第1話:バケモノ捜し
長く続くその廊下を、僕はゆっくりと歩いていた。
床も壁も天井も、一面白無垢だった。天井から吊るされた蛍光灯の灯りもまっ白で、僕はその光に消毒されている気分になった。社会の隙間に落ち込んだ僕のような屑には、きっと数多の雑菌がこびりついていることだろう。
……ああ、何だか既視感がある。僕はもう、この景色を何度も目にしている。
「急いで。時間がないの」
聞き覚えがある。声のした方に顔を向けると、そこには眉尻がナイフのように鋭い女が立っていた。
女は僕の視線に気づくと、ついてこいと目で合図し、再び足早に歩き始めた。
床材にハイヒールが突き刺さるコツコツという硬質な音が、長い廊下のずっと向こうまで響いていく。
ある部屋の前で、女は立ち止まる。
「ここよ」
何が「ここよ」なのだ。この中に入れということなのか。
部屋の扉を眺めると、白地のプレートが貼りつけてあるのに気づいた。アルファベットと番号の組合せで番号が印字されている。
「M-47」
それが僕の、番号なのか。
まるで囚人のようだ。こんな狭い部屋に入れられて、番号で管理される。
「M-47」
突然、部屋の中から声がした。
「だ、誰か中にいますよ」
驚いて女の方を振り返ったが、いつの間にか誰もいなくなっていた。先ほどまで明るく清潔に見えた廊下は、よく見るとそこかしこに茶色い汚れがこびりつき、蛍光灯は死にかけの蝉の羽ばたきのように、不規則な明滅を繰り返している。
「M-47」
再び男の声が聞こえると同時に、扉に何かが強く当たる音がした。
僕は思わず身体をのけぞらせ、一歩扉から後退した。
しかし……何だろう。妙に聞き覚えのある声のような気がする。
「……だ、誰だ。そこにいるのは」
僕の問いかけに、部屋の奥からは扉を強く叩く音が返ってくる。
ドン。
ドンドンドンドン。
「返事をしろ。誰なんだ、一体」
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン――。
突然、音がぴたりとやんだ。
息を潜めていると、微かに鉄の軋む音が聞こえる。耳の中に届く甲高い音が、ゆっくりと、しかし確実に大きくなっていく。
扉が開いていく。
暗闇の中から、1本の腕が差し出される。
扉が開いていく。
暗闇の中に、うすぼんやりとした人影が見え隠れする。
先ほどとは打って変わって掠れた声が、その人影から発せられた。
「俺は、既に――」
******
豪がなかなかベッドから出てこず、少し出遅れる形になった。
他のメンバーは既に、“エムワン”の痕跡を辿るための探索に出ている。
「それじゃ、2人も宜しく頼むよ」
柔和な笑顔で拠点から僕らを送り出そうとする流王だったが、出かけに豪が噛みついた。
「あんたは何してんだよ」
「え、俺? そりゃ皆の報告もらって、“エムワン”の潜伏先を予測したりとか、地形に応じて戦略考えたりとか――」
「要は、俺たちが足で稼いでる間、ここで吞気にお茶してるってことだろ?」
「ちょ、ちょっとその言い方はひどいな。安心してよ、いざ居場所が分かったら俺だって加わるんだからさぁ」
「はっ、うまいとこだけかっさらおうって魂胆かよ。とことん性根が腐ってるな」
流王の額に、ミミズのように太い青筋がゆっくりと浮かび上がる。
笑いながら青筋を立てるだなんて器用なこと、僕には絶対にできない。
「前々から思っていたんだけど……豪君、君はちっと礼儀がなってなさすぎやしないか」
「今更気づいたのかよ。鈍いんだな」
青筋2本目。普段から優しげな表情をしているから忘れがちだが、流王の顔つきはかなり男らしい。怒った顔は今まで見たことがあまりないが、その恐ろしさは推して知るべし、だ。
「そんなに言うなら分かったよ、俺も出ようじゃないか。そのかわり、豪君には俺の代わりを――」
「ははっ、何本気になっちゃってるの流王さん。こんな茶番してる暇ないんだってば。
ほら、行こうぜ丈嗣」
散々自分から煽っておきながら、豪は身をひるがえすとさっさと歩き去ってしまった。
恐る恐る振り返ると、何とか柔和な笑顔を取り繕おうとしながらも、般若面のような形相の流王と目が合った。
「……ヒッ」
流王はその鬼のような形相を維持したまま、ぎこちなく手を振っている。
「い、行ってきますッ」
僕もぎこちなく手を振り返すと、一目散に前を歩く豪に駆け寄った。
「何怒らせてんだよ、馬鹿」
「別に。図星だったからあんなに怒ったんだろ」
豪は気に留めていないような口ぶりだったが、
「昔はあんなじゃなかったのに」
「え?」
「もっと責任感があったというか、熱かったというか」
「今だって責任感はあるんじゃないの? 司令塔が現場まで出張ってきちゃったら回るもんも回らないだろ」
「そんな正論が聞きたいわけじゃねーよ」
豪はどこか遠くを見据えていたが、すぐに気を取り直すと、
「んじゃ、早速バケモノ退治始めるか!」
といつもの笑顔を見せた。




