第24話:開戦の火ぶた
姿を現した声の主に、僕は啞然とした。いや、僕のみではない。すぐ近くであえいでいた豪と阿羅も、向こう側にいる一条たちも目を点にしている。
男は目にも止まらぬ速さでアルクトスの身体を抱え込むと、“エムワン”から距離を取った。
「アル君、無事ですか?!」
ショートと呼ぶにはいささか長い金髪をうっとうしいくらい風になびかせながら、サラマンが心配そうにアルクトスの顔を覗きこむ。
だが、ナンバーワンプレイヤーの返事はひどくそっけなかった。
「……なにやってんの」
「いや、“エムワン”がアル君のことを――」
「僕が助けてくれなんて頼んだ?」
あまりに冷たいアルクトスの態度に、サラマンの整った顔が氷漬けにでもなったように固まる。
「そういや姿見えないなとは思ってたけど、なに? やっとヒリついてきたとこで邪魔するとか、何がしたわけ?」
恨みがましくねめつけるアルクトスの視線は、現われて10秒も経たぬ内にサラマンをすっかり意気消沈させてしまった。よかれと思って手を貸したつもりが、助けた本人からなじられるとは考えてもみなかったのだろう。
いや、今はそんなことはどうだって良い。
問題なのは――。
「……テメェ、よくノコノコ顔出せやがったな、おい」
煮えたぎる怒りを言葉に乗せて、豪がふらりと立ち上がる。頭を押さえてはいるものの、その視線はしっかりとその男に注がれていた。他の面々も、厳しい面持ちでサラマンの動きを見逃すまいと意識を向けている。
おかしな空気を感じ取ったアルクトスが、サラマンに尋ねる。
「またなんかしたの、サー君」
「……ええ、実は少し色々ありまして」
「はぁ……あの路唯とかいううぬぼれ屋さんの次は彼のお仲間とはね。僕が言うのもなんだけど、もうちょっと人に好かれようと努力はした方が良いんじゃないの」
「常に心がけているつもりなのですが、より一層励むことにします」
「言葉かっる。あんまり適当なこと言ってるとその内舌が腐るよ。
で、どうすんのこれ。僕はさっさとあの黒いバケモンとやり合いたいんだけど」
僕たちからの一転した敵意にも、アルクトスは動じた様子はない。あくまで相手は“エムワン”だと言わんばかりに、離れた場所に立つ黒い影に視線を注いでる。
「この場は私が手短に説明しますので、アル君はその間やつのお相手をお願いします」
「おお、そうこなくっちゃ!」
「ただ1つだけお節介なアドバイスを聞いて下さい。できるだけ、やつに近づかないように気をつけること。近づく場合は、一撃離脱を狙うようにしてもらえれば、と」
アルクトスは納得いかなげに口を歪めたが、去り際に「仕方ないな」という言葉を残すと、わき目もふらずに“エムワン”の方へと駆けていった。皆その姿を目で追ったが、ついていくものはいない。その場に残ったサラマンに、6対の疑惑の視線が突き刺さる。
サラマンは気後れした様子も見せず、堂々と言い放った。
「端的に申し上げます。まず、私は皆さんの敵ではない」
……いきなり何を言いだすんだ、この男は。あの状況下で理由をも告げずに姿を消した人間を、そうやすやすと信じられるとでも思うのか。
豪と阿羅も僕と同じ気持ちらしい。開き直ったような彼の態度を腹にすえかねているらしく、厳しい表情でサラマンをにらみつけている。
間髪入れずに豪が怒鳴り声をあげた。
「ふざけんな、信じられるかよ」
憤りのためか、顔がうっすら赤らんでいる。
そんな豪の感情を正面から受け止めているにも関わらず、サラマンの目元は涼しげだった。努めて冷静さを保とうとしているのではなく、自身に向けられた害意をこれっぽっちも意識していないように映る。
再び発せられた言葉は、その態度同様、非常に淡白だった。
「ではそれでも結構です」
「……なんだと?」
拍子抜けしたような豪の返答に対し、サラマンは続けた。
「私はアル君と運命共同体です。アル君の敵が私の敵であり、アル君の仲間が私の仲間です。
現在のアル君の敵は、あそこにいる化け物だ」
そう言って指し示した先では、アルクトスと“エムワン”が対峙している。サラマンの忠告を律儀に守り、アルクトスは遠距離魔法を中心に“エムワン”を攻め立てているようだった。
「仮に私たちが敵同士だとしても、より強大な脅威を排除するまで一時休戦する。これじゃ駄目なんでしょうか」
彼の言葉に、僕たちは互いに顔を見合わせる。
言っていることはもっともに聞こえるが、それでも素直にうなずけない自分がいる。
獅子旗とサラマンが旧知の仲であったことは間違いないのだ。今もどこかに潜んでいるやつと結託し、油断したすきに全員を排除しようと考えているかもしれない。
ただ確かに、やつとサラマンの会話は友好的なものではなかった。サラマンの口から、僕たちと組んで獅子旗を倒すといったような言葉も聞いた覚えがある。
しかし、やはり心証は――
首を横に振りかけた時、急に全身が泡立つ感覚があった。迫りくる脅威に、身体の奥底の本能が叫んでいる。
導かれるままに顔を“エムワン”の方へと向けると、やつの落ちくぼんだ瞳と目が合った
距離は離れていたが、僕は確かに感じ取った。黒目が異様に巨大なその瞳は、僕の身体の表面を突き抜け、更に奥にいる僕自身を見つけ出した。
「クソッ、また……!」
その場を離れようとした時にはもう遅かった。目と鼻の先にほとばしった黒い閃光の中から、“エムワン”の白い顔がぬるりとのぞく。
徐々に出現する座標が近づいてきている。最初は数メートルも離れていたのに、今では腕を伸ばせば届くほどの距離にやつがいる。僕がどこにいるのか、正確に判断できるようになってきているということなのか。
急いで木剣を構えようとしたのもつかの間、直後に襲いくるすさまじい頭痛に耐え切れず、僕はその場に膝をついた。
まずい。やられる。
絶望に目をつむった瞬間、前触れなく何者かの気配が僕と“エムワン”の間に現れた。空気がかすかに揺れ、立ちはだかる何者かの臭いが鼻腔に漂ってくる。
一体どこから……?
「……やれやれ、良い口実ができましたよ」
降りかかってきた声に顔を上げると、銀色に輝く背中がそこにはあった。荘厳でありながら上品な装飾に彩られた鎧には一面の曇りもなく、鏡面のように僕の顔を映し出している。
声の主が構えを解き放つと、その両腕に収められた鋼鉄の獣が“エムワン”の身体を真っ二つに切り裂いた。一連の流麗な動作はまるで1つの作品のようで、僕は無意識の内に男の動きに目を奪われていた。
彼は“エムワン”が距離を取ったのを確認すると、振り向かぬまま告げた。
「身を挺して敵意むき出しの相手を救ったお人好しに、何かかける言葉はありますか」
顔は見えないが、ひどく落ち着いた声だ。しかし言葉にはしっかりと皮肉がきいている。
僕が首を横に振ろうとしていたことを、恐らくこの男は見通していたのだろう。憎らしいが、確かにこれは共闘のための立派な「口実」になり得る。
痛みに似た悪辣な酔いはいくばくかマシになっている。
僕は立ち上がると、ため息まじりに答えた。
「この局面を乗り切ったら、是が非でも全部話してもらいますよ」
「それだけですか」
「……助けてくれて、ありがとうございました。ただ、獅子旗の時のこと、許したわけじゃないですから」
僕の言葉に、こちらを振り向いたサラマンは「ええ、それはもちろん」と薄っぺらな笑みを返した。
*****
「やつに近づきすぎない。これを守って下さい」
グループチャット越しに、サラマンの声が直接頭に流れ込んでくる。
僕たちは陣形を組み、アルクトスと向き合う“エムワン”へと一直線に向かっていた。サラマンを筆頭に、一条、路唯、阿羅と宇羅、豪、そして最後に僕。後方に待機している茜を除いた全員が集結している。
「“エムワン”の力は未知の部分が多いですが、どうやらやつは、あらゆるオブジェクトのパラメータ値やプログラムを『書き換える』性質をもっているようです」
「書き換え?」
尋ね返す宇羅に、サラマンはよどみなく答える。
「はい。ただ見ての通り、やつの『書き換え』は見境がなく無秩序です。下手に近づくと、やつの『書き換え』の対象に巻き込まれる可能性があります」
まるで自然災害じゃねえか、と豪がぼそりとつぶやく。
それには気づかず、一条が納得したように独り言ちちた。
「何となく読めてきたな。野生動物やそこらに生えてるただの木なんかが魔物化したのも、その『書き換え』の影響ってことか」
「その通りです」
やはり、僕と豪のあれは見間違いなどではなかったのだ。セーフリームニルが消える際に目に入った白い塊――あれは、白い毛の生えた動物だった。
一条の口ぶりだと、恐らく彼らは実際に“エムワン”が「書き換え」を行った現場にいたに違いない。生えている木々が魔物化したらどうなるのか少しだけ興味があるから、後で一条に聞いてみるとしよう。
……無事に帰れたら、の話だが。
「先ほど伝えた通り、やつから逃げ切るのはほぼ不可能だと思います。私と同様、指定した座標にピンポイントで自分を飛ばすことができるようだ」
絶望的な状況を自らの口から語っているにも関わらず、相変わらずサラマンの口調は変わらない。
まだ怒りが収まっていないのか、豪がぶっきらぼうに問いかける。
「やつの目的は何なんだ」
「残念ながら、それは私にも分かりません。ただ――」
サラマンは言葉を切ると、僕にあからさまな視線を寄越した。
「あなたが狙われているのは確かです。それにしても、あんな怪物に粘着されるだなんて、何か心当たりはないんですか? それも、わが尊敬する最強騎士アル君を差し置いて」
「そんなこと言われても知らないものは知りません。そっちさえ良ければ代わってあげますよ」
舌打ちでもしたい気分のまま、剣と盾にイメージを投影する。
こうなったらもう、強引だとしても直接聞きだすよりほかはない。
前を行く仲間たちも、次々に戦闘に備えて意識を集中させていた。
“エムワン”の姿は、もうすぐそこに迫っている。
アルクトスは善戦していたが、以前闘った時のようなキレはなかった。への字に曲がった口からは、自身の動きに納得がいっていないことは明らかだったが、それでも瞳に宿った光は少しも弱まってはいなかった。
「さぁ、それじゃあ行きましょうか」
サラマンのかけ声とともに、「都市伝説」との闘いの火ぶたが切って落とされた。
そしてそれは、これまでで最も激しく、そして苦しい闘いの始まりだった。




