第26話:混沌の目醒め
4つの牙が、小さな影を砕かんと迫っている。
身の丈ほどもある2対の竜の牙だ。
「そおれっ」
「オラァ!」
一条とアルクトスが、凡人では持ち上げることすらできない巨大な業物を目にも止まらぬ速さで数回振り回すと、小さなつむじ風が巻き起こった。桁違いの剣圧に空気が怒りの声を上げたようだった。
周囲に出現する黒い球をよけながら、2人は“エムワン”怒涛の連撃を加える。
僕から見ればとんでもない威力なのだが、当の本人たちは納得がいっていないらしい。首をかしげながら、彼らは“エムワン”と距離を取った。
アルクトスは不満そうにほおを膨らませると、横にいる一条に話しかけた。
「我慢できずにぶった斬っちゃったけど、どうもおかしいんだよなぁ」
対する一条は仏頂面だ。攻撃での連携面は申し分ないが、会話をするとなると苦手な部類なのだろう。返す言葉もそっけない。
「俺もだ。いつもの三割増しくらいで身体が重い」
「だよねぇ。それにさっきから二日酔いみたいな頭痛がするし」
「お前さん、飲める年齢なのか?」
「僕をいくつだと思ってんの、野武士のおっさん? 『アル君ポイント』マイナス10ポイントだよ」
「いらん。それと何度も言うが、俺の名前は一条だ」
言い争う彼らを後目に、今度は柊姉妹が前線に立った。
実は姉妹で並び立っている光景を見たのは、TCKに来たての頃以来だ。
新鮮なように見えて、どこか息がぴったりと合っている。流石は姉妹と言うべきか。
阿羅が手を伸ばすと、その先にいる“エムワン”の背後に、炎でできた魔法陣が展開された。今にも悪魔が召喚されそうなおどろおどろしい紋様が空中からしみだしてくる。
「前ばっかりみてると痛い目見るわよ!」
叫びながら腕をぐいと引き寄せると、魔法陣から真っ赤に爛れたの巨大な刃が飛び出し、“エムワン”のどてっ腹に背後から風穴をあけた。その風穴から青い炎がちらりとのぞいたかと思うと、瞬く間にやつの全身を包みこむ。
「動いちゃだめだよ」
宇羅の声が聞こえたのと同時に、ビキビキという聞きなれない音を鼓膜がとらえた。顔を向けると、辺りの地表が急速に凍っていくのが目に入った。それは生き物のように地面を這い進み、あっという間に“エムワン”の下半身を氷漬けにした。
流石の怪物も、これには少々驚いたらしい。一瞬、注意が足元に引きつけられる。
「阿羅、やるよぉ」
「その間抜けなかけ声、良い加減なんとかしてよ!」
文句を言いながらも、阿羅は両腕を広げた。彼女のちょうど背後にいる宇羅も、同じように腕を前に向かって広げる。
姉妹の集中力がグンと増したのが、放たれる雰囲気から伝わってくる。まとう空気が静電気を帯びているように、ピリピリと肌を刺してくる。
目を凝らすと、“エムワン”の両側に何か巨大なモノが浮かび上がってきているのが見えた。それも1対ではなく、2対だ。内側のつがいは黒に近い朱色で、外側のつがいは青白い色をしている。
形がはっきりとしてくるにつれ、それがどうやら規格外の大きさの掌らしいことが分かった。
すべてを灰へと変える獄炎の掌と、すべてを砕く絶対零度の掌。
「あんなやつ、さっさと叩き潰してやるわ」
まずは阿羅が先陣を切って手を合わせた。彼女の腕の動きに合わせて、燃えたぎる巨人の掌が“エムワン”を言葉通り叩き潰す。掌が合わさった瞬間、小さな爆炎が巻き起こり、火の粉が混じった熱風が僕たちの立つ場所まで押し寄せてきた。
「ダメ押し」
続いて宇羅がその小さな掌をぱちんと鳴らす。はたから見ると可愛らしい女の子がちょっぴり強く合掌したにすぎないが、実際は違う。
阿羅のより一回りも大きく分厚い掌が、“エムワン”に向かって空を走っていた。宇羅がぱちんと手を鳴らしたと同時に、隕石でも降ってきたかのような轟音が響く。少し遅れて、冷気をふんだんに含んだ突風が僕たちに吹きつけた。真冬に登頂している時に、山頂から吹き降ろす北おろしのようだ。
熱風の直後にやってきたせいか、肌の上を吹きすさぶ寒風はひどく冷たい。その上風圧も非常に強く、とても顔を上げていることができない。
ようやく風が収まり再び視線を戻すと、“エムワン”は巨大な氷塊の中にすっぽりと閉じ込められていた。正確には氷塊というよりも「丘」と呼んだ方がしっくりくる大きさだ。
「……どんだけ、めちゃくちゃだよ」
彼女の力のでたらめさに、無意識化にそう口走っていた。
阿羅の力も強力なのは間違いないが、宇羅はレベルが違う。能力の特性というより、その出力がとんでもないのだ。今の攻撃にしてもそうだが、氷壁を出現させた際もその巨大さに言葉を失ったものだ。
まともに力をふるう彼女を目の当たりにし、自分の中の宇羅のイメージは今にも崩れ落ちそうになっていた。普段があれなだけに、ギャップが深すぎて底が見えない。彼女の力がとんでもないという話は噂には聞いていたが、想像をはるかに超えてくる凄まじさだ。
「ほんと、力使ってる時はまるで別人ね」
妹の阿羅ですら苦笑いを顔に浮かべている。
こんな姉がいたのでは、おいそれと喧嘩をすることすらできないだろう。まさか阿羅に同情を感じる時がくるとは……。
“エムワン”は氷の丘の下で動きをすっかり止めていた。動かないのか動けないのかは、ここからでは分からない。冷静に考えれば、そして希望的観測を言うならば、「動けない」方に1票を入れたいところだ。
宇羅が生み出した氷塊に目を奪われながら、豪と一条が宇羅のもとへ駆け寄ってくる。
「すげぇな、宇羅。マジであのバケモンを抑えこみやがった」
「流石は宇羅ちゃんだ。俺たちなんていらなかったんじゃねぇか」
ほめているように聞こえるが、2人とも若干顔が引きつっている。
しかし宇羅はそれに気づいた様子もなく、天真爛漫ににっこりと笑った。
「久しぶりに全力出してみたよ! 一条さんを5回は殺せるくらいの威力をこめたから、攻撃が通ってたら結構ダメージ入ってると思う!」
「はは……そりゃすごいな」
返す一条の表情には、今度は明らかに恐怖の色が垣間見えた。表情筋が固まってしまったように、その顔つきはひどくぎこちない。
その時、離れた場所にいる路唯がぼそりとつぶやいた。
「水を差すつもりはないが、まだ終わっちゃいないでしょ」
他人事のような口ぶりにムッときて、僕は強い語気で言い返した。
「そんなこと全員分かってますよ。それより、今の内に『オダバの森』から脱出しませんか? 倒せてはないかもしれませんが、やつの自由を奪っている今なら……」
途中まで言いかけて、僕は口をつぐんだ。
他のメンバーも何かに気づいたかのように、皆1点を見つめている。視線の先に何があるのか、問いかけるまでもない。
空気が、変わった。
氷の丘が、みるみる内に黒ずんでいく。黒くなった部分は溶けるのではなく、干からびた死体のようにぐずぐずと崩れていった。砂でできた城のように、崩れ落ちるのはあっという間だった。
中心から、生白い顔が現れる。出来の悪い蝋人形のように生気のない顔。
その顔が初めて、かすかに歪んだ。黒いぼろ切れからのぞくその顔は、まるで僕たちとは別の生き物のように見えた。
“エムワン”の周囲の空間の歪みはより一層ひどくなっていた。そこだけ巨大なレンズが浮かんでいるかのように、光がおかしな具合に屈折している。
黒い瘴気があたりを取り囲み、地面から再び蟲たちがわきだし始めた。茶色くえぐられた地表から次々に這い出てきては醜くのたうち回り、やがて塵のように粉々になって消えていく。
不気味なつぎはぎの声が、空気を侵した。
「目障リダ」
氷柱を差しこまれたような悪寒が、身体の芯に走った。
その言葉を待っていたかのように、あちこちで黒い蟲が飛び散り始めた。何もない空間から何かが潰れるような音が次々と聞こえてくるとともに、ヘドロのような色をした塊が宙で弾け飛ぶ。
「気をつけて! できるだけ身体に当たるのをさけて下さい!」
サラマンが叫んだが、そうは言ってもどこから出てくるのか予想がつかない。
目を皿のようにして観察していると、どうやら背景が歪んで見える箇所から破裂は起きているらしいことが分かってきた。バスケットボールほどの大きさの透明な球がそこかしこに浮かんでおり、注意してみるとそこだけ球体のレンズを置いたような違和感がある。
全員に伝えようと口を開けた時、耳をつんざく悲鳴が耳に届いた。
「アアアアアアアアアアッッッ!!!!」
今の声――まさか、嘘だろう。
振り返ると、そこには腕を抱えた阿羅がうずくまっていた。自分の顔からさっと血の気が引いていく。
「阿羅ッ」
駆け寄ると、彼女は弱々しげに頭をもたげた。切れ長な瞳の奥にとぐろを巻く恐怖がくっきりと見える。
彼女がかばっていた左腕を見ると、黒い蟲のようなグラフィックがその上を這いまわっていた。あまりの醜悪さに、思わず目を背けてしまいそうになる。
「丈嗣……私……これって、“蟲堕ち”に……」
「落ち着け。きっと大丈夫だ。
とにかく、ここはまずい。一旦下がらないと……」
僕はそう言って肩を貸そうとするが、そばにいたサラマンに遮られた。
僕はサラマンをにらみつけたが、彼もゆずるつもりはないらしい。
「あなたがそんなことやったんじゃ格好の的でしょう」
「じゃ、サラマンさんが」
「そうしたいのはやまやまですが、アル君も心配ですし、私は前線に残ります」
「それじゃ、誰がやるんですが! もたもたしてると阿羅が――」
「俺がやろう」
背後からの声に振り返ると、そこには面倒くさそうな顔をした路唯が立っていた。
この危機的状況にありながら、1人だけ違う場所にいるような雰囲気がある。そう――何だか他人事のような。
仲間のピンチにその表情は何だと怒鳴りつけたい感情に駆られたが、何とかのどの奥に抑えこんだ。
「……分かりました。お願いします」
路唯はひょいと阿羅をかつぎあげると、さっさと前線から離れていく。
そもそもあの男、まともに戦闘に参加していたかすら疑わしい。1度として“エムワン”に攻撃を試みていなかった気がするが、一体何をしていたのだ。
彼に対する怒りがむくむくとわいてきたが、僕は目を閉じると小さく深呼吸をした。肺から空気が出ていくと、赤く火照った頭は冷静さを取り戻した。
グループチャットを使おうとしたが、メニューボードはまともに反応しなくなっていた。大方“エムワン”の力の影響だろうが、もうここまでくれば、何が起こっても驚きはしない。
黒い瘴気が吹き荒れる中、僕はありったけの声をふりしぼって叫んだ。
「破裂する場所には、透明な球が浮かんでいます! 完全に透明ではなく、背景が歪んで見えるので良く見れば分かるはずです! それからあれに触れると、触れた部分が“蟲堕ち”化するみたいなので、注意してください!」
アルクトスは“蟲堕ち”なんて知らないだろうが、攻撃のかわし方だけ伝えられれば充分だ。TCK最強を自称する男だから、そんなこととうに気づいているかもしれないが。
中心に視線を戻すと、“エムワン”はゆっくりとこちらに向けて歩き始めていた。糸でつられた操り人形のごとく不自然な動きに、不思議と意識が吸い寄せられる。
1歩進むごとに、頭にかぶったぼろ切れが大きく揺れ動く。ちらちらとのぞく虚ろな目から放たれる視線は定まっておらず、その瞳に何が映っているのか推し量ることはできなかった。
黒い雷光が――まばたきをすれば見逃してしまうような間隙をぬって、宙に薄い線を引いた。
くる。やつが、飛んでくる。
いつまでも守られているわけにはいかない。
僕は剣と盾を構えると、コンマ数秒後にやってくる脅威に備えた。かたわらのサラマンも、いつでも斬りかかれるよう既に構えの体勢に入っている。
さぁ、来いよ。
次の瞬間、黒い稲妻が空間を切り裂いた。




