第21話:嬉しくなんてない
やつの周りに生える草が、次々に枯れていく。
……いや、違う。良く見ると、青々としていた植物たちはヘドロのような色をしたに「ナニカ」に変質していた。それはまるで生き物のように地面をのたうち回り、僕らの足元を這いまわった。
そう――まるで、蟲のように。
あまりにも異質な状況の中、最初に口火を切ったのはやはりこの男だった。
「あんたが“エムワン”で間違いないんだな?」
豪の問いかけに、闇をまとった老人は何の反応も示さない。
しかし豪はお構いなしにずいと一歩前に出る。
「そうなんだろ? なあ、教えて欲しいことがあるんだ」
物怖じした様子もなくそう口にする豪の腕を、阿羅が声をひそめて「ちょっと!」とつつく。
「こんなやつ相手に、なに話し合いなんてしようとしてんのよ」
「お前こそ何言ってやがる。最初に言ったよな? こっちからいきなり襲うのはなしだ」
「優等生ぶってる場合? 明らかヤバイ雰囲気ぷんぷんじゃない。いくらPK禁止ルールがあるって言ったって、獅子旗みたいなトンデモ能力もってたらどうすんのよ!」
そう小声でまくし立てる阿羅だったが、豪は取りつく島もない。彼女の訴えを無視して、豪は“エムワン”に向き直る。
「あんたも俺たちと同じ“リソース”なんだろ? なら目的は同じはずだ。一緒にこの世界を脱出するために、あんたの知識を借り受けたい」
その時、豪の言葉に反応したのか、“エムワン”の両腕がゆっくりとあがった。
阿羅と僕は身を固くしたが、豪は落ち着いたままだった。リラックスした様子で声をかけ続ける。
「なんだ、握手か?」
そう応じたが、やつの両腕は豪が差し出した手を通りすぎ、その肩をはっし掴んだ。
急な接触に、流石の豪も表情をこわばらせる。
「豪ッ」
僕と阿羅はすぐさま戦闘態勢に入ろうとしたが、豪は片手でそれを制した。鋭い眼差しを“エムワン”に向けたまま、彼は努めて冷静に、ゆっくりと言葉をついだ。
「悪いが、離してくれないか」
そんな要求に素直に応じるようなやつなら、最初からこんな状況にはなってないんじゃないか――僕は心の中でそうツッコミを入れる。
数秒の間を置き、フードの下の口が、もごもごと動く。
「灯リガ邪魔ダナ」
言葉の意味は分からない。だがどうやら友達になりたいわけではないことは、鈍い僕ですら流石に感づく。
直後、“エムワン”の身体が勢いよく後方へと吹き飛んだ。真っ黒なぼろ切れをはためかせながらやつは宙を舞ったが、その身体は地面に叩きつけられることなく、重力と反発するようにふわりと地面に降り立った。
豪の力が火を噴いたのだ。
「大丈夫か?!」
深刻な表情でそう迫る僕と阿羅に、豪は軽く笑いかけると、ふうっと大きく息を吐き出した。落ち着いていたように見えて、その実満足に呼吸もできないような緊迫感の中にいたことが分かる。
これで僕より年下だなんて、本当にとんでもない胆力だ。
「阿羅の言った通りだったな。ありゃ駄目だ」
「当たり前だろ! どう見てもイカれてるじゃんか」
「何かされたか? どこかに異常は?」
「問題ない。一瞬だけヤバイ感覚があったが、この通りピンピンしてる。
つか、お前はまず自分の心配しとけよ」
豪はにやりと笑うと、何事もなかったようにたたずんでいる“エムワン”に顔を向けた。
「さて、どうやら野郎が味方じゃないってことははっきりしたな」
「あとは逃げるだけだけど……」
「ああ。ま、俺たちにとんずらを許してくれるほどあいつが甘ちゃんかは知らねぇが」
その通りだ。
やつの目的は分からないが、どうやら僕に目星をつけていたらしいことは分かる。逃亡を図れば、当然先ほどのように阻止しようとしてくるだろう。
まだ一条たちとも合流できていないし、状況はますます悪い方向に転がっている。最悪な状況に陥る前に、ここで何とか軌道修正しなければ。
――だが状況というのはひとたび変化すると、その後雪崩のように次の変化を誘発するものだ。獅子旗の登場、サラマンの裏切り、“エムワン”の登場と、既に状況は目まぐるしく変化していたが、ここにきて更なる変化が訪れようとしていた。
*****
“エムワン”の背後の森から、突如何か茶色いモノが飛び出してきた。
それも1つではない。2つ、3つと続いた後に、4つまとめて飛んできたのには驚いた。
それとほぼ同時に、“エムワン”が何かを感じ取ったかのようにゆっくりと森の方を振り向く。
「今度は何よ?!」
どさどさと積み重なる茶色い物体を前に、阿羅は勘弁してくれと言わんばかりに顔を歪めた。彼女はおっかなびっくりといった様子で近づいたが、すぐ何かに気づいたように怪訝そうな声を出した。
「これ……セーフリームニル? でも何だろう、身体から気色悪い黒い……ひもみたいのがいっぱい生えてる」
僕と豪は無言で顔を見合わせたが、互いに何が言いたいのは分かっていた。
こいつらは、僕たちが見つけて後を追ったセーフリームニルと同じに違いない。やはり発生源は「オダバの森」だったのだ。
ただ問題は、なぜ発生源がよりによってここなのか、そして、なぜこの茶色い猪の骸が森から元気よく飛び出してきたのか、ということなのだが――。
哀れな養分たちの死骸は、すぐさま細かく塵のようになって消えていく。
しかし地へと還る刹那、茶色い毛が抜け落ちた後に白い体躯が一瞬姿を現した。それを目にした僕の胸の内に、あの時の光景がフラッシュバックするとともに、ばかげていると思っていた仮説が確信へと変わる。
1つ目の質問の答えは出たが、にわかには信じがたい。
でも、セーフリームニルの死骸が言葉を発した直後、それが消え去る間際に確かに見たのだ。
あれは――
同じ光景を目の当たりにした豪が、確かめるように目を細める。
「見間違いか? あのセーフリームニル、一瞬だがあのきたねぇ茶色い皮がはげおちて……」
「いや、僕もはっきり見た。『オダバの森』には魔物はいないけど、山羊なんかの野生動物は生息してるって話だったよな?
あの“エムワン”とかいうの、どうやらとんでもない力をもってるらしい」
豪はセーフリームニルが消えたあとの地面をちらりと一瞥すると、ぞっとしたような表情を浮かべた。
「流石にそれは――」
言いかけた彼だったが、唐突に言葉を切る。
彼は“エムワン”の背後に広がる森の1点を凝視し、文字通り固まってしまった。その視線の先に目をやって、僕はすぐさまその反応の意味を理解した。
嬉しさと憎らしさが同居したような奇妙な声音が、豪の口から発せられる。
「お前……」
「あれぇ? あの真っ黒オバケ追っかけてたはずなのに、何で豆小僧君がそこにいるのさ」
最強プレイヤーの場違いにのんきな声は、遠くからでも良く響いた。




