第16話:活路
“リソース”……それが、僕たちに与えられた真の役割。この仮想世界を維持するためのエンジンとして、あの電子機器に囲まれた白い棺桶で眠り続ける。
ふざけている。
自分がこの世に生を受けた意味など今まで考えたこともなかったが、少なくともコンピュータの代用品と しての使命など真っ平ごめんだ。他人の脳味噌を手前勝手に使ってしか保てない世界など、反吐がでる。
拳を強く握りしめると、爪の先が掌に食い込むのを感じる。しかしこれもまた、僕たちの脳が魅せる幻覚なのだ。その証拠に、どれだけ強く握りしめても、どれほど強く唇を噛みしめても、血の一滴も流れない。一分の痛みも感じない。
「何ですか、その表情は」
獅子旗は眉間に皺を寄せると、僕を見下ろした。
「まるで納得がいっていないようだ。大分丁寧に説明したつもりだったんですが、そんな潰れた果物のような顔をされるとは業腹です」
自分の歯ぎしりの音が頬の内側から聞こえてくる。奥歯がすり減りなくなってしまうと錯覚するほどの強さで、僕は空を噛みしめた。
「彼らと比べてどうです……ほら、これが正常な反応だ。お友達をごらんなさい」
顔を向けるまでもなく、豪と阿羅がどんな表情をしているのかは分かっていた。
いつだって強気な阿羅が、一言も言い返していない。あの強情で意地っ張りで何かと人に突っかかる彼女が、口を閉じて、絶望に足を震わせている。
ツカサの正体を知った時でさえ凛としていた豪の目が、啞然としたように遠くを見ている。どんな時も戦局を冷静に見極めていた彼でさえ、突き付けられた現実をにわかには信じがたいようだ。
その様子を前に、獅子旗は獲物を前にした蛇のようにチロリと赤い舌を出した。
「私はこの姿で噓はつかない。そういう生き方です。
それにしても、自身の存在意義を知った途端にこの意気消沈よう……実に滑稽。正直なところ、豪君なんかは気落ちしないかと思ってましたよ。やっぱりまだまだ、悩める思春期だったってことですねぇ」
その時、豪の口から途切れ途切れに言葉が漏れた。
「……何故だ……お前だって一緒だろうが」
「おや、どこが同じなんです」
「お前だって……俺たち同様、この世界に閉じ込められてるんだろうが……幾ら偉そうなこと言ったって……同じ穴の狢ってわけだ」
「いよいよ気弱になってきたみたいですねぇ。以前の君なら、他人を貶めることで自身の安心を買うような安いマネはしなかったはずだ」
豪の頬が引きつる。獅子旗はニタニタと嫌らしい笑みを浮かべながら、ジャケットの襟を正した。
「でも残念。私は君たちとは違うんですよ。そりゃあこの世界から出られないのは一緒ですが、別に良いんです。私は現実なんぞに帰りたいとは思わない」
「強がりか」
「そう思って頂いても結構。実際、心の奥底ではそう思っているのかもしれません。ただそんな無意識下の欲望など与り知らぬこと。
私にとって大切なのは、この世界に君臨し続けること――ライフワークを続けることですから」
その言葉が出た途端、僕の心に一筋の炎が燃え上がった。義憤などという高尚なものではない。獅子旗に殺された、流王さんの、園子という顔も知らぬ“リソース”の、そしてツカサの無念が僕の身体に絡みついて離れない。狂人の気まぐれで命を奪われた名も知らぬ犠牲者たちの怨念が、時空を超えて僕の中に流れ込んでくるようだった。
同じ感情を抱いたのか、阿羅も強い口調で問うた。
「どうして……あんたみたいなのが運営に見過ごされてるのよ。同じ“サンプル”を殺して回るなんて、運営側から見ても最悪じゃない。“蟲堕ち”よりよっぽどタチが悪いわ」
獅子旗の侮蔑に満ちた視線が、怒りで煮えたぎった阿羅の視線を交錯する。
「まさしく、ポンコツ“リソース”の発想だな。十把一絡げの君たちみたいなのが、どうして私と同じ目線に立とうとするんです?
今の資本主義社会と同じですよ。持てる者と持たざる者の間に厳然と存在する大きな壁が、そっくりそのまま私と君たちの立ち位置を示している。残念ながらこの世界には富の再分配なんて弱者救済の仕組みなど存在せず、個々人の能力に全てが帰結してしまう……とどのつまり、TCKの維持にどれほど貢献しているかという点に尽きるわけですが。
分かるでしょう。世界の支柱はそう簡単に取り除くことなどできないんです。君たちのような有象無象は幾らでも替えが利く。しかし大黒柱を失った家が自重で潰れてしまうように、この世界もまた、私なしでは存立しえない」
両腕を開き半ば演説のように語る獅子旗に、僕は吐き捨てた。
「お前みたいに醜い大黒柱が支える家なんて僕たちが潰してやる」
「面白いことを言う。それならあの時のように――あのおぞましい力を使って、私を消してみてはどうです?」
獅子旗は邪悪な笑みを湛えたまま、広げていた両腕をそのまま首までもっていくと、喉笛をかき切るような動作をしてみせた。そのまま流れるように両の掌を合わせると同時に、目のくらむような光が彼を包む。光に飲まれる寸前、その影が左腕を伸ばしたのを僕は見逃さなかった。
覚えている。これは獅子旗がツカサに姿を変えていた際に使った魔術だ。
腕を伸ばした方向には阿羅がいた。どんな魔術を使ってくるかは分からないが、彼女がターゲットであることは間違いない。
あの時は動くことができなかったが、同じ轍を踏むつもりはない。
僕は目をつむると、阿羅のいる方向目がけて地面を強く蹴った。伸ばした両腕に人肌が触れる。僕はそれを両腕で抱え込むと、ラグビーのタックルの要領で勢いを殺さずに全力で地面と水平に跳んだ。
風切り音とともに、背中がほんの数センチ離れた場所を何かが横切っていく。わずかに空気の焦げる臭いが鼻をついた。
目を開けると、すぐ目と鼻の先にびっくりしたような阿羅の顔があった。まだ目が眩んでいるのか、しばしばと瞬きを繰り返している。何が起きたのか分からない様子だったが、僕の覆いかぶさるような体勢を目にするやいなや、眉が八の字に吊り上がる。
「何してんだよ、丈嗣」
「見れば分かるだろ。絶体絶命の危機から救ったんだよ」
「ハッ、貸しでも作ったつもり?」
口調は何でもない様子を装っているが、額に浮かんだ玉のような汗が彼女の体力の消耗を如実に物語っていた。僕の心配そうな表情が気に入らなかったのか、彼女は舌打ちをすると素早く身体を起こす。
「私に構ってる暇があったら、さっさとあのチンチクリンに合流しなさいよ。こっちは邪魔にならないように後ろから援護するから」
彼女の言葉通り、獅子旗は再び豪に攻撃を集中させていた。「混沌の隻腕」を軸に「炎球」や「土人形の埋槍」を織り交ぜながら、一気呵成に攻め立てている。まるで僕や阿羅のことなど眼中にすらないようだ。
息もつかせぬ猛攻に、豪も防戦一方になっていた。獅子旗の暴露した内容が余程応えたのか、いつもより動きが鈍く見える。あのままでは近い内に集中力が途切れ、致命的な一撃をもらいかねない。
僕は黙って頷いたが、すぐには動きださなかった。
豪を心配していないわけじゃない。ただ、闇雲に闘っても勝ち目は薄い。何か策……いや、そんなに具体的なものでなくても良い。共闘に際しての方針のようなものを考える必要がある。
獅子旗の目的は何だろう。元々は“エムワン”討伐だったが、今は僕ら3人に正体が知られたから排除しようとしている。やつにとって嫌なのは、獅子旗の正体が残りのメンバーにも漏れて“エムワン”討伐が叶わなくなること。
僕たちは勝つ必要はない。一条さんたちが合流するまで持たせれば、獅子旗も引かざるを得ないだろう。
だが“エムワン”が本当にこの「オダバの森」にいたと仮定すると、一条さんたちのチームが既に接敵している可能性はゼロではない。真っ直ぐに進んできているならあと10分もすればかち合うだろうが、“エムワン”と接敵済みならそうはいかないだろう。信じられないことだが、全員が全滅しているケースも想定しておかなければならない。
10分……いや、余裕を持って15分。これがタイムリミットだ。
今から15分間は、決して無理をせずに闘いを続ける。ただし攻めの姿勢は崩さない。逃げ切りを画策していることが気取られれば、一気に勝負を決められる可能性がある。
すぐにでも豪の下に駆け寄りたい気持ちを抑えて、僕は頭をフル回転させ続ける。急がなければいけないが、焦りは禁物だ。大丈夫、あと十数秒もあれば考えはまとまる。
考えたくはないが、“エムワン”がこの決闘に参戦してくる場合もある。ただその時は、獅子旗も僕らの相手どころではなくなるはずだ。何しろ獅子旗自身の口から、“エムワン”がいかに絶大な力を有するか語られているのだ。僕たちを総動員していることからも、これは明白だ。
三つ巴になったら、僕たち3人は瞬時に戦局から離脱する。一条さんたちが合流した場合でも変わらない。可能な限り素早く状況を伝えた上で、迅速にこの場から退避すれば良い。
「……ちょっと、何で動かないのよ!」
阿羅の怒鳴り声が、僕を思索から無理矢理現実に引っ張り上げる。
「早く行けってば」
「ごめん、でもただぼんやり呆けてたわけじゃないんだ」
訝しげに顔をしかめる阿羅に向かって、僕は言った。
「聞いてほしい話がある。一発逆転の打開策とまではいかないけど、何とかこの窮地をしのぐために」
沼の底のように暗い色をしていた阿羅の瞳に、かすかな光が蘇った気がした。




