季節だというのに、ユキマサの精悍な額から汗が流れ落ちた。
この女王の短い言葉の意味をそれだけで全て理解しうるほどに、ユキマサは切れ者ではない。
しかし、これに頷けば、どうやら皇帝の命運をひとりで背負う覚悟を誓うことになりそうだということは、彼にも感じ取れた。
「では、説明するから聞いてくれ。近くこの国では、反乱が起こるだろう。同時期に、他国から宣戦布告を受ける可能性も高い。全ては、クニシゲ殿が即位後間もなく魔族などをこの国に招き入れたために、起こることなのだ」
ユキマサはゆっくりと頷く。
「魔族と親交を図れなどと言い出したのはミカゲだ。奴は、反乱や戦争の発生を見越した上で、故意にそれを引き起こそうとしていると考えていいだろう。そんな男が、皇帝の味方であると思うか?」
今度はユキマサは、ゆっくりと首を横に振った。
「ミカゲは信用ならない。奴の選んだ者達も同様だ。つまり私は、奴が遠ざけようとした貴殿は信頼が置けると思っている」
ユキマサは口を開きかけて閉じる。
荷が重いと言ってしまいたくなるが、それを口にして主君を見捨てられるほど、彼は冷たくもなければ、不忠でもない。
「クニシゲ殿は、ミカゲに乗せられて自らの周りに敵を配置してしまっているだろう。我々魔族からは、そこに潜り込ませられるような人材は出せない。だから、ユキマサ殿。貴殿にクニシゲ殿のなるべく近くにいて、守る役目を頼みたいのだ」
周りは既に敵だらけだということに、ユキマサは言われて初めて気がついた。
「皇帝陛下をお守りすることは、そもそも拙者のお役目です。陛下がそのような危険に晒されているとあらば、女王陛下のお頼みにかかわらず、拙者は陛下のお傍を離れるわけには参りません」
しっかりと見返してそう言い切ったユキマサに、エルフリーデは真摯な眼差しを向けて深く頷く。
「ユキマサ殿。私にとっては有難いことではあるが、貴殿は今、私の言を鵜呑みにした。つまり、私を信用して下さったと思って良いのか?」
ユキマサは、再び唾を飲み込み、そして口を開こうとしたが――。
その時、また大きな揺れがその場を襲った。
「またか」
エルフリーデは、部屋の中にあった座布団を一枚ユキマサに渡してやった。
トシツネはまた机の下へ頭を突っ込み、ギュンターが先程のエルフリーデを真似てなんとかテーブルとその上のものを宙に固定する。
座布団の下で蹲りながら、ユキマサはその魔法を見て瞠目した。
揺れが収まるとほぼ同時に、アルベルトの左手首でガシャンと嫌な音がした。
皆がそちらを見ると、金属製のブレスレットが真っ二つに割れて床に落ちていた。
「船が壊れました」
それは船に何かあったらわかる魔道具であったということを、女王以外の皆が今知った。
「地震で、ということは無いはずだが」
彼らの船には様々な魔法がかけられており、ヨハネスの指導のもと、地震対策もきちんと施されていた。
「閉じ込めたつもりか、挑発のつもりか。いずれにせよ、居座る口実ができたな」
薄紅色の美しい唇の端を釣り上げて、エルフリーデは悪戯っぽく笑った。
「もう一度問う。ユキマサ殿、私を信用してくださるか」
座布団を退けて膝をつき直したユキマサに、女王は青い瞳を真っ直ぐに向ける。
「ひとつ、お伺いしてもよろしいですか?」
がっしりと体格の良い身体を僅かに震わせながら、また一筋二筋と汗を伝わせて、ユキマサが問いかける。
「ああ」
青い瞳は相変わらず、同じ高さから視線を合わせたままである。
「女王陛下は、何故、皇帝陛下の身を守ろうと動いてくださるのですか?」
ユキマサは、皇帝がこの女王に向ける熱い視線の意味を理解している。
しかし、この問いはそんな下世話な詮索ではない。
他国の、それも二千年以上国交のなかった魔族の国の王が、即位したての皇帝を守って何の利があるというのか。
彼は純粋に理解できなかったのだ。
「私の目的は、人間界との国交の正常化だ。しかし、一方的にこちらがそれを望んでも、長い歴史の中で我々が疎まれてきたことを鑑みれば、平和的交渉は望み難い」
力でねじ伏せる手段については、ここでエルフリーデは敢えて触れなかった。
彼女自身、なるべくならそれは避けたいと思っている。
「そこに、二千年以上現れなかった、魔族との親交を望む人間の皇帝が現れたのだ。この機を逃せばまた二千年、否もっと長く、こんな奇跡は起こらないかもしれない。クニシゲ殿は、我が国の建国以来初めての外交上の希望だ。それに――」
そこで初めて女王はユキマサから目を逸らし、ちらと背後を見遣った。
「この国は私の大切な臣下の母国でな。仮に他の国とは上手くいかなかったとしても、この国とだけは国交の正常化を実現したい。彼に堂々と母国の土を踏ませてやりたいのだ」
それは主従愛か、それとも――。
そんな無粋な詮索はせず、ユキマサは頷いた。
この女王の側に彼の皇帝を守ろうとする理由があり、それをユキマサは納得したのだから、それで充分であった。
「女王陛下が信頼すべきお方だということは、よくわかりました」
「ならば早速取り次ぎを頼まれてくれるか」
断れるわけがないと、ユキマサは思った。
信頼すると決めた女王が、自ら膝を折って視線を合わせてまで頼み事をしているのだ。
いくら魔族と人間とでは常識が違うとはいえ、これは本来とんでもないことだ。
「クニシゲ皇帝陛下にお目通りを願いたい。できれば内密に、二人きりで」
「承知致しました。お伝えして参ります」
ユキマサには、人の好い顔を綻ばせて喜ぶ主君が、目に見えるようであった。
彼の皇帝は、この女王にこんなふうに頼まれては、忙しくとも断りはしないだろう。
それをこの女王もわかっていて言うのだろうが、ミカゲのような腹の知れない男にまんまと操られるくらいなら、悪い女に少し騙されていたほうが主君も幸せであろうと、ユキマサには思えた。
日頃よりご愛読頂きまして、感謝申し上げます。
ところで、誤字報告というものを頂いたことがないのですが、今のところ目立った誤字脱字は無いということなのでしょうか…。
ちょくちょく読み返して自分で確認して参りたいと思いますが、見落としがございましたら、ご不便をおかけしますことをお詫び申し上げます。




