第15話:色の深み
「……化け物じみてる」
「ちょっと、アル君を悪く言わないで下さい」
「いや、褒めてるんですけど」
「君、同性から嫌われるタイプですね。私分かります」
サラマンの茶々を適当に受け流しながらも、僕は豪とアルクトスの闘いから視線を切ることができなかった。
先ほど、とうとう豪がアルクトスを闘技場の端まで追い詰めた。あの見えない魔術には心底驚いたが、ここからは漸く豪の番だ――そう思ったのも束の間、アルクトスの目にもとまらぬ剣戟に、僕の口はあんぐりと開いたまま今も閉じることができない。
豪が防戦一方と言うわけではない。かといって、攻戦一方というわけでもない。
その事実が何よりも僕の心をざわつかせた。
「何をそんなに驚いてるんです」
「だって……豪の近距離戦での強さはピカ一ですよ?!」
「それは、私も良く分かっていますよ。何たってさっき手合わせしたばかりですから」
「豪の力にかかれば、近距離戦闘を得意とするプレイヤーは手も足も出ないはずなんです。ただ普通に闘っても強いのに、見たモノを『吹き飛ばす』だなんて反則ですよ!攻撃は弾かれ、防御も弾かれ、体勢は崩され……反撃すらままならないまま、ただ敗北するしか――」
そこまで言って、僕ははっと口を噤んだ。
サラマンは自称ではあるもののプレイヤー……力なんて言葉は不用意に出すべきではない。それに、他人の力の効能を敵かも分からぬ相手にべらべら喋るだなんて、あまりにも不用意だ。
恐る恐るサラマンの表情を窺うが、読めない笑みが浮かぶばかり。
「ん?今何か言いましたか」
どうにも嘘くさい台詞だが、聞き直すのもわざとらしい。
自己嫌悪に押し潰されそうになりながら、
「ところでここの闘技場、本当に凝ってますね。世界観がぴったりというか」
とあからさまに話題を変えた。
「その言葉、是非アル君本人の前で言ってあげて下さい。きっと喜ぶ」
「それに、どうやら仕様が通常の決闘モードとは異なっているみたいだ。ベットもしなくて良いですし」
「ええ。アル君が言っていた通り、我々のギルドは定期的に昇格戦をしていますからね。いちいちベットしていたのでは面倒だし、強さを測るのに賭け事のような真似は不要ですから」
「でも、決闘時にベットするのってTCKの根本的な仕様じゃないんですか?それを自分好みにカスタマイズできるって、結構凄いことな気がするんですけど」
「確かにそうかもしれませんねぇ。ま、アル君の正体が気になるなら本人に直接聞いてみれば良いんじゃないですか。多分、隠すようなことでもないと思いますし」
もしかしたら、TCKを開発したリースブレイン社の関係者かもしれない。仮にそうだとすると、この化け物じみたスペックも納得できる。要は公式な力のようなものだ。
いや、きっとそうに決まっている。
そうでなければ……そうでなければこれほどまでに豪を追い詰めることなんで、できないに決まっているのだ。
******
処理が追いつかない。
頭蓋骨の中で爆竹が弾けているようだ。
脳味噌が悲鳴を上げている。これ以上はもう無理だと、頭蓋の内側をどんどんと叩いている。
アルクトスの剣技は、サラマンに負けず劣らず激烈だった。いや、正直な話、サラマンとは比べ物にならないほどの威力と速度を兼ね備えた攻撃に、俺は瞠目せざるを得なかった。確かにただのプレイヤーごときに、これほどの動きができるはずがない。
ただ、それだけなら俺の相手ではない。いかに早くとも、この動体視力で捉えられなかった動きは今までない。サラマンの瞬間移動のような力でもない限り、俺を出し抜くことは不可能だ。
しかしこの男は――
「これじゃ足りない」
双大剣を自らの両腕のように自在に操りながら、アルクトスはそう言葉を吐いた。
「君はまだ、深みを隠している。紅色に輝けるはずなのに、どうしてそう力を隠す」
「ケッ、全部出したら、それこそもう終わっちまうだろうが」
「大丈夫。僕は全て受け止めるよ。
今まで君の前に立った者は皆溢れてしまったのだろうけど、僕なら全部飲み込める。どれだけ深みに落ち込んでも、僕なら全部飲み込める」
違う。全部出したら、今度こそ俺の方が崖っぷちだ。
豪は久しぶりに苦笑いが自身の頬に張り付くのを感じた。
豪はまだ、「鬼の顎」を絡めた攻撃は封印していた。四肢を用いた変幻自在の闘い方こそ豪が最も得意とするものだったが、それは同時に彼にとっての奥の手でもあった。
何故これほどまでに追い込まれているのか……それは、豪が今、アルクトスに力の使いどころを操られているからに他ならない。
力が使えないわけではない。むしろ、久しぶりに“酔い”がくるくらい、フルスロットルで演算処理をしている。
それなのに、自由ではない。まるで詰将棋のように、「ここにしか打てない」としか思えないように、アルクトスは俺を誘導している。否が応でもそこにしか力が使えないように、この戦局を操っている。
見抜かれているのだ。俺が、視線によって力を行使する座標を特定していることを。息もつく間もない連撃を喰らえば、視線の動きが限定され、逆に反撃することが難しくなることを。
仮にアルクトスが剣しか扱えなかったなら、ここまで苦戦することはなかったはずだ。計算外だったのは、この男が剣撃の中に魔術を混ぜ込んでくることだ。
まるで呼吸でもするように自然に、双大剣での攻撃後の隙を埋めるように、絶妙なタイミングで魔術を繰り出してくる。
「チッ、まるで腕が何本もある化け物を相手にしてるみてぇだ」
思わず呟きが漏れ、豪は再び苦笑に顔を歪めた。
相当、追い込まれてるな、俺。
「そんな顔するにはまだ早いよ、豆小僧君。僕はまだ、君の本気を見てない」
嵐のように吹き荒れる剣と雷槍の切っ先が、間断なく豪の身体を削り取っていく。
剣での攻撃は力で吹き飛ばせるが、魔術には効果がない。その弱点を効果的につき、アルクトスはじりじりと豪を壁際に追い詰めていく。
紛うことなき窮地に、豪の中で決意の炎がぽっと灯った。
やるしかない。
「鬼の顎」を使う。
一瞬で形勢を逆転させ、立て直す暇も与えず叩き潰すのだ。
******
まさに闘技場での闘いが佳境を迎えようとしていた頃、ナラキア郊外の屋敷では――
「……間違いないのか、流王さんよ」
流王の部屋には、一条、茜、阿羅の3人が集められていた。柄にもなく真剣な表情の一条の質問に、流王は静かに答えた。
「ああ。さっき信頼できる筋から情報をもらってね。
それにさっきから、肌がざわめいている。見えなくても、聞こえなくても、身体が感じているんだ」
「クソ、こんな時に路唯のやつはどこにいやがんだよッ。いっつもスカしてる癖に役に立たねーのな」
阿羅が苛立った声を上げるのと、彼女の背後に音もなく男の影が現れたのはほぼ同時だった。
「何か言ったか?」
「ウオッ、路唯?!び、びっくりさせんじゃねーよ、スカし野郎」
しかし彼は阿羅を一瞥しただけで、すぐに流王に視線を戻す。
「……あの新参がいないようだが」
一条がそういえば、と呟き顎をかいた。
「確かに丈坊のやつ、今日は姿が見えんな……。茜ちゃん、何か聞いてないか?」
「ん、いや、ちょっと分かんないですね……ハハ……」
唐突な一条からの質問に、茜はあからさまに目を泳がせた。流王はそんな彼女の様子を見ていたが、溜息をつくと席から立ち会がる。
「そういえば、宇羅ちゃんと豪君もいないみたいだけど、まあこの際どうだって良い。今すぐ全員を呼び戻すんだ。この機を逃す手はない。
遂に……あの“エムワン”の尻尾を掴んだんだからね」
そう口にした流王の表情が微かに緩む。
その表情の変化をただ1人路唯だけがじっと見つめていた。




