第9話:模倣
ちょっと待て、考えがまとまらない。
今まで僕が「流王」だと思っていた人が実は「流王」ではなかった……? でも「流王」という名の“サンプル”が実在していたことも間違いなくて。ある時点から、流王は何者かにすり替わっていたということか。
でも、どうやってなりすますというのだ。容姿だって違うし、バックグラウンドだって分からない。
名前の分からない男が顔を上げる。
「豪君、君、キツネみたいだね」
「煙に巻こうって魂胆か。その手には乗らねぇぞ」
「猜疑心が強くて、狡猾だ。それに辛抱強い。よく我慢したものだね」
クックックと、男は笑った。それは僕の知っている「流王」の笑い方ではなく、初めて耳にする昏い声だった。
「結構楽しかったんだけどな、ここ暫くの間は。まさかクライマックス直前で幕引きになるとはねぇ。
……全く、君は本当にことごとく私の思い通りに動かないな、丈嗣君」
「豪の質問に答えろ。あなた、誰なんですか」
「君は相変わらず質問だらけだな。その奴隷根性を叩き直さないと、TCKでも現実世界と同じように苦労する羽目になるよ。
さてと、いずれにせよ、君たちとはもう終わりだ。“蟲堕ち”に遭遇して全滅したって筋書きはちょっと強引かもしれないが、まぁ真っ赤な噓とも思われまい……おっと、そんなものは使わせないよ」
男が指を鳴らすと、今まさに送ろうとしていた目前のメッセージ画面が瞬く間に閉じられた。慌ててウインドウを開き直そうとジェスチャーを繰り返したが、全く反応がない。
「?! メッセージウインドウが……」
「ダメダメ。そんなことしたら、私の兵隊がいなくなってしまうじゃないか。これから大物を狩るんだから、皆に正体がばれちゃあ困るんだよ。君たちの口を封じて、彼らには知らんぷりしないとね」
こんな芸当ができる“サンプル”はそうはいないはずだ。
それこそ、以前路唯から聞いた「転回者」なのかもしれない。
想像を巡らす僕の横から、阿羅がずいと身を乗り出した。
「はっ、あんた馬鹿なの? 別にメッセージが送れなくたって、直接合流すれば済む話だわ」
「そんなことさせるわけないでしょう」
「どうやって? PK禁止ルールがある以上、私たちを戦闘不能にするのは不可能よ。決闘モード外で派手に力なんて使おうもんなら運営がすぐに飛んでくるし」
「……そうか、なら行きたまえ。
ただ、私にはそれを止める方法があるし、それに――」
そこまで言ってから男は口をつぐんだ。
唇の端をニヤリと上げながら、彼は豪をゆっくりと指さす。
「それに、豪君は私を見逃せないはずだ」
「……何の話だ」
「とぼけているね。君らしくないなぁ。真実を知るのが怖いのか」
「良い加減にしろ。てめぇの攪乱工作にはのらねぇぞ」
豪はぎっと歯を食いしばりながら、ずっと男を睨みつけている。
相対する男は、まるで幼児を相手にする大人のように慈愛に満ちた表情だ。
固唾を飲んで見守る僕らの前で、男は言った。
「ツカサ君は、私が殺したよ」
豪の目が、大きく見開かれる。ぽかんと空いた口から、今にも魂がこぼれ落ちしまいそうに見える。
時間が、止まっていた。
モノクロ写真の世界の中で、僕らは動くどころか、息を吸うことさえできない。
ただ男の口だけが、グロテスクな彩りを湛えたまま動き続ける。
「なかなか骨のある子だった。ユニークな力だったなぁ、あれは。自分のものにできないのが歯がゆく感じたのは久しぶりだったよ。
彼はね、たった1人で私を追って来たんだ。私が誰か知っていて、それでも尚、単独で私を追うことに決めたんだ。美しい……そして、何と愚かな」
昏い笑いが、小さく空いた口から漏れ聞こえる。
「最後まで諦めようとしなかった。何というか、使命感のようなものを背負っているように見えたよ。そんな自分に酔うわけでもなく、ただ己の内の倫理の道標だけを信じていた。
その後でやってきたこの流王とかいう男よりも、小さな街で君たちを釣るために殺した園子とかいう女よりも、今まで殺してきた何十人よりも――彼ただ1人の命をこの手で散らしたことの方が、余程価値がある」
そう言って、男はべろりと自らの掌を舐めてみせた。
「……う、嘘だ。だって、ツカサ君は生きていた! この目で見たんだ」
縮んだ肺を何とか酸素で満たして、僕はそう叫んだ。いや、叫ばずにはいられなかった。
男の口にした言葉全てが、僕の理解の範疇を超えていた。これほど穏やかな口調なのに、出てくる言葉の何とおぞましいことだろう。
完全に、狂っているとしか思えない。
「ああ、あれはね――ちょっとした悪戯心というやつさ」
言うが早いか、男の姿がぼやけ始めた。まるでそこだけ解像度が低くなって、モザイクがかかったように見える。
そして再びもとの解像度に戻った時、そこに立っていたのは――
「ツカサ?!」
ここまで黙りこくっていた豪が初めて声を発した。
「久しぶりだね、豪ちゃん」
あの時――ナラキアまでの道中で会った時と全く同じ姿、同じ声音だった。
「……そういうことか」
「どういうことだい、豪ちゃん」
「その姿と口調、今すぐやめろ」
「何でそんな冷たいこと言うのさ。折角会えたっていうのに」
「ツカサを汚すんじゃねぇ、変態野郎」
今まで感じたことのないほどの巨大な怒気が、豪の全身を覆っている。青くたぎる炎が、彼の足元から真っ直ぐ天に伸びている。
「それ――模倣がお前の力の正体だったってわけだ。影でこそこそ隠れてるお前みたいな日陰者におあつらえ向きだな――獅子旗」
その名前を聞いた時、僕はようやく全てを理解した。
ナラキアへの道中までに会ったツカサの様子がおかしかった理由も、豪がしょっちゅう流王への不満を口にしていた理由も。
獅子旗が僕に部屋の番号を聞いたタイミングだって妙だった。初めてこの世界の恐ろしいルールを知らされて気が動転している時に、何だってそんなことを聞くのか分からなかった。
豪が言った通り、彼は一刻も早く知る必要があったのだ。自分が殺した“サンプル”の替わりにこの世界にやってきたのが、僕ではないということを。
もし仮に、僕が豪よりも先に獅子旗にこのことを喋っていたらと思うと、ゾッとせずにはいられない。
獅子旗の姿が、再び変化していく。
長身で、前髪を垂らした男が、そこには立っていた。メタルフレームの眼鏡の奥で、薄情そうな切れ長の目がきらりと光る。仕立ての良さそうなダブルのスーツは、TCKの世界観に全く合っていなかった。
「んん、やっぱりしっくりくるな。自分のアバターというやつは」
獅子旗は両腕を広げると、仰々しく、そして高らかに言い放った。
「さて、それじゃ、始めようか」
鳴り響くシステムアラートの中、全アイテムがベットフィールドへと注ぎ込まれるのを横目に、僕は素早く武器を構えた。
獅子旗との決闘が、幕を開ける。
初めて後書きを書きます。
ようやく仕込んでおいた伏線の1つが回収できました。ここまで長かったー。結局1年くらい経ってしまいましたが、安心しております(笑)。
物語としては、もう中盤を過ぎたくらいまできているはずです。まだあらすじに書いている理由については回収できていないので、少なくともそこまでは書き切りたいな。
最後に、拙作を読んでくださっている方々に改めて御礼申し上げます。
投げっぱなしにはしないので、引き続きよろしくお願いします!




