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気弱なチーターは現実世界に戻りたい  作者: origami063
第4章:“エムワン”討伐編
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第19話:遅れてきた成果

 ブラインドの下がった窓の向こうで、太陽が照っている。暗い室内に温かな(だいだい)色の光がうっすらと行き渡り、宙を舞う微細な(ちり)がダイヤモンドダストのように輝いている。


 それは、僕にとって幸せな時間だった。ふかふかのベッドの上で眠っている父さんの横に(もぐ)り込むと、その大きな背中に寄り添うようにして身体を寄せる。規則正しい寝息を聞いていると、こっちまで眠たくなってきてしまいそうだ。


 眠気を振り払うように、楽しいことを頭に思い浮かべる。


 今日は日曜日だから、公園に遊びに行きたいな。

 映画館も良いな。最近テレビで宣伝をやってる、怪獣映画を見に行きたい。でも、少しだけ怖そうだ。


 小さくて柔らかな掌を、父さんの肩に添える。

 そのまま(しばら)く悩んでから、僕は再びベッドの中へと潜り込んだ。


「また今度ね」


 父さんは応えない。規則正しい寝息に合わせて、大きな丘のような肩が上下している。


 疲れているから仕方がない。僕のワガママで、父さんの休憩の邪魔をしちゃあいけない。


「その代わりね、お願いを聞いて欲しいの。公園よりも映画館よりも、大切なお願い」


 背中合わせになると、父さんの突き出した背骨が、僕の背骨とぶつかった。お風呂に入る時、恐竜の化石みたいだと言ったら、父さんは照れたような顔をしていた。


 もう長いこと、父さんとお風呂に入っていない。


「学校のテストではぜーんぶ1番とるし、お家の勉強もちゃあんとやるよ。ごはんのお手伝いもする。お皿をごしごしするの、最近とっても上手くなったんだよ。お部屋の掃除だって自分だけでやれちゃうんだ」


 父さんは応えない。大きな背骨が、規則正しくぶつかったり、離れたりする。


「だから……」


 (はち)の羽音のような――ぶううううんという音が、鼓膜の内側で響き始める。

 僕は知ってる。これは、本当の音じゃない。このお部屋の中に、蜂なんていない。蜂は、僕の頭の中にいるんだ。僕が怖がると、面白がるように羽を伸ばして飛び回り始めるんだ。


 怖くないんかない。


「だから……」


 白い天井と、自分の身体から伸びる幾本もの管。あの管の中に入っていた液体の色は、果たして透明だっただろうか。


「だから……僕をもう、()()()に連れていかないで」


 父さんは応えない。


 ただ、背骨の感触はいつの間にかなくなっていた。ゆっくりと父さんの方を見ると、大きな丘のような肩は動きを止めていた。


 父さんはこちらを向こうとしない。でも、僕はそっぽを向いている父さんがどんな顔をしているか想像できた。後頭部から生えた髪の毛の下から、2つ目の顔がちらりと覗きそうで怖かった。


 のそり、と大きな丘が動いた。宙を舞っていたダイヤモンドダストは気流に乗ってどこかへ飛んで行ってしまった。それでも、窓から僅かに入ってくる陽光を浴びた父さんの姿は、逆光の中でどこか神々しかった。


(おさむ)


 低調で、柔らかな響きの声音(こわね)だった。人間は歳を取ると、皆こんな落ち着いた声を出せるようになるのだろうか。

 いや、きっと父さんが特別なだけなんだ。この声を聞くと、どんなに不安に負けそうな時だって、不思議と内側から熱い力がこみ上げてくるのだから。


 父さんは、少しだけ顔をこちらに向けた。

 (だいだい)に縁どられた横顔の中で、光を反射した瞳がきらりと光った。


「やれるね」

「……うん」


 その時、ブラインドの向こう側が強烈に光りだした。まるで太陽がすぐそこまでやってきたみたいだった。今までおとなしそうにしていた橙の光たちは、一斉にその身を鋭い形に変えた。

 部屋の空気がどんどん暑くなっていく。鋭い光たちがチリチリと僕の身体を焼いている。光はどんどん強くなる。


 やっぱり、窓の外には太陽がやってきたのだ。


 僕はベッドから跳び起きると、窓に駆け寄り、かかっていたブラインドを押しのけた――。


******


 最初に頭に浮かんだのは、「またか」という思いだった。


 これは、僕の記憶ではない。子ども時分にあんな体験はしていない。そもそも、我が家の寝室はあれよりもずっと狭かった。

 以前もこんな体験をした気がする。あれは確か、豪と(あかね)とナラキアを目指して旅をしていた道中のことだった。ミルゲとかいう鳳凰騎士団(ほうおうきしだん)のプレイヤーにコテンパンにやられた後、気を失って、さっきと同じような男の子の夢を――。


 そこまで考えて、僕はようやく我に返った。


 まぶたを開くと、まず最初に地面が見えた。身体の感触からするに、僕は地面に横たわっているらしい。


 わずか一歩先に、男の脚が見える。コンクリートジャングルの中であれば自然に溶け込むであろう黒い革靴も、この草原の中では違和感しか覚えない。毒々しい色彩のスーツの(すそ)が、わずかに靴にかかってしわを作っている。


 視線を上げると、そこに獅子旗(ししはた)の上半身はなかった。

 赤黒い色をした火炎が、やつの腰から上をすっぽりと包んでいたのだった。炎の(うず)に囚われた男は取り乱すこともなく、現実世界では考えられないほどの落ち着きを見せていたが、獄炎のベールの向こうの黒い影からは、並々ならぬ激情がわずかに漏れ出ていた。


 ああ、と僕は思った。

 流石、阿羅(あら)だ。この土壇場(どたんば)で、遂にやってのけたのだ。


 苦しいはずなのに、自然と顔に笑みがこぼれる。


丈嗣(たけつぐ)ッ」


 首をぐるりと反転させると、険しい顔をした豪が駆け寄ってくるところだった。彼は僕のわきに(かが)みこむと、獅子旗(ししはた)に向けていた視線を一瞬だけこちらに寄越した。


「大丈夫かよ……いや、返事はいらん」

「なんで」

「お前が大袈裟(おおげさ)なのは知ってる」

「これが演技だとしたら、僕は今頃俳優にでもなってるよ」


 豪はふんと鼻を鳴らすと、「で、実際のとこは?」とぶっきらぼうに尋ねてきた。視線は既に僕から離れ、依然(いぜん)炎に包まれている獅子旗に注がれている。


「HPもやばいけど、特に左脚がまずいね。あと一撃もらったら完全にオシャカだ」

「本当にそれだけか?」


 立ち上がろうとするが、上手く身体が動かない。強い酒を飲んだ後のような浮遊感がある。上半身だけでも起こそうとしたが腕に力が入らず、僕の身体は再び重力に引きずられて地面に落ちた。


「手足は動かせるみたいだな。上等」


 顔を向けもせずにそう言うと、豪は後方を指さした。示した先には、普段とは打って変わって必死の形相の阿羅(あら)がいた。


「あそこまで這っていけ」

「……それじゃ背中を」

「甘えんな」


 ぴしゃりと言い放つと、豪はすっくと立ちあがる。その瞳には、獅子旗を包む炎がちらちらと反射していた。


「阿羅と俺で何とかしのぐ。2人で何とかしてやると言ってやりたいとこだが、確約はできねぇ。悪いけど身体動かせるようになったらすぐ参戦してもらうからな」


 そう残して、迷いのない足取りで、獅子旗の方に向かっていく。


 また、助けられた。豪に助けられるのは、もうこれで何度目だろう。憎らしいやつだが――悔しいことに、これほど心強い味方は他にいない。


 僕は重たい身体を引きずって、怪我を負った蛇のようにずるずると地を進んだ。徐々にではあるが、脳と身体の連携が戻りつつある。獅子旗に頭を掴み上げられた時何かされかけたようだったが、その影響が残っているのだろうか。それとも、これがまさに獅子旗が狙っていた効果なのか。


 阿羅の下に辿り着く頃には、「ハイハイ」くらいはできるようになっていた。この分なら、あと5分もあれば最低限戦闘に復帰できる程度までには回復できるはずだ。

 「ハイハイ」で近づいてくる僕を見て、阿羅はあからさまに顔をしかめた。(チート)の制御で精一杯のはずだが、僕を気にする余裕くらいはあるらしい。


「……キモイんだけど」


 瀕死(ひんし)の仲間に開口一番トドメをさしにくるなんて、こいつの頭の中は一体どうなっているんだろう。


 しかし言い返す気力もなく、僕はばったりとその場に倒れこんだ。身体は動くようになってきたが、異様に体力が削られる。復帰するためにも、少し身体を休めなければならない。


「流石だな」


 うつ伏せになったまま、そう呟いた。


「答えなくて良い。集中してるのは分かってる」

「持ち上げたってさっきの発言は取り消さないわよ」

「僕を何だと思ってるんだ? 確かに、さっきのでHP1割くらいもってかれたけど」


 ごろりと仰向(あおむ)けになると、腹筋に力を入れて身体を起こす。相変わらず身体は重たいが、随分(ずいぶん)ましになってきた。


「さっきは本当に危なかった……助かったよ」


 素直な気持ちを伝えたつもりだったが、阿羅は仏頂面(ぶっちょうづら)を貫いたままだ。元々顔つきのきつい彼女がそんな表情をすると、本気で怒っているように見える。


 照れ隠しだとしても、何もそんな顔をしなくたって良いだろうに。


 僕は彼女に気づかれぬよう、ゆっくりと静かに息をはいた。


******


 だらしない格好で座っている丈嗣に舌打ちをしそうになりながらも、阿羅は集中力を切らしてはいなかった。上手くヒットさせた感触を忘れないように、何度も身体に刻み込む。


 ただ、さっきのは完全にラッキーパンチだ。的が止まっていれば、いくら(チート)の使い方が下手でも当てることくらいはできる。これでも一応、魔物相手に練習をしていたのだから。


 だが、豪の参戦により状況は一変している。獅子旗の動きはかなり激しく、座標を絞り切ることができない。何発か(チート)を放ったものの、残念ながらやつを捉えることはできなかった。


 視線による座標指定――遠隔系の(チート)の保有者であればまず習得すべきだと流王さんからは口酸(くちす)っぱく言われていたが、どうにもしっくりこなかった。姉も、そしてあの憎たらしい豪でさえもマスターしたというのに、自分だけ置いて行かれるのは悔しくて仕方がなかった。


 わずかに下唇をかむ。まだ、悔しさは消えていない。


 だから、練習した。最初は姉に付き合ってもらって、慣れてきたら自分1人で、魔物を相手に勘を養った。効率は悪かったかもしれないが、努力のかいあって、最近になってようやく自信がついてきた。


 再び、身体を休めている丈嗣にちらりと視線を向ける。


 こんなやつに発破(はっぱ)をかけられているようじゃ、自分もまだまだだ。最初は意味が分からず適当に手を挙げておいたが、このおたんちんが絶体絶命の窮地に陥った時、その時の言葉が脳裏によみがえった。


「初めて阿羅を見た時のこと、まだ覚えてるんだ。夕暮れ時の中、迫りくる魔物が次々に炎に包まれていく光景。場違いだけど、花火みたいだなってその時思った。

 あの時から僕は、ちょっとだけ前に進むことができた。それでもまだ、あの時の君にすら遠く及ばないけど……そして、それは君だって同じだと、僕たちはずっと信じてる。だって阿羅は……すごい人だから」


 遠回しすぎだろ、と思う。国語の授業じゃないんだから。


 こいつは知っていたのだ。

 目の前で弱点を晒したことはないが、気づいてたのだ。

 私が自分の身体からしか――正確には、掌の先からしか、自信をもって(チート)を放出できないことを。威力を最大限に高めた状態では、視線で座標を指定して直接効能を発現させるようなコントロールはできないことを。


 そしてそれを、克服しようとしていることも。


 気に入らない。

 気に入らないが――


 空気が動いた気配がした。視界の端で、不格好ながらも今まさに立ち上がろうとしている男がいる。「よいしょ」なんてじじくさいセリフは、もう少し歳がいってからにしてもらいたいものだが。


 豪のサポートを続けながらも、阿羅はようやく立ち上がった丈嗣に声をかけた。


「もう良いのか」

「うん、だいぶ良くなったよ」

「やせ我慢とかは良いから。あのツルピカの足引っ張るくらいならもう少しここにいなよ」

「いや、本当に大丈夫。阿羅もいるし」

「勝手に当てにしないでくれる?」


 語気の強さに面食らったのか、丈嗣は苦笑を顔に浮かべた。だが来たばかりの頃のどこか気弱そうな雰囲気はもう残っていない。


 こいつだって、成長しているのだ。

 負けられない。


 ぐっと親指を立ててから駆け出した丈嗣の背中を見ながら、阿羅は(かぶと)の緒をきつく締め直した。



 ――その直後、災厄が訪れるとは知らぬままに。

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