第9話:情報源
外の世界で初めて遭遇した"サンプル"。それがまさか、こんな何の変哲もない、普通の女性だなんて。もっと何か癖というか、ぱっと見で分かるようなオーラのようなものを感じ取れると思っていたが、僕の予想は大きく裏切られた。
彼女はゆっくりとフードをめくった。狐のような少しきつめの顔つきが印象的だ。
「……見かけない顔ですね」
「さっきもマスターに同じこと言われましたよ。
何はともあれ、まずは自己紹介を。初めまして。荒神豪と言います。こっちのなよっとしたのが吉田丈嗣、こっちの子犬みたいなのが布施茜です」
何だその紹介の仕方は。「なよっとした」は必要ないだろう。
茜を見やると、彼女も顔を真っ赤にしている。恥ずかしがりな彼女のことだ。今頃頭の中ではちょっとしたパニック状態に違いない。可哀想に。
しかし目の前の女性は動じることなく、淡々とした口調で返してきた。
「私は高木と言います。宜しく」
「早速ですけど、ちょっと伺いたい話がありまして」
「その前に、確認なんだけれど」
「何でしょう」
「あなた、もしかして流王さんとこの人?」
突然見知った名前が飛び出してきて、僕は思わず高木の顔を凝視した。彼女は僕の方をちらりと見やったが、無表情のまま再び豪に向かい合う。
一方の豪は、驚いた表情はしていない。あくまで日常会話の続きのように、平静な声音を保っている。
「ええ。その通りです」
「……タカ派の連中ね」
ぼそりとつぶやいた彼女の声は、静かな店内に驚くほど大きく響いた。
「そう呼ぶ人たちがいることは知っています」
「"サンプル"の大多数はそう呼んでるわよ。また厄介事じゃないでしょうね」
「いや、ちょっとある一件についてお話を訊きたいだけです」
「……失踪事件の件ね」
高木の言葉に、豪は力強くうなずく。その瞳には、何がなんでも真相を突き止めるという、揺るがぬ意思が垣間見える。
「知ってるわ。何しろ、蒸発したのは私の知り合いだったんだから」
「それじゃあ――」
表情を明るくした豪だったが、高木の反応はそっけない。
「でも、あなたたちに伝えることは何もないわ」
「そんな、どうして」
自分の口から思わずそんな言葉が漏れた。その途端、高木の鋭い眼光が僕を射竦める
「そんなことも分からないの? あんたたちが色々引っかきき回すせいで、こっちが面倒事に巻き込まれるのはごめんよ。ただ静かに暮らしたいだけなのに」
「そんな……別に引っかき回すつもりなんて」
「丈嗣、もうやめろ」
豪の言葉に、僕は再度開きかけた口をつぐんだ。
「すみません、取り乱してしまって。ただ我々としても、高木さんをはじめ、他の方に迷惑をかけるつもりは毛頭ありません。ですから」
「話すことはもうありません。久しぶりに他のエリアの情報収集でもと思って、誰か来ないか待っていたけれど、そういう荒っぽい話は勘弁して欲しいんです。お引き取り下さい」
「しかし……」
「それなら、私の方からお暇します。失礼」
高木は空になったグラスを手に持つと、そのまま席を立った。僕も茜も急な展開にどうして良いか分からず、ただ呆然とその後ろ姿を見送るしかない。
しかし、立ち去ろうとした背中に投げかけられた豪の言葉が、彼女の足を止めた。
「……本当に、ただの失踪ですか」
「どういう意味」
「姿を消したのは本人の意志なんでしょうか。何か嫌なことがあって、突然遍歴の旅に出発したとでも?」
「そんなこと分からないわ」
「そんなはずはない。今回失踪した人間は、自分の意志で外の世界に出ようとは思わないはずです。あなたなら分かっているはずだ」
豪の確信をもった問いかけに、応ずる高木の声が少し荒くなった気がした。
「……だったら何。さらわれたとでも言うの」
「それならまだ良い。最悪なケースは――」
豪はそこで一度言葉を切ると、グラスに口をつけ、中身を一息で飲み干した。
「何者かによって殺された可能性です」
その言葉を聞いた瞬間、高木の顔がさっと青ざめたのが、背中越しでさえはっきりと分かった。握りしめた拳がうっすらと震えている。
一方の僕の方は、彼の言葉に引っかかりを感じていた。これまでの話から、これはてっきり"エムワン"捜索に関する話だとばかり思っていた。だが豪の口ぶりは、まるで――
「ちょっと豪君、いくら何でもそれは」
「黙ってろ茜」
豪は低い声で唸ると、なおも高木に向かって語りかけた。
「あなたは知っているはずです。その手の震えを見れば分かる。
何者かが我々を殺して回っています。噂を聞いたことくらいはあるはずだ。今回の件が、その話と関係しているかもしれない」
「そんなもの、ただの都市伝説よ。馬鹿馬鹿しい」
高木は取り合おうとしない風を装っているが、豪の話に関心をもっているのが分かる。その証拠に、彼女は歩き去らずに彼の言葉を待っている。
「いや、これはそんなあやふやなもんじゃない。我々を狩っている何者かがいることは確かなんです。俺たちは、そいつがを止めたくて話を訊きにきたんだ」
「……何度も言ってるでしょ。話すことなんてないわ。放っておいて」
なぜ、高木はこれほどまでに頑なな態度を貫くのだろう。何か理由があるのだろうか。
心配そうに会話の行方を見守る僕たちをよそに、豪はため息をつくとつぶやくように言う。
「良いのか、それで」
「……」
「あんたは納得できんのか。話した感じじゃ、今回失踪した"サンプル"とはただのお隣さんってわけじゃないらしい。それなりの関係を築いていたんじゃないですか」
高木の背中がかすかに震えている。それが怒りのためなのか、悲しみのためなのかは分からない。
「やめて。もう何もしゃべりかけてこないで」
「俺なら、許せない。訳もか分からずこんな世界にぶち込まれて、静かに暮らそうと思いきや、今度は友人の姿が突然消えるなんて」
「だから、園子は誰かに襲われたって確定したわけじゃ――」
「良い加減現実に目を向けなよ、高木さん」
豪の一言は、鋭い矢となって高木の背中に深々と突き刺さった。
「最初に顔を見た瞬間に分かった。あんた……見たんだな」
高木がその場に崩れ落ちるのと、豪がうつむいたのはほぼ同時だった。
「大切な人が、やつに屠られる場面を」
******
「すっかり騙されたよ。てっきり"エムワン"がらみだと思ってたのに、まさか獅子旗の調査だったなんて。なんで噓なんかついたんだよ」
高木の友人が殺害されたという現場へ向かう途中、そんな質問を豪に投げかけると、やる気のなさそうな生返事が返ってきた。
「うるせぇな、良いだろ別に」
「良くはないだろ! ったく、あとで流王さんには報告しとくからな。
それと、何で獅子旗が絡んでるって分かったんだ?」
「別に。何となくそんな気がしただけだ」
「ただの勘ってこと? その割には、確信をもって行動していたような……」
「まだ獅子旗の仕業って確定したわけじゃないでしょ。仮説を立てるのは悪くないけど、こだわりすぎるのは悪い癖よ」
茜の忠告も、豪は軽く受け流した。
「へいへい、お説教どうも」
「私は真面目に言ってるのよ。もう、あんなあけすけな物言いしなくても良いじゃない」
茜はさっきから終始機嫌が悪い。恐らく、豪の高木への物言いに不満があったのだろう。現に泣き崩れた彼女を必死になだめすかし、詳細を聞くことができたのは茜のおかげだ。
「高木さんの気持ちも考えなよ。目の前で知り合いが殺されて、まだ日が経たない内に見ず知らずの人間からそのことほじくり返されたら、まともな人間なら耐えられるはずないでしょ」
「仕方ねぇだろ。話訊かないことには調査も始められねぇんだし」
「その訊き方の問題だって言ってんの。私がいたから良かったものの、あんたたち2人だけだったら後味の悪さ以外に収穫なかったのよ」
まさか、怒りの矛先に僕も含まれているのか?
訊いてみようかと後ろを振り返ったが、むすっとした彼女の表情を見て思い直す。下らない発言でこの場の雰囲気を悪化させでもすれば、それこそ後味の悪さで眠れなくなってしまう。
それにしても、あの高木という女性は大丈夫なのだろうか。
あの後とつとつと語りだした彼女の口からは、目の前で友を殺された恐ろしさと悔しさが瘴気のように立ち昇っていた。苦悶の表情を見せながら、なぶられた末に絶命したという彼女の友人。
獅子旗はまるで高木に見せつけるように友人を殺害してから、その場を悠々と後にしたという。
「……色々と分からないことだらけだ。
何故高木の友人は獅子旗からの決闘を受け入れたのだろう。PK禁止ルールがあるから、決闘以外じゃダメージは負わせられない。しかも50%ルールじゃなく、100%のデスマッチだ。“サンプル”ならその恐ろしさを充分に承知しているはずなのに。
それに、高木さんに見せつけるように殺害したってのも謎だ。目撃者は殺すのが普通じゃないのか。他にも――」
「何をぶつぶつ言ってんだよ、気持ちわりいな」
横からそんな豪の言葉が飛んできて我に返る。
知らぬ間に考えが声に出ていたらしい。少し顔が火照ったが、今更気持ち悪いと言われたところで傷つくほど大層なプライドは持ち合わせていない。彼の口の悪さのおかげか、この数日で大抵の発言は流せるようになってきている。
「一言余計だ。そんなことより、獅子旗の外見イメージ、すぐに流王さんに報告した方が良いんじゃないのか。今まで姿を見た人間は1人もいなかったんだ。かなり有益な情報になると思うけど」
友人を殺した仇に一矢報いたかったのか、何と高木は獅子旗のスナップショットを保存していた。逆光で顔には陰がかかっているものの、解析すればおぼろげながらに顔つきは判別できる。
今まで霞のように捉えどころのなかった敵が、急に目の前に現れた――そんな興奮が、僕たち3人の間に漂っているのは確かだ。
だが、豪は立てつく島もなく首を横に振った。
「まだ情報が不確かだ。まずは自分の目で確かめる必要がある。それまで報告はしない。余計なことすんなよ、丈嗣」
そう言う豪には、何故だかいつもの勢いがない。何か考え込んでいる様子で、表情も冴えない。口元は思いつめたように引き絞られ、道中も言葉少なだった。
そんな彼の様子を、僕は獅子旗を追い詰めているが故の緊張なんだとばかり思っていた。
そう、当の本人に遭遇するまでは。




