第11話:世界の餌
獅子旗が右手を天に掲げると、彼の背後の空間から1本の巨大な黒い腕が出現した。指は8本あり、その先には人の顔のような影が蠢いている。
「さぁ、もぐらたたきだ」
獅子旗が怖気を催すような笑いを浮かべると同時に、小さな家屋ほどもある拳が僕らのもとへ降り注ぐ。すんでのところで躱したが、地面に小さなクレーターができているのを目の当たりにして、僕はゾッとせざるを得なかった。
「半端ねぇ威力だな……まるでちっさい隕石だ」
豪の表情は厳しく、眉間のしわの深さが絶望の大きさを示しているようだった。
「あれ、『混沌の隻腕』でしょ?! δ2クラスの術式をあんなにあっさりと使うなんて、どんな処理能力してんのよ」
「ちょっと予想外のものが出てきたくらいで騒ぐなよ、阿羅。とりあえず、固まってたら良い的だ。散会して、三方向から同時に仕掛けるぞ!」
豪のかけ声とともに、僕たち3人は等間隔に獅子旗を取り囲んだ。
獅子旗は相変わらず余裕をもった表情で、中空より現れた巨大な拳で、僕らを叩きつぶさんとしてくる。
だが、分散したことによって1人当たりへの攻撃頻度は顕著に減少していた。獅子旗は特に豪を早く始末したいらしく、彼の周りの地面だけが既にひび割れだらけになっていた。
「このバカが俺にかかりきりになってる間に、さっさとダメージ入れろ! タコ助!」
持ち前のスピードで小隕石の間を縫いながら、豪が叫ぶ。
「言われなくても分かってるっての!」
阿羅は叫ぶとともに、両手を真っ直ぐ獅子旗の方へと向けた。彼女の掌から眩い紅蓮の炎が吹き出したかと思うと、目にも止まらぬ速さで獅子旗へと突き進んでいく。
彼女の攻勢に合わせて、僕もやつとの距離を詰めた。盾はもたず、両手で木剣を握ったまま、僕は獅子旗に向かって地面を蹴る。
阿羅の攻撃と同時に、やつの身体に「騎士長の直剣」を叩き込んでやる。大振りは狙わず、あくまで確実にHPを削るのだ。
多勢に無勢。
現実世界を忠実に再現したTCKのPvPにおいては、数は則ち力だ。低レベル帯プレイヤーであっても、5人集まれば高レベルプレイヤー1人を圧倒することだってできる。対複数の決闘を挑まれた場合、取りうる方法は2つに限られる。
自分も相手と同数かそれ以上の仲間を集めて受けて立つか……それができないのであれば潔く身を引くか、である。
ただ非常に稀なケースではあるが、3つ目の選択肢――つまり対複数での決闘を受けて立つことがある。
それはほとんどにおいて、自分より相手が圧倒的に格下である場合だ。闘う前から勝負が見えているような、天と地ほどの力の差がある場合に限って、プレイヤーはその自尊心を満足させるために、目の前に表示されたOKボタンを押下する。
獅子旗にとって、僕たちは羽虫同然なのだろう。だからこそ、やつは対複数であるにも関わらず、自らこの闘いを始めたのだ。
……そして、その自信の源がどこにあるのかを探るのが、僕の最初の一手というわけだ。
聞こえているか。背後から迫る僕の刃の叫び声が。
感じ取れているか。側面でたぎる阿羅の豪炎の熱が。
お前は一体、どう対処しようというんだ。
背を向けている彼の頭上の空気から、バスケットボールほどの黒い球体が2つ溶けだしてきた。気味の悪い球体は生物のように微かな震えを見せてから、中心からぱっくりと裂けた。
それは、瞳であった。1つの球体が、1つの眼球なのだった。見開かれた眼は宵闇より黒々としており、艶のない眼球をギョロギョロと動かしている。
片方の瞳が、ぐるりと回って僕の姿を捉えた。
「丈嗣、気をつけろッ」
分かってる。
あれは、「悪魔の邪眼」――術者と視界を共有する魔術。獅子旗には、僕の姿が視えている。
阿羅の忠告に心で応えるのとほぼ同時に、「混沌の隻腕」の一撃が僕を見舞った。既に見切っていた攻撃だったため、割とあっさり避けることができたが、同時に目の前で何十もの「氷礫」が生成されているのを見た時には、一気に背筋が寒くなった。
背負っていた盾を構えた瞬間、文字通り氷の礫が頭蓋骨を砕かんばかりの勢いで降り注ぐ。α2クラスの魔術であれど、まともに受けては無事では済まない。幸い、瞬時に「大隊長の抗魔盾」を投影させたため、被弾は最小限に抑えることができた。
しかし、衝撃のあまりすぐに立ち上がることができない。
視界の端に映る阿羅は、苦しそうに喘いでいた。彼女はふらつきながらも、ありったけの豪炎を放っていたが、獅子旗の側面に現れた「羅刹天の獄門」はその全てを軽々と飲み込んでいる。
「その程度の力じゃ、そこらの上級魔術師とそう変わらないな。全く驚くほど凡庸だね、君は」
獅子旗はせせら笑いながら、振り向くことさえしなかった。豪の相手をしながらも、その流暢な口ぶりは淀まない。
「演算性能が低い上に、『視る』という原始的な座標指定すら少々難儀な君の攻撃を防ぐことなんて、陸を這う亀を捉えるがごとく容易なことだ。身体的な面ではてんで役に立たないってのに、お得意の力すらお遊戯会レベルとは……何で君がこのパーティにいるのか最初から疑問だったよ」
「……うるせぇ!」
「その強い口調は、不安の裏返しなんだろう? 良く分かるよ。
似たような力を授かった姉の方は、次の『転回者』候補と呼ばれるほどの逸材だったというのに」
その言葉に、阿羅がぎりりと唇を引き絞る音が聞こえる気がした。徐々に、腕から巻き起こる炎の柱が力なくやせ細っていく。
阿羅の額にはいつの間にか、玉のような汗がいくつも浮かんでいる。
「力の継続的な使用は脳に負担をかける――君のように性能の低いマシンを積んだポンコツは、特にね」
その言葉を聞いた途端、身体が勝手に動いていた。
何故かは分からない。いや、分からなくても良かった。
動く理由なんて、目の前にいるこの男が、大切な仲間を貶めたというだけで充分過ぎる。
両腕に剣と盾を構え獅子旗に向かって突っ込もうとしたが、彼の魔術は容易に僕を間合いの中へは入れなかった。
地面から岩石の槍が次々に飛び出してくるのを、僕は何とか躱し続けた。何とか距離を詰めても、すんでの所で「混沌の隻腕」が飛んでくる。
「クソッ、近づけねぇっ」
豪が飛び退くのと同時に、僕も一旦獅子旗と距離を取った。
彼の表情や仕草に、とてつもない嫌悪感を感じる。他人のことを憎いと感じたのは、これが初めてだ。
この男は癌だ。見つからぬよう世界に潜み、歩くだけで草木を枯らし、空気を腐らせる。纏った悪意で他人を傷つけ、人の善意を弄び、あまつさえその命さえも刈り取る。
「何故……殺したんだ」
気づかぬ内に、そんな言葉が口から漏れていた。
「どうしたんです、急に」
「流王さんや園子さん、ツカサ、それ何人もの“サンプル”を、どうして」
「ライフワークですよ」
サラリと言ってのける獅子旗に、金槌で頭を殴られた気分になる。
「……ライフワークだと」
「ええ。
さっき豪君も言った通り、私には模倣のの力があります。プレイヤーの剣技や魔術だけじゃなく、アバターの容姿や、果ては記憶だって吸いだせる。
ただ、君たちの力は『模倣』するには少々データ量が大きすぎるんです。PvPで勝ったところで、下らない消費アイテムと『着せ替えアバター』がちっとばかし増えるだけだ」
「だったら、何故」
「ここまで聞いてもまだ分からないんですか?
ライフワークだと言っているでしょう。愉快だからですよ」
高笑いが、獅子旗の口から天に向かって放たれる。
どんな顔をして良いのか分からないでいると、獅子旗は眉尻を下げ、目を細めた。
「大袈裟な顔はやめて下さい。君たちなんて、TCKにきている時点で半分死人のようなものじゃないですか」
一拍遅れて、ふつふつと自分の中で激情がたぎり始める。僕はきっと獅子旗を睨みつけると、地鳴りのような低い声で言った。
「何だよ、それ……ふざけるなよ。“サンプル”だって、全員が自分の運命に絶望してるわけじゃない」
「おやおや、自分たちに自由意思が認められるとでも思ってるんですか? 貴方たちは、この世界と私たちの餌に過ぎないというのに」
「餌……? どういう意味だ、それ」
彼の意味深な笑みに、僕は眉をひそめた。
獅子旗は何でもないことのように、さらりと口にした。
「自分たちが何故集められたか、考えたことはありますか」
その言葉は、一瞬にして時の流れを止めた。
世界はカラーから白黒へと変化し、全ての音はその場で地面へぽとりと落ちた。うるさいほどの静寂が、耳の奥でキーンと鳴っている。
僕も豪も阿羅も、ただ目を見開いて、じっと目の前の男に視線を注いでいた。
彼は今、この世界の忌まわしき秘密を語ろうとしていた。




