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1 ただの人

 『十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人』


 幼少時代は並外れてすぐれているように見えても、多くは成長するにつれて平凡な人になってしまうことのたとえ。by故事ことわざ辞典。……そんなことわざを知ったのは、あたしがちょうど神童と持てはやされている、十のころだった。


 所属の名門クラブチームどころか、地区にも県にも、あたしの敵はいない。そんな自負があった。実際に、小学校四年生の時には、全国大会でベスト8まで進出を決めている。

 保育園のころから背の順は常に一番後ろ。リレーの選手。腕力だって男子に引け劣らない。頭ですら、人一倍切れる自信があった。


 両親も先生もコーチも、こぞってあたしに期待した。将来のアスリートだと地元メディアで取り上げられ、同級生からはいつも集まるのは、羨望のまなざし。

 あたしは最強で一番で、かっこよくて、とにかくすごい奴らしい。みんなが言うから、あたしも自分自身が最強で一番で、かっこよくてすごいのだと信じた。

 あたしはあたしが、好きだった。


 けれど、二年後。十五で才子になるより先に、あたしはただの人になった。

 羽根を追うことなんて、きっと、もうない。


***


「ねえ翔子」

「あー?」


 今の教室はまるで休み時間だ。廊下側に席があるはずの西住が、何故か窓側に座るあたしの前に陣取っている。チャイムはだいぶ前に鳴った気がするのだけど、この騒々しさは一体何なのだろう。


「あんたはバレーボールだよね?」

「は? あたしは人間だけど」

「なに、わけわかんないこと言ってんの」


 周りで駄弁っていた友人たちが、声を揃えてあたしをアホ呼ばわりだ。いや、マジでバボちゃんじゃないんだけど、あたし。

 口を開きかけ、黒板に下品なほどでかでかと書かれた『球技大会』の文字が目に入り、ようやく話の流れを理解する。

 今は再来週に控えた球技大会の、種目決めの時間だった。


「あー、それならあたしドッジでいいよ。デルタパス係やるわ、任せて」

「なにそれ、意味不明だから」


 ドッジボール、バドミントン、バレーボール。この三択ならば、ドッジボール一択だろう。特別好きでもないのに、部活以外でバレーをやる気にはなれない。バドミントンは論外。


「えー! ドッジに翔子はもったいないでしょ! バレー出てよ」

「目指すは優勝、なんだからさ」

「マジか。……たりー」


 球技大会なんてどうでもいいじゃん、と本音を零せる雰囲気ではないらしい。どうにかして、ドッジボールというぬるま湯につかる方法を模索する。サボる方向に気持ちが向く時、あたしの脳細胞たちは授業中の数倍は張りきりだす。


「ほら、部員って確か参加出来ないんじゃなかった?」

「今年から一人までオッケーってルールが追加されたの」


 誰だ、いらんルールを加えたのは。


「じゃあ加藤を推薦しまーす」

「だって。カトちゃーん、どうする?」


 黒板に落書きをしていた加藤が、西住の声に振り返る。鼻の下に指を当てながら、くねくねと腰を揺らして踊りはじめた。


「ちゃんと『う』まで発音してー。『ペ』になっちゃうよー」

「んなことどうでもいいわ」


 ポケットに入っていたくしゃくしゃのプリントを、丸めてから加藤に投げつける。顔の前でキャッチした加藤は、その手で大きくバツ印を作った。


「ノー。あたしセッターだし。球技大会とか出ても活躍出来る気がしないんだよねー。バレー部だからって、変に期待されるのやだし。っていうか、あたしバトがいいの」


 黒板に書かれた『バドミントン』の下に、いやに丸いフォルムの『加藤』が追加された。


「加藤、この前バド部のこと馬鹿にしてただろー」

「バトって遊びなら楽しそうじゃん」


 だから、バトじゃねーって。


「そういうわけで、頼んだよ。我らがキャプテン」

「そうそうキャプ、あんたがいれば間違いなくバレーは優勝だから」


 加藤に乗せられ、西住も長い爪が目立つ親指をぐっと立ててみせた。

 弱小校キャプテンに、何故そこまでの期待が持てるのだろう。よくわからないが、キャプキャプ、と謎のコールが教室中を埋め尽くす。ことくだらない事柄に関しては、あたしの属するクラスの団結力はなかなかによい。

 断る文句を考える方が、バレーに出るより骨が折れそうだった。脳細胞たちも職務を放棄し、白旗を揚げる。


「わーた、わーったよ。出る出る、出りゃいいんでしょー」

「本当? 翔子ありがとー」

「なんだかんだ、翔子ならやってくれると思ってたよ」

「これでバレーの優勝は二組だぁー!」

「キャープ! キャープ!」

「……うっせ」


 バレーは団体競技だろうが、と漏らした声は喧騒に消える。


「はーい、静かに」


 軽く手を叩きキャプコールを沈めた担任教諭が、真剣なまなざしで教室中を見回した。漫画やドラマに出て来そうなかっちりとしたひっつめ髪に、濃紺のスーツ。銀縁フレームの繊細な眼鏡の奥には、切れ長の一重が光る。ザ・真面目な若手教師という風貌を裏切らない、お堅い新米女教師だ。

 職員室では煙たがられているか、おっさん教師のセクハラを受けているかのどちらかだと予想している。


「運動部の子たちは最後の中体連が近いので、くれぐれも怪我には気を付けて。球技大会や練習で怪我をして、今まで努力を無駄にしてしまわないように」


 最後の大会。その言葉には驚くほど実感も、感慨もなかった。いっそ球技大会の練習で骨折をしたら、大会に出なくて済むのではないかと考えてしまう。もし本当に欠場となってしまっても、あたしは何も感じず平然としている。

 ぼたぼたと大袈裟な涙を流したり、熱い想いを語ったり、恐らくはしない。


 ならばどうして……。どうして、三年間バレー部を続けてきたのだろう。


神沢かみさわさん」

「なんですかー」


 担任の視線が、クラス全体からあたし一人に移る。


「進路希望、出してないのはあなただけなんだけど。三者面談までには今の段階の志望校でいいから、出してくれる?」

「神沢さんは就職しまーす。刺身にキク乗っける仕事しまーす」

「出しなさい!」


 あたしのような不精生徒を指導するのも大変そうだ。志望校はまったく決まらないけれど、教員だけは志さないようにと密かに誓う。


「なぁに翔子。行けるとこ多すぎて迷ってるってるのー? 超嫌味なんですけどぉ」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「選択肢一、二択の山岡が僻んでるぞー」

「うっさいバカ男子! 三択はあるし!」


 勝手に騒ぎ出したクラスをよそに、あたしは放置し続けている進路希望票を探した。五秒で諦める。どうやら紛失してしまったらしい。思い返せば先ほど加藤に投げつけた紙が、それだった気がしなくもない。


 斜め前で欠伸をかましている加藤の肩を叩くと、苦笑いを浮かべながらポケットをまさぐり紙屑を返してくれた。開いてみると、しわしわのはら半紙は、予想通り真っ白な進路希望票。


 高校、か。頬杖をしながら小さく呟く。あたしには魅力的な響きを持っているようには、思えなかった。恐らく学区の、いや県内の……全国のどこへ行ったとしても、きっと今と何も変わらない。校舎とクラスメイト、教員が変わり、勉強が少しだけ難しくなる。それだけ。そうであるならばどこも一緒で、どこでも良かった。唯一の希望は、私服が面倒なので制服校がいい。


 きっとどこにも、あたしが求めているものはない。そもそも、自分が何を求めているのかすら、あたし自身わかっていない。やりたいことなんてものも、また当然。


 だったらサイコロやダーツで決めるのはどうだろうと考え始め、チャイムが鳴るまであたしは暇を潰した。

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