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7―悪魔の求愛

「魂が死後どうなるか、お前は知らないのだろう」

「ああ」


 男の言に、女王は素直に頷く。ソファに腰掛けて向かい合ったままで、彼らは会話すると言うより、ほとんど一方的に男が説明を続けていた。


「生まれて来た肉体には、相応しい大きさの魂が宿る。それは肉体の死と共に黄泉へ帰り、またどこかの世界に相応しい肉体が生まれてくるまで、そこで待機している。お前たちの言う生まれ変わりというやつだ」


 生まれ変わると言う概念については、エルフリーデはこれまで半信半疑だった。しかし黄泉から来た悪魔がそう言うのであれば、信じざるを得ない。


「ただし、黄泉の者と交わした契約内容を破った魂は、牢獄に永劫囚われる。二度と別の生命としてどこかの世界に存在することはできない。それだけ重いことなのだ、本来は閉じられた世界に黄泉の干渉を得る契約は」


 そうは言われても、エルフリーデは自分の意思で契約したわけではない。そういう(ことわり)であるというのならば、それは理解するしかないのだが、感情としては理不尽であるとしか思えない。


「お前がこの世界で肉体を得て一つの生命を終えるまでの時間は、たかだか数百年のものだ。しかし魂は本来、魂としてかたちを留めなくなるまで摩耗するにはもっと途方もない時間を要する」


 諭すように、男は語り掛ける。


「お前という存在の根幹はその魂だということを軽んじてはいけない。永劫の囚人になることを選ぶなど、愚かに過ぎない。お前は大人しく俺の花嫁になるのが一番いい」

「嫌だ」


 しかし女王は、その強情な姿勢を崩すことはなかった。


「この世でトシツネが手に入らないならば、私は他の世界など欲しくない」


 馬鹿なことを言っているという自覚はあった。恋に溺れて冷静さを欠いていると言われれば、その通りだと認めるしかないくらいには、エルフリーデは自分を愚かと思っていた。それでも、己の望みに嘘を吐くことは、己の根幹たる魂を裏切ることだと彼女は思うのだ。


「要するに、エルフリーデ。あの小僧よりも吾のほうがいいと思えたなら、問題は無いわけだな?」

「ああ。だが、そんなことは起こらない」


 無表情を通して来た悪魔が、クツクツと笑った。


「まず、誤解のないように言っておくがな。吾はお前を気に入って花嫁にしたいと思ったのだ」


 女王の青い瞳が訝しむように男を見るが、その視線は変わらず真っ直ぐに彼女に向けられていた。


「“悪魔の蜜浴”によって黄泉へ契約が持ち掛けられるわけだが、誰がそれに応じるかは決まっていない。契約内容と相手を見て、応えようと思う悪魔がいて初めて、契約は成立するのだ」

「不平等ではないか。こちらは自らの意思ではないというのに」

「あの液体に身を投じるということがそもそも、本来は意思表示なのだ。そこへ無理矢理に投げ込む他者がいることなど、想定されていなかった」

「それは黄泉の側の落ち度ではないのか」

「黄泉は世界の管理場所だ。それ以上の責任を負う義務は本来無い」


 秀麗な眉は顰められ、エルフリーデは相変わらず不機嫌であった。


「怒ったところで、これは吾が決めたことではない。そういう理なのだ」

「わかっている」


 こんな応酬を繰り返したとしても、エルフリーデの心がトシツネを差し置いてこの悪魔に向くことは無いだろう。しかし、彼女にとっては、男の話から自分の立場を把握することは必要なことである。


「お前の魂は、なかなか変わった風貌をしている。濁りは少なく澄んだ色をしているというのに、内側から花開くようにひび割れている。大抵の魂は時が経てば濁りを増し、細かな傷で鈍い質感になっていくものだが、お前のそれはまるで違う」

「魂の風貌など聞かされても、その意味を理解しかねるな」


 当たり前のことを言ったつもりだったが、男は愉快そうに口角を上げた。


「いいや、お前にはわかるはずだ。あの小僧の魂に惚れたんだろう? あれは文句なしに綺麗な状態だからな」

「だが、自分の魂などは見たことがないぞ」

「魂は鏡に映らないからな。直接見ることしかできない。お前自身の魂をお前が見ることは、不可能だ」


 トシツネは、綺麗な目をしていると思った。その光に惹きつけられた。それが魂だったのだと、確かにエルフリーデも気づいていた。


「あの小僧の魂は、傷も濁りもほとんど無い。創世以来、今に至るまであの状態を保てているのは、奇跡に等しい。あの魂が欲しいという気持ちは俺にもわかる」

「魂だけではない。私はトシツネの全てが欲しい」

「それはお前が今、生きているからだ」


 生きていない時のことなど、それこそ想像もつかない。今を生きている者にとっては、それが全てではないのか。


「吾は、お前の癖のある美しい魂が気に入ったのだ。本来美しいものがその原型を留めたままで、大きな傷を負っている……その風貌はなかなかに魅惑的なものだ。だから吾はお前との契約に応じた」


 その言いようには、女王は素直に喜ぶ気にはなれなかった。美しいものが傷を負っている様が良い、というのは歪んだ嗜好に思えてならない。


「だがお前はまだ幼く、残りの寿命が長すぎた。契約の代償は純潔であって、それを捧げて以降の身の清らかさは条件には入っていない。しかし吾は妻にすると契約した以上、お前が黄泉へ来るまでに他の男と男女の仲になっているようなことがあっては、不愉快だと思ったのだ」


 悪魔の男も人間の男とそう変わらない感覚を持っているらしい。


「そこで吾は考えた。契約の期限が差し迫るまで待って、そこまでお前が貞操を保っていたなら、花嫁として迎えに行こうと」

「黄泉へ迎えられてしまえば、寿命など関係ないのではないのか?」

「いいや。この世に悪魔の子を産み落とした後、その寿命が尽きるまでお前が過ごすのはこの世だ。純潔と引き換えに婚姻を済ませ、その後はお前がこの世で生を終えるのを吾は黄泉で待つことになる」


 それが確定した未来であるかのように話すこの男の言葉が、エルフリーデを苛立たせる。


「契約の代償受け取りの期限は種族によって違うが、人間で三十歳、魔族で百五十歳といったところだ。女を孕ませるには、あまり老いていては不都合だからな。悪魔の側の落ち度で女が身ごもれないことを防ぐための期限だ。ちなみにそこまでに俺がお前を迎えに来なければ、俺の方が黄泉の牢獄に囚われる」


 つまり、悪魔の側にもリスクのある契約ということのようだ。それを聞いて初めて、エルフリーデはこの男を追い返せれば済む訳では無いと、理解した。


「お前は貞節な女だった。吾はお前が吾との契約を大切にし、待っているものと思っていたのだがな。あの小僧と婚約なぞしていたことには驚かされたのだぞ?」


 男はここで初めて、拗ねたような表情を滲ませた。


「あの小僧の魂は紛れもない逸品だ。吾は初め、お前が心変わりしたのかと思った。だがお前は、自分の意思で契約したのではないとまで言い出した。お前を貰いに行く時を今か今かと待っていた、吾は道化か?」


 苛立ちと、悲しさと、怒り。それを顕わにした男は、この時ばかりは人知を超えた高位の存在というよりは、人族の男と変わらぬように見えた。


「私の父が申し訳ないことをしたな。代わりに謝罪しよう」

「ふん。お前からすれば、それが筋なのだろうな」


 悪魔との契約は、エルフリーデの意思ではない。この件についてこの悪魔に謝罪するならば、父に代わってというのが表しうる限りの誠意である。


「だが皮肉なものだな。契約が成立していることによって、お前は魂が見えるようになったのだ。その結果として、お前はあの小僧に惚れてしまったのだろうからな。もっと早く、お前を迎えに来ていればよかった」


 例え早く来られていようと、エルフリーデがこの男に惹かれたとは思えない。しかし、恋を知る前であれば、強い世継ぎを産み落とすことのできるこの契約を、王として悪くないものと捉えたかもしれなかった。


「それだけ吾はお前が欲しいのだ。それは伝わったか?」


 そう言われてようやく、エルフリーデは求愛されていたのだと思い至った。しかしこの悪魔が褒めたのは、彼女のひび割れた魂。それを口説かれていると認識するのは、この世の住人には難しい話だった。


 男から愛を乞われることなど、彼女にとっては珍しいことではなかった。そして大抵の男は彼女の美貌に目が眩んでいるだけだとわかっていたので、躊躇いもなくあしらってきた。けれどこの男の場合、不可抗力とはいえ契約――つまり婚約――したことになっているまま、長い時を待っていたというのであれば、憐れみも覚えようというものである。


「ならば、死後の魂で手を打たないか? 魂を代償として差し出そう。だから契約内容を変えてくれ」

「それはできない。一度成立した契約の破棄や変更は、悪魔の力の範囲外だ」


 落胆したように息を吐く女王を、男は不満げに見遣った。


「もう理解できただろう。吾は牢獄へ囚われてやる気は無いし、お前を牢獄なぞへくれてやる気も無い。どうしてもというなら、黄泉で吾と結ばれてから、この世であの小僧と過ごすがいい。これは破格の譲歩だぞ?」

「私はトシツネ以外この身に受け入れる気は無い」

「……無理強いはしたくなかったのだがな」


 男はソファから立ち上がり、エルフリーデのほうへ歩み寄った。その逞しい腕が彼女の肩へと伸びてくるのを見て、女王は瞬時に転移し、青い光の残像を残して男の背後へ移動した。


「無駄な抵抗だ」


 男は静かにエルフリーデを振り返る。その黒い瞳の鋭利な視線が、悪魔である彼の圧倒的な力を疑わせない。それでも女王は、毅然と見据え返した。


「そんなことをすれば、お前の望みに取り返しのつかない傷がつくぞ」

「何?」


 エルフリーデの言葉に、男は眉を顰めた。


「なるほど、魂というものは見ようとして見ればよく見える。お前にもそれが宿っているな」

「宿っているというのは少々語弊がある。吾は魂そのものであり、今はこの世に留まるためにそこへ肉体の皮を被せているのみ」

「どちらでもいい。言いたいのは、私にもお前の魂が見えるということだ」


 強引にねじ伏せようとすればそれができるだけの力を持つ悪魔を前に、女王は不敵な笑みを浮かべた。


「お前は、お前を嫌悪し憎む女を傍に置くことを望まない。それも永劫という時の中なのだからな」

「お前は吾を嫌悪しても憎んでもいない」

「今はな。だがそれは、無理強いなどすれば簡単に変わる」


 男が表情を消した。


「悪魔を脅すとは大した女だ」


 男がバチリと指を鳴らすと、エルフリーデの身体に電撃が走るような感覚があった。


「くっ……! 何をした?」


 無言のままで、男がエルフリーデに歩み寄る。彼女は転移しようとしたが、魔法が発動しない。指先ひとつで封じられたということらしい。


「安心しろ。吾はお前の魂を濁すつもりはない」


 浅黒い腕が女王を抱き上げる。魔法は使えなくても、彼女は抵抗しようと藻掻いた。


「離せ」

「暴れるな。お前を穢そうというのではない。綺麗なままでいさせてやる」


 エルフリーデは暴れたが、男はいとも簡単にその身体を運び、寝台の上へ下ろした。


「黄泉を見せてやる。お前は言葉だけで知っても足りないようだからな。見れば否が応でも理解する」


 男がエルフリーデの両目に手を翳すと、彼女は瞳の奥から大切なものを抜き出されるおぞましい感覚に襲われた。

 叫んだ――つもりだった。しかしその瞬間には、既に喉も口も無いことに気づいた。

 ここまでお読み下さりありがとうございます!


 魂に惚れたって言われて嬉しい人ってどのくらいいらっしゃるのでしょうか?

 自分で書いていることながら、トシツネにしてみればそれは見た目に一目惚れされたと対して変わらない話なのではと、思ったりします。

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