第九話 ふたりのきょり 後編
――ミキ。俺、頑張って走り抜けたんだぜ。3位になったよ。何百人の中の3位だぜ。なぁ、すごい事だろ?
え?・・・おい、もっと喜んでくれよ!ミキ!
――
「うぅ〜・・・ミキ・・・。」
自分が意識してる自分とは違うもう一人の俺が唸っているのが聞こえる。
まあ・・・すなわち眠りからさめる直前のぼんやりとした意識って所か・・・?
目を開けるといつもの見慣れている場所・・・
白い天井に青いカーペット・・・散らかり放題の机に半開きの薄いレースのカーテン
ここは・・・って俺の部屋!?
・・・え? なんで家にいるんだ?というか今何時?6時・・・しかも朝だよ・・・。
全くワケが分からない。
だって、ついさっきまで俺はずっと走ってた・・・はずなのに
まさか・・・?
ズキ――
と起き上がった瞬間、体のそこら中に鈍い痛みが走った。
イタタタタ・・・どうやら走った事は夢ではないみたいだ・・・。
痛みをこらえながらゆっくりと階段を降りて、キッチンへ向かう。
キッチンではすでに母さんが朝食を作っていた。
「おはよ〜。」
「あら、やっと起きたの?」
どっからどう見てもいつもの母さんがそこにいた。
「あ〜。ていうかさ起きたらいきなり家にいたからビックリしたよ。しかも朝っぱらだし。」
「まさか、アンタ何にも覚えてないの?」
母さんは本気でビックリし、そして微妙にニヤニヤしながら言った。
「あ・・・あぁ。何があったの?」
正直聞くのが怖い・・・いやな予感が・・・。
「う〜んとね・・・カクカクシカジカ・・・。」
――なるほど・・・どうやらイヤな予感は的のど真ん中を突き破ったようだ・・・。
一通りの母からの説明が終わり、俺は少し早めの朝食についた。というか物思いにふけった。
もし、母が言った事が正しければ(まぁ、きっと正しいんだろうけど)今日、今からミキに会うどころか学校に行くことすら恥ずかしい事態になりかねない。
母が俺を見た時にはすでに保健室でオネンネしていたらしい。
走ってる途中で倒れた俺を誰かが担いでくれ、保健室まで連れていってくれた。などという情けのないオチ・・・。
・・・なんとまあカッコ悪い。
でもまぁそこまでなら何とか笑い話ですむかもしれない。
実際かなり無理して走ってたと思うし、途中で倒れる事も分からないでもないだろう。
だが・・・神様はさらに俺に残酷な罰を与えたみたいだ。
母が保健室のオバチャンに聞いた話によると、貧血で倒れていた時のオレの・・・その・・・ズボンはビショビショだったらしい・・・。
一体その情報がどこからめぐりにめぐって母にまわっていったか・・・容易に想像はつくが・・・
俺は走りながら体力、精神の限界と共にもう一つの限界が災いして倒れてしまったみたいだ・・・。
甲
「は!?って、馬鹿じゃんオレ!?」
乙
「何真面目に分析してんの? 単なるダサ夫だよオレは!」
甲
「オモラシ・・・!? まるでガキじゃねーか!」
乙
「高一にもなってオモラシはないだろ!」
俺はリビングとキッチンを何度も行き来し、自問自答を繰り返す。
というか、想像しただけで顔が赤くなる。
そして時間ギリギリまで頭を悩ませあ〜だこ〜だしていた俺に母の一言。
「はい!覚悟を決めて、いってらっしゃい!」
・・・分かりました・・・グスン。
多分、この短くも濃い16年の中で一番イヤな瞬間だろうな・・・。
クラスのドアの前。
ガラガラガラ――
ドアを開けると、ほぼ全員が一瞬こっちをチラ見してすぐに視線を他へ預けた。
あまりに一瞬の事だったが明らかに意識しているのは皆が作り出しているムードですぐに分かった・・・。
「あ・・・おはよ、リョウ君・・・。」
特にこのヒロ君はあからさまにオドオドしてる・・・
「ああ・・・おはよう」
「えっと体の調子は・・あ、何でもないハハハ・・・。」
「あ〜もう大丈夫だよ、スッキリさ。」
俺は周りのムードに負けないスマイルを決め込む。
こういう時は後悔しても仕方ない。
「スッキリ・・・したんだ。ハハハそれは良かったね〜。」
と言ってヒロはゆっくり後ろへ下がっていく。
何故か不気味な笑みを浮かべて・・・
イヤな気分になって席につくと、
「お・・・オマエ、無事に学校に来たのか・・・。」
今度はヤマトが俺の席へとやってきた。
「無事に?」
「いや〜学校に行く度胸があるだけ立派だよオマエは・・・」
「・・・。」
ウイルスは確実に伝染しているみたいだ。
はぁ・・・最悪の一日だった。
廊下を歩きながら思う。
はあ・・・みんなの視線が痛かった。
階段を降りながら思う。
はあ・・・
教室を出てからロッカーへ歩きながらため息を10回以上ついた。
今日は短くも濃い人生最大の厄日。
こんな日はミキに会わずそのまま帰った方がいい。
・・・と思ったのに・・・。
偶然会ってしまった。
正門を出て二つ目の角を曲がったら彼女がいた。しかもこっちを見ていたんだ・・・。
「あ・・・リョウ君・・。」
俺を見て立ちすくむ彼女。
「よ・・ようミキ。」
一気に体が火照る。
今、ミキに会って何を話す?
全く考えてなかった。
今日は絶対会わないようにと祈ってたのに・・・。
「じゃ、じゃあね!」
俺はそう言って、ミキの前を足早に通り過ぎた・・・のだが・・・
「あ・・・リョウ君?」
ミキが俺を呼び止める。
このまま聞こえないフリをする・・・わけにも行かないか・・・。
仕方なくゆっくりと振り向くと俺よりちっちゃいミキは相変わらず白くて妖精みたいにかわいい顔でこっちを見ている。
「な、なに・・?」
「その・・・もう大丈夫なの・・?」
「え・・? あ〜うん、もうバッチリ・・・って何で知ってんの?」
「あ、えっとそれは・・・」
そんな感じで二人で歩きながら沈黙が流れる。春の生温い風が俺とミキに吹き付ける。
その風に乗ってミキの黒くて長い髪からほのかな香りがする。
「なあ・・・俺の事きらいになった?」
少し恐る恐る聞いてみる。
「ううん・・なんで?」
ミキはただ不思議がった顔をする。
「いや・・・オ・・・」
「お・・・?」
「オッホン!何でもないハハハ!」
何考えてんだか俺は・・・。わざわざ言う必要なんてないだろ。というかむしろ言っちゃだめだよ・・・。
隣でミキが俺と一緒に歩いている・・・んだから。
それだけで十分だろ・・・。
しかも俺に歩幅合わせてくれてるし。
テクテクと・・・。
なんかドキドキしてきた・・・。
「・・・えっとミキ?」
「・・・え? 呼んだ?」
「・・・いや、何でもないわ!」
「うん・・・」
余計なコトばっか浮かんで肝心の話のネタが何もない・・・。
空は夕焼けが沈み、段々薄暗くなってきた。
ふと、向こうの交差点を見る。
そこには・・・見慣れたユニフォームの姿が・・・。
目を細めると先輩数人がバットを片手に立っている。
やば・・・部活サボったのバレる。
しかも最悪のタイミングで。
普段から暴れん坊な先輩がキレたら何するか分からない、しかもバット持ってるし・・・。
そして、万が一、隣で歩いているミキにも危害が加わったら・・・
と思った瞬間、とっさに俺はミキの手を握った。
「どうしたの?」
「ミキ、ちょっとこっち来て!」
ひとまず先輩と顔をあわさなくてすむ所まで逃げよう・・・。
と思い、ミキの手を取ったまま道路の脇の段差を越えた。
「え・・・待って!・・あ!」
その声に振り向くと、ミキは段差に足を引っかけ体を前によろけていた。
危ない!
その瞬間、すぐに俺は前に倒れかけたミキの体を全身で受け止めた。
・・・!?
ミキを受け止めた俺はそのままじっと固まっていた。
自分でもよく判断が付いていない。
今この状態を他人が見たら・・・受け止めたというより抱いた・・・に近い。
制服姿のミキの体を俺の体がギュッと強く覆っている。目を少し下にやると、あまりに至近距離のミキの頭が・・・。
ミキは思った以上に華奢な感触で・・・。
温もりや香りが俺に伝わってくる。
俺より小柄なその体から、俺のではないもう一つの心臓の音が聞こえる・・・。
同じように、いや、俺よりもドキドキしているその音。
「だ・・・だいじょうぶ?」
「う・・・うん・・。」
俺に抱きしめられているミキは俯いたまま小さく頷いた。
・・・。ドキドキが増していく・・・。
早くその手を離せよオレ・・・いつまでやってんだ・・・。
しかし、俺の手は一切命令を聞かず、更に下へ下へと・・・。
ミキの・・・体を包みながら・・俺の手は彼女のスカートへと伸びていった。
ゆっくりとミキの・・・その感触を確かめる・・・。
その時だった。
「・・やめて!」
ミキは力ずくで両手で俺を突き飛ばした。俺は向こうへぐっとよろけた。
「・・・。」
そしてミキは何も言わずそのまま向こうへと走り去っていった。
「あ・・・。」
その時、俺はやっと我に返った。
終わった・・・。
すべて終わった・・・。
俺は絶対にしてはいけない事をしてしまった・・・。
読んで下さってありがとうございます。ひとまずDQNな主人公ですいません!とだけ言っておきます(笑)次話は既に構想していますので早めに更新できそうです。多分。