case1:中村は女史見た-2
「ここは平等に中村にも聞いてもらおうじゃないか」
一息ついた様子の彼女はそう口を開きました。
ろくでもない提案の予感が致します。正直、関わり合いになりたくもありません。
しかし、頼みの綱の後輩君に目を向けると、彼は黙って首肯するのみでありました。
―――役に立たない後輩であります。
私が納得したとでも思ったのか、彼女は空になったペットボトルを弄びながら続けます。
「三次元で百合とBLは鑑賞に堪えうるのか、その議論が白熱してしまったのよ」
ほら、碌でもない。
後輩君と彼女が絡むと大抵の場合発展するのは彼女たちの趣味。いえ、性癖の議論です。
ですので、巻き込まれたくない私は提案いたします。
帰っていいですか。
「却下」
そうですか、いえ、分かっていましたとも。
気落ちする私を眺めて、後輩君はにやにやと目の奥の笑みを深めます。
表情筋を動かさなければバレないとでも思っているんでしょうか、あんまり先輩を舐めているとシバき倒しますよ。
早く他の部員が来ることを祈りながら、手近なパイプ椅子を引き寄せて腰掛けます、
さて、仕方がありません、ここは高校二年生らしく論理的に話を纏めて切り抜ける努力を致しましょう。
私、そういう趣味は無いのでちょっと分からないですね。
「そういわずに少し考えてみましょうよ、ね?」
可愛らしく小首を傾げて追い詰めてきます。やはり、安易な逃げ道はないようです。
床に直に座る二人を見下ろしているのは私の筈なのに、気分は追い詰められた猫に追い詰められた鼠です、窮鼠猫を噛むなのです。
……噛みつける隙が見当たりません。私は無力です。インドア派の文学少女です。
「わたしが思うに、生ものでカップリングをするのは違うと思うの。二次元だからの美しさ、文字や絵としての媒体ゆえの小綺麗さに人は惹かれるのよ」
おや、私が考え込んでいる内に何やら彼女の論旨展開が始まってしまったようでございますよ。
別段興味もありませんけれど、これも厄介事から抜け出すため、耳を傾けます。
「それは違います!」
おい、ちょっと黙らないか後輩君。
ここで舌戦をされても私が巻き添えを食うのですよ、やるなら余所でやってくれませんか。
されど、私の意など介さずに彼は居丈高に舌鋒を放つ。
「例えば、朝の通学路、こっそりと目立たないように手を繋いで歩く少女たち、それが秋口の空気が冷え始めたころであればなお良いでしょう。
周りの目がないことを確認しつつお互いに手を伸ばして、小さく頬をほころばせるわけですよ。もう、もう、ですね。たまりませんよねっていう!!」
――――――。
「……どう思うよ、中村さん」
これが百合豚後輩と呼称される彼の論調です。
世の中のありとあらゆるものは彼のフィルターを通すことにより“そういう”風にみえるのだという。
まるで理解が及ばないが本人がそういうのだから仕方ありません。
気持ち悪いです。
というか、こちら話を振るのをやめてください、助けを求めたいのは私の方ですよ。
「ほらみろ!やっぱり三次元は別なのよ!生ものは別腹!中村の子の汚物を見るような目つきが何よりの証左よ」
「……それはまあ、中村先輩はノーマルですから…。でも、先輩だってそういう場面に出くわしたら腐るでしょう、絶対」
「絶対、腐らないわよ」
二人はそう言ってじりじりと火花を散らします。
再度繰り返すようですけど、私をその不毛な諍いに巻き込まないでいただきたい。
私にはどちらの趣味も理解できませんし、何より部活をしに部室に来たのですから。
……早く静かに読書させてくれないかしら。
私がそうこう手持無沙汰に眺めていると沸々と二人の間の熱が高まりあい、また舌戦が始まろうと、そういうところで。
「おーっす、お疲れー」
小さな2度のノックの後、男性が一人入ってきました。
彼の名前は田村先輩、第三学年の当文芸部の副部長の位にいらっしゃる方です。また、文芸部に似合わず、180cmはあろうかというガタイのいい体格をしたとても目立つ先輩です。
助かりました。彼が来れば流石に、部室で何時までも騒いでいるわけにはいかないでしょう。
「あー、副部長、お疲れ様デス」
「おう、あいっかわらず、全員不景気な顔してんなー。もっと運動しろ運動」
間違って文芸部にかける言葉ではないと思うのですが、この際何でもいいです、はい。
ずかずかと部室へ押し入り、床に座り込む二人を尻目に隅からパイプ椅子を一本引っ提げてきて、どっかりと腰を下ろします。
そうしてやけに重そうなパンパンに膨れ上がった鞄から一冊の文庫本を取り出して長机の上へと放り投げました。
「よーし、部長は今日も病欠、他の部員も遅刻と、平常通りだな。じゃあ中村、号令」
「あっ、はい、それでは平成2×年度、文芸部会を開催します」
「今日の議題は特になし、各自部活に励むように。じゃあ解散」
それだけの形式的な号令をパタパタとこなすと彼は黙って手元の本へと視線を落とします。
腐っても副部長、手慣れたものです。まあ、彼も秋には引退なので私たちも気を引き締めなくてはならないのですけれど。
二人も静まり返った部室に渋々といった様子で立ち上がり、それぞれの作業に戻ります。
後輩君は部室に備え付けのPCを使っての執筆作業。
その先輩の彼女は後輩君の隣に椅子を出して座り、作業の指導などをしながら読書を始めます。
言い争ってはいますが、何だかんだであの二人、仲が良いのでしょう。