53―三度目の告白
王宮の温室では、様々な植物が大切に育てられている。
美しい花々は時に王宮に飾られ、珍しい草木は薬の原料にもなっている。
爽やかな秋のこの日にも、ここでは薔薇が咲き誇っている。
トシツネの目当ては、真っ赤な薔薇を分けてもらうことである。
朝早くから宮廷庭師に頼み込み、手伝いをする代わりに薔薇を分けてもらう約束を取り付けた。
勿論、薔薇の花束を手にエルフリーデに愛の告白をするためだ。
彼はもう二度も愛を告げている。
立場や身分を気にしてなかなか言い出せなかったのであるが、状況が彼の口を割らせたかたちで告げずにいられなくなったのだ。
しかしまだ、返事らしい返事をはっきりもらっていない。
そして、彼は愛を告げただけで、交際を申し込んだわけではない。
何だかんだと中途半端なまま流れてしまったこの状況、いったいどういう顔で彼女と接していいのかもわからなくなってしまった。
だから彼は、意気込んでいるのである。
男らしく正面から告白して、この状況を抜け出すのだ。
そしてあわよくば、関係性をはっきりさせたいのである。
女王という身分の女性が、どういった恋愛のかたちをとりうるのかは、トシツネには実はよくわからない。
夢いっぱいの少年であるトシツネは、結婚という最高の未来を思い描きつつも、一方ではエルフリーデの特別になれるなら、愛人だろうが奴隷だろうが構わないと思ってもいる。
完全に拒絶されることは、考えていなかった。
エルフリーデの言うところの傲慢な所有欲や、醜い執着や、穢らわしい劣情というものは、彼女の側も持ってくれているものとわかったのだ。
それが何であれ、トシツネは自分が求められることが嬉しい。
だから、それをもらいに行くのである。
正午になる頃には、宮廷庭師は快く赤い薔薇を束ねて、トシツネに分け与えてくれた。
その上、
「ご武運を」
などと親指を立てて送り出してくれた。
甘い香りの薔薇の花束を抱いて、浮かれ気分で王宮の廊下を進んでいったトシツネは、途中アルベルトと出くわした。
「先生!陛下は今、どちらにおいでですか?」
「おや、これは綺麗な薔薇ですね。陛下も喜ばれると思いますよ」
すっかりこの弟子に甘くなった彼は、
「おいでなさい。お客様がいらしてますが、陛下なら会ってくださるでしょう」
と案内しようとする。
「あの、では後程!少し、お話するお時間を頂きたくて」
「そうですか。では、執務室においでですから、隣のわたくしの部屋で一緒にお待ちしましょうか」
「はい!」
そわそわと浮足立ち、けれど隠し切れない期待に胸を膨らませる彼の、その姿がアルベルトにはなんとも微笑ましく映った。
エルフリーデの執務室を、通りかかろうとする時。
少し扉が開いているのが見えた。
彼女が換気のために窓と扉を数センチずつ開いておくのは、夏の間もよく見かけた。
おそらく今日もそれなのであろう。
警備上これはいかがなものかと思ったものだが、そこは平和な国のことである。
それよりも気になったのは、客人と語らう声である。
この女王は親しい友人たちに限り、いつでも執務室にまで上がり込んでくる許可を与え、通行許可証まで発行している暴君っぷりである。
だから今日も、そこにいるのは彼女の友人であろう。
相手が声から男性とわかっても、トシツネが心配するようなことはない――はずだった。
近づいてくればわかる、聞き覚えのある耳心地の良い声。
その相手はギュンターだ。
いつもならここに豪快に笑うミリヤムの声が混じっているのだが、今日は二人きりのようだ。
なんだか気になってしまって、トシツネは耳を澄ます。
「――そうは言っても、急いでどうなるものでもないだろう」
「ええ。しかし、頃合いとしては良いのではありませんか」
「だが不安要素も残る。そこでだ」
盗み聞きなんて下品な趣味だとは思うのだが、そこを淡々と通り過ぎることができず、トシツネの歩く速度が自然と緩む。
「叔父上、結婚してくれないか」
どくりと、嫌な音を発てて心臓が騒いだ。
さっと身体中から熱が引いていくような感覚があり、不安を増長する痺れと震えに包み込まれる。
トシツネはそれ以上何も聞きたくなくて、先に部屋に入っていったアルベルトのところへ一心に駆け込んだ。
「先生っ!!!」
うわんうわんと声を上げて泣きじゃくりながら、トシツネは勢いよくアルベルトに抱き着いた。
それでも手にしていた薔薇の花束を離さなかったのは、いくら叶わなくても手放せない彼の苛烈な恋心の表れであったろうか。
「どうしたのです?」
理知的な赤い瞳に戸惑いを浮かべて、アルベルトはトシツネの背を優しく撫でてやる。
「ううっ…ひっく…うわぁああん」
おろおろと解せない状況に手も足も出ないアルベルトの腕の中で、トシツネは小さな子供のように泣いた。
それは、ギュンターなら身分も申し分ないし、問題と言えば血が近いということくらいであろう。
初めてトシツネがギュンターの姿を見た時は、物語に登場する王子様のようだと思ったものだ。
あの上品な美青年が美貌の女王の隣に並べば、それはそれは絵になる。
トシツネなんて、鏡を見ればあの女王に釣り合わないのは一目瞭然…と、そんな自覚と劣等感に苛まれてきたことを、ここ数日はあの精霊絡みの目まぐるしい日々のせいで忘れかけていた。
エルフリーデは、トシツネのことを好きだとも愛しているとも言っていない。
綺麗ではない感情を抱いている、という言い方をされただけである。
それを良いように受け取りすぎて、勝手に舞い上がっていたのではないか。
トシツネは、泣き喚きながらそんなふうに思い始めていた。
「何だ、騒がしい」
エルフリーデが入って来た。
隣の部屋なのだから、こんなに大声で泣いていてはそれは聞こえてしまうだろう。
彼女の斜め一歩後ろに控えるギュンターの、貴公子らしく気品あふれる佇まいを目にして、またトシツネの目から涙が溢れてきた。
怪訝な表情の女王が、観察するようにアルベルトとトシツネの周囲を歩く。
「…その花束は」
アルベルトとトシツネと薔薇の花束を、エルフリーデは順に三往復見据え、秀麗な眉を顰めた。
「最近、お前はトシツネに甘いと思っていたのだが。まさか、そういう感情であったとはな」
「…え?わたくしですか?」
「そうだ!お前、トシツネを困らせて泣かせたのだろう!」
腰に手を当てて、美貌の女王は勘違いをして憤慨している。
「とんでもございません!わたくしにそんな趣味があるわけが!」
「だったら何故、トシツネは泣いているのだ!」
憐れなほどに情けなく悲しい目をしているアルベルトのために、この疑いを早く晴らさなければならない。
トシツネは懸命に落ち着こうとする。
「その花束、陛下宛てですね?」
ギュンターの穏やかな声がする。
「陛下、リボンをご覧ください。陛下の瞳と同じ深い青色です」
そうなのだ。
赤と青では目に少しきつく映るかと思ったのだが、トシツネは大好きなエルフリーデの瞳と同じ色のリボンを選んでかけたのだ。
「…いったいこれは、どういう状況なのだ?」
冷静になったエルフリーデが、困惑した声を発する。
「わたくしにも、何が何やら…」
アルベルトは困り果て、ギュンターはしなやかな指を顎に添えて考え込んでいる。
「…もしかすると。陛下と僕の会話を断片的に聞き取って、何か勘違いをされたのでは?」
思いついたというように、ライトグレーの瞳がエルフリーデに視線を送った。
「トシツネ、どうなのだ?お前は何か聞いて、それに対して泣いていたのか?」
泣き声も涙も抑え込んで話せる状態になったトシツネが、顔を上げて頷く。
「陛下は、シュレンドルフ公とご結婚なさるのですか?」
一瞬の沈黙が流れる。
「…は?」
「…え?」
トシツネが思いもしなかった反応が返って来た。
「ああ、陛下。わかりました、あの時の」
ギュンターが、合点がいったという表情をしている。
「『叔父上、結婚してくれないか』、というところを聞いたのでしょう?」
優しく宥めるように、ギュンターがトシツネに問いかける。
その物腰柔らかな振る舞いに安堵して、トシツネは素直に頷いた。
「あれは、そういう意味ではない!」
頬を赤らめたエルフリーデが、照れ隠しのように語気を強めて言う。
「僕たちは、お世継ぎ問題について少し相談をしていたのです。陛下も僕もそれなりの歳ですが、未だ独身です。この国では長らく、王位継承権を持つお子の誕生が待ち望まれてきました」
柔和に微笑みながら、トシツネに理解できるようにギュンターはゆっくりと語り掛ける。
「将来的に、陛下がお子に恵まれなかった場合、僕がそれに恵まれていれば、その子が王位継承権を持つことになります。ですから、陛下はそろそろ、僕に結婚するようにと勧めておいでなのですよ。先の陛下の発言は、それだけの意味です」
ギュンターはトシツネの肩にポンと手を置き、にこりと笑む。
「それに――」
そして耳元に口を寄せて、
「僕は総帥一筋です。安心してください」
と、こっそりと囁いた。
「そういうわけだ、トシツネ。だいたい、叔父上と私では血が近すぎる」
ぐいと、エルフリーデがトシツネを自分のほうへ引き寄せた。
これにはアルベルトもギュンターも、すぐにその意味を解せずぱちくりと瞬いた。
「お前は…皆と仲良くするのは良いが、あまりベタベタとして私の嫉妬を誘うのはやめろ」
これには彼らは苦笑するしかなかった。
以前にもそういう面が垣間見えることがあったが、この女王は嫉妬深い性質のようである。
「誤解も解けたところで、僕はお暇しますよ。お話の続きはまた後日」
「わたくしも、この後のご予定のための準備がございますので…ごゆっくり」
気を利かせて、彼らは上品に礼をすると部屋を辞していった。
ここはアルベルトの事務室なのであるが、彼は当分戻ってこないつもりだろう。
二人きりになったのはいいが、トシツネにとってはなんとも、本来の目的を言い出しづらい空気である。
こんな予定ではなかったのだ。
薔薇の花束を手に、正面から男らしく愛の告白をするつもりでいたのだから。
「あの、陛下。申し訳ございません。勝手に勘違いをして、お騒がせしてしまいました」
しょんぼりと俯きながら、トシツネは謝罪を述べる。
「構わない。私のほうこそ、不安にさせて悪かったな」
泣く子も黙る暴君が、随分と甘いことを言うものである。
その態度が、トシツネの不安を拭い去っていく。
「そんなことより、トシツネ。せっかくなのだから、場所を変えないか」
彼の心境を知ってか知らずか、エルフリーデは穏やかに提案する。
断る理由がないトシツネは、黙って頷いた。
麗しすぎる後ろ姿を追いかけて廊下を歩くうち、すっとトシツネの頭は冷えていく。
朝から浮かれて、花束なんて準備していたことすら、だんだんとみっともなく思えてくる。
その上あの大泣きを聞かれてしまい、今更格好の付けようもない。
艶やかな長い黒髪が歩く度に揺れている様を見つめながら、トシツネはどこを通ってきたかも認識せずについてきた。
気づけばそこは、女王の寝室である。
「そこのソファにでも座るがいい」
言われるままに彼が腰を下ろすと、エルフリーデはその隣に腰を下ろした。
どきりとする。
正面にもソファはあるのに、彼女はわざわざ隣に座っている。
以前にもこうして、ここに腰掛けたことがあった。
その時も、このとんでもなく近い距離にのぼせ上がったものだ。
あれから手も繋いだし、頬に口付けしたりされたりもした。
けれどそれに慣れるということはなく、いつでも緊張して舞い上がってしまう。
「トシツネ」
優しく呼ぶほうを振り返れば、奇跡のように麗しいかんばせが穏やかに微笑んでいる。
「陛下、あの…」
薔薇の花束を差し出し、トシツネは焦げ茶色の瞳に情熱を宿して、真摯にエルフリーデの青い瞳を見つめた。
「好きです。愛しています。叶うなら、わたしをあなたの特別にしてください」
みっともなくても何でもいいと思えた。
こうして向き合えば、愛しさに熱くなっていく自分を、抑えきれない。
エルフリーデのたおやかな白い両手が、花束を持つトシツネの手を優しく包み込む。
そのくすぐったいような柔らかい感触に、トシツネの意識が高揚する。
「ありがとう、嬉しい…」
薔薇の香りを堪能するように、エルフリーデがそっとそこへ整った鼻梁を寄せる。
そして上目遣いに、トシツネの焦げ茶色の瞳を見上げた。
「なあトシツネ。訊きたいことがあるんだ」
緊張と期待が増していき、トシツネの心臓が早鐘を打つ。
焦げ茶色の視線に熱を込めて見つめ返し、エルフリーデの次の言葉を待つ。
「お前のことを想うと、切なくて苦しくてたまらなくなる。お前にこうして大切なもののように扱われると、みっともなく浮かれて舞い上がってしまう。お前の好ましいところを見ると、胸の内が温かくなって自然と笑んでいる」
甘い疼きがトシツネの胸に広がって、息も止まってしまいそうになる。
嬉しい。エルフリーデから、こんなふうに言われるなんて。
「思えば、随分前からそうだったのだ。私は自分の醜い感情を嫌悪し、自分自身を侮蔑していた。けれど、私が醜いと思っていた感情ですら、お前は欲しいと言ってくれた。その時初めて、この感情が醜いばかりではないと思えた」
見つめ合う青い瞳に、確かな熱が宿っている。
「なあ、トシツネ。これが恋なのか?私はお前を、愛しているのか?」
そんなことを自分に訊ねるエルフリーデが、トシツネは愛おしくてたまらなかった。
まるでその気持ちの全てが、エルフリーデの中でトシツネだけのために芽生えていくようではないか。
「はい、陛下。それは恋で、愛です」
自惚れて浮かれながら、トシツネは満面の笑みで答える。
気の利いたことのひとつも言えず、そんな愚直な言葉を返すトシツネを、エルフリーデはこの世で一番好ましいものを見るような目で見つめている。
「そうか。私はお前を愛しているのか」
呪縛から解き放たれたように、エルフリーデは満面の笑みを浮かべた。
こんなにも幸せそうに笑う彼女を見るのは、トシツネは初めてだ。
薔薇の花が霞んで見えるほどに、あまりに美しく輝いて見える。
そんな顔をさせているのが自分なのかと思うと、トシツネは喜びに胸が裂けそうなほど幸福だった。
「お慕いしております。大好きです。陛下、愛しています」
馬鹿の一つ覚えのように、トシツネは愛を囁いた。
器用な口説き文句は浮かんでこない代わりに、その声色は蕩けそうに甘い。
それをうっとりと、エルフリーデは恍惚とした表情で聞いている。
「私もお前が愛しい」
手を包み込む力が強くなる。
薔薇の花束ごしに、ゆっくりとお互いに顔を近づける。
彼らは自然と瞼を閉じていた。
そしてどちらからともなく、静かに唇を重ねていた。
その柔らかく繊細な皮膚が、互いの存在を、その愛しさを、痺れるような甘さと熱で伝え合う。
どちらも動こうとはしなかった。
噎せるような薔薇の甘い香りに溺れながら、じっと触れ合うだけのその感触に、長い間意識を委ねていた。
どれだけそうしていただろうか。
永遠に溶け合い続けるような幻想から彼らを現実に引き戻したのは、夕刻を告げる鐘の音だった。
名残惜しみながら、二人は唇を離した。
冷たい大気に唇が触れると、互いの温もりを手放したことが悲しくさえなった。
「トシツネ」
「はい、陛下」
「私の恋人になってくれるか」
感極まって、トシツネは一瞬言葉に詰まってしまった。
それをどう捉えたのか、青い瞳は不安に揺れる。
「…はい、陛下。喜んで」
けれどトシツネが満ち足りた笑みで答えると、その青は喜びに満ちて、嬉し涙に潤んだ。
嬉しい、嬉しいと、繰り返しながらエルフリーデは涙をこぼした。
そんな様子を夢のような心地で見守るトシツネもまた、幸せで胸が破裂するかと思うほどに夢中でエルフリーデが愛おしかった。
何か伝えないと、膨れ上がった想いで内側から身体が弾け飛びそうだった。
だから、そっと唇を開く。
「わたしは、あなたのものです」
封印編、これにて完結です。
この続編には、呪縛編というものを考えております。
人間界を舞台に、ここまで語られていないトシツネの故郷のことにも触れつつ、ミリヤムとギュンターの仲も進展させていく予定です。
連載準備が整うまで期間が空くかもしれませんが、またお付き合い頂けますと、非常に嬉しいです。
ここまで、書きたいものをひたすらに書き連ねてきました。
最後までご愛読くださった方々へ、心より感謝申し上げます。
しばらくは番外編を、不定期で投稿致します。




