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気弱なチーターは現実世界に戻りたい  作者: origami063
第4章:“エムワン”討伐編
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第27話:狙われた男

 “エムワン”がやってくる。黒い光を全身に浴びた死神が。

 毎回、守られているばかりではいられない。獅子旗(ししはた)との闘いでHPはギリギリだし、特に左脚の耐久度は限界だ。


 それでも。逃げ回っているばかりでは、きっと生き残れない。危機の中にいるからこそ、前を向いて立ち向かわなければ。


 僕は肩を抜き、間もなく訪れるであろう襲撃に備えた。


 しかし、死神は現れない。やつが()()()から、もうすぐ1秒が経過する。


 僕の前にいるサラマンも異変を感じ取ったのか、構えを解かぬまま周囲に視線をめぐらせた。その顔が、ある1点でぴたりと止まる。みるみる内に彼の整った顔が青ざめていく。


「アル君!」


 死神が現れたのは、僕の前ではなかった。

 TCK最強の男の前に、漆黒の(ゲート)が開いていた。その中から、黒いぼろ切れに包まれた白い顔がぬるりと出てくる。


 アルクトスの表情に不敵な笑みが浮かぶ。


「よりによってこの僕を選ぶとはね」


 言うが早いか、彼は両腕に携えた双大剣を軽々とふるった。巨大な鉄の悪魔が、得物を真っ二つにするべく唸りを上げながら迫る。


 これまでの“エムワン”なら、その身に斬撃を受けることに毛ほどのためらいも見せなかっただろう。

 ところが今回は様子が違った。襲いかかる脅威を前にして、初めてやつが防御の姿勢を見せる。と言っても、ただ枯れ枝のように細い両腕を迫りくる剣の方に差し出しただけだった。


 鉄の悪魔は止まらない。放たれたそれは、か細い腕もろともに“エムワン”を両断するかに見えた。


「?!」


 声にならない叫びが、アルクトスからもれる。一拍遅れてから、僕も何が起きたのかを理解した。

 信じがたい光景を前に、思考が追いつかない。見間違いでないこと確かめるように、僕は数度まばたきをした。


 アルクトスの手から、双大剣が消えていた。

 その切っ先が“エムワン”の手に触れた瞬間だった。身の丈ほどもある剣が黒く染まったかと思うと、砂でできていたかのようにサラサラと形が崩れていった。


 僕であったなら、すぐに反応はできなかっただろう。状況を理解するのに時間をかけている間に、敵の毒牙にかかってしまっていたに違いない。


 だがアルクトスは違った。一瞬驚きに目を見開いたものの、すぐに魔術による攻撃へと切り替えた。放たれた雷槍(らいそう)が真っ直ぐに“エムワン”の喉元を狙う。

 その攻撃さえも、黒い死神はやすやすと退(しりぞ)けた。羽虫を払いのけるように腕をふると、黄金の刃は初めから存在していなかったかのように音もなく消えた。


 武器も魔法も無力化された絶望的な状況だったが、アルクトスの目は死んでいない。それどころか、魔術を使うと同時に彼は一気に“エムワン”との距離をつめていた。


 恐らく体術で勝負をしかけるつもりなのだ。どこまでも強気なその態度が、彼の表情にありありと浮かんでいる。


 サラマンもアルクトスの意図を読み取ったらしく、青ざめた顔を更に絶望に歪めた。


「いけない……それはいけないアル君」


 何度か瞬間移動(テレポーテーション)を試みているようだったが、“エムワン”の影響か上手く発動ができないようだった。「クソッ」と苛立たし気につぶやくと、彼は僕にわき目もふらずアルクトスに向かって走り始めた。その足取りは、強烈な酔いに襲われているのかひどくおぼつかない。


 一方のアルクトスに目を転じると、彼はちょうど「真っ向勝負」の火ぶたを切らんとしていた。やはりと言うべきか、剣術や魔術に劣らず体術のキレもずば抜けていることは、構えだけからでもひしひしと伝わってくる。


 豪顔負けの動きで距離をつめると、重たい足蹴りがいきなりその脳天を打ち砕いた――。


 直後、アルクトスの身体がバランスを崩したようにぐらりとかたむく。体勢を立て直すかと思いきや、彼はそのまま力なく地面へと倒れこんだ。全身が麻痺してしまったように、ピクリとも動かない。


 意図せず顔が引きつるのが分かる。あの自他ともに認める最強の男が、あんなにあっさりと。


 不可視の攻撃をされたのか、“エムワン”の身体に触れたことがトリガーになったのか。いずれにせよ、アルクトスを一撃で沈めるだけの力をもっているということだ。


「アル君ッ!!!」


 サラマンの叫びも虚しく、“エムワン”は悠々と倒れたアルクトスの頭をわし掴みにすると、地面から引き上げる。


 獅子旗(ししはた)に掴みあげられた時の感覚が、不意に蘇る。脳味噌をこじ開けられる恐怖が、再び僕の身体を芯から冷やしていく。


 まずいことが起きる。抗うすべは分からないのに、そんな不吉な予感だけがある。


 だらりと垂れ下がったアルクトスの身体にノイズが走り始めた。黒い蟲のようなグラフィックが全身の至る所からわきだしてくる。身体のグラフィックが何重にもぶれ、時折消えかかっているように背後にいる“エムワン”の黒装束が透けて見えた。


「ングウウウウウゥゥゥゥゥ」


 アルクトスの口から、およそ耳にしたことのない声が響き渡った。彼は白目をむきながらも、何かと必死に闘っているように見えた。


「誰か、やつを攻撃できんのか!」

「今やろうとしてる……けど!」


 一条の怒鳴り声に、宇羅が応じた。(チート)を使おうと試みているようだったが、すぐに頭を抱えてうずくまってしまう。

 サラマンも同じ症状を見せていたが、(チート)を発動しようとすると強烈な酔いが襲ってくるのだ。

 僕たちの最後の拠り所が、こいつには通用しない。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」


 アルクトスの悲鳴はやまない。それどころか、一段とひどくなってきているようだった。以前目撃した“蟲堕ち”の姿が、苦しむ彼の上に重なる。おどろおどろしい悪意に満ちた黒い蟲たちが、休むことなく身体の上を這いまわる。


 その時、再びサラマンが叫んだ。


()()()ください、アル君!」


 彼の言葉に、アルクトスの腕がぴくりと動いた。


「その力に抗わず退場するんです!」

「……面白い……こと……言うな」


 途切れ途切れではあるが、確かにアルクトスの声だった。サラマンの顔に一瞬喜びが訪れるが、彼はすぐにそれをかき消した。


「冗談言ってる場合じゃないんです。さぁ、もう行ってください」

「はは……絶対……いやだ」

「駄々こねれる状況ですか!」

「僕は……誰にも……負けられないんだ……最強……の……」


 アルクトスは(がん)として譲ろうとはしない。

 なぜそうも頑固なのか、僕には分からなかった。僕たち“リソース”とは違って、プレイヤーである彼にとってこの世界はあくまでゲームの中の話のはず。


「……良い加減にしろよ、このボンクラ坊主」


 突如として、サラマンの口調が荒々しいものに変化した。普段の物腰柔らかな態度とは180度異なる豹変(ひょうへん)ぶりに彼の顔を見やると、その端正な顔は怒りに燃えていた。

 彼はアルクトスをにらみつけたまま吠えた。


「寝ぼけた戯言(ざれごと)言ってねーで、今回ばかりは黙って言うこと聞けって言ってんだよ!!!」


 すさまじい剣幕だった。

 きっと、アルクトスのことを真に思っての発言なのだ。うっすらとではあるが、サラマンの瞳は(うる)んでいるように見えた。


 アルクトスはわずかな間口ごもったが、呆れたように一言つぶやいた。


「はは……なんだよ……そっちが……本性……」


 そう残すと、彼の姿はヴンという音を残して姿を消した。後にはただ、黒くぼんやりとした残光が漂っているだけだった。


「何だ、今の……」


 突如アルクトスが姿を消して戸惑う僕に、戻ってきたサラマンが答えた。


「強制的にログアウトさせられたんです。やつの『書き換え』速度にアル君の演算速度が追いつかなくなったんです」


 彼の返答に、僕は唾を飲みこんだ。


 そんなとんでもない芸当が使えるのか、「転回者」というのは。獅子旗も大概だったが、どうやら“エムワン”はそれ以上らしい。


「あのまま我慢してたらどうなってたんです?」

「分かりません。普通のプレイヤーは“蟲堕ち”化するんですが、アル君の場合はなまじ積んでるエンジンが良いだけに別の結果になったかもしれない。ともあれ、もう大丈夫です。今頃現実世界(あっち)で目を覚ましていることでしょう」

「それって……やっぱり、“蟲堕ち”の原因はあいつってことですか?」

「ええ。少しばかりエンジンの性能が良いプレイヤーだと、やつの『書き換え』に変に対抗してしまう。ただのプレイヤーなら負荷にたえきれず勝手に()()てくれるから楽なんですが」


 そう言って、サラマンは剣を構え直した。その目はすでに、前方にたたずむ黒い死神に注がれている。


「アル君が最初に落とされたのは計算外でした。(チート)が満足に使えない以上……犠牲も覚悟しなければならないかもしれません」


 最後に彼が口にした言葉は、鉛のように重たく、僕の底へと落ちていった。

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