第17話:想定内
「鬼の顎」は拳闘士専用の武具だ。非常に高い攻撃力を有する反面、リーチは短い。通常拳闘士はその名の通り「拳」で闘うことを基本とするため、脚に装着するこの武具は玄人向けというよりはむしろ、珍品の類で有名だった。
最初は豪自身も、こんな武具は物好きな収集家向けのお遊びグッズだと思い込んでいた。
しかし今、その「鬼の顎」は風を纏い、唸りを上げながらアルクトスの身体にその牙を突き立てている。
「ングッ……!!」
初めて騎士王の顔が苦悶に歪む。
「何だよ、この反則級の威力は」
豪は烈火のごとくその攻勢を強める。四肢を目一杯使ったこの戦闘形態は、彼にとっての最後の切り札だった。TCKでたゆまぬ研鑽を継続してきた豪が手に入れた独型の闘い方だ。
豪は小刻みなステップでアルクトスとの距離を詰めると、凄まじい速度でその双拳を繰りだした。空気が弾けるような乾いた音が、闘技場内に響き渡る。
騎士王は必死の形相でその拳を避けると、最小限の動きで右腕を突き出してきた。豪は瞬時に力でその一撃を弾き飛ばし、流れるような動作で左脚をアルクトスの脇腹へと突き立てようとする。
「甘い!」
アルクトスは吠えると、左手に手にしている大剣で「鬼の顎」の一撃を防いでみせた。
しかしその時既に、アルクトスの視界から、豪の姿は消えていた。騎士王の動きが、ほんの僅かな間停止する。
次の瞬間、アルクトスの顎は強烈なアッパーカートを喰らったように真上に吹き飛ばされた。そしてほぼ同時に、アルクトスの左脇腹には地に伏せた豪の「鬼の顎」が突き刺さっていた。
「豪ッ!やったッ」
先ほどまで座っていた僕は、思わず立ち上がって声を上げた。
「逃がさねぇ」
豪はここぞとばかりに追い討ちをかける。
力で体勢を崩し、目にも止まらぬ拳を次々に繰り出し、重厚な蹴りで鎧を砕く。その連撃は一見粗野に見えて、こんこんと湧き出す岩清水のような美しさと力強さを内包している。
少年の拳が、脚が、アルクトスの輝く鎧に少しずつひびを入れていく。
誰の目から見ても、TCKナンバー1プレイヤーが苦戦しているのは明らかだった。
この仮想世界で最も強い男の身体がぐらりと傾く。
すかさず追撃を狙う豪だったが、アルクトスの背後の空気の揺らめきを瞬時に察知し、即座に飛び退いた。先ほどまで彼がいた場所に、高圧的な音を立てる魔法の雷槍が幾本も突き立てられる。
一瞬の閃光の後、闘技場には静寂が訪れた。
空気は凪いでいた。風までもこの激闘の結果を見逃すまいと目をこらしているように、そよ風1つ吹かない。
アルクトスはやれやれといった表情で立ち上がると、双大剣を肩に担いだ。
「やっぱり深みを隠してたな、豆小僧君。今のはかなり効いたよ。
それにしても、もう僕の『ライトニング・スピア ~カモフラージュを添えて~』を攻略するとは……僕ほどではないけど、君の輝きもまた特筆に値する」
「何を強がってやがる。形勢逆転して、お仲間も焦ってるぜ」
「ああ、サー君は心配性だから。大丈夫さ、僕はこうみえて肝っ玉が太いからね」
あくまで強気な姿勢を崩さないアルクトスに対し、豪はじりじりと距離を詰める。
「もう俺のとっておきは出した……お前も見せてみろよ」
「君は強いけど、肝心なところがまるで分かってないな」
アルクトスは溜息をつくと空を仰いだ。
その隙に、豪はさらにゆっくりと、気取られぬように歩を進める。
「何がだよ」
「君はもう、深みを出尽くした。出汁を搾り取られた後の鰹のようなものさ」
「わけわかんない話で煙に巻く気かよ」
「いや、君は分からないふりをしているだけだ。
君は……使い過ぎた」
豪の顔の上で、微かにだが不安が波打った。
「はっ、一丁前に俺の攻撃を見切ったとでも――」
「その通りだ」
アルクトスは断言すると、双大剣を肩から降ろした。巨人の両腕のように見えるその鉄の塊の一方が、真っ直ぐ豪に突きつけられる。
「もう君にリスクはない。上振れも下振れもない。想定内だ」
「またダラダラわけわかんねぇこと言いやがって。そしたら、今からどっちが強いのか証明してやるよ」
「……気づいているか?」
「もうその手には乗らねぇ。その口、力づくでも閉じてやる」
「僕も、技を使っているよ」
その言葉に、豪はその場で固まった。目を見開いてアルクトスを見つめると、彼は艶然と微笑んだ。
「……そんな真っ赤な噓、誰が信じる」
「やはり、気づいてなかったか。君は眩しいが、自らの輝きで周りが見えなくなるきらいがあるね」
「お前、プレイヤーじゃないのかよ」
「いや、僕はれっきとしたプレイヤーだよ。ただ、天才なだけさ」
アルクトスの口調に、噓の香りは微塵も感じられない。
正直、豪は測りかねていた。
力を使ったというが、少なくとも戦闘中にはっきりとその影響を感じはしなかった。いや、闘っている最中微かな違和感は確かにあったのだが、それはあまりにも小さく、力を使ったと断ずるにはいささか確証がない。
“サンプル”である俺に気づかれないように力を使うことなんて、果たして可能なのか……?
いや、騙されるな。ブラフの可能性も大いにある。
酔いが収まらない。どうやら、今日は少しばかり力を酷使しすぎたようだ。
あまり時間をかけてはいられない。
「まあ良いや。お前が何者かは、とりあえず今この闘いを制してから聞かせてもらう」
豪は深呼吸をすると、再びリズミカルにフットワークを刻み始める。
遠距離から中距離では、豪に攻撃手段はない。いかにダメージを抑えて近距離戦闘に持ち込めるかどうかが、この闘いの勝敗を分ける肝になる。
しかし豪が今にもアルクトスに飛びかからんとした時、
「はいっ、そこまでッ」
突如観覧席から宇羅の叫び声が上がった。
豪はアルクトスから視線を切らぬまま、大声で怒鳴り返す。
「何だよ宇羅、お前はすっこんでろ。もう勝負はつくからよ」
「ダーメ。勝負はもうオシマイ。帰るわよ」
一瞬、宇羅の発言を図りかねた豪だったが、文字通りの意味であることが飲み込めたところで、みるみる彼の眉間に皺がよった。
「……ハァ?!」
「今茜ちゃんからメッセージが入りました。流王さんから緊急招集がかかったみたいです……その、“やつ”の尻尾を掴まえたと」
丈嗣の言葉に、一瞬頭が真っ白になる。
まさか、“エムワン”の手がかりを見つけたということなのか。
「アルクトス様、私からも提案です。一旦この勝負、ノーコンテストとしませんか?実は、先ほどから多数の団員から報告が上がっていまして」
「ええ?! こんな良いところで?」
「確かにこんな佳境で水を差すのは大変心苦しいのですが、届いている報告内容からは直ちに事実確認に向かった方が良いかと思います。
何、大丈夫ですよ。もう彼らとの繋がりはできました。続きがしたくなれば、いつでも連絡すれば良い」
豪もアルクトスも、突然の提案に戸惑い半分、苛立ち半分といった様子で睨み合う。
やがて、不満そうに頬を膨らませていたアルクトスの方が溜息をついた。
「仕方ないなぁ。さ、豆小僧君、早く降伏してよ」
「ああ? 何で俺が。やなこった」
「小さいこと言うなよ、子どもだな本当に」
「それならお前が降伏しろよ。どうせ負けてたんだから良いだろうが」
「何でTCK最強の僕が降伏しなくちゃいけないんだ。君が挑戦者なんだから、君が降伏しなよ」
「俺は絶対降伏なんかしねぇ。そんなに言うなら、今から決着つけてやるよ」
「望むところだ。さっさとやろうじゃないか」
何故か再び決闘を始めようとする2人に対して、痺れを切らした宇羅が叫び声を上げる。
「はい! もう終わりだって言ってるでしょ、豪君のアンポンタン!」
そのあまりの剣幕に、豪は渋々メニューボードを開いた。
勝ち誇ったような笑みを浮かべるアルクトスの顔面に一発叩き込みたい衝動を、何とか内側に押さえつけながら。




