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30―六の記憶と、若き少年の悩み

前日と同じ面子で、会議室の楕円形のテーブルを囲んでいる。

中央には黒色(こくしょく)の水晶。六、という数字が貼り付けられている。

女王が彼らに指示をすると、全員の手が水晶に触れた。




―――――――――――――――




「ママ、どこ?」


そこにあったのは廃城だった。

つい昨日まで、そこが立派な王城だったことを知っている。


生き物の影は無い。

鮮血のような赤い髪の男――ヴィンフリートを除いては。

彼は、悪魔のような微笑をたたえて、蛇のような目を細めて遠くを見ている。


どこかで轟音がしている。

けれどそれは遠いようだ。

少しでも高い位置から何が起こっているのか見ようと、壊れた壁や柱をつたって、瓦礫の上によじ登った。


「素晴らしい。精霊には、人間界を滅ぼすだけの力がある」


声のするほうを横目に見ると、冷酷そうな唇の端がにんまりと引き上げられ、おぞましい笑みが浮かんでいた。


「愚王は精霊の怒りに触れ、その国も民も滅ぼされる。その巻き添えに、あの愚かな女も塵芥のように死んでいくのだ」


狂喜を孕んだその声に、ぞわりと悪寒が全身を駆け抜けた。


「坊や、見えているかな?」


白い瞳が見上げてくる。

心臓が冷えるような感覚があった。


「そこからではあまり見えないだろう」


辛うじてよじ登った瓦礫の上からは、遠くに幾筋もの煙が上がっていることしかわからなかった。


「あれは神の裁きだ。悪いのは人間どもなのだ。坊やも覚えておくといい」


怖かった。

ただひたすらに、怖かった。

幼い心では、悪いも善いもまだよくわからなかった。


ママに戻ってきてほしかった。

何かにずっと怒っているママではなく、優しく頭を撫でてくれる時のママに――。


「ママ、どこ!」


拙い呼びかけは虚しく大気に呑まれる。


「邪魔をしてはいけないよ。裁きはこの国から広がって、いずれ全ての人間を――」


空が裂けた。

街より大きく、闇が黒い口を開けている。

そこから、大きな手が二本伸びてきた。


そのうち一本は轟音のする方へ。

もう一本は、近づいてくる。


「ママ!ママ!」


助けを求めるように、必死に叫んだ。

大きな手の関節も皺も、徐々に拡大されていくように見える。

けれど同時に、それが実体の無いものだということも直感でわかった。

近づいてくるほどに、暗い影が周囲を覆っていく。


「ちっ」


ヴィンフリートの舌打ちが聞こえた。

そして間もなく、彼と一緒に手の中に握り込まれた。


「ママァ!」


分厚い皮膚に包み込まれる感覚があった。

口を開ければ空気を吸えるし、その手は呼吸を遮るようなことはない。

けれど視界は、完全に塞がれて真っ暗だ。


「エファ、わが娘よ」


轟きの様な低く太い声が響いた。


「度が過ぎるぞ。戻ってこい」


自分を包み込む大きな手が、すごい速度で一直線に動いているのがわかる。

おそらく、あの空に開いた闇の口に呑み込まれていくのだろう。


手から解放されて、不思議な空間にふわりと降ろされた。

目を開けると、そこは真っ暗だ。

栗色の巻き毛の少女と、赤い髪の男が、自分の近くに降ろされていた。


「ママ!」


少女に駆け寄って縋りついた。


「エファよ」


轟く声を振り向けば、そこには実体の無い大男が靄のように立っていた。

縋っていた少女が、瞼を開いて目を覚ます。


「父上…」

「お前を人間界へやったのは間違いだった」

「邪魔を、しないでください」


少女がよろよろと立ち上がろうとするので、それを手伝った。


「たわけが!」


雷を束にしたような怒声が響く。

びくり、と委縮して動けなくなった。


「己が罪がわからぬか!」


しかし、少女は不敵な笑みを浮かべている。


「お言葉ですが、父上。人間を殺していけないという法は、精霊界にはありません」


靄の様な大男の周囲に、憤怒の気配が渦巻く。


「そうまで堕ちたか!法が無ければものの道理もわからぬほどに!」


街がひとつ割れそうなほど壮絶な声は、すくみ上るには充分すぎた。

しかし尚も、少女は毅然と大男に対峙していた。


「道理などとはお笑い草です。人間どもとて生き物を殺し、蹂躙し、時に戦渦に巻き込んで滅ぼし尽しているではありませんか。同じ目に遭わされたからとて、あ奴らに何が言えましょう?」


愛らしい声が冷酷に響く。

このママは好きではない。

少しだけ、距離をとった。


「精霊の誇りを忘れたか!最早話にもならん、お前は――」


その時、鮮血のような赤い髪の男が起き上がった。

白い瞳で、大男と少女を交互に見据えた。

その表情は読み取れない。


「カインの息子、ヴィンフリートよ。お前には申し開きがあるか」


轟きがヴィンフリートに問いかける。

刹那の逡巡の後、ヴィンフリートは大男の前に跪いた。


「おのれ、わらわを裏切るか!」


栗色の巻き毛を振り乱して、少女は怒りを露わにする。


「とんでもございません。わたくしは、そもそもエファ様にこのお話を持ちかけた張本人でございます。人間憎さに、お力をお借りしようと致しました。それについて、虚偽の申し立てをするつもりはございません。わたくしの望みは既に叶いました。後は裁きを待つのみです」


靄の中から大男の目が光る。

それは少女と同じ青だった。


「よかろう、ヴィンフリート。お前の身柄はお前の父、カインに預けよう」


大男がヴィンフリートに大きな手を翳す。

先程のような関節や皺は見えず、靄の集合のような手だ。

その直後、ヴィンフリートの姿はその場から消え去った。

間際、悪魔の様な微笑が垣間見えて、ぞくりと背筋が凍った。


「エファよ」


心なしか冷酷に、低く分厚い声が轟く。

怖じもせず、少女は大男を見返している。


「親は子に躾をする義務があるのだ」


嫌な予感がする。

少女の足元に駆け寄り、そのドレスの裾を握りしめた。


「お前の過ちは我が罪ぞ」


冷たく、そして悲し気に、大男の声はその場の全てを揺らした。


「わらわは、間違ってなどおりませぬ」


大男が少女に向かって靄の手を翳す。


「ママ!」


その華奢な脚にスカートごと抱きついた。


「我が孫よ、下がっておれ」

「やだ!」


怖かった。

けれど離したくなかった。

力の限りにしがみついた。


「ならばお前をこの場には置いておけぬ」


大きな手が、こちらに狙いを定めた。


「わらわからいとし子を奪うか!父上といえど許せぬ!」

「ママァ!」


視界が暗転した。どさりと、どこかに落ちた。




―――――――――――――――




休憩時間になると、エルフリーデはさっさと席を立ち、外の空気を吸いに行った。

その後ろ姿を涙目で見つめるトシツネの様子に、他の全員が気付いていた。


「どうしたのです?」

「先生…」


アルベルトが声をかけるが、この世の終わりとでもいうような表情で、トシツネは落ち込んでいる。


「水晶の内容が重いので、憂鬱になっているのですか?」

「いいえ…。申し訳、ありません」


焦げ茶色の目の下には隈、心なしか腫れた瞼。

夜中にでも泣いていたことが、その場の誰もに見て取れた。


「あー。あたし、散歩してくるわ」


ミリヤムがそっと部屋を出ていく。

男同士のほうが話しやすいこともあろうと、気を遣ったのだ。


「悩み事かね、お若いの?」


穏やかに優しく、オットーが声をかける。

最も頼りになりそうな最年長者の気遣いに、思わずトシツネは涙が溢れそうになる。


「泣きたいときは、泣いてもいいのですよ。僕で良ければ、胸を貸します」


物腰柔らかにギュンターに慰められて、トシツネはぼろっと一粒涙をこぼした。


「皆さん、ありがとうございます」


ぐすっとひとつ、鼻を啜ってから、トシツネは口を開いた。


「陛下を…傷つけて怒らせてしまったんです。嫌われてしまったかもしれません…」


水晶の見せた国の滅びより、好きな女性に嫌われてしまうことのほうが一大事なのだ。

そんなトシツネに、皆微笑ましいという視線を向けた。


「君さえよければ、詳しく話してくれるかな?助けになれることがあるかもしれない」

「はい」


オットーの親切な申し出に甘えることにして、トシツネは昨夜の出来事をほとんどありのままに話した。


「わたしは、陛下の見た目ばかりが好きなわけではありません!それなのに、それなのに…」


ぐずぐずと、鼻を啜りながらトシツネは絶望する。


「まず容姿に目がいってしまうというのは、若い頃はありがちなことだよ。歳を取ってもそういう者はいる。何も恥じることではない」


ポンポンと肩を叩いて、オットーはトシツネを落ち着かせようとする。


「実際にあの美貌です。それを目の前にして陛下のお美しさに目を奪われるなというのは、並の男には無理な話です」


アルベルトは同情するように頷く。


「ええ。それに、好きな女性の全てが美しく感じるということは、とても自然なことだと思いますよ」


思い当たることがあるのか、ギュンターは少し遠い目をしている。


「けれど、どういう女性が好きかと問われて、外見や身体のことばかりを思いつくというのは、もしかするとわたしは…」


ぶわっと、堪え切れなくなった涙が焦げ茶色の瞳に溜まる。


「身体目当ての最低な男なのでしょうか」


ぼろぼろと涙をこぼして、大真面目にトシツネは問いかける。

三人は苦笑を禁じ得なかった。


「落ち着きなさい。陛下はそこまではおっしゃっていませんよ」


アルベルトが、焦げ茶色の髪を撫でてやる。

鬼教師になるつもりが随分甘くなったものだと、赤い瞳は遠くを見た。


「自分のことまで誤解してどうするね。よく考えてみなさい。君は、陛下と同じ身体を持った全く別の女性が現れて、そちらに乗り換えれば順風満帆の未来が保証されているとしたら、陛下かその女性のどちらを選ぶ?」


オットーの問いかけに、トシツネは迷いなく答える。


「陛下だけです、わたしがお慕いするのは」

 

にこりと微笑んで、オットーが頷く。


「なら君は、陛下という人格そのものをきちんと慕っていることになる。心配することは無い」


涙を引っ込めて、トシツネは頷く。


「問題は、きちんと内面を見てほしいという女心を察することができずに、傷つけてしまったということですね」


アルベルトに指摘されて、再び焦げ茶色の瞳に涙が浮かんできた。


「それについては残酷なようですが、すぐに弁解させてあげることは難しそうです」


アルベルトは心苦しそうに言う。


「我々の目的の都合上、和解して全てを知ってしまえば、すぐにエファの手が及ぶ可能性があります。陛下に正しくあなたの気持ちを伝えることになりますからね」


赤い瞳が気遣わし気に、かわいいと思い始めている生徒を見る。

せめて、主君がトシツネに抱いている恋慕の情を明かしてやれたら、少しは慰められるのだろうが。

こちらも故意に伝わらないままにしておこうと、皆で決めているのだ。


「はい。心得ています」


聞き分けの良い若者への、皆の同情が深まる。


「そうですね…。今は、忠誠というかたちで、陛下のどこに魅力を感じてお仕えしているかを、お伝えしてはいかがですか?」


ギュンターが提案する。


「陛下は確か初めの頃、あなたの忠誠心についても、半信半疑だったでしょう。そのあたりをはっきりさせて差し上げれば、絆という観点では関係性の修復を見込めるかもしれません」


ギュンターの言葉に、オットーも頷いている。

どうやらこれが正解らしいと、トシツネは確信する。


「そうですね、やってみます。皆さん、本当にありがとうございます」


神妙な表情で、トシツネは礼儀正しく頭を下げた。

ここまでお付き合いくださっている方々、ふらっと立ち寄ってくださった方々、ありがとうございます。


封印編は53話目で完結します。

続編のための伏線もばら撒いたせいで、設定過多になってしまった気がしますが…。

お一人でも最後までお付き合いいただけましたら、私はとても幸せです。

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