第17話:前へ
「……何か良い策があるのかと思ったら、大分ぼんやりしてるわね」
「具体的で効果的な手立てを思いつかなくって悪かったな」
「でも、豪のやつの目を覚まさせてやらないとってのは賛成よ」
そう言って阿羅は僕に視線をくれたが、表情は厳しい。
「分からないのは、何であんたが単騎特攻するような案を立ててるのかよ。私のこと馬鹿にしてんの?」
「いや、別に1人で挑むのはそんなに長い時間じゃないよ。むしろ持って3分だから、それまでには阿羅から豪にこの方針を伝えてもらって、2人には参戦してもらわないと」
「もらわないと?」
「あの真っ黒な気持ち悪い拳で叩き潰されることになる。嫌な死に方ランキング堂々の第1位だ」
僕は茶化したつもりだったが、阿羅の口元は強張ったままだった。彼女の真剣な眼差しを前に、これ以上軽い言葉はつむげない。僕は小さくため息をつくと、挑むような目つきの彼女に向き合う。
「2人で向かってったら獅子旗の標的は僕らに変わる。知っての通り僕の力の効能範囲はせいぜい3メートルがいいところだ。対して阿羅の能力は遠距離の方が効果を発揮する。どちらかの間合いで闘えば、どちらかの力が発揮できない。そんな状況で獅子旗のやつから集中的に攻撃を受けたら、正直防ぎきる自信がない」
「それなら私が相手を引き付けた方が良くない? 丈嗣が立案者なんだから直接伝えれば良いじゃん」
若干むくれたようになっている阿羅をなだめるように、僕は努めて落ち着いて話した。
「それも考えたんだけど、阿羅って獅子旗と闘うの初めてだろ? それなら1度闘ったことがある僕の方が都合が良いと思うんだ。前回の決闘でやつが使う魔術も幾つか見てるし。
それに何たって、前回無事逃げ切ってるって実績がある。」
まあ、本当は“蟲堕ち”の乱入に乗じて抜け出しただけなんだけど……嘘は言ってないし良いだろう。
阿羅は尚も何か言いたげだったが、最優先すべきは窮地に陥っている豪を助けることだと彼女も分かっている。「まあ、筋は通ってるわね」と呟くと不承不承頷いた。
「あんまり調子乗らないように」
そう言い残し豪のもとへ向かおうとした阿羅の背中に、僕は胸中の想いを伝えた。
「初めて阿羅を見た時のこと、まだ覚えてるんだ。夕暮れ時の中、迫りくる魔物が次々に炎に包まれていく光景。場違いだけど、花火みたいだなってその時思った。
あの時から僕は、ちょっとだけ前に進むことができた。それでもまだ、あの時の君にすら遠く及ばないけど……そして、それは君だって同じだと、僕たちはずっと信じてる。だって阿羅は……すごい人だから」
彼女は振り向かない。ただ応えるように、小さく片手が挙がった。
……さて、ここからが正念場だ。阿羅が豪に方針を伝える間、そして一発どぎつい喝を入れてやる間、あの怪物のおもりをせねばならない。
僕は獅子旗に向き直ると、すぐさまやつに向かって加速した。みるみる内にやつの趣味の悪いスーツが近づいてくる。
視界の右端には阿羅の姿が見える。円弧を描くようにして、豪のもとへと距離を詰めている。
獅子旗が僕を攻撃してくることは容易に予想が立つ。
やつでも1人対多人数の闘いは厄介に違いない。となれば、まずは1人ずつ確実に倒していくことがセオリーだ。ただ、豪が放心状態と見て攻撃を仕掛けたは良いものの、予想外に粘られているのはやつの計算外だろう。
そこに突っ込んでくる雑魚2人。獅子旗の攻撃の主軸が近距離戦闘であることを前提に置けば、まずは僕を無力化しようとするのは必至だ。
獅子旗の頭上には未だに「悪魔の邪眼」が浮かんでいるが、数は1つだけになっていた。大方、豪への攻撃に処理能力をほとんど使っているのだろう。
その醜い眼に、走り寄る僕の姿がくっきりと映し出される。
獅子旗の右腕がぴくりと動いた。
くる。
僕は急遽右に方向転換すると同時に、足を止めることなく左側に「大隊長の抗魔盾」を構えた。
地面が微かに震えたかと思うと、竜の牙のように巨大な槍が何本も突き出てくる。その内1本が盾を掠ったが、スタミナ消費は許容範囲内だった。
このままやつに突っ込む。
獅子旗がちらりと振り向いた。「悪魔の邪眼」より無機質な瞳が僕を捉える。
まずいな、次は1番えげつないやつだ。
ガードではスタミナ消費が激しすぎて、追撃をもらったら一巻の終わりだ。視線の先を読んで……いや誘導して、絶対にかわす。
瞬きをする刹那右側に偽りの視線を送った。
次の瞬間、目前に黒紫の巨大な拳があった。やや右側から地を這うように、しかし目で追いきれないほどの速さで迫ってくる。
左前方に飛び出すと同時に、「託宣者のローブ」を全身の防具に投影する。魔術耐性が非常に高い反面、物理攻撃には滅法弱いのが弱点だが、これほど獅子旗と相性の良い防具もないだろう。
しかし右半身に受けた衝撃には、危うく失神しそうになった。間一髪かわしきれたと思ったが、そう甘くはなかったようだ。まともに当たっていないにも関わらず、HPも2割近く持っていかれている。足がもつれそうになりながらも、僕は死に物狂いで踏ん張った。
獅子旗は既に身体ごと僕の方を向いていた。その左腕が、真っ直ぐに僕に向かって――伸びてきた。迫りくる大きく鋭い爪に、身体の奥に眠っていた防衛本能が強制的に呼び覚まされる。
1歩でも後ろに退いたらやつのペースにはまる。
目標は逃げ切り。でも、あくまで前へ。自分が闘える範囲の中へ。
この魔術は以前見たことがある。それに、先ほど目くらましの直後に阿羅を襲ったのもこの魔術に違いない。
大丈夫、冷静だ。この魔術は今まで2度もかわしている。僕なら見切れる。
獅子旗が横なぎに腕を振るうと、巨大な肉食獣の前腕は加速した。
これでは左右のどちらにも避けられない。残された活路は――上!
……と、僕なら考えるだろうと、この男は読んでいる。その時点では最も安全に見える道を選択するだろうと、そう思っているんだろう。
両脚に力をためる。さも上へ跳び上がるがごとく、脚を屈曲させ、僕を切り裂かんとする狂気に備える。走り込んできた運動エネルギーを余すことなく自らの足先に集中させる。
すぐだ。もうあとほんの一息空気を肺に取り込む間に、やつの左腕がやってくる……。
今だ!
心の中で叫ぶとともに、僕は頭から爪の中へと飛び込んだ。ヘッドスライディングのように、しかし身体を仰向けに捻りながら、襲い来る獣爪の下側――僕が上に跳ぶと予想して、わずかに地面との間にできた隙間に身体を滑りこませた。
背中で地面を削りながら、投影した「大隊長の抗魔盾」を身体の正面に構える。パチパチと炭がはぜるような音の後に、赤く爛れた鋭い爪が盾の数ミリ上を通過したのは、ほんのゼロコンマ数秒の間の出来事だった。
滑りこんだ勢いをそのままに立ち上がると、既に僕の刃圏の内に獅子旗は立っていた。その表情に含まれた微かな驚きと苛立ちが、僕にここまでの接近を許したことが想定外であることを雄弁に物語っている。
獅子旗の向こう側で、阿羅が豪と合流しているのが見えた。幸い、今やつの意識は2人に向いていない。僕は焦点を目の前の男に戻すと、にやりと露骨に口元を歪めてみせた。
「面倒な……!!」
そう呟いた獅子旗の首元に、僕の右手の剣がうなりを上げながら襲い掛かった。
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豪を正気に戻すには、1発のビンタで充分事足りた。
丈嗣が稼いでくれている時間を無駄にはできない。こいつが私の言葉に素直に耳を傾けるとは思えないから、これが1番手っ取り早い。
「なにしやがる!」
現れた仲間に突如頬を張られた豪の反応は至って普通で、阿羅はその事実にまず安心した。
「うるさいわねこのチンチクリン! 何ちんたらやってんのよ」
「別にやってねぇだろ!」
「言い訳うっさい。
良い? あの流王さんのフリしてた畜生の話聞いてモロにショック受けてるあんたを見かねて、あのお節介丈嗣が今1人でやつの相手してるのよ。どんだけ情けないのよ、あんた」
「はぁ?! 誰が頼んだんだよそんなこと」
「強がんな! 事実、獅子旗の攻撃が途切れたことにあんた自身気づいてないじゃないの。ぼんやり闘ってた証拠じゃない」
豪は言い返す代わりに低く唸ると、獅子旗と切り結ぶ丈嗣に顔を向けた。
丈嗣に世話を焼かれたのが余程気に食わなかったのか、豪の表情にはいつもの毅然としたハリが戻っていた。若しくは、私の気合ビンタが効いたのか。
まぁ、そんなことはどちらでも良い。
「あいつ1人じゃ無理だ。俺も――」
今にも駆けだそうとする豪を押しとどめ、阿羅は簡潔に丈嗣が語った策を伝えた。豪はもどかしそうに2人の闘いを見守っていたが、阿羅が話し終えると視線を彼女に向けた。
「逃げ切りか……気に入らねぇが、“エムワン”のこともある。ただ、15分を超えたらどうすんだ」
「そうなったら、もうこの場で獅子旗を倒し切る方針にシフトしないとまずいって言ってた。それ以上引き伸ばすと獅子旗に逃げ切り策が知られるリスクが高まるし、“エムワン”と一条さんたちのいずれとも遭遇しない場合は、どのみちやつを倒すしか方法がないから」
「あの裏切り者は使えないのか? 獅子旗との会話を聞いた限りじゃ、こっちが優勢ならもう1度味方に引き込むことができるかもしれない」
「サラマン……確かにそうかも」
阿羅は考え込みそうになったが、豪の返答で我に返った。
「まぁ良い。不確定要素に俺たちの命運を握らせるのも気に入らねぇからな。今のは無視してくれ。
そんじゃ、そろそろ行ってやらないとな」
そう言って豪が駆けだそうとした時だった。
その光景は、あまりにも唐突にやってきた。
丈嗣の身体が、宙を待っていた。
大地の奥底より突き上げられた「土人形の埋槍」が、彼の身体を刺し貫いている。
その身体は死んだ燕のように、地面へと落ちた。ぽとり、という音が聞こえた気がした。
叫び声を上げた気がしたが、本当に叫んでいたのか、それとも心の中で想いが溢れたのかは分からない。ただあまりに急な出来事で、頭がうまく情報を処理できていない。あふれ出した感情に、今にも頭蓋骨が決壊してしまいそうだ。
動かない丈嗣の頭を、掴み上げた者がいた。
その男は、TCKに場違いな装いに身を包んでいる。垂らした前髪が、メタルフレームの眼鏡にかかっている。レンズの奥には、爬虫類のようにのっぺりとした瞳が――全てを塗りつぶす常闇が――。
助けないと。あの野郎を丈嗣から引きはがさないと。
腕を上げて、狙いを定める。だが、狙いたい相手は狡猾にも丈嗣の後ろに隠れている。
……駄目だ。対象の全身が視界に入っていなければ、やつの身体に直接力を発現できない。今の私の不完全な座標指定では、誤って丈嗣にFFしてしまう可能性が高い。
男の唇が動いている。丈嗣に何かささやきかけている。
やつに掴まれた丈嗣の顔が恐怖に歪んでいる。
丈嗣の身体中をノイズが覆い始めた。グラフィックが歪んで、丈嗣の顔が恐ろしい怪物のように見えた。
何か恐ろしいことが起きている。
豪が走っている。でも、まだ彼の下へは辿り着かない。
ああ。私は何をしているんだろう。こんな時こそ、私の力が1番有効なはずなのに。散々豪や丈嗣に助けられておいて、今こそ私が活躍しないといけないのに。
頭の内側で、あの男の声が響く。
「演算性能が低い上に、『視る』という原始的な座標指定すら少々難儀な君の攻撃を防ぐことなんて、陸を這う亀を捉えるがごとく容易なことだ」
やめて。私だって知ってる。充分に分かってる。
でもやめて。必死に努力してきたつもりだった。いつだって追いつこうと思ってやってきた。
「似たような力を授かった姉の方は、次の『転回者』候補と呼ばれるほどの逸材だったというのに」
私が無能じゃなかったら。
私みたいな低性能のポンコツじゃなかったら。
……お姉ちゃんみたいに、優秀だったなら。
でも、現実は――
「丈嗣ッ」
豪の悲鳴のような叫び声が、低い震えになって阿羅の鼓膜を揺らした。




