第3話:蟲の知らせ
「にしても、何だってこんな数のセーフリームニルが……幾ら何でも多すぎる」
豪は顎に手をあてながら、足元で呻き声をあげる瀕死のセーフリームニルを足でつついた。
「何かのイベントデーかな?」
「猪祭なんてねぇだろ。そんなしょうもないイベント、リースブレインがやるかよ……ちょっと待て、何かおかしいぞこいつ」
転がったセーフリームニルの白い腹に、何かが蠢いている。僕と豪はしゃがみ込むと、魔獣の腹に顔を近づけた。何やら黒い蟲のようなグラフィックが、チカチカと明滅を繰り返す。
「この不気味なグラフィック、どこかで見たような……」
訝しげに眉根を寄せる豪に、
「まるで“蟲堕ち”みたいだ」
「なに?」
「前に遭遇した時、一瞬だけど、“蟲堕ち”の姿を近くで見ることができたんだ。その時見えた蟲みたいなグラフィックに似てる」
「そういうことか……妙に見覚えがあると思ったら」
豪は立ち上がると、「よし」とかけ声のようなものを上げた。
「こいつらの出所を探そう。もしかしたら“エムワン”と関係しているかもしれねぇ」
「出所って……そこらで湧いてきたんじゃないのか? どうやって探すつもりだよ」
「いや、セーフリームニルの出現場所はここから少し離れた場所のはずだ。
群れで移動してきたのなら、まだ足跡が残ってるはずだぜ」
「わざわざ移動してきたってのか? そもそも、普通魔物が自身の出現エリアを離れるなんてことがあるのかよ」
「ったく、お前は相変わらず質問ばっかだな。そんなんだから一条さんにも『丈坊』呼ばわりされんだよ。
普通なんて考えたって仕方ねぇだろ。そもそも俺たちだってチーターなんだぜ? 何でもありなんだよ、もう」
「……豪って割り切るって決めた時の割り切り方が凄いよね。ある意味、尊敬するよ」
「うるせぇよ。ほら、油売ってないで行くぞ」
さっさと歩きだす豪に追いつこうと、僕が腰を上げようとした時、
「……タ……ザ」
掠れた呟きがすぐ近くで聞こえた。
すかさず豪に声をかけようと思ったが、既に彼はかなり先まで歩いていってしまっていた。
「?! 誰だ」
「ミ……ゲ……メ……ル……」
まるで音割れしたマイクのように聞き取りづらい声だ。声質からは、男か女かの検討もつかない。不思議な声だった。
幻聴か……?
しかし、次の一言ははっきりと僕の耳へ届いた。
「ミ……ミヅケダ……メ、変性者」
この声、聞いたことがある。
背筋に氷柱を差し込まれたような悪寒が走る。
あの時だ。豪と茜とツカサを追っていたあの時。突如出現した“蟲堕ち”から僕たちは命からがら逃げ出して――。
声は、ほんの目と鼻の先から聞こえてきた。
「ミエル……オマエガミエル……イマ、ゾゴニイルノガ」
嘘だ。こんなこと、あり得るはずがない。
今確かに、瀕死だったセーフリームニルの口が動いていた。発せられる言葉に合わせ、もごもごと、砂浜のように白い牙を見え隠れさせながら、この魔獣は言葉を発していた。
そしてその目にはいつの間にか光が宿り、てらてらと濡れる瞳の奥には、僕の像がくっきりと映り込んでいる。
まるで――人間のような光が、この魔獣の瞳には湛えられていた。
狂人の瞳の色。
「何だよ、これ」
僕は思わずその場で尻餅をついた。
頭の上を燦然と照らしているはずの太陽に、突如赤いベールがかかったような錯覚に陥る。心臓が身体の中心から抜け出そうと、暴れ馬のように跳ねまわる。
これは、セーフリームニルがしゃべっているのではない。
向こう側にいる何者かが、この魔獣の身体を通じて僕を「視て」いる。
根拠なんてない。僕の第六感がそう叫んでいる。
「そ、そこにいるのは、誰だ」
声を震わせまいとしながらの僕の質問にはしかし、誰も返事を返さなかった。
既に魔獣の瞳からは光が失われていた。そこにはただ、僕によって屠られた猪の死骸が残っているだけだった。
「何だったんだ、今の」
黙っていると怖くなってくる気がして、そう独り言ちる。
幻聴などでは断じてない。僕ははっきりと、目前の魔獣が言葉を発するのをこの耳で聞いた。
それにしても、何なのだろう、こいつは。先ほどの言葉といい、まるで獣が“蟲堕ち”にでもなったようだった。
そうえいば、青虎のプレイヤーたちはどこへ行ったのだろう。流王は失踪したとしか口にしなかったが、もしかして――。
「おーい、何してんだよ。こいつらの足跡を見つけた。さっさと来いよ、消えちまうだろうが」
遠くから豪が呼ぶ声が聞こえる。
このことは、豪に話すべきだろうか――話しても良いが、信じてもらえるかどうか自信がない。幻聴だと一笑に付される可能性もある。TCKの魔物がしゃべるだなんて荒唐無稽な話、僕だって他人から聞かされたらとても信じる気にはなれない。
「あ、ああ! 今行く」
立ち上がって豪のもとへと駆け寄る間、妙なものが視界の端に入った。
セーフリームニルの死骸が砂塵のように掻き消えるその刹那、何か白いものがちらりと垣間見えたのだ。
……あれは――見間違いか?
自分の目に映った光景が信じれられなかったが、瞬きする間に魔獣の身体は空気中に溶けてしまっていた。
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セーフリームニルの足跡を追っていくと、やがて鬱蒼とした森に辿り着いた。
「なんだよ、『オダバの森』じゃねぇか」
「豪、知ってるの?」
「ああ。まだ力がうまく使えなかった頃、よくここで練習してたんだ。
にしても、おかしいな」
「何が?」
豪は考え込むような顔つきのまま、ぽつりと漏らした。
「このエリアに、魔物はいねぇんだ」
「え?!」
「間違いない。ここには薬草やらの採集アイテムと、鹿だ山羊だの草食動物しかいないはずだ」
「でも、足跡は確かにこの森から続いてきているみたいだ」
森の奥は、樹々に日光が遮られて見通すことができない。魔物が出ないという割には、嫌におどろおどろしい雰囲気のエリアだ。
「それじゃ豪、一旦中に――」
早速中へと踏み込もうとする僕の上着のフードを、豪がはっしと掴む。
「馬鹿、まずは流王さんに報告だろうが」
「だって、まだ“エムワン”かどうかも分かんないんだろ? まずは僕らで調査した方が良いんじゃないか」
「こういうのはな、小出しに状況を報告しといた方が絶対に良いんだよ。流王さんにしか見えてないものだってきっとある。現場の人間が勝手に判断すんな」
まるで社会人のような口をきく坊主頭に向かって、僕はこっそり舌を出した。




