第20話:彼岸の監視者
それが森から出てきた瞬間、その場にいた全員の意識がそこに注がれた。
そこまでの流れは悪くはなかった。烈火のごとく降り注ぐ豪の拳撃に、前線に復帰した僕の攻撃が加わり、充分以上に獅子旗を押し込んでいた。その上、視線による座標指定が可能になった阿羅の援護射撃もある。FFのリスクはあったが、彼女の力の精度は数を増すごとに上昇しており、僕たちさえ気をつけていれば誤爆される可能性はほとんどなかった。
個々の連携が噛み合うと、チーム全体の総合力はここまで急激に伸びるものなのか――死線の中にありながら、僕はふつふつと胸にわき上がる達成感を押さえつけることができなかった。
そんな、全ての歯車がきれいに回り始めたタイミングで、それは現れた。
思ったより小さいな。
それが、“エムワン”を視界に捉えた時に最初頭に浮かんだ感想だった。
遠目だと、全身にぼろをまとった子どものようだ。顔を目深なフードが覆っているせいで、どのような表情かを読み取ることができない。
空は青く、太陽から放たれる黄色い光はさんさんと地面に降り注いでいた。
にも関わらず、“エムワン”の周囲は森の闇をそのまま引き連れてきたかのように薄暗い。身体を包む真っ黒なぼろ切れの裾がはためくと同時に、そこから瘴気が漏れ出ているような気がして、僕は気分が悪くなった。
「空気がまずい」
吐き捨てるような言葉は、獅子旗の口から出たものだ。そこに含まれたあまりの嫌悪感に、思わずやつの顔を見つめる。ピクピクと神経質に引きつる頬と、驚くほどへの字に曲がった口。
「お前も似たようなもんだろうが」
そう言い返す豪に、獅子旗はあからさまに不愉快な表情を浮かべた。
「君の目ん玉はお飾りですか? あんな暴走した出来損ないと一緒にしないでもらいたい」
素直には頷けないが、獅子旗の気持ちも分かる気がした。あれは、ただの“リソース”ではない。
いや、確かにやつは脅威には違いないが、そんなことより――
獅子旗から意識は切らないまま、僕は懸命に仲間の姿を探した。
戦闘力で言えば、最強を寄せ集めたようなチームだ。安定感抜群の一条さんに、プレイヤー最強のアルクトス、それにセンスの塊と言われる宇羅。直接見たことはないが、路唯も相当な実力の持ち主だというし、少し力は劣るかもしれないが、茜の芯の強さは誰にも負けない。
すぐにみんな姿を現すはずだ。いくら“エムワン”が怪物級だとしても、そう簡単に敗れ去るような面々ではない。
……いや、でなければ困るのだ。全滅の想定も一応したが、そうなったら間違いなく僕たちは終わりだ。
その時、阿羅の叫び声が耳を貫いた。
「テメェ、どこ行くつもりだッ」
何事かと彼女に視線をめぐらした時には既に、獅子旗の姿はきれいさっぱり消えていた。
「……は?」
あまりに唐突な展開に半ば呆然とし、僕と豪は目をしばたたかせながら顔を見合わせる。何が起きたのか、すぐに飲みこむことができないでいた。数秒してからようやく事の次第を理解し、僕と豪は阿羅のもとへと駆け寄った。
「あの野郎、いきなり姿をくらましやがった」
毒づく阿羅に対して、豪は戸惑いながらも考えをめぐらせているようだった。どうにも腑に落ちないといった様子で、手であごをさする。
「どういう魂胆だ? やつの目標は、あそこにいる“エムワン”とやらの討伐だろ? それが姿を現した途端、ドロンとは……」
「やつの力も解除されてるみたいだね。アイテムがベットフィールドから全部戻ってきてる」
僕も正直困惑していたが、思考の対象はすぐに目の前の怪物へと切り替えられた。
「いずれにせよ、この状況に限定すれば僕らにしても願ったり叶ったりだ」
「あの化け物もぼんやり突っ立ってるだけだしな。チャンスっぽいし、もう離脱しちまうか?」
「ちょっと、みんなのこと置いてくつもりじゃないでしょうね」
割り込んできた阿羅に、豪はしっしっと犬でも追い払うような仕草をしてみせた。
「うるせぇなあ、だから今考えてんだろ」
「ちょっと、何よ今の手は! 私のこと馬鹿にしてんの?」
普段の調子でおっぱじめかねない2人だったが、僕のわざとらしく咳払いをすると我に返ったようだった。
全く、本当にこのコンビは水と油のようだ。獅子旗と闘っていた時の連携が噓みたいじゃないか。
僕は小さくため息をつくと、
「よし。まずは離脱を最優先に考えよう」
「はぁ?! あんたこの恩知らずの――」
「ちょっと待ってってば! 誰もみんなのこと見捨てるなんて言ってないだろ。
“エムワン”が現れた方角――あの方角はちょうど、一条さんたちがたどってくるルートと重なってる」
「え……ってことはつまり……」
顔を真っ青にした阿羅だったが、とにかく僕の話を聞く姿勢は守るようだった。視線で促され、僕は話を続ける。
「まだ分からない。後から尾行してるだけかもしれないし、そもそも接敵していない可能性もある。仮に戦闘状態に入ったとしても、全員やられるってのは中々ないと思うんだ。
だから、あの“エムワン”の背後を抜けるようにして離脱するのはどうだろう? 一条さんたちのチームが後をたどっているなら、必ず会えるはずだよ」
「メッセージ機能はあいかわらず動かねぇみたいだな。近距離チャットは復活してるみたいだが、使うにはある程度まで接近する必要があるし……直接合流するしかないな」
豪の賛同を得て、僕は阿羅に顔を向けた。彼女は逡巡しているようだったが、決断に時間はかけられない。僕の無言の催促を感じ取ったのか、彼女は渋々といった様子でこくんと首を縦に振った。
「よし、それじゃ、行こう」
僕のかけ声で、3人は同時にスタートを切った。“エムワン”から一定の距離を保ちながら、その背後に広がる森へと進んでいく。
僕たちが動きだしても、“エムワン”はまるで反応を見せなかった。足から根が生えたように、出てきた場所から動こうとしない。
そもそも、こいつの目的は何なのだ。
2人と速度を合わせながら僕は自分に問いかけたが、すぐにそれを打ち消した。
分からないものを考えるなんて時間の無駄だ。それより、今は一条さんたちの姿を見逃さないように集中しないと。
もう間もなく、“エムワン”の背後に回り込めるところまで来た。すぐ目前に生い茂った樹々が見える。一旦森の中に入ってしまえば、追跡だって困難になる。
一条さんたちの姿が見当たらないのは少々不安だが、弱気になってはいられない。今僕たちにできることは、ただ信じてその姿を探すことだけだ。
「何だ、チョロいじゃん」
阿羅がほっとしたようにそう呟いた直後、黒い稲妻が宙を走ったのを、僕は確かに見た。
音もなく、それは僕たちの前に現れた。つい数秒前まで何もなかった場所に、闇を引きつれた黒い影がたたずんでいた。
ローブの下に見える口はわずかに開いていた。言葉を発しようとしているわけでもなく、呼吸のためにあけているのでもなく、ただぽっかりと、地面に突然あいた穴のように無機質だった。肌に潤いは残っておらず、歳月を経たことを示すひび割れが、そこかしこに走っている。
子どもなどではない。
「ヒッッ……」
阿羅が鋭く息を吸い込む声が悲鳴のようだった。
蛇に睨まれた蛙のごとく、僕たち3人は動けずにいた。息を吸うことも、瞬きをすることさえもかなわない。逃げ出したいのに、身体は石のように動かない。
額から流れ落ちる汗が、右ほおを伝っていく。その感触が、いやにリアルだった。
ぽっかりと開いた口から、言葉と呼ぶにはあまりにもたどたどしい音の連なりが流れ出てくる。
「……ココマデ……寄ラネバ感ジヌトハ……」
ネットで拾ってきた音声を1文字ずつ合成したような、奇妙なイントネーションだった。
「灯リガ弱スギル……オ前ガ変性者トハ……信ジガタイ」
つぎはぎの言葉の中に、聞き覚えのある単語が聞こえた。
変性者……聞き覚えがある。
初めて“蟲堕ち”に遭遇した時、その内の1体が口にした言葉。そして「オダバの森」に入る直前に倒したセーフリームニルの死体の口から漏れた言葉だ。
いずれも、尋常ならざる状況だった。“蟲堕ち”が言葉を話すなんて話はあの後1度だって聞いたことがないし、魔物の死体が人の言葉を操るなんて、例えゲームの世界でもぞっとする。
だが、1つだけ確かなことがある。
直観的に分かることがある。
あの時、僕は視られていた。
“蟲堕ち”の目を通して、そして、死んだセーフリームニルの目を通して、何者かが僕を覗きこんでいた。僕よりも、僕をよく知っていて、そして――とても恐ろしい存在。
その向こう側にいたのが――
「お前だったのか」
僕の呟きは、すぐに霞のように空気に溶けていった。




