国王夫妻の奮闘記(1)
※R15
女王の朝は早い。だがそれも、いつもならばの話だ。
アルベルトはその朝、気を利かせて昼前までエルフリーデを起こしに行かなかった。何せ昨夜は初夜だったのだ。何かあればすぐに医者を呼べるよう待機させた上で、様々な観点から栄養に配慮した朝食を女王らの寝室へ運んできたのは、午前十一時のことである。
コンコンッと、いつものように行儀よくノックをすれば、中から答えたのは女王の声であった。
「今朝は遅かったな、アルベルト」
寝台の上に身を起こして、エルフリーデは本を読んでいた。その隣で、幸せそうに寝息を立てて、王婿となったトシツネはまだ眠っている。
「おはようございます、陛下。お身体の調子はいかがですか?」
「いつもと何も変わらない」
「お熱などはございませんか?」
「ない」
「痛みは?」
「ない」
「医師を待機させてございます。念の為診察を」
「必要ない」
「わたくしにはおっしゃりづらいことがございましたら、女官をお呼びしますが?」
「お前に言えないことなど何一つ無い」
落胆と安堵と、そして気概のない王婿への苛立ちで、アルベルトは何とも複雑な表情をしながら俯いて唇を噛んだ。ここまで言われれば、昨夜は何もなかったのだと察せないわけがない。
「お前のほうこそ、休暇を取るか?」
エルフリーデにそう言われて、アルベルトは俯いたまま顔を上げることができなかった。泣き腫らした不眠の目は隠しきれず、彼が昨夜何を思って夜通し涙していたのか、女王にもわかってしまっただろう。
「いいえ。わたくしにとって休暇など、罰のようなものです。陛下のお傍にお仕えしていなければ、気がかりに囚われてきっと気が狂ってしまいます」
つまり、好きな女性が他の男と結婚し、二人が結ばれるために身も心も尽くさなければならないとしても、この従者はそれが辛い以上に、それを望むのだ。自分の知らない場所でそんな時間が過ぎていくほうが、彼にとっては耐え難い。果たしてどれほど自虐趣味なのかと、他人が聞けば問いたくなりそうなものである。
「お傍に置いてください。それとも、わたくしがいてはお邪魔ですか?」
「否。お前を邪魔に思ったことなど一度もない。お前がそう言うなら、休暇の話は忘れてくれ」
ようやく顔を上げて、アルベルトは微笑んだ。
「お言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
彼は改めて恭しく礼をする。目元は腫れていても、その所作はいつも通り完璧である。
「トシツネ、お前もそろそろ起きろ。あまり惰眠を貪ると、脳に良くない」
エルフリーデが膝の上で開いていた本を閉じて脇へ起き、トシツネの頬を白くたおやかな人差し指で軽くつつく。
「んう……あと五分…………」
しかしトシツネは、まだ半分夢の中である。それはそれは幸せそうに、むにゃむにゃと笑顔のまま半ば無意識の言葉を口にする。
以前から皆が思っていたことであるが、彼は非常によく眠る。一度眠りにつけばちょっとやそっとのことで覚醒することはなく、朝も工夫を凝らさねばひとりではなかなか起きて来られない。
「可愛い奴め。ずっとこうしてこの寝顔を愛でていたいものだ」
愛おしげに言って、エルフリーデは優しい眼差しでトシツネの寝顔を見つめている。
「そういうわけには参りません」
嘆息と共に、アルベルトが寝台の上のトシツネに歩み寄る。
「殿下。お目覚めください。もうお昼前ですよ?」
軽く肩を揺すりながら、アルベルトがトシツネを起こしにかかる。
「んんう……あと十分…………」
先程よりも時間が延びている。
「殿下! トシツネ殿下! そんなにだらしのないことでどうなさるのです!?」
ゆさゆさと身体を強めに揺すられて、ようやくトシツネは寝ぼけ眼をこすり始めた。
「目をこすっては良くない。視力の低下や、角膜が傷つく恐れがある」
それ以上トシツネが目をこすれないよう、エルフリーデは彼の両手首を捕まえて、自分の方へ引き寄せた。
ゆっくりと上がっていく瞼の下から現れた、焦げ茶色の瞳の焦点が、だんだんとはっきりしていく。
「わっ! へ、陛下!?」
「おはよう、トシツネ」
エルフリーデはそのまま、ふっくらとした薄紅色の唇で、優しくトシツネの額に接吻した。
「お、おはようございます」
真っ赤になってはにかんで、トシツネは幸福な朝――正確には昼前であるが――の訪れを喜び、笑みを浮かべた。念願の婚姻を果たし、同じ寝台で隣で眠ったということへの実感が、甘く温かく胸に広がっていく。
「オホンッ」
わざとらしい咳払いに振り向けば、トシツネはようやくすぐ傍にいたアルベルトに気づいた。
「せ、先生! おはようございます!」
「先生ではなく、アルベルトとお呼びくださいませ。王婿殿下」
「は、はい! アルベルト……さん」
赤い瞳はいつになく不機嫌で、腫れた目ながら迫力を持ってトシツネを睨んでいる。
「昨夜は、お役目を果たせなかったようでございますね?」
「そ、それは……」
言い訳のしようもなく、トシツネは俯いて口ごもった。アルベルトに万全の体制で送り出され、エルフリーデに望まれておきながら、勇気を出せなかったのはトシツネである。
市井の民ならば、初夜に事に至らなかったから何だという話であろう。しかし、長く世継ぎを望まれているこの国において、晩婚の女王の初夜が清いままに明けたとなれば、国中が嘆息することは容易に想像出来る。
「申し訳ありません……」
「殿下の母国には、“据え膳食わぬは男の恥”という言葉があるそうですね?」
「はい、その通りです……。ごめんなさい……」
「あまりトシツネを責めないでやって欲しい。人間の身で、それもこの若さで我が国の王婿となって、他にも様々な負担を一挙に背負ったところなのだ」
エルフリーデがトシツネを庇うが、トシツネは余計に自分が情けなくなった。夫婦生活は義務である以上に、彼の夢であり望みであったはずだった。好きな女性に望まれて、がっつく気持ちよりも躊躇う気持ちが勝るとは、何事かと自分でも思うのだ。
「陛下も陛下です! 殿下が臆病なことはご存じなのですから、もっと強引でもよろしいのではありませんか?」
「夫婦間でも強姦が成立するよう法を改正したことは、お前も知っているだろう?」
「そんなことを憂慮する必要のないことは、陛下ご自身がよくおわかりのはずです。トシツネ殿下が陛下に無理強いをされたと法廷に訴え出ることなど、万に一つも起こりえません」
「嫌がるものを押さえつけるのは趣味ではない。私とて、初めての夜に憧れや理想くらいある」
「嫌がられるということも、万に一つもございません! 殿下は臆病なだけで、本心では陛下と結ばれたくてたまらないはずです」
あまりにも自信に溢れた様子でアルベルトが言い切るので、エルフリーデは反論をやめて溜め息した。
「……確かに甘やかしすぎた。私も諦めるのが早かったからな」
エルフリーデの青い瞳が、真摯にアルベルトに向けられる。
「夫に対してのみ、色仕掛けは解禁してよいか?」
「はい。それがよろしいかと」
にこりと綺麗すぎる笑顔を浮かべたアルベルトの、迫力にトシツネはおののいた。
「トシツネ王婿殿下」
「は、はいぃっ!」
アルベルトに呼ばれて返事をするトシツネの声は、無様にひっくり返っていた。コツコツと行儀の良い足音をさせて近づいてきた従者が、トシツネの耳元に口を寄せる。
「あなたはこの世で一番美しい女性を妻にしたのです。他の全ての男たちの分も、幸せになる義務があります。でないとどこの誰に呪われても、文句は言えませんよ?」
ひそひそと囁かれた内容に、トシツネは身震いした。脅迫めいたその言葉の中に、他の全ての男たちの代表としてのアルベルトの恨みがましい感情が、ひしひしと伝わってくる。同時に、内容もよく理解出来る。すぐ傍にいる絶世の美女を憧れ慕う全ての男性から、彼は彼女を奪ったのだ。この上“据え膳食わぬ”傲慢など、許されようはずもない。
「が、が、頑張りますうぅっ!!」
恐怖と期待で打ち鳴らされたゴングと言うには、情けない悲鳴のような声がトシツネの喉から発せられた。向かう先は天国であるのに地獄の鬼に追われるような、奇妙な闘いが幕を開けたのである。
お久しぶりの更新です! お読みくださった皆様、ありがとうございます!
ゆっくりペースになりますが、番外編を更新していきたいと思います。まだご興味を持ってくださる方がいらっしゃいましたら、今後ともお付き合いいただけますと嬉しいです!




