31―七の記憶と、忠誠の理由
七、という数字の貼り付けられた水晶。その場の全員の手が、そこに触れる。
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黒い空間に、部屋が浮いていた。
子供部屋のような、玩具のたくさんある淡い色彩の部屋だった。
ぬいぐるみ、絵本、木馬、積み木、何でもあった。
けれど今は、そんな玩具に興味は持てない。
「ママ、どこ?」
幼い声は虚しく消えていく。
少女の姿を探して水色の絨毯の上をバタバタと歩き回ったが、栗色の巻き毛は見当たらない。
「ディートリヒ」
名前を呼ばれて振り返る。
靄の様な大きな女性がそこにいた。
「憐れな子。父親には会ったこともないまま、母親にも会えなくなるのだな」
静かな、けれど辺り一面に広がるような、響きのある声がする。
「だれ?」
「お前の祖母だよ、ディートリヒ」
靄の女性が答える。
「ママは?」
単純な疑問を投げかけると、靄は困ったような素振りをする。
「理解をするには幼すぎるね。お前は普通の良い子だというのに」
悲し気に、寂し気に、声は響いてくる。
あまり意味が、わからなかった。
「お前の母親は、もうお前を撫でてやることはできない。それでも、母親の姿を見たいと思うかい?」
頷いた。ママに会いたい、という一心で。
「いいだろう、ディートリヒ。こっちへおいで」
靄のほうへ歩を進めた。
少しの恐怖と不安を抱えて。
やがてその朧げな腕に抱きとられ、景色がぐるぐると回転し始めた。
「ママ、ママ、助けて!」
ぐるぐると気持ち悪い回転が、徐々におさまっていく。
海の上に、何か浮かんでいるのが見えた。
遠目には、土が大きく盛り上がっているようだった。
下から何かが押し上げてできたように見える。
近づいていくほどに、そのれが広大な島だとわかった。
何も無い広い土地は、緩やかな傾斜のひとつの山のようだ。
島の側面に、よく見ると暗い穴が開いていて、口を開くように水平に中心へと続いていた。
その穴の入り口に降ろされた。
「ママ、ここにいるの?」
振り返って、靄の女性に問いかける。
「入ってご覧」
言われた通り、穴の中へと踏み出した。
足元はでこぼこと歪で、ところどころ海水が溜まっている。
そしてその海水は、必ず虹色の光を放っていて、それが光源となって道を照らしていた。
「それに触っちゃいけないよ」
靄の女性の声がする。
見えないけれど、ついてきているようだ。
「液体にはどうやら魔核を作れないようだから、暴れ出すことは無いだろうけどね。時間が経てば、おそらく霧散する」
何のことだか、よくわからなかった。
けれど言われた通り、海水を避けて進んでいく。
足場は悪いが、歩けないほどではない。
「ここは自然の洞窟とは違う。ここに流れ込んだ魔力が一夜で作り上げた、お前の母親の抵抗の痕跡だよ」
この女性の話は難しすぎて、頭が混乱する。
「今はよくわからなくていい。将来のために話だけ聞いておきなさい。少し難しい話を続けるよ」
心を読まれたのだろうか、靄の女性の声がそう告げる。
「この地下には、精霊界へ繋がる門がある。物質や思念という概念はわかるかい?」
ぶんぶんと、首を横に振った。
「ママ、どうなるの?」
僅かの沈黙があった。
「ご覧」
はっと前を見ると、石になった少女がそこにいた。
華奢な体躯も、愛らしい顔も、柔らかそうな巻き毛も、ただ一色の石になってそこにある。
なりふり構わず、駆け寄ってその身体にしがみついた。
「ママ!」
手を伸ばして触れれば冷たく硬い。
「ママ、ママ!」
必死に呼びかけて縋りつくが、それはただの石だった。
「お前の生まれたこの世界は、物質の世界だ。実体のあるものが力を行使できる。我々精霊の世界は思念の世界だ。そこでは思念体の核が力の依り代となる。お前の母親は、思念の世界から物質の世界へ住み替えるために、肉体という器を用意してそこへ核を移した。我々の言う核とは、人間の言う魂のようなものだと思っていい」
核や器と言われても、それが何なのかわからない。
ママはママではないのだろうか。
「お前の母親は人間界で罪を犯した。二度と繰り返さないために、我々精霊は門の封印を取り決めた。しかし封印対象は物質でも思念でも魔力でもない。そんなものを封印する魔法は本来存在しない。そして考え出された結論が、門という空間に空間属性の魔力で蓋をし続けるということだ」
わからない。
ママはどうなるのだろうか。
「これは罰なんだよ。エファは、我が娘は、ここで魔力を生成し続ける永久機関となった。死ぬことも目覚めることもない」
「ママ、生きてるの?」
「ああ、そうだよ」
少しの安堵があった。
例え石でも、生きていてくれる。
難しい話より、そちらのほうが大切だった。
「そんなに母親が恋しいかい?」
靄の女性の声が響く。
ぶんぶんと、痛いくらいに首を縦に振る。
「例え石になっていても、離れるのは辛いかい?」
ぶんぶんと、力の限り首を縦に振った。
「なら、傍にいられるように、皆と話をしなさい。そして守ってやるといい」
それは、慈愛に満ちた響きだった。
「けれど決して、エファを自由にしてやろうとしてはいけないよ。この洞窟は封印の仕掛けそのものだ。そしてこの子はもう、封印の依り代として器の形を変えてしまって、その一部になっているからね。封印が解けたら、この子も死ぬ。わかるかい?」
わかりたくない。
怒りにも、悲しみにも似た感情が溢れてきた。
身体の奥から、御し難い感情が湧き上がってくる。
ぎゅっと、少女の形をした石にしがみついた。
「もう決まったことだ。聞き分けなさい」
ぼろぼろと、涙が次から次へと零れて、止まらなくなっていた。
「祖母はあちらへ帰らなければならない。お前がひとりにならないように、お前の祖父がここへ仲間を寄越す手はずを整えた。母親を守って上手くやっていくんだよ。いいね?」
本当は、わかりたくなかった。
けれど、涙を零しながら、ぶんぶんと首を縦に振る。
「いい子だ。この洞窟へは、お前とお前の子孫しか入ってはいけないことにしなさい。お前の祖父と祖母が、時々こっそりこの洞窟へ見に来てあげよう。お前の力では異界の門は開けないが、お前の祖父母にはそれができる。だけどこれは、内緒だよ。もうこの世界には二度と、精霊は来ていないことにするんだよ。いいね?」
ぶんぶんぶんと、大きく首を縦に振り回した。
ふわりと、靄の女性の暖かい手が頭を撫でてくれた。
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六本の手が、その水晶から離れていく。
「陛下!」
休憩に入ってすぐ、トシツネはエルフリーデに呼びかけた。
「少し、お時間を頂けませんか」
緊張した面持ちで、焦げ茶色の瞳が真摯に主君を見つめている。
「わかった」
感情の無い冷めた声で、女王は了承する。
「あたしちょっとお手洗」
「僕は観葉植物の水遣りに」
「わたくしは予定の微調整に」
「古傷が痛むので薬を取ってくるとしよう」
なんだかんだと理由をつけて、他の皆は退散していった。
そんな様子から、トシツネはどうやら応援されているようだと感じることができ、勇気をもらう。
「陛下。昨夜は不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
話を切り出したトシツネに、エルフリーデは秀麗な眉を顰める。
「そんな話を蒸し返してどうする」
ぐっと言葉に詰まる。
けれどトシツネは、伝えるべきことを伝える道筋を見つけ出さなければならないのだ。
「ご不快かもしれませんが、どうかわたしの話を聞いてください」
真っ直ぐに、青い瞳に視線を向ける。
誠意だけを込めれば、きっと届くと信じて。
「あの発言は、決して陛下のことを厭わしく思ってあしらおうなどと考えてのものではありません。わたしは――」
しばし考える。
伝えて良い範囲というものがあるはずだ。
黙って、主君は聞いてくれている。
その美貌は無表情のままだ。
「女性の好みを問われても、あまり人生経験のないわたしには、すぐに答えの定まるものではありませんでした。わたし自身、自分の好みというものがよくわかっておりません。ですが、答えなければ、陛下は許してくださらないと思いました」
嘘ではない。
嘘を吐かず、想いを隠し、真実だけを言葉にする。
そうすれば、誠実を保てるはずだ。
トシツネなりに、そう考える。
「女性の良さというものを言い表すには、わたしはあまりに未熟すぎました。ただ目の前に、はっきりとお美しい陛下のお姿が見えたので、そして陛下が視界に映る唯一の女性でしたので――」
言葉を選びながら発するが、それがとても難しい。
何と言えば伝わるだろうか。何が正解なのだろうか。
「浅はかなわたしは、最も見えやすい、美しいと思ったことを述べてしまいました。ですが、陛下の魅力がそのお姿だけだなどとは、決して思っていないということを、どうか信じてください」
黙ったまま、エルフリーデはじっとトシツネの言葉を聞いている。
トシツネの話が終わるまで、一切口を挟まない方針のようだ。
「わたしは陛下に忠誠を捧げております。これは見目の麗しさを理由に捧げた忠誠ではありません」
何の返事も無いことに不安はある。
けれど拒絶もされていないのは確かだ。
きちんと覚悟を持って接するのが礼儀だ。
「あなたこそが、命をかけて仕えるべき君と。誇りを持って仕えられる主と思ったからこそです。いつか寝首を搔くためなどと、以前疑っておられたような理由でも、決してありません」
一時も視線を逸らさない。それはトシツネも、エルフリーデもお互いにだ。
「わたしは、陛下に導かれて生きる術を知りました。生きることの価値を、意志の尊さを、絆の意味を知りました。今いるわたしの全ては、陛下に与えられたものです」
その想いは、トシツネの紛れもない真実だった。存在の根幹と言ってもいい。
「お仕えするうちに、陛下の覚悟を、強さを、慈悲を、器を感じました。その度、最高の主君に巡りあえた幸福に震えました」
いつかのように、トシツネはエルフリーデの前に跪く。
「陛下。あなたに忠誠を。何度でも誓います。何度でも捧げます。わたしの全てはあなたのものです。ですからどうか、お見捨てにならないでください。わたしを導いてください」
白く優美な手を片方取って、その甲に厳かに接吻した。拒まれはしなかった。
「トシツネ」
凛と気高く、女王の声が響く。
「はい、我が主よ」
視線を上げて答える。
「お前の忠誠、今度こそ確かに受け取った」
それは私人としてのエルフリーデではなく、女王の顔だった。
「一度我が臣下と認めた者を、疑って腹を立てるなど、忠義に応えるを怠った我が落ち度であった」
――いつか。今は秘めた胸の内を全て委ねるのは、私人としてのエルフリーデのほうである。
けれど今は、女王としてのエルフリーデからの信頼をこそ、勝ち得たいと思う。
「お前が私に仕える限り、私はお前に道を示すと約束しよう」
半分でも、きっと伝わっている。
そして、その半分だって紛れもない真実なのだ。
「ありがたき幸せにございます」
満ち足りて、トシツネは満面の笑みをたたえた。
そこには、不安定な恋慕の情よりずっと確かな、主従の絆があると信じられた。
ドアの外。
上下の蝶番の間、その隙間にぴったりと。
ミリヤムの耳が片方張りついていた。
「不思議な関係だよな、あいつら」
「そうでしょうか?命を救われたということなら、主従関係というのはおかしな間柄とも思いませんが」
ギュンターは、そのミリヤムを観察して楽しんでいるようだ。
「お互い好きあってる癖に、なんであそこまですれ違うんだか」
呆れたような声色には、しかし見守る優しさが含まれている。
「鈍感すぎやしないか?」
「そういう総帥は、ご自分に好意のある男性には、気づく自信がおありなのですか?」
ギュンターが真剣にそう問うと、ミリヤムは腹を抱えて笑い出した。
「ない、ない!あたしみたいな女らしさの欠片も無い女、大金積まれても誰が引き取るかっての!」
随分と笑いのツボにはまったと言わんばかりに、ミリヤムは白い歯を見せて笑い転げている。
その笑顔に魅了されている目の前の男の心中を、自力で察する日は来ないだろう。
ギュンターの溜め息がひとつ、ミリヤムの笑い声に掻き消され、誰にも気付かれずに消えていった。
自分のこととなると鈍感って、よくありますよね。




