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気弱なチーターは現実世界に戻りたい  作者: origami063
第4章:“エムワン”討伐編
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第28話:崩れる大樹

「皆、遅いなぁ」


 独り言でも口に出すと不安が紛れると思ったが、想像していたほどの効果はない。


 (あかね)木陰(こかげ)で1人、小さくうずくまっていた。

 何があっても動きだせるよう片膝を立てるこの姿勢は好きではなかった。どうにもリラックスできないし……やはりお尻を地面につけてしまっても良いかもしれない。


 彼女はメニューボードを操作してメッセージボックスを開いたが、相変わらず受信は0件だった。一条は必ず連絡を入れると言っていたが、もしや忘れているのだろうか。


 「オダバの森」に魔獣はいない――そう聞いて最初は安心していた。だが実際に中に入ってみると、妙に気分が落ち着かないのだ。

 立ち並ぶ樹々はいずれも大きく、見上げても枝に覆われててっぺんは見えない。クモの巣のように張りめぐらされた枝葉が、天上で照っているはずの陽光を遮っている。そのせいで森は薄暗く、じめじめと湿っている。時折唐突に動物の鳴き声が聞こえる度、神経がすり減る。


 茜はもともと内気で、外に出るよりも家の中でゆっくりと過ごしている方が好きだった。キャンプなどにも行ったことがなく、ゲームの世界とはいえ大自然の中に1人取り残されたのはこれが初めての経験になる。


 ……やはり、お尻は地面につけてしまおう。誰も見ていないし、別に良いや。


 そう開き直ると、彼女はぺたりと草の上に腰を下ろした。衣類ごしに伝わってくる土と草はひやりと冷たく、気持ちが良い。わきに置いておいた麻袋を心もち自分の方に近づけると、万一魔獣に襲われても大丈夫だという自信が少しわいた。


 木の幹に背を預けて目を閉じると、別れ際の一条の言葉が蘇ってくる。


「基本的には待ち。ただし、状況に応じて自分で判断してくれ。例えば俺たちがしばらく帰ってくる気配がなかったり、敵に襲われたような場合は、必ずしも同じ場所にとどまる必要はない」


 しばらくって、どれくらいだろう。


 そんな疑問が茜の頭にわいたが、当然誰からも答えは返ってこない。

 結局は自分のさじ加減で判断せよ、ということだ。


 そういえば、“エムワン”に遭遇する前、丈嗣(たけつぐ)君たちとも連絡が取れない状況だった。流王さんがついていたにも関わらず連絡がこなかったということは、メニューボードを開くひまもないほど切迫した状況だったか、あるいは――そもそもなんらかの問題が起きて、メッセージ機能を使うことができなかったか、だろう。


 以前「ナラキア」へとやってくる前、ツカサと遭遇した時のことを思い出してみる。強制的に決闘モードが開始され、メニューボードは操作がきかなかった。もしかしたら、同じことが一条たちにも起こっているのかもしれない。


 ましてや、追っていたのはあの“エムワン”なのだ。


 しばらく悩んだ末、茜は目を開けると、すっくと木陰から立ち上がった。わきにあった麻袋のひもをしめ直して肩にかつぐ。


 一条たちと別れてから、もう「しばらく」たっている。ここで静かに息を潜めていても何も解決しないのは明らかだ。

 それなら、ただ行動あるのみ。


「一条さんたち、確かこっちに進んでったよね」


 そう独り()ちて、茜は仲間がたどった道をゆっくりと歩き始めた。その肩に、大きな麻袋を担ぎながら。



*****



 鳴り止まない破裂音。

 わき続ける黒い蟲たち。

 そして思わず膝をついてしまいそうになる、悪辣な酔い。


 ただそこにいるだけで、世界を「書き換え」ていく黒い死神。


 アルクトスがTCKから追い出されてから、“エムワン”から押し寄せる圧力(プレッシャー)が飛躍的に増した。離れた場所に立っていても、絶えず(チート)を使い過ぎた時のような酔いが波のように襲ってくる。


 どこからともなく現れた黒い霧が辺りに満ち、太陽は(かげ)った。霧には形と重さがあった。水の粒子からなる薄いカーテンではなく、タールのように濃い空気の(よど)みだった。


「ハァ……ハァ……」


 目前のサラマンは肩で大きく息をしている。


「これはキツイ」


 彼がそうぼやいた直後、黒い雷光が目前を走った。


 僕とサラマンが武器を構えたのとほぼ同時に、闇の中から“エムワン”が姿を現した。伸ばされた手の先から伸びる異様に細長い指が、何かを探すように不気味に蠢いている。


 あれに触れれば、アルクトスと同じ――いや、“リソース”の僕たちにはずっと恐ろしい結末が待っているに違いない。


 僕はすぐに飛び退いたが、サラマンはわずかだがその場に踏みとどまった。迫りくる腕をかわし、後退する間際(まぎわ)に1発斬撃を入れる。

 以前より動きは鈍かったが、彼は何とか追撃を振り切り僕のそばへと戻ってきた。


 再び肩で大きく息をするサラマンに、僕は尋ねる。


「僕なんかが言うのもなんですけど、そこまでしてリスクを取らなくても良いのでは?」


 サラマンはにっと笑うと、「根が欲張りなんでね」と返した。


「それに、アル君とあのおっさんが言っていた通り、確かに手応えはあるようです。きっとダメージは入っています。無駄にはなりません」

「でも……」


 言いかけた僕だったが、“エムワン”から放たれた黒い稲妻が目に入り、言葉を飲み込む。


 ……次はどこへ飛ぶつもりだ。


 最初は僕だけを狙っていた“エムワン”だったが、アルクトスの退場を機にその方針も変化したようだった。未だに僕の前に現れる確率は高いものの、それ以外のメンバーの前にも突然()()()くるようになっていた。


 武器のある一条や豪はまだしも、遠隔系の阿羅(あら)宇羅(うら)(チート)が使えないと闘うことが難しい。その上、阿羅に関しては負傷の影響で前のように素早くは動けない。


 全員の顔が絶望に縁どられていた。

 あまりにも圧倒的な力の差。神出鬼没の透明な球に、触れたものを塵に変える悪魔の手。


 黒い光が宙を走るたびに、僕たちは身を固くする。

 死神がやってこないことを願いながら、最後の頼みである武器を構えて待つ。


 緊張の時間はそれほど続かない。

 閃光がきらめいた次の刹那、誰かの目の前にやつは現れる。


 僕の目の前の“エムワン”の姿が、黒い残光を残して空中へと消えた。


 その行き先は――


「クソ、俺かよ」


 舌打ちとともに、悪態が豪の口を突いて出た。


 彼は両手にはめた拳鍔(ナックルダスター)を握り直すと、恐れることなく“エムワン”へと1歩踏み出した。険しくも負けん気の強い表情が、同じく自ら間合いをつめたアルクトスのものと重なる。


「気をつけろ、豪!」


 そんな僕の声援など余計だと言わんばかりに、豪は強引に“エムワン”との距離をつめていく。果敢というより蛮勇と表現した方がしっくりとくる攻め方に、僕の胸に一抹の不安が去来した。


 リスク度外視の攻めが功を奏し、豪は瞬く間に敵をその攻撃圏内へととらえた。伸び来る白い腕をすんでのところでかわし、彼の右腕に輝く太陽が黒い死神を討たんとしたまさにその時、唐突な破裂音が耳を震わせた。


 直後、叫び声をあげながら豪が地に倒れ伏した。胸をかきむしるようにしながら、地面の上でのたうち回る。


「豪!」


 遠目にも、彼の胸あたりが黒く染まっているのが見て取れた。阿羅がその身に受けたのと同じ、“リソース”を蟲堕ちへと変える恐ろしい力が炸裂したのだ。

 まさか本体のあれほど近くにあの球が発生するとは、豪も予想していなかったのだろう。


 倒れた豪に、黒い影が1歩ずつゆっくりと近づいていた。

 “エムワン”は身をかがめると、その肌色の頭に向けて、異様に生白い腕を伸ばす。


 だがその腕を、巨大な棍棒が叩き潰した。


「そいつから離れろ」


 一条が、豪をかばうようにして立ちふさがっていた。

 目はらんらんと怒りに燃え、獣のように荒々しい雰囲気をまとっている。酒のためではない、激情のために赤らんだ顔で、彼は歯をむき出しにした。


「どけって言ってんだ」


 右手に握った「山祇(やまつみ)(つるぎ)」が、死神の首をなぐ。重たい斬撃が、“エムワン”をその周囲の空気もろともに切り裂いた。


 一条は豪の前に仁王立ちしたまま、両腕に備えた2振りの業物を振るい続けた。今や1対となった竜の牙は、鈍い風切り音を立てながらその身を死神に何度も突き立てた。


「豪ッ」


 僕が駆け寄ると、豪は力ない瞳をこちらに向けた。初めて見る彼の弱々しい姿に、胸を突き上げられるような衝撃が走る。


「丈坊、早くそいつ連れてここから離れろ!」

「でも一条さんは……」

「甘ったれたこと言ってんな! 急げ!」


 悔しさと情けなさに、歯を食いしばる。しかし食いしばりながらも、僕は豪を抱えるとその場から駆け出した。


 一条が懸命に“エムワン”を食い止める音が耳に突き刺さる。鉄と風と人の唸り声だ。文字通り「命を懸ける」つもりで、今一条は黒い死神と向かい合っている。


 その唸り声が、途中でぱたりと止んだ。

 何の前触れもなく、音が死んだ。


 ここで振り返ってはいけない。せめてサラマンのいる場所まで戻らなければ。そこまでは、振り返らず進んでいかなくてはならない。


 そのはずなのに……首が勝手に回っていく。

 ただ信じて走れば良いだけなのに。

 一条が……あの彼が倒れるなど……ありえない出来事のはずなのに。


 振り返った僕が目にしたのは――ゆっくりと崩れ落ちる、巨大な大樹の姿だった。

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