其の3 志能備
甲賀の郷には既に早馬の先方が出て、滝川一益が、急ぎ訪ねる旨を知らせに行っている。甲賀信楽豪族、多羅尾光俊・光太親子に会う。
お付きと従者を連れている。
「一益様」
「何だ?十郎太」
十郎太とは一益の身辺の世話をする少年だ。信長が貧農民だった秀吉を雇ったように、身分に関係無く置いている。秀吉の出世は、此の時代の奇跡である。十郎太は合戦で孤児になった農民の子だが、明晰な処を一益が視た。
主人を名で呼んでいる。一益の風儀がそうさせるのであろう。親のように思っている部分もある。一益も其れを許している。周りからも可愛がられていた。
「他の甲賀出身の方々は供に来ないのですか?」
「皆、合戦に忙しい。儂は話を聞きに行くだけじゃ。ぞろぞろと行ってもしょうがなかろう?」
「甲賀忍者とはどういう人達ですか?」
「十郎太、先ず、教えよう。甲賀では無い。こうか・・・だ」
「甲賀ですか?」
「うむ。賀は(が)と読むから致仕方ない。伊賀は(いが)だしな。しかし、濁らんのだ。こうか・・・だ。先で失礼の無いようにな」
「はい!」
「お前は、似た境遇の猿(秀吉)に預けて出世させたいのだが、あやつは女好きの助平でな。教育上善く無い。お前は頭が善い。だから連れている。信長殿の下なら頭で出世が出来るぞ」
「はい!」
「甲賀衆か・・・元は地侍上がりで夫々(それぞれ)一派があって、孤立していたそうだ。小競り合いもよくあったと云う。まとめて土地周辺から甲賀衆と呼んでるだけだ。甲賀流など無いんじゃ。京に近い土地柄ゆえ、都の情報に詳しい。山深い土地から独特の武芸を心得るようにもなった。戦国から共同体を組むようになってな、長らく六角殿の配下だった。今は織田家に仕えている。事があった時は各派の代表が集まり協議するんじゃ。其れを惣と云う」
甲賀武士は、累代本領を支配し、古風な武士の意地を立て、過奢を嫌い、質素を好み、大方小身故に地戦計りに出つ。然れども一分一並の武勇は嗜み、故に皆今の世迄相続し、家を失わず、國並みの家々とは格別の風儀なり。世に甲賀の忍の衆と云うは、釣の陣に神妙の動あり。日本國十の大軍眼前に見及び故、其以来名高く誉れを伝えたり。元来此の忍の法は、屋形の秘軍亀六の法を伝授せし故なり。其以来、弥鍛錬して伊賀甲賀衆誉多し、甲賀五十三家の目あれど、其家詳ならず伝々。
ーーーー近江淡海温故録一部
「甲賀も伊賀も同じようなもの。たった山一つ超えただけの隣同士じゃ。時代に上手く乗るか?そうでないか?が、甲賀と伊賀の差じゃ」
「伊賀は絶滅ですか?」
「絶滅は無い。今も上忍残党含め、山中やらに隠れているだろう。しかし、我らに歯向かう力は既に無い。土地も取り上げられ、もう死んだも同然じゃ、武だけでは生き残れない。十郎太、わかるか?」
「はい、頭を使えと云うことですね」
「ははは、そうじゃ。しかし、伊賀は馬鹿だから滅びた訳ではないぞ。伊賀は誉れ高い衆だった。最後まで抵抗しよった。天晴じゃ。だから運もある。何時か違う形で復活するかもしれん」
「何時か違う形で・・・」
「甲賀だって安泰ではない。其の内、忍者は要らなくなる時代が来る」
甲賀の郷が視得て来た。
一益は「秘密談義にて人気の無い夜、訪ねる」と云っておいた。
「一益殿!遠路はるばる・・・故知等から参りましたのに」
「光俊殿、光太殿、久しゅう。いや、急ぎの用なので、故知等から参った。すまなんだ」
豪邸である。
「まあ、お休みになってください。酒だ!酒と肴を出せ!」光太が家中の者に云い、道中を労った。
○多羅尾光俊(たらおみつとし 1514年ー1609年)四郎兵衛・四郎右衛門・道賀。近江甲賀信楽の豪族。六角氏旧臣。
○多羅尾光太(たらおみつもと 1552年ー1647年)彦一・彦市・久右衛門・左京進。多羅尾光俊の息。第二次伊賀の乱に堀秀政配下「信楽口」従軍。多羅尾隊副将。
親子して、後、徳川家康の伊賀越えに協力する。
「で、急に如何されました?」
「御館様が伊賀で襲われたのです」
「御館様が?!伊賀の残党ですか?」
「警告を受けたんです。殺すと」
「光太は伊賀の乱に出兵しましたが、まだそんな豪気な輩がおりますか?」
「伊賀の者かどうかもわかりませんが、警告文に名が記してありました。須佐一族と・・・」
「須佐一族!!!」光俊は吃驚して後退りした。
「す、須佐が!!・・・須佐が・・・・まさか、そんな・・・」
「光俊殿、知っているんですね。何者ですか?」
「嘘だ、須佐が人世に手を貸したのは厩戸皇子(うまやどのみこ~聖徳太子)までしか無い。まさか、伊賀の復讐をするなど・・・」
「昔、聞いたあの話は、矢張り、須佐一族のことだったんですね。教えてください!九百年の歴史を持つ忍者とは一体?」
「一益殿。我らから聞いたことはどうか内密に。そうしなければ、我らが滅ぼされます」
「何を云いますか。我らが守ります。天下の信長軍団が付いておりますぞ」
「どうか内密に・・・どうか・・・」
「?・・・・わかりました・・・此の豪気な光俊殿が脅えている・・・・」
光俊は手元の猪口の酒を一気に飲み干した。
「須佐は神の一族です」
「神?!!!!???」
「須佐之男命の一族です」
「何ですと!須佐之男命?!!!!???」
「神と云うか・・・現人です。つまり御門(天皇)の軍隊です」
「ちょっと、待ってください。天皇の軍隊と云えば、源平ではないですか」
「源平は此の世の政の乱を収める軍隊でした。既に共に滅びましたが」
「そうです。滅びました。源氏が御門を追いやり、独立武士団を形成し、武士の時代を作りました」
「其の時、須佐一族は平家に加担して動いていない」
「そうです。そんな名は聞いたことがありません」
「其の昔、須佐は厩戸皇子に頼まれて政の諜報活動に手を貸した。しかし、失敗でした。皇子は死んだ。聖人を殺されてしまった・・・深く悔いたのです。本業は政治家や武士が相手では無いからです」
「武士が相手では無い?では、誰ですか?」
「魔・・・です」
「魔?」
「此の世のものでは無い、物の怪が相手なんです」
「源氏にもそういう一派が居たと伝承にある」
「百年程前、諏訪で生き残りの源氏や陰陽師たちを供だって八岐大蛇と闘っています」
「八岐大蛇ーーー?!!み、光俊殿、世迷い言はやめてください」
「世迷い言?本当です。伊賀衆は何時頃なのか知りませんが、須佐に妖術を教え乞うたのです」
「妖術・・・」
「しかし、人間には無理でした。数人、ある程度会得した者が居たらしいのですが・・・壁抜け、手裏剣の螺旋投技、瞬間移動、気、砲炎、砲電、千里眼・・・」
「何ですか?其れ?」
「人智を超えた術です。風魔、根来、雑賀、彼等も乞いました」
「そんな事が可能なら儂の軍にも欲しい」
「基礎の妖術使いが数人出ただけです。たいした戦力にはなりませんよ・・・志能備・・・須佐一族は天平時代、自分たちをそう、呼んだ。忍の語源です」
光俊がそう、床に書いた。
「光俊殿、彼等と闘ってくれますか?」
「彼等と闘うことは既に甲賀では禁忌です。御門を敵に回すなど・・・」
「確かに・・・しかし、織田家は喧嘩を売られたんです。逃げるわけには行きません。殿だってそうでしょう」
「信長殿が背中を向けるわけがない・・・と、お思いか。わたしだって話に聞いただけです。彼等の武器や術のことは」
「どんなものです?」
「燃えたぎる大手裏剣を遠隔で自由に飛ばすそうです。燃える妖刀・・・此れに斬られると、人は一瞬で融けてしまうそうです。其れ等を空から出すのです。まだ幾らでもありますぞ。一益殿、信長殿に和睦を進言なさい。でなければ、安土は崩壊しますぞ」
「光俊殿、敵の詳細が解っただけでも来た甲斐がありました」
「闘うつもりですか?」
「殿は饗談を使うとも云っている」
「すまぬ・・・一益殿」
「甲賀の禁忌に、兎や角云うような大将ではないですよ」
一益は早朝、安土城へ帰路した。
須佐一族の詳細、須佐の郷の詳細等等。光俊は知っていることは全て教えた。内密に済ませた。でなければ甲賀からも禁忌を犯して馳せ参じる輩が出るからである。
「光俊殿に恥をかかせる訳にはいかない。しかし・・・今までとは違う・・・物の怪と闘う・・・そんな気分だ。殿はどう出るか?」
「父上」
「光太、仕方ない。須佐には手を出さない方が善い。饗談か。此の世のものでないものと戦う連中を相手に饗談だと?志能備には忍びか・・・・信長殿はどう出るか・・・」
光俊はどうしても納得いかなかった。
「人世に手を出さぬ須佐が、伊賀の復讐で信長に喧嘩を売る?何故だ?・・・・・いや、関わりにならぬ方が善い」
一益は、安土に戻ると、信長に接見した。他の家老たちも集まった。




