国王夫妻の奮闘記(2)
※R15 (かもしれない)
先達の助言というものは、いつでも心強いものである――はずであった。しかしトシツネは、どうやら頼る相手を間違えてしまったようである。
「アルベルト殿の主張には、同意しかねる点がひとつありますね」
ギュンター・グスタフ・シュレンドルフは、深窓の令嬢がこぞって憧れた美貌の貴公子であり、国王夫妻より先に結婚を果たした、トシツネにとっての結婚生活の先輩である。そんな彼に助言を求めに来たトシツネは、男同士の相談と称して、シュレンドルフ公爵邸の客間にてギュンターと二人きりで話をする機会を得ていた。
「陛下は確かに絶世の美女ですが、この世で一番美しい女性は僕の妻です」
神妙な表情で告げられて、トシツネはすっ転びそうになった。恥をしのんで夫婦生活の秘訣を尋ねに来てみれば、ギュンターにとって重要なのは別の点であったようだ。
「シュレンドルフ公にとっては……そうですね」
「ふむ。トシツネ殿やアルベルト殿にとっては、陛下が一番なのでしょうね。なるほど、僕たちが一人の女性を巡って争わなくて良いことは、幸いと言えるでしょう」
絵本から抜け出した王子様のような気品溢れる風貌のギュンターが、もし平凡の代名詞のようなトシツネの恋のライバルになっていたら、争うどころか勝負にもならなかっただろうとトシツネは思う。しかしよくよく思い浮かべてみれば、争う対象がエルフリーデならば、例えギュンターでも振ってトシツネを選んでくれたかもしれないと、すぐに新婚故の自惚れで思い直した。
「あの、そんなことより……。あの緊張と、理性の飛んだ姿をお見せしてしまうことへの怖さは、どうやって乗り越えれば良いのでしょうか……?」
トシツネは恥じらいに涙を浮かべながら、一生懸命にギュンターに問いかける。するとギュンターはしなやかな指を自分の顎にかけて、しばらく逡巡した。
「そうですね……。緊張というのは、僕にも覚えがあります。興奮を阻害するほどであれば問題ですが、かといって全く緊張が無いというのも不自然でしょう。自分の欲の追求のみに囚われず、愛する女性の身体を気遣う気持ちがあれば、程よく保てるのではないでしょうか?」
「そういうものなのでしょうか……」
「僕も偉そうなことを言える立場では無いのですが……。触れるに至らないのだとすれば、それは相手のためではなく、自分が欲に駆られて触れるのだと思っているからではありませんか?」
「そうかもしれません……」
「望まれるから奉仕するのだと、思ってみてはいかがでしょうか?」
「奉仕、ですか……?」
「ええ。マッサージをする時のように。これまでマッサージなどなさったことは?」
「いいえ。婚姻前には、間違いがあってはいけないという想いが強かったので、あまり触れすぎないよう気をつけていました」
「そうですか。では、肩や腰のマッサージから始めてみてもいいかもしれませんね。勿論、きちんとお勉強してからになさってください。知識が無いままにして、かえってお身体を傷めてしまってはいけませんからね」
「はい、やってみます」
希望が見えてきて、トシツネはようやく少し力が抜けて笑顔になった。
触れることに慣れるには、マッサージというのは確かに妙案に思われた。トシツネはこれまで遠慮してきたので、肩揉みだけでも鼻血を流さずにやり遂げたら、快挙であろう。
「理性の飛んだ姿をお見せしたくないというのは、それによって嫌われるのが怖いということですか?」
「そうですね。自分のにやけた顔が家具のガラスに映ったのを、以前見たことがあって……とても不格好でした。正直、わたしが女性なら、こんな顔で見られるのは気持ち悪いと思いました」
「ですが陛下は貴方を愛しておいでですし、貴方のそんな表情も嬉しげに見ておいでですよ?」
「多分そうなのだと、頭のどこかで理解してはいるのですが……。自信がないと申しますか……」
トシツネは、矛盾する意識を同時に抱えているのである。
彼は今、エルフリーデの愛を信じ、自惚れている真っ最中だ。他のどんな好条件の男が彼女を譲れと言ってきても、彼女が愛しているのはトシツネだと胸を張って主張し、絶対に譲らない。他人が何と言おうと、エルフリーデが一番に望んでいるのはトシツネなのだと、疑っていないからだ。それだけの価値あるものとしてエルフリーデに想われている事実を、トシツネは理解している。
一方でトシツネの中にある劣等感は、消えてはいない。それがいつ芽生えたものなのかトシツネ本人にもわからないが、エルフリーデと出会うより前であることは確かである。
生まれ故郷の小さな村でのトシツネへの評価は、特別劣っているという訳ではなく、ごく平凡というものであった。見た目の良く似た兄は、その村では特に剣の腕に秀で、頼りがいがあると評された。それに比べて別段取り柄のないトシツネは、いつしか自分を不要な役立たずのように、誰に言われるでもなく感じるようになってしまっていた。
別にトシツネは、自分の境遇を嘆くつもりはない。自分のことを醜いとまで思っているわけではないし、目立った欠点に悩んでいるわけでもない。美しく優秀な者の多い魔族たち、それも女王の周囲の者たちに比べてしまえば、何もかもが劣っているとは感じるが、普段からそれを意識して卑屈になっているつもりもない。
ただ意識の深層のどこかで、美貌の女王に不釣り合いな自分という認識と、彼女と愛し合っているという事実への肯定感が、噛み合わないまま共存して行動に矛盾を起こさせるのだ。つまり、望まれるままに素直に愛し合いたいのに、踏みとどまろうとしてしまうのが、現状なのである。
「陛下はこんなわたしを、愛してくださっています。なのにわたしが自分自身の価値を低く考えるのは、陛下に対して失礼なことだともわかっているつもりです。けれど……」
自分なりに思うことをギュンターに伝えながら、トシツネは考えをまとめようとする。
「宝石よりも美しい陛下に対して、わたしはそこにこびり付いた泥汚れのようだと、自分自身で評価してしまうんです。誰に言われたからでもなく、わたしがそう感じているから――」
ギュンターの秀麗な眉尻が、困ったように下がる。こういった悩みとは無縁だった美貌の貴公子には、その心中は想像してやることしかできない。
「望まれていることも、望んでいることもわかっているのに。深く触れると汚してしまうと、愛することで辱めてしまうと、どこかで感じてしまうんです」
それは間違った認識だという助言は、何の意味もなさないだろう。トシツネ自身そう思っているのが、ギュンターには充分に伝わった。トシツネを苦しめているのは、深層心理、無意識下のなせる悪戯なのだ。
「それは、トシツネ殿。触れる前に解決することは難しい問題でしょう」
ゆっくりと言葉を選びながら、ギュンターは優しく安堵させるように声を発する。
「トシツネ殿に触れられて、陛下がどんなにお喜びになるか、その目で確かめて心で感じるしかないでしょう。その時の陛下が、汚れても辱められてもいないことを、少しずつでも陛下に触れて納得するのです」
トシツネはゆっくりと頷いた。勇気を出せば幸せになれるなんて、恵まれている状況なのだ。そこで尻込みしているなんて、贅沢に過ぎる。
何よりエルフリーデのために、トシツネは頑張りたいと思っている。女王として世継ぎを儲けなければならないという重責のために、彼女の奥底に隠された花のような乙女心を犠牲にさせたくはない。義務で子作りするのではなく、愛情深く幸福な夫婦の夜を実現したいというのは、トシツネの望みでもある。
「もうひとつ、お伺いしても……?」
ある程度決意が固まったところで、トシツネはこの際だからと、ギュンターに気になっていたことを尋ねることにする。
「はい。僕でお答えできるようなことでしたら」
すると急に羞恥が込み上げて、トシツネは赤面してしまった。
「夢中になって乱暴にしてしまって、繊細なお身体を傷つけてしまわないための、具体的なコツというか……細かくどうすればいいかというのが、医学書の類を読んでもいまいちよくわからなくて……」
恥じらいながら言葉を紡ぐトシツネを真摯に見返しながら、ギュンターは赤くなった後に、もともと白い肌が透けるほどに青ざめた。
「それにつきましては……」
ライトグレーの魅惑的な瞳が、絶望に揺れている。トシツネは、とんでもなく触れてはいけないことに触れてしまったのかと、非常に慌てた。しかし、発してしまった言葉は今更引っ込められない。
「僕は助言ができるような立場ではありません。……聞いて頂けますか?」
今にも泣き崩れそうに、美貌の貴公子は眦に涙を浮かべて悲壮感を漂わせる。
「は、はい」
ここまで相談に乗ってもらったトシツネは、まさかの展開に戸惑いながらも、嫌とはいえない。
「実は――」
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!
アレについての話をしているだけの彼らの様子に、15Rという注意書きは必要なのかどうかは非常に謎なのですが……。いつものごとく基準がわからないのでした。
“その時”のことは書くわけにいかないのですが、どうなったかある程度気になるものではないかと思いまして(私が変態なだけかもしれませんが……)、セーフな範囲で事の顛末がわかるような数話を目指しております! 想像力だけでどこまで頑張れるやら(笑)
奥手なトシツネたちを、生あたたかく見守って頂けますと嬉しいです。