第1話:チョモランマ
その豪奢な部屋の真ん中で男は佇んでいた。
できるだけ多くの陽光を取り入れるために大きく枠取りされた窓から、外の景色が見える。気持ち悪いくらいに晴れ渡った空の下、人が蟻のように蠢いている。
そういえば、昨日も晴れていた気がする。その前の日も、その前の日も、雨空など目にした記憶がない。利用者登録の際に、好きな天気も聞かれたんだったっけか。もう覚えていないが、TCKの運営であれば、そこまでやりかねない。
「ま、いっか。どっちでも」
そんなことより、サラマンのやつはまだだろうか。
折角ログインしているのに、部屋で突っ立っているだけだなんて、現実世界より味気ない。
ああ、早く狩りに出たい。
その時、遠慮がちに扉がノックされた。頑健な扉の隙間から、金髪碧眼の男の顔が覗く。
「失礼します、アルクトス様」
「ねえ、だからそれホントにやめて。きもいから。アル君で良いって、いつも言ってるじゃん」
「そ、そうですね……アル君。ご報告が」
「だから、そういうしゃちほこばったのやめてって。世間話だろ」
「いや、世間話では、ないのですが」
入ってきた男は溜息をつくと、勧められるままにソファに腰を下ろす。整った顔立ちをしているが、欧米人ほど彫りの深い顔つきではない。
「先日報告させて頂いた第13序次のミルゲについてですが……」
「え、誰それ」
「一応、我が鳳凰騎士団で最近急激に力をつけてきている若手の新星、ということになってますが」
「知らないなぁ」
アルクトスは、退屈そうに欠伸をかみ殺した。歳の頃は20代前半に見える。可愛げのある少年のような顔つきからは、とてもではないが鳳凰騎士団最強騎士としての風格は微塵も感じられない。
「そもそも、うちのギルドでまともなのなんて、僕とサー君だけじゃないか。それ以外のやつらなんて、ギルドの名前を笠に着てるだけの、チキンばっかり」
「あの、サー君はやめてもらえませんか、アルクト……アル君」
サー君と呼ばれた男はわざとらしく咳をすると、仕切り直すように居直った。
「とにかく、先日報告したミルゲですが、検査の結果異常はないとのことでした。
本人の希望もあり、TCKは勿論、鳳凰騎士団も続けたいとの話だったのですが、宜しいですよね?」
「別にどっちでも」
アルクトスは早くも興味を失ったように貧乏揺すりを始めていたが、何かに気が付いたようにその脚をぴたりと止めた。
「ねぇサー君、ホントはそんな話、しにきたわけじゃないんでしょ。
噂話で流れてる、突然意識が飛んじゃうバグ。その事象が、実は意図的に引き起こされてるんじゃないかって話、調べてもらうよう頼んでたはずだけど、そのミルゲってやつ、幸いそのバグを体験した張本人じゃないか。何か分かったんじゃないの」
「ええ。本題はそちらです。
それが、自我を失ったミルゲをつけたところ、面白いやつらに会いまして」
サラマンは口の端を上げると、アルクトスに何やら耳打ちした。アルクトスはうんうんと頷いていたが、話が終わると、顔に満面の笑みを浮かべた。
「でかした、サー君。正直、バグの原因だなんてどうだって良い。
じゃあ早速、その“サンプル”に会いにいってみようか」
「え、今からですか?!」
困惑するサラマンをよそに、アルクトスは立ち上がると、堅牢な部屋の扉を蹴り開けた。
この退屈な世界を彩ってくれるなら、“サンプル”だって構うものか。
君たちは、一体何色なんだろう。どんな輝きを見せてくれるんだろう。
ああ、ワクワクが止まらない。
騎士王の童顔に、およそ不似合いな不敵な笑みが浮かんだ。
******
「見ての通り、『ナラキア』はTCK内でも最大規模を誇る街なの。
多種多様な市場、酒場、娯楽施設、何ならギャンブルだってできちゃうんだから」
「え、宇羅ちゃん、やったことあるの?」
「私はないけど、阿羅はあるって言ってたよ。ねっ、阿羅」
「ちょ、ちょっと、その話は2人だけの秘密って言ったじゃない」
阿羅の叱責に、宇羅はぺろりと舌を出して応える。こんなことで許してもらえるのなんて宇羅くらいのものだ。僕だったら、仮に土下座したって彼女の怒りは収まるまい。
城塞都市「ナラキア」に到着した翌日、豪、茜、僕の3人は、阿羅と宇羅に連れられて街を散策していた。一応、名目的には「“サンプル”として情報交換ができる場所を把握しておく」ことが目的だったはずだが、既に宇羅の頭にそんな言葉は残っていまい。
宇羅の説明通り、「ナラキア」の巨大さは目を見張るほどだった。これほど巨大な街で、これほど多くの人が行きかっているのに、処理落ちによるカクつきなどまるで感じない。ふとすれば、これがゲームの世界であることを忘れてしまうほどの現実感に、圧倒されっぱなしだった。
「この人たちも全員がプレイヤーなのかな?」
僕の質問に、阿羅が馬鹿にしたような目つきを返してくる。
「ホントにそう思う? だとしたらあんた、相当な――」
「ああ、違うってことね!もう良いよ、分かりましたから!」
「ちょっと、興奮しないで丈嗣君。みっともないよ」
味方だとばかり思っていた茜からもやんわりと注意され、僕はすがるように宇羅に視線をやった。
「阿羅、やめなよ。丈嗣君だって流石にそんな馬鹿じゃないわ。分かって敢えて聞いてるんだよね? そうだよね?」
欠片も悪意を感じさせない純粋な瞳に見つめられ、ばつが悪くなった僕は口笛を吹いた。
うう、泣きそうだ。そりゃあ、冷静に考えればここにいる全員がプレイヤーだなんて有り得ない。TCKにはここ「ナラキア」以外にも、王都「イラムス」を筆頭に巨大な都市が幾つもある。そこにいる全員がプレイヤーだとしたら、それこそ日本国民の大半がプレイしていても不思議ではない。
「それにしても、凄いAIだよね。私、気になって1度試してみたことがあるの」
「何をしたの、あんた」
「実験。街で歩いている人を適当に呼び止めて、世間話をするの」
「宇羅、前から思ってたけど、あんたのその行動力どこからくるのよ」
阿羅は若干引いているようだったが、宇羅は気にもかけずにっこりと微笑む。
「そりゃあ一部は、明らかにNPCだろうって言動だったけど、大半とは普通に会話できたのよ」
「それ、実はプレイヤーだったんじゃないの」
僕の突っ込みにも、宇羅はゆるゆると首を横に振る。
「お仕事もちゃんと聞いたの。プレイヤーだったら、『ジョブ』のことかと思って、『騎士』とか『魔術師』とか答えるでしょ。私が聞いた人たちは、どこそこの酒場で働いているとか、街から街へ渡り歩いて行商人してるとか、武具のメンテナンスをしてるとかばっかり」
「へぇ。だとしたら、凄まじい技術だな」
強いて言えば、まともに会話ができるNPCとできないNPCがいることに若干の違和感はあるが。運営が一部だけそんな出来損ないを混ぜておく理由が分からない。
4人がやんやと意見を交わしているところに、それまで黙っていた豪が一石を投じた。
「人だ」
「え?」
「そいつらはNon Player Characterじゃない。れっきとした人間が中に入ってる」
突然声を発した豪に、僕たち4人は揃って固まってしまった。思いもよらず注目を浴び、豪は照れ臭げに視線を逸らした。
最初に沈黙を打ち破ったのは、やはり頼れる彼女だ。
「ごめん、豪君。それどういうこと?!」
気遣いなど感じさせない天真爛漫な声音で、宇羅が尋ねる。それで気が楽になったのか、豪もいつも通りの冷静さを取り戻していた。
「そのままの意味だ。宇羅が声をかけたやつらは、人が操作してる」
「え、それってプレイヤーってこと?」
素っ頓狂な声を上げた僕に、蔑むような豪の視線が注がれる。何で宇羅は良くて、僕にはそんな目つきをしてくるんだ、この坊主頭め。
「だから、違うって言っただろうが。話聞いてたのか」
「勿論聞いてたさ! プレイヤーじゃないのに人が操作してるとか、訳の分からないこと言うから――」
「もう、落ち着いてよ丈嗣君。考えれば何となく分かるでしょ」
再び背後から茜の口撃を食らい、僕はばったりとそこに倒れた。「ナラキア」までの旅程で大分仲良くなれたと思ってたのに、何でここにきてそんな塩対応なんだ……!
「恐らく、アルバイトのようなものなのかしら。私たちとは違って、ログアウトできないなんておかしな縛りのない、真っ当なアルバイト」
「なるほど、TCK内で働いて、現実世界で賃金をもらってるってわけか。何だか不思議ね」
茜の仮説に、阿羅が成程と相槌を打つ。頷く豪の様子を見ていても、彼女の推測は当たっているのだろう。
一方、宇羅は2人の話に目を輝かせていた。
「面白いねぇ! 今度声かけた時、時給いくらか聞いてみよっと」
「やめとけよ。彼らはあくまでNPCを演じて給料をもらってるんだ。夢をぶち壊すようなこと、そう軽々と喋るわけないだろ。
それに、目立つようなことはすんなって、何度も流王さんに釘刺されてんだろうが。良い加減お前も気をつけろよな」
「うう……そこまで言わなくても」
もっともな豪の説教に、しゅんとなる宇羅。あまり2人のやり取りは見かけたことがなかったが、恐らく普段からこんな感じなのだろう。何だか微笑ましくて口元が緩みかけたが、豪の突き刺すような視線に気づいてすぐに無表情を装う。
暫く歩くと、街中の一角で宇羅が脚を止めた。どうやら繁華街のようなエリアらしく、そこかしこに酒場やバーと思しき店が立ち並んでいる。
「一応、今回の目的も果たしておかないとね」
そう言って、気を取り直した宇羅はずんずんとある店に向かって進んでいく。看板には「チョモランマ」とあった。目を凝らすと、外壁にうっすらと、デフォルメされた脳が電球のように光るあのマークが印字されている。
そもそもの目的などすっかり忘れていると思っていたが、案外きっちりした性格らしい。
店に入ると、まだ昼間にも関わらず、店内は多くの客で賑わっていた。ゲームの世界でもやはり、酒のもつ魔力は衰えを見せないらしい。それなら現実世界で飲めば良いじゃないかと思いもしたが、彼らがどう楽しもうと僕の与り知るところではない。
視線を戻したところで、前にいた宇羅とばっちり目が合う。彼女は悪戯っぽそうな笑みを湛えたまま、不意にちょいちょいと手招きをした。どうやら、耳を貸せ、ということらしい。
身を屈めると、耳元に宇羅の吐息がかかった。香水なのか石鹸なのか分からない良い香りが、鼻腔をむずむずと刺激する。
「丈嗣君が今思ったこと当ててあげようか?」
「え?なに、エスパーごっこ?」
「うん。当たったら、一杯おごってね。じゃあ、言うよ。
『こいつら、何でこんな真昼間から酒なんて飲んでんだろう。TCKにきて酒飲むくらいなら、はじめっから現実世界で吞兵衛すれば良いじゃないか』」
声真似が致命的に似ていないことは置いておくにしても、見事に言い当てられてしまっている。口をぽかんと開けて彼女を見ると、宇羅はふふっと目を細めた。
「当たったでしょ。顔に書いてあるよ。今夜は一杯おごってね」
「あ、ああ。でも、何で分かったんだ?」
「ここに初めて連れてくると、みんなおんなじ顔するからよ。
でもね、実はその思い込みは大きな間違いなの。逆に考えてみて。TCKでわざわざ昼間から飲むような人間ってどういう人たちなんだろうって。そんな人たちが、何でこんなに沢山いるんだろうって」
茜の出した謎々への答えはしかし、既に何となくだが目星がついていた。店の外壁で目にした、あのマーク。“サンプル”同士の情報交換の場であることを示す、秘密の暗号。
そして、“サンプル”と一般プレイヤーとの決定的な違い。何度も復活できるプレイヤーが嬉々として窮地へと飛び込むのに対し、現実と同様慎重にならざるを得ない僕たち。何もしないのは退屈だが、さりとて命を危険には晒したくない。
であれば、手軽な娯楽を入り浸ってしまうのは自明の理だ。
「もしかして――ここにいる人、全員“サンプル”なのか?」
僕の問いかけに、宇羅は首を大きく縦に振った。




