第11話:トランスペアレント
負けた。
勝つ可能性が高い闘いでないことは分かっていた。だが闘っている内に、勝てるかもしれないと感じ始めていたことは否めない。
だから、余計に悔しい。自分の中で消化しきれていない。
「残念。良い線いってましたけどね」
サラマンはそう言うと、僕の背後を指差した。
「じゃ、退場してもらいましょうか。次が控えてますから」
既に彼の視線は僕を捉えていなかった。イライオスたちに向けたのと同様の、無感情でありながら身を切るような圧力。敗北者は視界にも入れたくないとでも言うように、彼はしっしと手を振った。
「何度も言わせないで下さい。もう貴方に用はない。言っているでしょう。ほら、次が控えている」
振り返ると、小さな影が見えた。綺麗な卵型の頭が近づいてくる。
「何て顔してんだよ、丈嗣」
豪の第一声は驚くほど気が抜けていた。まるで通りかかった友人に挨拶するような軽いトーンに、僕は虚を突かれた。
「ごめん、僕――」
「ったく、もうちっとダメージ与えとけよな。めんどくせえ」
「勝てるかもって思ったのに。あとちょっとだったんだ。武器も防具も無効化した。それなのに、倒しきれなかった」
油断せず全力を出し切ったが、僕の刃はやつの喉元にも届いていなかった。負けたのは、純粋な実力不足。
その時初めて気づいた。
僕は――僕は勝ちたかった。自分より強い相手をねじ伏せて、豪や宇羅に自分を認めて欲しかった。現実世界では怠慢と無気力に呑まれていたこの僕でも、TCKでは価値のある存在として認められたかった。
しかし、僕は負けた。
「確かに、決め切れなかったのは情けねえな。正直ガッカリだ」
豪に合わせる顔がない。俯く僕の肩に、想いの外大きな手がそっと添えられる。
「でもよ、お前はきっちり仕事をした。見てみろよ、あの野郎を。お得意の剣技は封じられ、嫌味な鎧も土塊と化した。
お前は上に上がって、俺の闘いを眺めてれば良い。安心してくれ。お前が奴に打ち込んだ楔は無駄にはしない」
そっと顔を上げると、破顔した豪の顔があった。
「ナイスファイトだった!後は俺に任せろ」
その言葉に、僕は力強く頷き返した。
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「彼……丈嗣君でしたっけ?意外にしぶといかったですが、あの程度ではアル君と闘わせられません。折角の虹色だったのに残念だ」
「強がるなよ。『あの程度』でお前、身ぐるみ全部剥がされてんじゃねえか」
「あんなもの、ただの飾りです。剥がされたところで痛くも痒くもない」
「そうか。それなら安心だな。
俺、こう見えて結構気を遣う質でよ。ほぼ丸腰のお前にちょっとばかし同情してたんだが、これで心置きなくその高い鼻を叩き潰せるってわけだ」
豪はゆっくりとした動作で黄金色に煌く拳鍔を両手にはめる。同時に脚部に「鬼の顎」を換装すると、乾いた音を立てて肩を鳴らした。
「お前、何者だよ。プレイヤーじゃねぇだろ」
「……はあ?」
「惚けんなよ。力、使ったろうが」
「さて、何の話かさっぱり分かりませんが……私を豚鼻にできたら教えてあげましょう」
眼前に表示されたOKボタンを押下した瞬間、豪は全力で地を蹴った。決闘開始後僅かコンマ数秒で、彼はサラマンをその闘圏の内に捉える。
「シッ」
突き出した左拳に対して、サラマンはバックステップで距離を取る。
更に距離を詰めようとする豪に対し、サラマンの腕がしなやかに流れた。その手に握られた手斧を豪はダッキングで交わすと、再びワンツーを繰り出す。並のプレイヤーであれば反応すらできない攻撃だったが、サラマンは焦ることなく手斧を構えると、その細い柄で豪の拳をブロックしようとした。
剣技だけではない。その優れた体術は、サラマンの戦闘センスの高さを物語っていた。
確かにこの男の動きは凄まじい。俺の攻撃を正確にトレースし、正確無比な防御網を構築している。だが――
俺の拳は、防御不能なんだよ。
突如として、サラマンの両腕が後方に弾き飛ばされる。がら空きになった彼の顔に、初めて人間らしい表情が浮かぶ。
豪の右腕に輝く太陽が、唸りを上げてその顔面を捉えた。
……捉えたと思った。
しかしその拳は、空気の断末魔のみを残してサラマンの顔を突き抜けた。
豪はそれでも、体勢を崩さない。丈嗣のおかげで、この男の力を既に2度目にしている。防具を失っている状態であれば、攻撃を受けないよう力を使ってくることは分かっていた。
サラマンは距離を取ると、自分の頭がついていることを確認するように、そっと手で頬に触れた。
「危なかった。これは本心です。間に合ったのは、まさに僥倖……偶々あった神の気まぐれに過ぎない」
「透過……まさかとは思ったが、こんな力が実在してるとはな。どんな仕組みだよ、おい」
「私はただの『幽霊』と呼ばれる善良なプレイヤーですよ。チートなんて知らない」
あの飄々とした男の顔に、恐ろしいほどぞっとした笑みが広がる。
「貴方、本気で私の鼻を潰しにきましたね。潰れるわけがないのに、思わず身体が竦みましたよ」
「言っただろうが。鼻を潰すと。
……それよかその顔、まるで悪魔憑きだな。確かにそんな顔してちゃあ、危なっかしくて誰も寄ってこないもんなあ。ポーカーフェイス気取ってる理由が分かったぜ」
「おっと失敬、興奮のあまり醜い表情をしてしまったようです」
「醜くなんかないぜ。そっちの方があんた、余程人間臭くて良いよ」
サラマンは目を細めると、薄い笑みをこぼした。
「それはどうも。豆小僧君」
全て言い終わらない内に、サラマンは手に持っていた手斧を豪に向け投げつけた。
「こんなもん、当たるかよ」
難なく避けた豪の目前に、いつの間にかサラマンの長躯が聳えていた。
「小さいな、君は」
彼がぼそりとそう呟くと同時に、常人の目では負いきれない速度で中段蹴りが飛んでくる。
豪は避けようとも、パリイングしようともしなかった。それどころかサラマンの蹴りに合わせるようにして、自らも「鬼の顎」を装備した右脚を繰り出そうとする。
しかし僅かにだが、距離が遠かった。豪の脚ではサラマンには届かない。
それでも、豪に焦りはなかった。
「これが本命か?何度も言わせるなよ。
こんなもん、当たるかっての」
まさに豪の脇腹に食い込まんとしていたサラマンの右脚が、いや彼の身体全体がぐらりと揺れた。軸足である左脚を吹き飛ばされ、サラマンは完全に体勢を崩していた。
同時に、頭を守るように構えていた彼の両腕もまた、豪によって吹き飛ばされていた。剝き出しになった頭が、丁度豪の胸辺りに投げ出される。
「間に合わないだろ?まさに俺に蹴りくれようとしてたんだ。カウンターなら、お前が力を発動させる前に叩き潰す自信があった」
逆に言えば、サラマンが力を発動させる前に攻撃を当てるには、カウンターを食らわせるしかなかった。自らもリスクを取らなければ、この男に一撃を浴びせることは困難だと本能が告げていた。
「体術で俺に勝とうなんてあめーんだよ。ご自慢の武器を野球のピッチャーよろしく放った時、お前の負けは決まってたのさ」
脛を覆う無数の棘がサラマンの頭に迫る。
これが現実なら、この男の頭蓋骨は砕け、スプラッタ映画のように脳漿が辺りに飛び散ったはずだ。だがこれはゲームだ。そんなグロ描写はこのTCKには存在していない。プレイヤーなら、当然死ぬこともない。
……いや、この男は間違いなく“サンプル”だ。最初に70%ルールを呑んだ時から妙だと思っていたが、それも今となっては納得だ。“サンプル”がHP100%のデスマッチを受けるはずがない。
いずれにせよ、致命の一撃は間違いない。
後は細かくHPを削っていけば、ほぼノーリスクで勝てる。
……時間の流れが遅い。まだ「鬼の顎」がやつの頭を砕いた感触が伝わってこない。
いや、おかしい。
何故だ。何故やつの姿がないのだ。
この俺が見逃すはずがない。たった今まで、そこで赤ん坊みたく無防備に頭を晒していたはずなのに。
こんなことがあってたまるか。
その時、背中を突き刺すような気配が豪の全身を粟立たせた。
嘘だろ?一体いつ――
「言っただろう……私は『幽霊』だと」
死神の声が、豪の耳元にそう囁いた。




