21―悪魔の末裔
ミリヤムを伴って黄泉へ戻ったエルフリーデと男悪魔は、再び“原初の木”を目指している。
「転移して一瞬で行けないのか?」
足場の無いはずの空間を歩きながら、ミリヤムが問いかける。
「この空間では転移はできない。できたらとっくにやっている」
「ふうん」
男悪魔が答えれば、ミリヤムはつまらなさそうに地面の無い足元を見た。
「あたしはここ、好かないな。こんな変な歩き方してたら、生きてる気がしない」
男悪魔は苦笑するだけで、何も言わない。エルフリーデは同意するというように、短く首を縦に振った。
「そんなことより、力を使う練習をしておいたほうがいい」
「魔法なら普通に使えるみたいだけど」
「その魔法は黄泉の者には通用しない」
男悪魔の言う“力”が何なのか、ミリヤムには解しかねた。
「何の力をどうやって使うっていうんだ?」
「お前が先祖から受け継いだ、悪魔の力だ。どうやって使うかは、そうだな……」
しばし逡巡した後、男悪魔は肩を竦めた。
「魔法をどうやって使うか、という問題と同じようなものだ。感覚を研ぎ澄ませ」
「そんなんでわかるわけがないだろう」
大きく嘆息して、ミリヤムは不満げに男悪魔を睨んだ。
「それを使いこなせるようになれば、お前はエルフリーデに勝てる」
「エルと闘うことはあり得ない」
「まあ、そうか」
元の世界で最強であったはずの魔王エルフリーデを、超える力だということらしい。
「だが、そいつを守るのなら必要なものだ」
「わかってる。だから、ちゃんと教えろよ」
男悪魔は、しばらく黙って考え込んでから、再び口を開いた。
「お前のいつも使っている武器は、その槍か?」
「ああ」
ミリヤムは、いつも使っている長槍を背負ってきている。
「そいつを使えばいい。魔力を込めるように、そいつに力を込めるんだ。何も無しに力を使おうとするより、やりやすいはずだ」
ミリヤムはさっと槍を構えて、何も無い方向に突き出した。しかし、そこにはいつもの雷の魔法が走ったのみである。
「力を込めるったってな。使い慣れた魔法が出てきちまう」
「なら魔力が枯渇するまで、使い切ってみるか?」
男悪魔がそう言うや否や、エルフリーデが間に割って入る。
「駄目だ。魔力を使い切れば体力も同時に尽きる。私の臣下を弱らせる気か?」
「へえ、そういうものなのか。なら、さっきのは無しだ」
男悪魔は素直に提案を取り下げた。
ミリヤムは数回、長槍を振り回した。しかしそれはビリビリとあらぬ方向へ雷を撒き散らすばかりである。
「その力ってやつは、どこから湧いてくるんだ?」
魔力は、循環する血液で生成されるとされている。力の出どころがわかれば制御しやすいのではないかと、ミリヤムは考えたのだ。
「魂だ。感じづらければ、瞳を意識しろ」
その回答を得てすぐ、ミリヤムの槍に黒い影が宿った。
「うおっ!? こっちに振るな」
「悪ぃ、わざとじゃない」
悪魔の真横を影が掠めれば、彼は本気でそれを避けた。その反応を見るに、成功したようである。
「へえ。これでお前のことも殺せるのか?」
手の中で槍を弄びながら、ミリヤムが男悪魔に悪戯っぽく笑いかけながら問う。
「無理だな。どちらかの魂が消滅するまでやり合ったら、純粋な悪魔である吾が勝つに決まっている。お前の力は半人前程度だ」
「なあんだ。お前を消せばエルを契約から解放してやれると思ったのに」
「危ない女だな。おい、エルフリーデ。お前は臣下に何と命じているのだ?」
様子を見守っていたエルフリーデは、ミリヤムを誇らしげに見遣った。
「別に何も。私は臣下を信頼している」
「まさか、お前まで吾を消した方が手っ取り早いと思っているのか?」
「いいや。ミリヤムが冗談を言うのは、多少なりとも気を許している証だ。お前は仲間だと認められたのだろう」
疑わし気にミリヤムを見遣って、男悪魔は不機嫌に鼻を鳴らした。
「別に、この女に認めてもらう必要は無い」
「そうはいかないだろう。我々は協力関係にあるのだから、お互いに信頼を得るに越したことはない」
「吾はエルフリーデとは協力関係にあるが、その女はただの武器だ」
「私の臣下への侮辱は許さない」
真顔になった美貌の女王が凍るような視線を男に向けたので、彼は失言を悟った。
「冗談だ」
面倒くさげに言いながら悪魔がミリヤムのほうへ視線を戻すと、彼女は口の形だけで『やーい、怒られてやんの』と言って笑っていた。その場で一発殴りたいのを我慢した自分を褒めてやりたいと、彼は思った。
「全く、何故お前が引き当てたのがこの女なんだ。悪魔の末裔なら他にもどこかにいるだろうに。それに、同じように味方させるなら、こんな半端な存在より、悪魔そのもののほうが役に立つ」
言っても仕方のない不平を並べる悪魔に呆れつつ、エルフリーデは口を開いた。
「それについてだが。私の武器は信頼なのだと思うのだ。力の強さが問題ではないのだろう」
真面目に回答した彼女の見解に、一理あると悪魔も思った。エルフリーデは生者の中では強い力を持っているが、話の通じる相手なら必ずしも力で捻じ伏せずとも、信頼関係を築くことである程度の物事を思い通りに運べるだろう。それだけの器と魅力が、彼女には備わっている。
「ミリヤムは私の最も親しい友人の一人だ。背中を任せるにこれ以上安心できる者はいない」
「絆こそが武器だというのは美しい話ではあるが、残念ながらこれから相手取るのは話の通じない怪物だ。お前のそういう性質は、今回は裏目に出たな」
「まだそうと決まったわけではないだろう」
エルフリーデの青い瞳は、尚もミリヤムのことが誇らしいと言っている。自分で武器を手に入れるより余程心強いと、信じて疑っていないようだ。
「そうだといいがな」
全く同意できないと言いた気な表情で、悪魔は呆れたように言った。
「それにしても、先祖が悪魔だとはな。その契約ってやつは、そんなによくあるものなのか?」
「生者の感覚で言えば、そう頻繁とは言えないだろう。お前の先祖が悪魔の子を産んだのは、何千年も前の話だろうな」
「へえ」
己の起源に関することであるのに、ミリヤムは始終世間話程度の認識で、気軽に話している。
「だが百数十年ほど前、立て続けに“悪魔の蜜浴”が同じ世界のほぼ同じ地点で行われた。吾はその国に何かあったのかと思ったが――」
「それは、私の父がしたことだ」
エルフリーデが口を挟む。
「私を産んだ女性が他界して後、何人か妃となった女性たちがいたが、皆行方不明になっていた。その理由を知ったのは、私があの液体に投げ入れられた時だ」
自分を産んだ女性のことを、エルフリーデは母とは言わなかった。そのことがミリヤムは気にかかったが、この場で理由を問いはしなかった。
「なあ、その“悪魔の蜜浴”ってのは、どんなものなんだ?」
「そうか。ミリヤムは私の記憶を見なかったのだったな」
エルフリーデの最も忌まわしい記憶には、彼女の罪が内包されている。ミリヤムは水晶に記憶されたそれを、敢えて見ないことを選んだのだった。
「エルフリーデにもした話だが――」
男悪魔は、ミリヤムに“悪魔の蜜浴”の起源と詳細を語って聞かせた。頷きながら聞いていたミリヤムだが、抱いた感想は主君とほぼ同じものであった。つまり、姫巫女個人の願望を叶えるためのシステムを遺してあるなんて、後世にとっては迷惑もいいところだと思ったのである。
そうして話しているうちに目的地に到達したのか、男悪魔が足を止めた。
「ここだ」
しかしそこには、何も無いように見える。
「ここってどこだ?」
訝しげに問いかけるミリヤムを振り返りもせず、悪魔は虚空のある一点に手を挿し入れた。
今回も目を通して頂きまして、ありがとうございます! 今後とも何卒よろしくお願い致します。