もうひとつの披露宴(2)
「や、野盗の集団か……!?」
「そんな馬鹿な! どうして野盗が山から下りて村に攻めて来るんだよ!?」
いかにも粗暴そうな屈強な男たちが、集会場の入り口に姿を現した。中から見えるだけで五人。建物の外にも仲間を待機させているであろうことが、気配で察せられる。
宴会を楽しんでいた村人たちを、一瞬にして恐怖と緊張が襲う。武器になりそうなものを手に取ろうとした村人も何名かはいたのだが、頬に傷跡のある片目に眼帯をした大男がひと睨みすると、彼らは怯えて動きを止めた。
「こ、この村に盗るもんなんぞ、ありゃせんぞ……!」
どうにか裏返った声を絞り出したのは、老齢の村長である。他の皆が同意するように頷くが、戸口に立った野盗たちは下卑た笑いを深めた。
「えらく色っぽい体つきをした花嫁が見えたんで、迎えに来てやったのさ。こんなシケた村のシケた男に嫁ぐより、俺たちに可愛がられたほうが良い思いができるってもんだろう?」
その場の全員の視線が、白無垢を纏った花嫁姿のエルフリーデに向けられた。俯き気味の彼女は、綿帽子の下で紅を引いた唇を歪めている。婚礼衣装のために、目元は隠れて見えない。
「大人しくその女を差し出せば――」
隣の花婿が彼女の手を宥めるように握っているのを、野盗たちはどう解釈したのであろうか。自分たちが圧倒的優位者であると、疑っていない様子であることは確かだった。
「こいつを返してやってもいいぜ?」
「きゃあ、離して!」
戸口を塞いでいた大男が身体をずらすと、後ろに控えていた仲間が前に進み出る。その腕に拘束されているのは、刃物を首に突き付けられた村の女性。先程の悲鳴の主である。
村人たちの視線は、野盗たちと花嫁との間をもう何往復もしている。
その場に満ちる恐怖の感情が自分たちだけに向けられているものではないと、野盗のうちひとりでも察することができれば、少しはこの後の状況も変わったであろうか。――否。こうなっては、既に手遅れだったであろう。
「いけません、お静まりください!」
花婿が花嫁に向かって叫ぶ。しかしもう、彼には彼女をとどめておくことができなかった。
花嫁が顔を上げて、静かに真っすぐ野盗たちを見る。そして顔を上げた彼女の青い瞳に、ようやく野盗たちは彼女がこの国の民ではないことを悟る。
「なんだあいつ、異邦人か?」
「しかし見たこともねえほどの別嬪じゃないか! こりゃあ、良いもんを見つけたぜ」
下卑た笑いを交わし合って色めき立つ野盗たちの、その喜びの感情も長くは続かなかった。
次の瞬間には、白無垢を包み込むように立ち上る青い光を誰もが見た。
「ヒッ……! な、なんだ!?」
「化け物か!?」
「き、狐か狸か!?」
作り物のように完璧な美貌は、異様なほどに表情が無い。彼女の纏う光に怯えて、野盗のひとりが尻もちをついた。
「馬っ鹿野郎! 怯えてんじゃねえ! 狐でも化け物でも、このままコケにされて黙ってられるか!」
リーダー格と思しき男が怒鳴るが、しかしまだ花嫁は何をしたわけでもない。魔力の光を纏いながら、冷めた瞳で彼らを見ただけである。
「陛下、殺してはいけません! 落ち着いてください!」
「ああ、トシツネ。安心しろ、殺しはしない。お前が咄嗟に手を握ってくれていなければ、今頃奴らは粉々だったかもしれぬがな?」
ふっくらと艶めく紅い唇が、ぞっとするほど冷たい笑みを浮かべる。
「な、なんだと!?」
村の女性の首元に突き付けられていた刃物が、サラサラと砂になって男の手から流れ落ちた。
「あ、えっ!? きゃっ……!!」
続いて女性の悲鳴が上がり、彼女が宙を浮いて村人たちのほうへ見えない力に運ばれる。そして座布団が積まれていた部屋の隅にふわりと下ろされ、人質という立場から解放された喜びを感じる余裕もなく、彼女はこの状況に理解が追い付かずに呆けた。
「何やってんだ! 人質の女ひとりくらい、捕まえておけなくてどうする!?」
怒鳴り声を上げたリーダー格の男も、この事態の異様さに動揺を隠しきれていない。野盗の集団は既に恐慌状態に陥り、何人かは逃げ出し、何人かはその場に尻もちをついていた。
「逃げようとしても無駄だ」
凛と透き通った花嫁の声が無機質にそう告げるのと、外で男たちの悲鳴が上がるのはほぼ同時だった。
震える膝を叱咤して辛うじて立っているリーダー格の男は、この時ようやく理解した。村人たちの恐怖心の向かう先は、初めからこの花嫁だったのである。
「お、お前、何者だ!?」
いかつい見た目に似合わず、わなわなと震える唇で、野盗はなんとか言葉を口にする。しかし返事はない。
答えの代わりに、集会場の壁にかけられていた縄がひとりでに彼らに巻き付いた。目にもとまらぬ速さでそれは彼らをぐるぐる巻きにし、数秒後には屈強な男たちが芋虫のようになって、床に転がっていた。
「殺しはしない。しかし、これで終わりというのも甘かろう?」
ゆっくりと立ち上がって、エルフリーデは戸口へ向かって歩を進めた。
「私に親切にしてくれた村の人々に、多大な迷惑をかけたのだ。さあ、どうしてくれよう?」
転がって身動きの取れない野盗たちは、もはや言語にならない呻きや悲鳴を口々に漏らすのみである。彼女が野盗の一人の身体を軽く蹴ると、彼は短く悲鳴を上げて失神してしまった。
「もう、陛下。駄目ですよ? 村の皆が怖がっていますから、そのくらいにしてください。ね?」
誰もが恐れる花嫁――魔王エルフリーデを、トシツネは子供に言い聞かせるように柔らかく叱った。村人たちが呆気にとられる中、エルフリーデは振り返り、一気に表情を緩めて微笑んだ。
「ああ、すまない。私まで皆さんに迷惑をかけてしまったな」
彼女がバツが悪そうに眉尻を下げると、トシツネは立ち上がって彼女に歩み寄った。
「こんな破落戸くらい、陛下のお手を煩わせずとも、わたしが対応できたのに」
そう言いながら、腰に下げていた剣をトンと叩く。
「陛下が一瞬でお怒りになったから、お止めする役割に回らなければならなくなって、村の皆に良いところを見せられなかったではありませんか」
「悪かったな。お前が育った環境と人々に触れられて、はしゃいでいたところへ邪魔が入ったもので……つい、な」
「もう、全く陛下は困ったさんなんですからぁ」
怯える村人も転がる野盗たちも無視して、二人の世界を築き上げる夫婦に、その場の人々は緊張の糸が切れたように身体から力が抜けていくのを感じた。実際に何人かは、床に崩れるようにへたりこんでいた。
「ちょっと、イチャイチャする前に後始末のこと考えてよね? おばさんたち」
肝の座った少女が一人、呆れたと言わんばかりに大きく嘆息して見せる。
「チヨ殿の言う通りだな。勝手にお借りした縄もお返しせねばなるまい」
縄以下の重要度しか認められなかった野盗たちだが、彼らには最早それに抗議する気力がない。
「皆さん、お騒がせして申し訳ありませんでした。すぐに後片付けを――」
頭を下げて言いかけたエルフリーデに、とんでもないとばかりに皆が首を横に振った。
「そいつら、俺と何人かで片付けますんで。え、エルフリーデさんは、今日の宴会の主役なんですから、座っててくだせえ」
そう申し出た村の男は、エルフリーデの名前を呼ぶ瞬間に照れて顔を赤くし、隣の妻に小突かれていた。
「すみません、お手数をおかけします。花嫁衣裳など着たまま私が外を歩いたばかりに、このような輩に目を付けられることになり、心苦しい限りです」
「いえいえ! 役場に連れて行けば、多分報奨金ももらえますし。むしろこれでこの辺りの治安が良くなるんですから、感謝しなければなりませんね」
その場から恐怖の気配は払拭されようとしていた。未だ目を白黒させている野盗たちを除き、彼らは平和な宴会の続きを始めようという空気を醸し出している。
トシツネやチヨの様子を見ていて、この魔王は我を失くさない限り恐ろしくはないこと、そうなる前にトシツネが止められることがわかったのだ。
「おおお、外にいた野盗連中、気を失ってやがる」
片づけに出た村の男の声がすると、あちこちから小さく拍手が起こった。
「陛下、どうやったんですか?」
「少し空間を曲げてやっただけだ。逃げようと勢いをつけて走っていた奴らは、お互いにぶつかったはずだ」
美貌の女王はクスリと笑みを浮かべて、次の瞬間には上品に味噌汁を啜っていた。
全く陛下は、悪戯っ子ですね――というトシツネの返しに、一番恐ろしいのはこの少年かもしれないと思った村人は、一人ではなかっただろう。
「そろそろあれをお出ししましょうか?」
トシツネの伯母がそう言って、数名の女性を伴って奥へ下がっていった。戻って来た彼女たちが珍しい菓子を持っているのを目にし、特に女性や子供たちは歓喜に沸いた。
「エルフリーデさんから皆に、お土産だそうですよ。それから、この葡萄酒も」
それからこの場に愉し気な喧噪が再び満ちたことは、言うまでもない。
翌日の仕事のためにと日付が変わる前に帰って行ったトシツネたち夫婦との別れを、村人たちは心から惜しんだ。少年が固有空間へ入っていくところや、そのまま魔王が魔法で転移していくところを目にした彼らだが、その力を忌むどころか崇めるような目で見ていた。そして残された彼らは、子供たちを寝かしつけた後も、夜が明けるまでお祭り騒ぎを続けたのだった。
さて、この国では何でも神になりうる。大いなる恵や災厄をもたらす人知を超えたものは、特にその対象になりやすい。魔王エルフリーデはその女神のような容貌と、天災にも勝る大きな力を持つことから、村人たちの目には“神”の名にふさわしい存在と見えたようである。
止める少年の伯母の言うことも聞かず、数か月以内に祠が建設されてしまった。里帰り気分でたまにこの村を訪れる魔王が、そこに祀られているのが自身であるとは、ついぞ知ることはなかったという。それが良いことか悪いことかはさておき、彼女が時折訪れることで、この村の治安が格段に良くなっていたことは事実。生き神として彼女を信仰する村人たちが、本人の視界には入らないように手を合わせている光景が、幾度となく目撃されることとなった。
村の守り神エルフリーデの伝説は、彼らの曾孫の代にはかなり事実と異なる話になりつつも、何代にも渡って語り継がれ続けたという。
キレて暴れようとするエルフリーデをも、目に入れても痛くないほど可愛い愛妻だと思っているトシツネ。男前! ……だと、私は思っています(笑)