第18話:オーバーライト
剣を振りかぶった腕の先に、獅子旗の姿が見える。丁度僕の刃圏ぎりぎりの場所だ。
「面倒な……!!」
首元に届くかと思われた剣はしかし、獅子旗の首を薄皮1枚分引っ掻いただけだった。身に包んだ服装からは予想もつかない俊敏な動きに虚を突かれる。
獅子旗は身体をわずかに後方にのけぞらせたまま、再び左腕を僕に向かって突き出してきた。伸び来る溶鉄のように熱せられた巨獣の爪を盾で受け流しながら追撃を狙うが、獅子旗はすぐに体勢を立て直すと、逆に僕に向かって突っ込んできた。あっという間に僕の木剣の間合いから、徒手格闘の間合いまで入り込んでくる。
この男の体術が並でないことは、以前身をもって体感している。
機を逃すつもりはないが、深追いはなしだ。相手の得意な間合いで闘うなんてリスクが高い真似はまだできない。
右手に投影した「騎士長の直剣」で牽制しつつ、僕は再び間合いを取った。遠すぎず近すぎず、自分の力と剣術が最も有効な範囲を保ちながら隙をうかがう。
僕が単騎で獅子旗を足止めすると話した時、阿羅はその瞳を幾度も物言いたげに細めていたが、当然何の足がかりすらなくそんな作戦を立案したりはしない。
やれると思った根拠は大きく3つ。
1つ目は、やつの使う魔術には大なり小なり必ず「予備動作」があることだ。
獅子旗の力は、“リソース”の力を除くあらゆるものを模倣する……しかしそれは裏を返せば、技としてコピーできるのはプレイヤーに解放されたスキルだけだということになる。
モーションを通じてTCKの世界観に入り込むため、そしてPvPの際に敵の攻撃を読む材料とするため、プレイヤーの剣術スキルや魔術には特定の「予備動作」が存在している。
確かに、視線誘導のみで座標指定を行う「混沌の隻腕」をはじめ、やつは元々の魔術に大きなアレンジを加えているようではあるが、それでも「予備動作」はゼロにはならない。
わずかな腕の動きでも、事前に捉えることができればその後の回避は格段に容易になる。現に、「土人形の埋槍」やあの獣の爪のような魔術はかわすことができた。
2つ目は、獅子旗が使う魔術は恐らく数種類に限定されるであろうこと。
豪や阿羅に聞いた話では、流王に成り代わって帰ってきた後の獅子旗はその能力を隠しながらここ数ヶ月過ごしている。ツカサに化けて僕たちを襲ったり、“リソース”を殺害したりはしているものの、僕たちほど頻繁に魔物やプレイヤーを相手はしていない。つまり、力を使った本格的な決闘――それも数的に不利な状況下での決闘はかなり久しぶりのはずだ。
いくら演算性能に優れていると言っても、やつも人間。戦闘における勘は鈍っていると考えて問題ないだろう。
そのような状況下で予想外の戦闘をせざるを得なくなった場合、僕がやつならどうするか――当然、使い慣れた数種類の技で対応する。感覚を取り戻すまでの間は、埃をかぶった新品を試すより、古くとも慣れ親しんだ道具で肩をならすのが道理だ。
ただ時間をかければかけるほど、やつは力の使い方を思い出してくるはず。それを防ぐためにも、常に攻めの意識でプレッシャーをかけ続け、落ち着いて判断ができないような状況、つまり使い慣れた魔術を反射的に使わざるを得ない状況を作り続けるしかない。
そして3つ目は、やつの慢心。
獅子旗は、自身が「転回者」であることに絶対的な自信を抱いている。己より能力の劣っている者に対するあの態度は、つまり僕たちのような「無能」相手に本気になることを恥だと考えていることを示している。
サラマンとの会話から察するに、獅子旗は「模倣」以外にも何らかの奥の手を有していると思われるが、余程追い込まれない限りカードを切ろうとはしないはずだ。
ただ、分からないこともある。慢心しているとはいえ、やつにしても僕らが一条さんたちと合流することは避けたいはずだ。“エムワン”に接敵していない場合、あと数分もすれば彼らはここにやってくる。それは作戦を立案した獅子旗自身が良く分かっている。
にも関わらず、全く焦った様子がないのは何故なのか。あの余裕はこけおどしか、それとも……。
獅子旗の唇が、芋虫が這うようにもぞりと動く。
「この忌々しい、ドブ底のヘドロのような空気の澱み……間違いない」
「何を言っている」
「感じませんか? このねっとりと湿った空気を。ああ、叶うことならこんな不快な気分はもう最後にしたいものです。
あなたが何を考えているかは大体分かりますが、いくら考えたところで無駄ですよ。あなたの手札がブタなのは当に割れている。問題なのは役ではなく、あなたの手札が割れていることそれ自体だ」
言い返そうと口を開きかけたところで、獅子旗の身体がわずかに沈み込んだことに気づく。
「これも想定し得た事態です。霧の中のあなたたちよりは、数歩先が見えている。
1つ言っておきます……時間は、あなた方だけの味方ではない」
土を踏みしめる乾いた音と同時に獅子旗の姿が後方へと下がる。
やつの言葉を反芻するより前に、反射的に身体が反応した。間合いを引き離されないよう、吸い付くように動く。
ここで距離を開けられれば、再び獅子旗が有利になる。あと少しだけ――2人の助けがくるまで、もう少しだけ踏ん張ってやる。
矢継ぎ早に飛んでくる魔術を、僕は何とかかわし続けた。時に深く攻め込み、時に視線で攻撃を誘導し、時に接近戦に持ちこみ……。
呼吸を忘れるほどの攻防を続けるにつれ、時間の感覚はどこか遠くへ消え去り、後にはその場その場での脊髄反射的な反応だけが残った。一瞬でも判断が遅れれば即致命傷につながりかねない、喉がひりつくような闘いは、まるで永遠に続くように思われた。
チリチリと頭蓋が焼けている。度数の強いアルコールに脳味噌を浸されたような感覚が強まるにつれ、不思議と身体は軽くなった。
もう何度武器と防具に力を投影したか覚えていない。悪辣な酔いは強まるばかりだが、繰り返すほどに投影されるイメージはより強固に、はっきりとした感触を伴うようになってきている。
実戦の中で確実に、自身の力が磨き上げられていく。ただの路傍の石ころにしか見えなかったものが、激しい流水に削られて滑らかに、それどころか透き通った輝きまでも放ち始めている。
勝てるかもしれない。今の僕に、豪と阿羅の力を合わせれば、この怪物を葬ることができるかもしれない。
暗闇の中に差し込んできた一筋の光から、そんな甘い言葉が漏れてくる。
思考だけが、闘いの最中にある身体から抜け出ているような感覚があった。次々に身に降りかかる魔術を捌く自分の姿を、少し上の中空から見下ろしている。
……ダメだ。浮足立っては足元を救われる。今まで何度同じ過ちを繰り返してきたのか分かっているのか。
しっかりしろ、丈嗣。
その時、獅子旗が再び左腕をこちらに伸ばしてきた。思考は瞬時に内側へと吸い戻され、僕の身体は次の攻撃に備えて動き始める。
「予備動作」ははっきりと見えている。左腕を中心にやつの全身の動きを俯瞰して、全体の流れから次の攻撃場所を予測するのだ。
恐れることはない。僕には見えている。
力を抜き、ゼロコンマ数秒後にやつの左腕から放たれる巨爪に意識を集中する。
しかし、妙なことが起きた。いや、正しくは、何も起きなかった。
腕を伸ばしてから魔術発動までの時間は既に過ぎている。それなのに何故、僕はまだ何の襲撃も受けていないのか。
獅子旗の左腕は伸ばされたままだ。悪趣味で華美なスーツが、肩口でしわを作っている。そのすぐ横に、あの男のきざったらしい顔がある。口角がそれと分からぬほどに上がり、眉尻が下がっている。
その顔は、何だ。
口から出かかった言葉はしかし、ついに空気に触れることはなく、突如地面からせり出してきた槍によって、僕の身体もろとも貫かれた。
この身に無視できないほどの穴が穿たれたことは、触覚からすぐさま僕の脳へと伝達され、頭の中はあっという間にその凄まじいフィードバックで埋め尽くされた。
だがそんな状況にありながらも――地面から宙へと突き上げられながらも、僕は状況を理解しようと必死に考え続けていた。
今のは間違いなく、「土人形の埋槍」だ。しかし、やつの右腕に「予備動作」がなかったことは確認している。
最も考え得る可能性は1つ。獅子旗はこの短時間の間に力の使い方を相応程度思い出し、魔術を発動する際の「予備動作」の割り当てをいじったのだ。今まで左腕を伸ばすという「予備動作」は獣の爪の魔術に割り当てられていたが、それを「土人形の埋槍」へと変更した。若しくは、全く別の「予備動作」を割り当て、左腕を餌として差し出した……。
いや、そんなことより、追撃がくる。このままでは……。
舞い上がった僕の身体は鈍い音を立てて地面に落ちた。身体は麻酔が効いたように麻痺している。拳大の穴が幾つもあいているせいか、少し肌寒いような錯覚に陥る。
草の香りがする。緑に覆われた視界の向こう側に、阿羅と豪の姿がぼんやりと見える。
その視界が急に開けた。いや、開けたのではなく、僕は頭を無理矢理掴み上げられ、視点が高くなったのだ。今度は、2人の姿がはっきりと見えた。どちらの顔にも、目を背けたくなるような絶望が貼りついていた。
耳元で、黒板を爪でひっかいたような不協和音が鳴る。
「素直ですねぇ」
酔いがひどい。視界が狭く、声が遠くに感じる。
「あれほどあからさまな餌にガブリと食いつくとは……。素直を通り越して、もはや愚鈍ですらある。
さて、君には随分手を焼きました。1つ伝えておきますが、私はあなたを殺すつもりはありません。君には神との交渉道具……器としての価値がある」
走り寄ってきているのは、きっと豪だ。でも、まだあんなに離れている。手を伸ばしても届かない。
「ただ、これ以上の好き勝手は困ります。君には少し静かにしていてもわらないと」
頭を掴む獅子旗の握力が強くなる。鉄でできた万力のような指だ。
万力が頭蓋を締め上げると同時に、僕は自身の脳味噌に直に触られているような不快感を味わった。力の副作用との相乗効果で、我慢していた吐き気がぶり返してくる。
その見えざる手が、僕の脳味噌をこじあけようとしていた。貝殻のように固く閉ざされた僕のアイデンティティが、今まさにその中身を覗き見られようとしていた。
あまりの気分の悪さにうつむくと、自分の身体を妙なノイズが走っているのに気づいた。両腕の周りの空間が歪んで、自分の手がぶくぶくに腫れた獣の前脚のように見えた。
悪魔のささやきは止まらない。
「世界を世界たらしめている大切な要素が、この世界には1つだけ欠けている。それを今から、君の下に戻してあげます。不安がることはありません。書き換えはもう始まっている。お友達が駆けつける前に、君はこの世界に不可欠なものを取り戻す」
頭の中をこねくり回され、意識は朦朧としている。
ただ、恐怖という感情だけが、黒く黒く、僕の目を裏側から塗りつぶしていった。ささやきかける獅子旗の言葉が、呪詛となり耳を腐らせた。
刹那、顔も知らぬ園子という“リソース”が苦悶している表情が、脳裏にフラッシュバックした。
「さあ、『痛み』を受け入れるんです」
どす黒い絶望と恐怖に塗りつぶされた僕の瞳にオレンジ色の光が薄く差したのは、まさにその時のことであった。




