第10話:離反
「ちょっと、これどうなってるの?!」
耳慣れないシステムアラートに、阿羅は見るからに動揺していた。酸欠の魚のように口を閉じたり開いたりしながら、僕に目で訴えかけてくる。
「これは――獅子旗の力だ! 強制的に決闘モードが開始される」
「嘘でしょ?! しかもこれ、デスマッチじゃない……」
彼女の声はか細く、語尾もほとんど聞き取ることができなかった。
普段は気丈に振舞っているものの、予想外の展開を前にして、硬い殻の内側の姿がさらけ出されているのかも知れなかった。
僕は、阿羅の肩を正面からはっしと掴んだ。
「現実から逃げるな、阿羅! 闘わなきゃ先はないんだ!」
「で、でも……まさか流王さんが……」
「良い加減目を覚ませよ! 時間がないんだ!」
その時の僕は、まさに鬼のような形相をしていたと思う。ややもすると命を失うかもしれない場面で、自分の中に眠っていた野生が目を覚ましたような感覚だ。
気持ちが伝わったのか、彼女は1度目を閉じて深呼吸をした。再び見開かれた瞳には、まだ恐怖の残滓が少しだけ残っていたが、それ以上に強い意志の光が輝いていた。
「ごめん、もう大丈夫」
阿羅は素早く周囲を見回すと、
「丈嗣、チャットは生きてる?」
「いや、メッセージ機能と同じで使えなくなってる。恐らく獅子旗の力の影響だろう」
「そしたら、声で連携するしかないわね。相手にも筒抜けになっちゃうけど仕方ない。
そういえば、あの金魚の糞はどこ?」
「……もしかして、サラマンさんのことか。
なら、あそこにいるよ」
見ると、サラマンはぼんやりとその場に立ちつくしていた。闘う準備もしておらず、何か考えごとをしているように見える。
「ちょっと、サラマン! こっち来なさいよ」
彼は阿羅の呼び声に顔をゆっくりと上げたが、その表情は冴えない。
「ちょっと待って下さい。今考えを整理しているところです」
「それどころじゃないんだって! 分かるだろ、あんたも“サンプル”なら。デスマッチで負けたらどうなるか。
あいつは獅子旗っていう、“サンプル”殺しのイカレ野郎なんだよ!」
その時、獅子旗の声が横から割り込んできた。
「ちょっと良いか、竹中君」
一瞬、誰を呼んでいるのか分からなかったが、反応からするとどうやらサラマンが「竹中」その人らしい。
恐らく本名とみて間違いないが、どうして獅子旗がサラマンの本名を知っているのだ。
……いや、それ以前に、元々怪しかったのだ。鳳凰騎士団の2人が作戦に加わることになったのは、先日急に決まった話だ。どのような話し合いがもたれたのか、僕たちには全く知らされていない。
まさかこの2人、知り合い同士なのか。
「やめろ……その名前は捨てました。
正直、頭が混乱しています。まさかあなたが……分かってさえいれば、こんな話に乗っかることもなかったというのに」
「君は頭が悪い人間ではない。今の状況も、私が言いたいことも分かるはずです」
「大方、私には参戦して欲しくないんでしょう? 色んな意味で、勝算が落ちますものね」
「……外れてはいませんが、大口を叩くようになったものだ。あの天才坊やの下にいるからといって、あまり安心しないことです。
彼女が本気になれば、あなたの居所なんてたちどころに捕捉されますよ」
2人の会話内容は分からなかったが、1つ確信したことがある。
やはり、この2人はお互いを知っている。親密な関係ではなさそうだが、以前から面識があったことは間違いない。
サラマンは平静を装おうとしているようだったが、心なしかいつもより口調が高ぶっている。
「私にとっては、正直どちらでも良い話です。あなたが消えようが“エムワン”が消えようが、或いは2人とも消えたって構わない。私の役目はあくまで、アル君がこの世界で強敵と闘えるようサポートすることですから。お二人がいなくなれば、次の相手を探すまでです。
あなた方が生きていて喜ぶのなんて、それこそゲームマスターくらいのもんでしょう。運営だって、本当はあなた達のような欠陥品で糊塗をしのぐようなやり口はもううんざりのはずだ」
「盲信癖は相変わらずみたいですね。懲りない人だ。
取引をしましょう。私の力の特性上、君は強制的に決闘に参加せざるを得なくなりますが、私には一切手出しをしないで欲しい。勿論、私も君には手出ししないことを約束する。決闘が終われば、力を解除して無傷のまま大好きなご主人様のもとに返してあげます」
「それじゃ少々物足りませんね。彼らと一緒になって、あなたを狩ったって良いんですよ?」
どうも話が見えない。
どうやら、獅子旗がサラマンを懐柔しようとしているらしいことは分かる。だが、彼らが交わす会話の内容はさっぱり理解できなかった。
「おい、何を悠長に話してる! さっさとこっちに来い、サラマン!」
阿羅の呼びかけにも、サラマンは全く反応しない。
獅子旗は呆れたように天を仰ぐと、
「私がただの模倣しかできない無能じゃないことくらい、君、分かってるでしょう」
「あなたと共闘して“エムワン”と闘い勝つ確率より、今彼らと共闘してあなたをぶちのめす確率の方が低いとは思えない」
「君は少々“彼”を買い被り過ぎているようだ。確かにやつはとんでもないが、同時に弱点だってあるんです。今回揃えたメンバーなら、確実にやつの息の根を止められると確信しています。
それに、『転回者』同士がぶつかるんです。ゲームマスターだって黙っていない」
「……介入されて困るのはあなたの方では?」
サラマンの問いかけに、獅子旗は首を横に振る。
「いえ、ゲームマスターは間違いなく私に協力します。“エムワン”の演算性能は大したものですが、それ以上にアレは色々と抑えが効きません。代替品さえあれば、直接手は下さないまでも、お手伝い程度はしてくれるでしょう。
それに、やつも神ではない。小部屋の中で、ずっと祈り続けているんです。叶うはずのない願望を夢見て、ね」
「あなたなら、その夢を実現できると?」
獅子旗は白い歯を見せると、力強く「ええ」と頷いた。
「今証明することはできません。ただ、私は今までこの姿で噓をついたことは1度もないし、これからもつくつもりはないということは、竹中君も承知のはず。
これは生き方の問題です。論理ではない」
サラマンは迷っているようだった。彼は獅子旗から僕らに視線を移し、再び獅子旗へと戻した。
話の展開が読めず、豪も阿羅も動くことができないようだ。
今なされている会話の内容は、この世界を抜け出すための鍵になり得る――そんな直観が、僕たち3人をその場に縛りつけているに違いない。
ようやく、サラマンが顔を上げた。
「分かりました。あなたの読みを信じます、獅子旗さん。
ただ、加勢はしません。アル君と共にある今、あまり手を汚したくはない」
「なっ、テメェ、裏切ったのかよ、金魚の糞!」
阿羅の怒声を正面から浴びても、サラマンの顔に喜怒哀楽の影はない。
「すいません。そういうことなので、私は少し姿を隠します」
そう残すと、サラマンは瞬時に姿を消した。
啞然とする僕たち3人に向かって、獅子旗は嫌らしい笑みを向ける。
「ふぅ。万一のため路唯君を外しておいて正解でした……竹中君はひどく聞き分けが良い。想定より情報を開示せずに済みました。
さて、後はあなた方残りカスを始末して終わりにしましょう」
「テメェがサラマンの野郎とグルだったとはな。怪しい野郎だと思ってはいたが、胸糞わりぃぜ」
豪はサラマンの名前を口にする時、不快そうに口を歪めた。
獅子旗はため息をつくと、僕たちに蔑むような目線をくれた。
「まあ、彼とはグルではないですが……いずれにせよ後で何を言ったって遅いんです。
賢者は常に、未来を予測して手を打っておくものだ。君たちみたいな半端者は、いつだって行き当たりばったりで、その場その場で判断するから、今みたいなことになるんです。
それじゃあ――さようなら」




