第14話:変質
場違いだ。
それを目にすると同時に、一条の胸に去来したのはそんな想いだった。
よりによって、今、この瞬間に、俺たちの目の前に「こいつら」が現れる必要など、万に一つもないはずだ。生き物であるならば――危機を察知し、天敵から逃れることが遺伝子に刻み込まれている命ある動物であれば、目の前に立つ闇が放つ異様さを感じ取り、すぐさまこの場を離れたはずだ。
しかし悲しいかな、TCKが作り出した動物のように「振舞う」だけのこいつらには、そんな野生の勘など存在しない。定まったアルゴリズムに従って動くだけの、張りぼてに過ぎないのだ。
「おいおい、空気読めよこの馬鹿山羊ィ!」
アルクトスは明らかに苛立った様子で、“エムワン”との間に突如割り込んできた闖入者にしっしと手を振ったが、彼らは全く動じず草を食むばかりだった。
先ほどからちらちらと視界に入っていた、5頭ほどの山羊の群れだった。丁度“エムワン”と一条たちの間に陣取り、慌てた様子もなくぼんやりと立ち尽くしている。
「排除するね」
宇羅が力を発動させようとした刹那、その姿が急にボヤけた。
「?!」
一条は見間違いではないかと目をこすったが、彼がおかしくなったのではなさそうだった。力を使おうと意識を集中していた宇羅も、虚をつかれて動きが止まっている。
山羊だけではなく、その背後に立つ闇――“エムワン”を取り囲む空気が、不気味に震えている。黒い光が、稲妻のように暗闇を切り裂いて、輝いた。
同時に、“エムワン”の周りの樹々から、気味の悪いモノが次々に顔を出した。まるで、巨大な寄生虫が一斉に肌を食い破って出てきたようだ。薄闇の中で不規則に蠢く黒いナニカの群れに、一条は吐き気をもよおしそうになる。
「……何だよこりゃあ」
流石の最強プレイヤーも、目前の異様な光景に二の句も継げぬ様子だ。
「一条さん、あれ」
宇羅の指さす先には、先ほどまでの山羊の群れがいた。
……いや、正確には、山羊だったモノたちの群れ、と表現すべきか。
「な……んだ、あれは……」
周辺の樹々と同じように、山羊の身体からはあの不気味な黒い蟲が幾つも醜く顔を出し始めている。
そして突然、山羊の身体のあちこちが風船のように膨らみ始めた。ビデオを早回しで見ているがごとく、その腫瘍はあっという間に大きくなると、まるで獣の頭のような形になり、中心からぱっくりと裂けた。
「エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛」
「エ゛ンメエ゛エ゛ェエ゛エ゛」
喉を潰された山羊のような鳴き声が、その裂け目から響き渡る。
目前の光景のあまりの異様さに、一条たちは誰一人として動くことはおろか、言葉さえ発することができなかった。起こっている出来事を受け入れる――ただそれだけのことに、脳の全機能が集中しているのだった。
獣面創は尚も鳴き続けながら巨大化していく。山羊ではなく、別の――鼻が突き出て、牙の生えた、茶色い獣の頭に変化していく。
やがて、ボコン、という巨大な泡が破裂したような音とともに、その頭が産み落とされた。瞬く間にその頭には胴体が生え、脚が生え、黒い蟲のようなグラフィックに包まれたそれは、4本の脚で立ち上がった。
「……こんなことが……」
一条が辛うじて絞り出せた言葉はそれだけだった。
「もうさ、滅茶苦茶だな、こいつは」
肝が据わっているのか、はたまた順応力が桁外れに高いのか、アルクトスは元の調子を取り戻していた。一条の背中をぽんと叩くと、
「少なくとも、『オダバの森』でこの養分どもが湧いた理由ははっきりした。あそこの“エムワン”とかいう化け物の仕業だったってわけだ」
「……有り得ん」
「んなこと言ったって、目の前で起こってるんだから仕方ないだろ」
最もな話だが、だからといって、「はいそうですか」と簡単に受け入れられる話でもない。
「山羊が……『野生動物』のカテゴリに属しているオブジェクトが、『魔物』であるセーフリームニルに変質しとるんだぞ?! こんな芸当、いち“サンプル”にできるはずが……」
ほんの数十秒前まで5頭の山羊だったそれは、今や30頭ほどのセーフリームニルへと変質していた。普段であれば、魔物の姿が網膜に映った時点で脊髄反射的に身体が動くはずなのに、今回は足に根が張ったようになってしまっている。
アルクトスの言う通り、「オダバの森」からセーフリームニルが湧いたことの理由は分かった。どういう仕組みかは知らないが、“エムワン”にはオブジェクトそのものを変質させるほどの力があるらしい。
「焦る必要はない。元が何であれ、相手はちょっとグロいだけの猪だろ? すぐに終わる」
「路唯さんの言う通りだよ。さっさと始末しちゃおう」
頼もしいことに、路唯と宇羅も一条ほど動揺はしていないようだった。自分も胆力にはそこそこ自信があったが、この3人は次元が違うようだ。物怖じしないというより、鈍感だと表現した方がしっくりくる。
だがそんな彼らの仕草が、一条に普段の冷静さを取り戻させたのも事実だった。
「ふん、別に焦ってなどおらんわ」
軽口を叩くと、すうっと思考がクリアになった気がした。ここに来るまで、班をまとめなければという責任感と“エムワン”の未知の恐怖に、頭も身体も凝り固まってしまっていたらしい。
1番年嵩のはずの自分が、情けない話だ。
“エムワン”は一条たちには然程の興味もないのか、既に背を向けてゆっくりと森の奥へと姿を消そうとしていた。
「“エムワン”は逃すわけにはいかん。
宇羅、雑魚どもを片付けろ。残りの2人は俺と一緒にやつを追うぞ」
返事を待たず、一条は右手に大剣、左手に大棍を換装した。大きさは小学生の子どもほどもあり、攻撃力のみで言えばTCK内でも最高峰の威力を誇る一振りだが、その分取り扱いは難しい。並のプレイヤーであれば、逆に武器に振り回されてしまうだろう。
横を走るアルクトスが感嘆の声を上げる。
「うほっ、両手持ちたぁ親近感湧くなぁ。
しかも、『山祇の剣』に『海坊主の大棍』なんて組み合わせ、僕ですらまともに取り扱えるか分からないよ。重量とかヤバいんじゃないの?」
「うんちく垂れてる暇があったら、さっさと先行してやつを足止めしてくれ。
路唯、『戦神の瞳』はもっとるな?」
「ああ。いつでも使える」
「アイテムの効能範囲にやつを捉えたらすぐに発動させろ」
「分かった」
2人のやり取りが腑に落ちないのか、アルクトスが再び割り込んできた。
「おいおい、宇羅と茜とかいうお嬢さん2人は置いてきぼりで良いのか、おっさん?」
「私ならここにいるけど?」
すぐ後ろから聞こえてきた声に、アルクトスは驚いた様子で振り返った。
「うおっ、お嬢さん何でここに? 茶色い養分ちゃんたちはどうしたんだ?」
口をぽかんと開けたアルクトスに、宇羅は悪戯っぽくウインクしてみせた。
「一条さんのオーダーが出てすぐに片付けたよ。それと、茜ちゃんは万一のために離れた場所で待機してもらってるから大丈夫」
「すぐって……雑魚とは言え結構数はいたように見えたけどなぁ」
「アルクトスさん、いくら何でも私のこと下に見過ぎだよっ」
宇羅はぺろりと舌を出したが、頭上に視線をやって息を呑んだ。
「皆ッ、上ッ」
彼女の声を皮切りに、全員が後ろに飛び退いた。
ついコンマ数秒前まで一条たちのいた場所に、黒い巨大な柱のようなものが振り下ろされた。巨人が地面を踏みしめたような地響きが、足を伝わってくる。
「クソッ」
「かなりでかいな。まさか巨人か?」
「いや、巨人ならこんなもんじゃない」
体勢を立て直しながら、一条は素早く周囲に視線を巡らせた。
薄闇の中から、巨大な影がずりずりと這い出てきた。
一見ただの樹木のようだが、幹の中心には人の顔のような瘤が幾つも浮かび上がっている。四方八方に伸びた枝は固く、それでいて良くしなる鞭のようだった。先ほどの一撃は、どうやらこいつの仕業だったらしい。
出現した魔物を見て、アルクトスが乾いた笑い声を上げた。
「樹人?! どっから湧きやがった」
「大方、“エムワン”の力だろうな。それにしても……何だよ、この数は。ふざけてんのか」
周囲を取り囲んでいた樹々には、いつの間にか醜い人面の瘤がホヤのように浮き出ている。
樹人はセーフリームニルとは違い、そこそこ手強い相手だ。動きも比較的遅いこともあり、単体ではそれほど怖い敵ではない。だが、複数を相手にする時は相当厄介だ。振り下ろされてくる何本もの枝をすり抜けて攻撃を当てなければならないし、身体を覆う表皮は分厚く硬い。相応の威力でなければ、ほとんどダメージは入れられない。
「いよいよキナ臭いな、こいつは……。
樹なんてのはただの背景用オブジェクトのはずだ。中身のない、テクスチャが貼られただけの空っぽの箱……それを魔物に変えちまうたぁ、システムの裏側から手を入れてるとしか考えられん。
運営側は、こんなとんでもないのがTCK内をうろついてるのを容認しとるのか?」
一条の独り言に、路唯がため息をつく。
「一条さん、また悪い癖が出てる。今はそんなことより、目の前のこいつらをどかすのが先だろう。
樹人だけじゃなく、他の魔物も集まってきている。“エムワン”がそこらにあるオブジェクトを手あたり次第に魔物に変性しているようだ」
「……そうだな。考えるのは後だ。
“エムワン”は恐らく1人じゃ止められん。少しずつで構わん。全員で進むぞ」
一条は意識を集中すると、自身の力を解放し、魔物の群れへと突っ込んでいった。




