第23話:鳳凰騎士の誤算
「どけぇ!」
豪の叫び声とともに、“エムワン”の身体が再び宙に舞う。
だが黒い稲妻が走ると同時に、はためく黒いぼろ切れは先ほどと同じ位置に立っていた。
「こいつ、やっぱ瞬間移動か?!」
目を見張る豪をよそに、“エムワン”は真っ直ぐ僕に向かって進んでくる。その足取りに迷いは見られない。
僕を狙っていることを察した阿羅が緊迫した表情で尋ねる。
「丈嗣を狙ってるのか?」
「そ、そうみたいだ」
「一体どうして?!」
「分からないんだよ! 僕だって、何が何だかさっぱりだ」
彼女とのやり取りの間にも、“エムワン”の足は止まらない。
「クソッ、今度は私が!」
そう言うと、阿羅は僕の前に立ちはだかり、両腕を前に突き出した。すうっと息を吸うと、歩み寄る怪物に向かって力を解き放つ。
黒いぼろ切れはあっという間に真っ赤な炎に包まれたが、“エムワン”の足は鈍る気配すら見せなかった。全身を豪炎に焼かれながらも、しっかりした足取りで近づいてくる。
「蟲堕ちの時と同じだ! お前は相性が悪いから下がってろ」
豪が再び前に出たが、どうも様子が妙だった。先ほどより身体に力が入っておらず、少しふらついているように見える。呼吸は荒く、玉のような汗が額からいくつも噴き出している。
「豪、お前……」
「クソッ、お前はさっさと逃げろよ!」
彼はそう言って“エムワン”をにらみつけたが、迫る怪物は吹き飛ばされることなく、悠々と距離をつめてきた。何度にらみつけても、やつの身体はピクリとも動かない。
力を使えないと気づいた豪の顔に、今まで見たこともないほどの焦りが垣間見えた。
「どうなってんだ、この化け物……吹き飛べよ……吹っ飛べよォ!!」
豪だけでなく、阿羅も力が使えない様子だった。絶望のためか、顔は灰色になっている。
そして僕自身、“エムワン”が1歩近づくたびに、脳味噌を直接わしづかみにされたような酔いに身体がぐらついた。
周囲の空間に、ぷつぷつと黒い穴が現れ始めていた。ちょうど、液晶テレビのドット抜けのように見える。
足元からはとめどなく黒い蟲がわきだし続け、草木は枯れ落ち、虫眼鏡を通してみた世界のように辺りの光景は歪んで見える。
長らく感じたことのなかった純粋な恐怖が、全身の毛穴を浸す。
動けない。深淵から、死神ががっちりと足首を押さえている。身体中の筋肉と関節が石へと変わったのだ。ざらざらとした肌触りの瘴気が、揺れるぼろ切れからとめどなく吐き出されている。
「おい」
声が聞こえた。一瞬“エムワン”が発したのかと思ったが、声質がまったく違う。人を小馬鹿にしたような響き。あらゆる他人をナメているような軽い声。
「今度は僕の番だろ?」
黒いローブの背後から、巨大な剣がハサミのように飛び出てきた。剣というより、鉄の塊と表現した方がしっくりくる。並の使い手では、これで相手を「斬る」ことはできまい。力自慢なら「叩き潰す」という鈍器のような使い方はできるかもしれないが。
だが今この巨大な鉄塊を操っているのは、他ならぬ鳳凰騎士団第1序次の男だ。プレイヤーにも関わらず僕たち“サンプル”を圧倒できるだけの技能と胆力をあわせもつ――もう1匹の怪物。
「試し斬りさせろって、言ったじゃん」
今度は逃がさなかった。アルクトスが振るった鉄の牙が死神を貫く。だが、“エムワン”は特に何かを感じた様子もなく、ちらりと背後を見やっただけだった。
「……やっぱり、勘違いじゃないな。反応鈍いのは腹立つけど、涼しい顔して実は、結構HP削られてビビッてんじゃないの?」
アルクトスはにやりと笑うと、その背後にまばゆく輝く雷の槍を発生させた。バチバチと空気がはじける音はひどく威圧的で、思わず身体がすくんでしまいそうになる。豪との決闘時に使用していた魔術だろうが、間近だとこれほどの迫力だとは。
「先言っとくけど、僕、結構しつこいから」
放たれた雷槍は一直線に“エムワン”へと向かっていく。
「いつまで無視できるかな、このクソジジィ」
黄色い閃光とともに、アルクトスの身体が稲妻のように駆ける。構えた双大剣が空気を切り裂く鋭い音が、僕の鼓膜を揺らした。
“エムワン”が初めて僕から視線を切った。
黄金色の槍がいくつもその小さな身体に突き刺さっていくのを、うっとうしそうに眺めている。やつはゆっくりと顔を上げると、今にも己を叩き斬らんと跳躍するアルクトスに標的を定めた。
アルクトスの周囲に、数多くの黒い穴がぽつぽつと生まれる。針の先のように小さな黒い点は瞬く間に人の頭ほどの大きさになると、水風船が割れるような音を立てて次々に破裂した。
謎の攻撃にも動じず、アルクトスは冷静に黒い風船をかわしていく。
彼の背後から、再び黄金色の雷光が“エムワン”へと襲いかかる。だが放たれた槍は空中に浮かぶ黒い球にぶつかると、ジジッという電球が切れたような音を立てて蒸発してしまった。
それを見たアルクトスの表情は、なぜか歓喜の色を宿した。
「その技……さながら黒い太陽だな、君は」
戦慄を楽しむような表情のまま、アルクトスは遂に“エムワン”の前に躍り出た。振りかぶった双大剣の影が、闘いを見上げる僕の顔に落ちる。
怪物の向こう側に、太陽を背負った最強の男の姿が浮かび上がった。
入った。
そう思った刹那、逆光にうっすらと浮かび上がるアルクトスの顔が歪んだ――気がした。
いつの間にか、黒い残光を残して、目の前にあった“エムワン”背中が消えていた。代わりに飛び出してきたのは、今にも双大剣を振り下ろそうとしている最強プレイヤーだ。いつも不遜に満ちている童顔が、うっすらと青ざめている。
「なんだ……この……動きが……」
「! アルクトス、後ろだ!」
動きの鈍った最強プレイヤーの背後に、やつはぴったりとはりついていた。
僕の叫び声に振り返ったアルクトスの頭に、枯れ木のように細い腕が迫っている。フードがめくれ、死神のような顔があらわになった。目は虚ろで、口は半開き。砂漠の岩地に入った細かいひびのように、そこかしこを走る細いしわが見て取れる。
あの腕に掴まれたら、まずい。
獅子旗に頭を掴まれた時の記憶が蘇る。
こいつら――「転回者」は、何か特殊な力をもっている。チートというにはあまりにも異質で、禍々しい力を。
「アル君!」
聞き覚えのある叫び声とともに、どこからともなく飛んできた手斧が、間一髪でその腕をはじいた。




