序章―拾われた少年
眩い陽光が降り注ぐ晴れた昼間の海岸に、潮と血の匂いが漂っていた。
波打ち際に死体が転がっている。それも一つではない。
夏の日差しを受けて、くすんだ茶色と暗い灰色の二種類の軍服を纏った男達の幾十もの死体が入り乱れ、銘々に異なる姿勢で散らばり、無惨に損傷した身体から血と肉と骨を剥き出している。
その光景が、数刻前までここが戦場であったことを物語っている。
砂浜を歩く、場違いな女の姿があった。傷も汚れも無い、戦とは無縁そうな若い貴婦人である。
誰もが目を奪われずにいられない彼女の容貌は、絶世の美女というに相応しい。
染み一つない白く滑らかな肌、それを際立たせる長く艶やかな黒髪、秀麗すぎる眉目にすっきりと気品を湛えた鼻梁、ふっくらとした薄紅色の唇。
瞳は、吸い込まれそうに深い青。柔らかな曲線美を損うことなく引き締まった均整の取れた肢体に、豪奢なレースを重ねてあしらった漆黒のドレスを纏っている。
浮世離れした美貌には全く表情を浮かべることなく、女は音もなく優雅に歩を進める。
その視線は、死体の群れの中で唯一微かに息をする、死に損ないの生者を捉えている。
女が立ち止まる。
暗い灰色の軍服を纏った生き残りの少年が、その足元に転がっていた。
「おい、意識はあるか」
凛と気高く、意思の強い透き通った声が大気を震わせる。だが応えはなく、波の音だけが虚しく揺蕩う。
「まだ子供ではないか」
子供、と彼女が評したその少年は、幼いと言えるほど幼いわけでもない。
見た目は十代後半といったところか。
腹部に大きな傷を負っているが、急所を外れ大きさの割に浅かったために、辛うじて息をしていることが見て取れた。
しかし出血量から見ても楽観できる容体ではなく、放っておけば命を落とすのは時間の問題だろう。
女は少年の傍らに膝をつき、白い優美な手指を彼の傷口にかざした。
すると彼女の手のひらに青白い光が満ち、やがてその光が彼の傷口を覆った。
刹那の間に、傷は塞がり癒されていく。
少年を抱え上げようかほんの数舜迷った後、女は彼を半身だけ起こし、自身の膝の上にその頭を乗せた。
青い瞳が見下ろす先で、汗と汚れに塗れてくたびれた若い体躯が、徐々に正常に整っていく呼吸に上下している。
擦り切れた箇所の目立つ軍服には腹部に大穴があり、そこには先程まであった痛ましい傷は跡形もなく、薄い割に筋肉質な腹が覗いていた。
「どうしたものか。かの国はいつも捕虜の引取りを拒む」
しばし、女はそのままの姿勢で腕の中の少年を眺めつつ、その処遇を思案した。
そうしながら、彼の整ってはいるが地味な顔立ちをぼんやりと視界に収め、泥でこめかみにこびりついていた焦げ茶色の髪を払ってやった。
その時、髪と同じ色の睫毛が震え、そしてゆっくりと瞼が開いた。
少年は、瞳も同じ焦げ茶色をしていた。
まだ意識の定まらない虚ろな視線が、ゆらゆらと女を見上げる。
女はその瞳を静かに見返した。
焦げ茶色の焦点が徐々に覚醒していく。
はっと何かに気づいたかのように少年の目が見開かれ、次の瞬間には女の眼前に銀の閃が現れた。
女の白い手が咄嗟にそれを掴んで止めると、その手からぽたりぽたりと赤い血の雫が砂の上に滴り落ちる。
少年が女に小刀を振るい、女がそれを素手で握りこんだのだ。
「そんなものでは私を殺せぬぞ」
一ミリも温度の変わらない女の声が、凛と響く。
少年は返事をするでもなく、すぐに糸が切れたように意識を手放した。
力を失った腕を女が小刀と共に離してやると、腕は重力に引かれてぼとりと砂に落ち、その砂の上を小刀が転がっていった。
女の手に青白い光が満ち、白く滑らかな女の手指もまた、すぐに傷が塞がり癒されていく。
そして女は、少年を横抱きにして立ち上がり、抱えたまま飛び去った。
翼もなしに、当たり前のように。
後には死体の転がる晴れ渡った海岸に、相変わらず潮と血の匂いが漂うばかりであった。
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