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咲くは椿、華に満たすは四ツの辻  作者: UNIX(うにっくす)
3/5

「暗夜迷々」

かちり、かちり、と時計の音。

  水面(みなも)を揺らす雨垂れのような、夕刻(ゆうこく)()く鴉のような、静寂に響く機械音。聴くとどうにも気が(はや)る。落ち着かぬ。


  「…………………」


  針の音を聴きながら、居心地悪げに佇むは、少女剣士が華耶樹綾(はなやぎあや)


  「…………………」


  綾の隣で腕組みし、眼前じろりと睨め付けるのは、ポンコツ侍、犬童辻兵衛(いぬどうつじべえ)


  「…………………」


  辻兵衛の目線の先、氷のような無表情で見返すのは、白髪を長く垂らした片眼鏡の女。

  そして────手元でびしりと突きつけるのは、カオティックな謎の人物画だ。


  「……………何だこれは」

  「私が考案した独楽一座(こまいちざ)公認キャラクター、サンメン・ロクワーヌ18世ちゃんだ」

  「…………まさか三面六腕の落人の事か」

  「サンメン・ロクワーヌ18世ちゃん」

  「いや、だから三面六わ────」

  「サンメン・ロクワーヌ18世ちゃん」

  「……………………」

 

  有無を言わさぬ物言いに、辻兵衛ががっくりと撃沈する。未だに六本腕の人物画───サンメンロクワーヌちゃん───を見せつける女に向けて、綾はおずおずと声を掛ける。


  「あの」

  「むん、何かな華耶樹氏。ロクワーヌちゃんの版権はあげないぞ」

  「知りませんし要りません。えっと、今回は三面六腕の落人についての説明、というお話でしたよね? よろしければそろそろ本題に移って頂きたいのですが」

  「いいだろう。ロクワーヌちゃんの決めゼリフはらーめんつけめん僕サンメンで────」

  「それはもういいです…………お願いですから真面目に話して下さいませんか、このえさん」


  そう。目の前で前衛芸術めいた落書きを突き付けて胸を張る、この人物こそ─────


  「いい加減にしろ、番頭。妹が見たら嘆き悲しむぞ」

  「つくもは私がふざけても悲しまない。ただ七日目のセミを見るような目線を送ってくるだけだ」

  「悲しみどころか哀れみですよねそれ」


  ────独楽一座番頭、朱矢(あかのや)このえ。

  朱矢つくもの姉にして、一座の代表者────平逆(ひらさか)一の変わり者として名高い女性だ。

 

  「………番頭さん、いつもこんな感じですか?」


  声を(ひそ)めて辻兵衛に問うと、剣士は眉間に(しわ)を寄せながら深々と頷いた。気付いているのかいないのか、このえは落書きに何やらがりがりと文字を書き加えている。

  三面六腕の落人現れり。その一報の届いた翌日、綾と辻兵衛は独楽一座に呼ばれ、依頼の説明を受けるべく来賓(らいひん)室に通された。

  来賓室は平逆に珍しい洋室で、振り子時計やソファなどの初めて見る品々に目を輝かせていたところ────突如来襲したこのえが、自信たっぷりにサンメン(なにがし)を見せつけてきたのだった。


  「名付けてプロジェクトR。全てのゆるキャラを過去にする圧倒的・多面的なキャラクター展開。まずはロクワーヌちゃんを唯一神とする新興宗教を設立、平逆町民全てに一日三回の礼拝と貢物を義務付け、四六時中ロクワーヌちゃんが視界を飛び回るまでにインパクトを植え付ける」

  「いきなり洗脳行為!? 全然ゆるキャラじゃありませんよねそれ!?」

  「ゆるキャラだ。とってもゆるキャラ。見れば誰もが脳みそゆるゆる」

  「すごく危険な匂いがするんですが!?」

  「………やめておけ、貴嬢。こやつの言葉に一々反応していては、それこそ頭が緩くなる」


  全くの無表情なまま危ない言動を繰り返すこのえを見て、辻兵衛がこめかみを押さえながら呻く。確かに、発言のあまりの意味不明さに、正直頭痛が止まらない。これが番頭で大丈夫か独楽一座。

  未だに落書きを魔改造し続けるこのえを睨みながら、辻兵衛が言う。


  「番頭、そろそろ真面目に説明しろ。さもなくばお前の妹に全て告げ口する」

  「それは困る。つくもは私に厳しい。この前も寝ているつくものおさげでメビウスの輪を作ってみたらめちゃんこ怒られた」


  ───自業自得ですよね、とは思っても言わない。反応すると頭痛を(もよお)す禅問答が始まるのが目に見えているからだ。あのトンデモ会話を禅と呼んだらお坊さんにぶん殴られそうだが。

  涙目で語る番頭も、ついに綾も辻兵衛も反応してくれなくなったと見ると、渋々といった様子で懐から数枚の紙を取り出した。依頼についての書類だろう。

  淡々とした口調で、このえは語り出す。


  「落人の出現が確認されたのは三日前。場所は東の森。丸太切りに行った町人が発見、一座に報告した」

  「三日前…………か。俺たちに連絡が来たのは昨晩だったが」


  辻兵衛がぼそりと呟く。

  確かにこのえの話を聞くならば、独楽一座は三日前から落人の存在を検知していながら、昨日まで連絡しなかったという事になる。用心棒として独楽一座に仕える綾と辻兵衛へ報告をしなかったというのは、少しおかしな話にも聞こえるが。

  しかし、番頭は首を横に振る。


  「確証の無いまま依頼を出すのは危険だ。まずは敵を追跡・調査し、最適な兵力を算出する事が必要。だから連絡はしなかった」

  「成程。彼我(ひが)の力量差を見極めてから、という事ですね」

  「そしてこのえちゃんのその決断こそが、あやーんと犬童の命運を分ける事になるのだった───次週に続く」

  「今続けて下さい」


  というかあやーんって私の事か。

  モノローグ調で語り始めるこのえを手で制す。電波系番頭はやや不満げながらも、説明を再開した。


  「結論から言う。

  今回のような個体は、私の保有するどの書物にも載っていない。非常に珍しい───おそらくは完全な新種だ」


  奴らに種という概念があるのならな、と付け加えるこのえは、未だ無表情でありながら、その声音はやや硬い。

  完全なる新種────その言葉を聞いて、辻兵衛が唸るように()いた。


  「どんなだ」

  「どんなだ、とは何ぞや」

  「新種というからには、普通のものとは違う特質やら特性やらあるのだろう。それはどんなものなのか、と訊いている。

  お前の事だ、既に調べは付いているのだろう?」

  「ふむ、確かに言う通りだ。今回の落人には新種足り得るだけの特性があり、私はそれをもう解明している。

  犬童にしてはなかなかの明察、ご褒美にセミの抜け殻をやろう」

  「要らんわ気色悪い」

  「そういえばお前抜け殻に似てるな」

  「黙れセミ女。道端に転がっていろ」

  「腹だけ白くなっててキモいよねアレ。つまり私はおなかまっしろピュアガール」

  「……………………」


  あまりの会話の馬鹿馬鹿しさに、辻兵衛が本日二度目の撃沈を喫する。正直言って猛烈に帰りたい綾だったが、説明を受けないわけにもいかないだろう。

  机に突っ伏した辻兵衛の頭に抜け殻を引っ付けているこのえに対して、綾はやや強い口調で声を掛けた。


  「このえさん、その落人の特性とは何なんですか? 教えて頂けないようならつくもさんにお頼みしますが。色々と」

  「うわあナチュラルな脅し。むーん仕方ない、そろそろ真面目にやるとするか」


  やや顔を青くしたこのえが、再び書類に目を戻す。やっとまともにやってくれるらしい────辻兵衛の頭にはしっかりとセミの抜け殻が植え付けられていたが。

  片眼鏡をかけ直し、番頭は語り出す。


  「新種と言っても、ほとんど従来の個体と変わりはない。人の形を模した怨霊、()てられた刀の成れの果て。その根幹は変わらないが────ただ一点、扱う剣技のみが異質だった」

  「剣技が、ですか。透明化する落人とは、先日戦いましたが」

  「うむ、それも珍しい個体だ。しかし今回は、ただ剣技が強いとか、厄介だというのではない。それはどこまで行けどもひとつの剣技の範疇(はんちゅう)、強力ではあれど特殊ではないからな。

  あの落人は、剣技というそれ───そのものの大原則を無視している」

  「…………と、言いますと」

  「ああ。奴は─────」


  番頭は、言った。


  「─────三つの剣技を使う」

  「剣技を………三つ、だと?」


  いつの間にか起き上がっていた辻兵衛が反応した。いつもは無感動な彼の目が、驚きに見開かれている。綾も同じく驚愕しながら、このえに問うた。


  「一つの体で、三つの剣技………!? 可能なんですか、そんな事が?」

  「普通は不可能。剣技とは精神の発露であり、一つの体には一つの心しか宿らない。応用によって様々な使い方をする事はできても、剣技の性質そのものを変化させる事はできない。

  それは落人だとしても変わらない、剣技というものの大原則だ」


  だが、とこのえは切り返す。


  「今回の落人は例外だ。刃紋(じんもん)も、そして剣技も、全く違うものが三つ発現する」


  このえの言葉に、辻兵衛は目を尖らせる。

  刀を振るうに要るものは、二本の腕に一つの心。三刀一挙に閃くならば────


  「───故に、三面六腕か」

  「そういう事だ」


  次から次へと、と辻兵衛が嘆息する。その脇に座った綾が、小さな声で呟いた。


  「倒せるの────でしょうか」

  「心配なのか、あややん」

  「心配………と、言いますか……………」


  否。おそらくは、心配なのだ。

  一身三技、異端の落人。文献にも無き新種の個体。その力量は計り知れぬ。

  ただ倒すだけなら、まだいい。だが────隣を一瞥(いちべつ)する。


  「心配であれ何であれ、やる事はひとつ。我ら剣士の職能はそれのみだ。(しか)らば悩んでも仕方がなかろう」


  大言壮語を吐く侍、犬童辻兵衛。

  この男を、守らなくては。人を頼らず、手を借りず、恥ずかしがりと評されたこの男を。ユズリハの頼みを果たすために。

  辻兵衛は剣技が使えない。ならば。


  ───私が、一人で。


  それほどの心持ちで挑まねばならない。

  今回の相手は、弁舌(べんぜつ)や策謀、況てや柿の実などでどうにかなる敵ではないのだから。


  ────と。

 

  「…………おい。怖気(おじけ)付いて耳まで遠くなったか」

  「───は、はい!?」


  辻兵衛の低い声が唐突に耳に入り、つい()頓狂(とんきょう)な声を上げてしまう。考えに没頭しすぎたあまり、周りの音に気付かなかったらしい。

  渋面の辻兵衛へ、綾は咄嗟(とっさ)に反論する。


  「お、怖気付いてなんかいません! 剣士たる者、戦場に立つ前から怯えるなど!」

  「怖いのならば来なくても構わんぞ、俺一人で済ませてくる。貴嬢は夕餉(ゆうげ)の準備でもしているがいい。揚げ出し豆腐を所望する」

  「なんでいつも揚げ物ばっかり………だから、私は怖がってなんか───!」

  「まあ待て二人とも、落ち着くがいい。すていすてい」


  妙な口調のこのえに(いさ)められ、綾は渋々口を閉じる。そうした様子に満足げに頷いて、番頭は続けた。


  「怖いか否かは別として、今回の相手はまさしく強敵。苦戦は必至、敗戦で必死。必ず死ぬという意味で」

  「………縁起の悪い事を言わないでください」

  「うむ。だからこそ、あーやんにはこのえちゃん特製、スーパーでソウルフルでイカしたお守りを授けて進ぜよう」


  微妙に意味がズレていそうな単語を連発しながらこのえが差し出したのは───先ほどまで描き殴っていた落書き、サンメン・ロクワーヌ18世ちゃんの成れの果てだった。何を描いたものなのか、既に絵というよりは紋様のような有り様だ。


  「お守りって、これが?」

  「そうとも、とても強力なお守りだ。私が魂を込めて描き上げたロクワーヌちゃん最終形態。これを突き付ければあまりの神聖さに脳を焼かれ、相手は三日間くらい朝ごはんがあんまり食べられなくなるだろう」

  「食欲減退するだけじゃないですか!!」

  「いいからいいから。肌身離さず持っておくように。無理に手放すと効果が暴発して死に至るからそのつもりで」


  いやもはや呪いのアイテムだろうそれは。そんなツッコミを入れる暇もなく、ドヤ顔のこのえはお守りを綾の懐へと押し込んだ。

  ────まあ、貰って悪いものでもなし。とりあえずは受け取っておく事にする。


  「これで準備万端。勝ったなあやや」

  「はあ………ありがとうございます……?」

  「………番頭、話は終わりか。ならばさっさと帰らせて貰うが」

  「────ああ、最後に一つ。

  作戦決行はいつごろぞ」


  依頼書と(もろ)々の情報を手渡しながら、このえが訊く。

  辻兵衛は即座に返答した。


  「今夜だ。すぐに片付ける。

  明朝(みょうちょう)には報酬を受け取りに来る故、用意を怠るなよ」

  「なんとも勇猛。うむ、仕事が早いのはよい事だ。心配せずともきっちりしっかりごっそりまったり用意しておくとも」

  「………まったりはするな。ではな」

  「ありがとうございました、このえさん」


  最後までのらりくらりと返答しながら、このえは席を立つ二人に対して手を振る────綾が辻兵衛の背を追う、その去り際。


  「華耶樹氏」


  呼んだ声音は、氷の如く。


  「────はい?」

  「あのお守りは強力無比、外敵遍(あまね)くそれを恐るるだろう。しかし───それが護るのは外側のみ。(なか)は、護れない」

  「どういう……意味ですか」

  「内側にも敵はいる、という事。内在の魔物は隙を窺い、最も外面へと気を取られたその時に、容赦なく腹を食い破る」

  「…………………」

  「だから、(ゆめ)々忘れぬように。

  三面六腕は確かに恐ろしい。けれど真の大敵は、顔も腕も持たない無形のモノだ────手綱は、その手が握っている」

 

  意味は、解らなかった。

  今までと同じく、変わり者の戯言(ざれごと)と一蹴してしまえばそれまでだ。けれど────氷の瞳の最奥に、陽炎(かげろう)めいた揺らぎが見えた。心配という名の色が。


  「…………ご忠告、感謝します。

  ────大丈夫です。依頼はしっかりと果たしてみせますから、朗報を待っていて下さい」


  言い知れぬこのえの不安を和らげるべく、綾はにっこりと微笑む。

  番頭は一声、ああ、と応えた。手を掛けた片眼鏡が、ひとつ光を反射する。


  「───ところであやーや。一座の屋敷はかなり入り組んでいるから、早く犬童を追わねば迷子になっちゃうんだぜ」

  「え!? は、早く言って下さい!! じゃあ、えっと、失礼しますね!!」

 

  謎の男口調で話すこのえを差し置いて、綾は足早に部屋を出る。廊下の遠方、頭にセミをぶら下げる男の姿が見えた。うわあすごい笑われてる。


  「もう、本当に─────」


  情けない姿にひとつ嘆息すると、綾は抜け殻男の後を追ったのだった───。




 ■

  月光は叢雲(むらくも)に溶け()く。

  光と闇の混ざり合う(おぼろ)な宵の中、綾は再び暗い地平に立った───これより先は人外の領域、魔の世俗だ。


  「やはり怯えているのか、貴嬢」


  木の幹に体を預けた辻兵衛が、軽い口調でそう訊いた。ふと気付けば、(さや)に添えた手が小さく震えていた。


  ───武者震いだ。怯えてなど。


  心の中でそう反論しながら、綾は返答する。


  「辻兵衛さん」

  「…………何だ」

  「今回の依頼、相手は手強いです。油断せず───意地を張らずに、行きましょう」

  「どういう事だ」

  「危なくなったら助けを呼んで下さい、という事です。あなたは剣技が使えないんですから」


  真剣な面持ちで言う綾に、対する辻兵衛は怪訝な顔をしていた。左手で頬を掻きながら、こう応える。


  「何だ貴嬢、今日は何やらおかしいぞ。いつもは働け働けと急かすくせに」

  「せ、急かしてなんかいません! その言いぶりだとまるで私が口うるさい小姑(こじゅうと)みたいじゃないですか、失礼な!」

  「何なのだ、よく解らん事を言ったり急に怒り出したり。

  …………まさか貴嬢─────」


  何かに気付いたかのように、辻兵衛が目を見開いた。そして────


  「──────生理、か?」


  ─────ぶん殴った。


  「痛ってえええッ!? 貴嬢ついにグーで来たな!? とうさんにもぶたれた事………いやあるわ何度か………つってもグーはなかろうグーは!?」

  「自分の不埒(ふらち)な発言を省みなさい!! 全く、人がせっかく心配しているというのに………!」

  「ふん、俺より自分を心配したらどうだ。一座で話を聞いた時、随分とビビっていたであろう?」

  「び、ビビるなんて────!」


  辻兵衛の指摘に、綾は口ごもった。

  ビビってなどはいない───と、思う。

  しかし、敵は三つの剣技を扱う落人。怯えるとまでは行かないが、平時の依頼よりも、幾分気を張っているというのは事実だ。

  気負いすぎぬよう。しかし、気を抜きすぎぬよう。己の心身を調節しながら、綾は森の中へと分け行った。

  ここは平逆から東、目撃情報のあった森だ。このえの情報では、落人はこの森一帯を物見遊山の如く歩き回っているらしい。

  辺りに響く虫の声を聴きながら、それにしても、と綾は切り出した。


  「今回の落人───剣技もそうですが、他にも不可解な事が多くあります」

  「………人を襲わぬ、という所か」

  「そうです」


  このえの情報を見るに、三面六腕の落人は、人を襲う事がないのだという。

  綾は腕組みして呟く。


  「落人は人に棄てられた刀の悪霊。多くは人間に怨みを抱き、人間を殺める事を第一として行動します。前回のように道行く人を狙う通り魔のような場合もあれば、直接人里に襲い来る場合も。

  手法は様々にしても、狙いはひとつ。彼らは殺傷以外の目的意識を持ちません。しかし─────」

  「丸太切りに来た里人、落人に見つかりながらも襲われなかった、という事らしいな」


  ────そう。一座から帰り、このえから渡された情報を洗う中で、綾が最も疑問視したのはそこだ。

  人を殺すべき落人が、人を見ながら襲わなかった。その上に────


  「───()れども獣は殺すと来れば、これは皆目解らん」


  ────人を殺さず、獣を殺す。

  三面六腕の落人は、剣技だけではなく行動原理までもが、常軌を逸していた。


  「…………まあ」


  (しば)しの沈黙の後、辻兵衛が言う。


  「新種だろうが何だろうが、死ぬまで叩けばよい話。相手が違えど手段は変わらん───早う終わらせて俺は寝る」


  ポンコツ侍の投げやりな物言いに、呆れぬわけでもなかったが────


  「───ええ。すぐに、終わらせましょう」


  ────けれど、問題はない。

  どれほど強大な相手でも、やる事はひとつ。華耶樹綾が義の剣の、尽くすべき仁はひとつだけ。


  弱きを助け、強きを(くじ)く。

  護り、倒すのが私の役目だ。辻兵衛を。落人を。


  だって。彼は、どうしようもなく────。


  刹那。


  「────────ッ!?」


  轟音。

  森が動乱する。


  「今のは………!」


  甲高い破裂音、次いで胃の()を砕くかのような地響きが、曇った夜天に鳴り渡る。叢雲の裂けた空の下を、大慌てで鳥たちが逃げ去っていった。放射状に広がる逃走路、その中心の方を睨め付けて、辻兵衛がやけくそ気味に呟いた。


  「ふん。探す手間が省けたわ」

  「い、行きましょう! 何か襲われているのかもしれません!」


  言うが早いか、綾と辻兵衛は走り出す。里人によって幾度も踏み固められた林道、足を取るものはない。(こずえ)に割かれた月明かりの雨を背にして、二人は夜風と共に林中を疾走した。

  ややあって、綾が叫ぶ。


  「─────あそこに!」


  木々の混迷する視界の先、明るく開けた場所が見える。どうやら森を貫く一本道、その出口まで辿り着いたらしい。

  薄く月光の差し込むその先に、何者かの人影が見えた。綾は剣の柄に手を添えながらひた走る。そして、ようやく森を抜けた──────


  ────その時。

  風は死に、足が止まった。


  「………………ッ!?」

 

  眼前、月下の草原。

  刀を構えた甲冑の男。

  その切っ先の、光る先。


  ────天を()くかのようにめくれ上がった岩盤と、そこに倒れ込む人影があった。


  「なん───ですか、あれは────」


  巨大な塚の如く突き上げられた土塊(つちくれ)を見上げながら、綾が唖然(あぜん)と呻く。脇に控えた辻兵衛も、驚きに言葉を失っていたが────刹那、彼は鯉口(こいくち)を切った。


  「………動くな、貴嬢」


  ────甲冑の男が振り返る。

  兜の隙間は夜闇を(たた)え、雲間に覗く月光すらも、その黒色を(あば)く事はない。(かげ)に沈んだ瞳の代わりに、構えられた刀の刃紋のみが、餓狼(がろう)の眼差しの如く(らん)々と輝いている。相対するだけで、(はらわた)(すく)み上がるかのような錯覚を受けた。


  「…………これが………………」

  「ああ、間違いなかろう────三面六腕、暗夜堂々現れたか」


  囁き声を交わしながら、綾と辻兵衛は即座に臨戦体勢に入る。だが、落人はまるで羽虫でも見たかのような様子で、二人から目線を外し───背後の岩壁、そこに倒れた何者かへと向き直った。剣が振り上げられる────。


  ─────まずい。

 

  「や────やめなさいっ!!」

  「待て、貴嬢─────!」


  辻兵衛の制止も聞かず、綾は弾き出されたかのように駆け上がると、落人の脇をくぐり抜け、振り向きざまに剣をかち上げ、その一刀を打ち返した。そのまま手首を返し、勢いを残した一振と共に、綾の剣技が華開く。

  刃の旋風。剣の花弁。袈裟懸(けさが)けに振り下ろされた一閃が、巻き上がる無数の斬撃となって落人へと襲い掛かった。

  三面六腕は痩身を翻し、握った長刀を踊らせながら受け流す────斬撃の軌道を読まれている。やはり一筋縄ではいかないと、追撃の一刀を振るおうとした────その時だ。


  「ギ───ィ─────!!」


  背後。(いなな)きが。


  そこでようやく思い至る。

  倒れ込んでいた人は、人ではない。


  「…………しまった────!!」


  ────落人だ────。


  もう一体の落人の刀が、刃に月光を散らす。唸りを上げた大剣が、防御の間に合わぬ綾の額へ打ち下ろされる─────直前。


  「伏せろッ!!」


  咆哮(ほうこう)のような警告。綾は咄嗟に姿勢を下げる────その上方、頭の先を削り取るような距離を、鋼の豪風が通り過ぎていった。刃の打ち合う音が響く。


  「─────辻兵衛さん!!」

  「本当に………手のかかるッ!!」

 

  悪態を喉から絞り出し、辻兵衛は渾身の力を(もっ)て、落人の剣を押し返す。綾を(かば)うように仁王立ちしながら、辻兵衛は肩越しに叫んだ。


  「貴嬢は三面六腕を抑えろ! 先の攻撃で、貴嬢は敵として認識されている!」

  「───あなたは!?」

  「こちらは手負いの雑魚よ、すぐさま打ち倒し加勢する! 貴嬢は飽くまで抑えに回れ、自分の身を守る事だけ考えろ!」

  「くッ………わかりました───!」

 

  取り落としていた剣を持ち直し、綾はすぐさま振り返る。餓狼の瞳は爛々と煌めき、綾を冷ややかに見つめていた。

  落人は綾の前方まで歩み寄ると、握った長刀を下段に構える。夜の黒色が光に薄まり、藍色の燐光に変じて、刃を青く、(くら)く輝かせる。

  対する綾も、刀を持ち上げた。眼前まで剣を差し戻し、臙脂(えんじ)の瞳を研ぎ上げて、その刀身を深く見つめる。(あか)の眼差しを吸い込んで、刃は()けた赤色に染まる。


  蒼剣睥睨(そうけんへいげい)、地に(はべ)り。

  朱刃鳥瞰(しゅじんちょうかん)、天突いて。

 


  ─────月下、相対する。

 


  綾は爪先を地面に擦らせながら、慎重に相手との距離を測った。背後で響く剣戟(けんげき)の音───おそらくは辻兵衛の───に焦りを喚起されるが、綾は努めて己を制した。

  空に屹立(きつりつ)する大岩を思い出せ。もしあれが落人の剣技の反動によって形成されたものならば、絶対に直撃を受けてはいけない。岩を(えぐ)り出すほどの衝撃が、(もろ)いこの身に余さずぶち当たるのだ。四肢のひとつも残りはしないだろう。

  しかし、相手の剣技を見定めるほどの時間はない。早く、早く、最大限に早く仕留めなければならない────。

  そう。綾はこの戦線に在って、辻兵衛を待つ気など毛頭なかった。むしろ。


  早く、早く倒して。

  私が、あの人を、守るのだ。


  ───そして、練り上げられた義心の剣は、一抹(いちまつ)の隙も見逃さぬ。


  「────やァッ!!」


  疾駆せり。

  下段の刀を(すく)い取る、地を削るような切り上げをねじ込む。そのまま相手の剣を高く打ち上げると、切っ先で弧をなぞり、刀を袈裟懸けに振り下ろした。斬撃は堅固な肩甲を浅く傷付けるのみ───しかし綾は怯まず、至近距離を保ったまま攻撃を続ける。

  右に。左に。上へ。下へ。所狭しと刃を走らせ、眼前を微塵(みじん)に切り刻む。刀の切っ先は幾度も落人の鎧を(かす)ったが、致命の傷には到底至らなかった。


  どうにも────やりにくい。


  まるでぬめった沼地をかき回すかの如く、剣の動きが(にぶ)っている。望んだ場所より一寸遠く、あるいは近く、刃が届かない。そうした僅かな斬線のズレが積み重なり、やがて無視できぬ隙へと変じる─────


  「─────!!」


  僅かに開けた合間を縫い、三面六腕の落人が無音の気迫と共に刀を振り抜いた。即座に体を反らすと、眼前を銀色の閃きが過ぎ去っていく────綾は素早く後方に飛び退いた。

  頬をちろりと痛みが舐める。肌に垂れた血を荒く拭い取り、綾は刀を取り直す。こちらににじり寄る落人の足取りは、少しの怯みも見せてはいない。鎧の全身に浅い傷が走っていたが、やはり致命傷では有り得ない────


  ────だが、それで構わない。


  切っ先を(くう)に突き付ける。


  「開けッ─────!!」


  綾は剣技を解放する。

  しかし、その刀身に華は咲かない。代わりに椿が宿るのは────


  「──────!?」


  刻まれた傷の、その中から。

  落人の全身が、花の刃に包まれる。


  「やり───ましたか」

 

  綾は呟く。

  紅色の鳥籠(とりかご)の如く対流し、敵を切り刻む激烈の斬撃。これこそ華耶樹の奥義────相手の体に刃の残滓(ざんし)、剣の気を刻み込み、一斉に剣技として開放する技だ。

  やがて、華の嵐が晴れてゆく。三面六腕の落人はその場に深々と倒れ込んでいた。着込んだ甲冑に傷は無かったが、剣技は落人の霊魂そのものを斬り裂く。致命の一刀であった事は間違いない。


  ああ。

  私は、ひとりで─────。


  「ギィィッ───………………!」


  背後で枯れ木を砕くような悲鳴が響き、綾は咄嗟に振り返る。見れば辻兵衛も、丁度敵を討ち取ったところであるらしく、倒れ込む落人を見下ろしながら荒い息を吐いていた。三白眼がじろりと綾を見据え、その背後に倒れ伏す甲冑を認めると、呆れたような顔で嘆息してみせた。


  ────ちょっと無茶しちゃいました。そう、言おうとして。


  「ッ……………!?」


  殺気。

  辻兵衛が目を見開いていた。


  振り返れば────


  「────────!!」


  ────奇襲。

  また────同じ手に───。


  黒色が膨れ上がり、視界を覆い隠した。

  天を背にした暗色(あんしょく)の影が、綾の眼前に直立する。月を穿(うが)った一筋の剣が、飢えた眼差しでこちらを見下ろし、


  「ッ─────跳べッ!!」


  剣火一閃、鼻先を掠る。

  雷鳴の如く打ち下ろされた刃は、綾の足先から数寸ズレて、深々と地面に突き刺さる。辻兵衛の声に喚起され、危うく回避は間に合った────


  「く────!?」


  ────かと、思われた。

  足元が小刻みに震えている。綾ではなく、大地そのものが。目の前で深々と突き刺さった剣が、かたかたと音を立て────刃紋が、地中に流れていく。


  「これはッ…………!!」


  その、刹那。


  ─────破裂音。耳を(つんざ)く。


  「まずい─────避けろ、貴嬢ッ!!」


  ()れど。間に合わぬ。

  思考が体を突き動かすより早く、足元に巨大な亀裂が走り────


  轟、と。


  「が────く、ぁッ…………!?」


  極大の衝突が、全身を打ち上げた。


  骨が砕け散るほどの衝撃。臓腑が引き潰れるほどの圧力。思考が霧散するほどの痛み。それら全てが電撃のように体を駆け巡り、対流し、混濁する。天と地は攪拌(かくはん)され、有象無象が渦を巻き、意識が吹き飛び流れ出てゆく。


  ああ。

  ────月が、近い。()み込まれるほど。


  「ぁ……………辻、ぇ──さ────」


  声になったかすらも、解らぬままに。

  綾の視界は───そこで途切れた。


 

 ■

  鳴り響いた轟音と、掻き消される悲鳴。

  細枝の如く吹き飛ばされた、少女の姿を認めた時────考えるよりも早く、体が動き出していた。


  「貴嬢───しっかりしろ、おい!!」


  地へうち沈んだ綾へと向けて、辻兵衛は声を張り上げる。柔らかな草地に抱きとめられ、落下の衝撃は抑えられたようだが、背中に受けた打撃がどれほどの被害を生んだかは、判断が付かない───だが、死んではいない。

  先ほどまで綾が立っていた場所───落人が剣を突き刺した地面は、獣の牙の如く、鋭く隆起していた。


  「………………そういう、事か」


  そこでやっと、辻兵衛は自らの迂闊(うかつ)に気付く。

  丘に突き立った巨大な岩壁。辻兵衛は最初、落人の攻撃によりめくれ上がったのだと思い込んでいたが────あの岩の刃自体が武器だったのだ。


  「地盤を操り剣と成す────それが貴様の剣技か、三面六腕」


  然れど、反応はない。甲冑の男は変わらず剣を構えたまま、こちらへと歩み寄ってきていた。対する辻兵衛も構えを整え、言い放った。


  「上等だ、来るがいい。泥遊びだけで倒せるほど、俺は甘くないぞ」


  が───威勢のいい言葉とは裏腹に、辻兵衛は現状、活路を見出せずにいた。

  敵の剣技も厄介ながら、こちらには相手を討ち取る手が足りぬ。剣技の使えぬこの身では、どれほど刀を打ち込んでも致命の傷には成り得ない。数十数百も斬り込んでやればさすがに奴も堪えようが、それより自分が土壁にかち上げられる方が先だろう。その上、奴はまだ剣技を二つ隠し持っているのだ。


  ────何とも、割に合わぬ仕事よ。


  楊枝(ようじ)で岩山でも突き崩すような気分になりながら、辻兵衛は眼前を睨み付ける────静かに時が停滞した後、先に動き出したのは落人の方だった。

  大上段からの一閃が、草茂る地面へと振り下ろされる────次いで大地が割れ砕け、土塊で出来た大蛇の如く、岩の刃が辻兵衛へ向けて襲い掛かった。


  「ちッ───一身三技と()うて、いずれの技にも衰え無しか!」


  叫ぶが早いか、辻兵衛は咄嗟に横へと飛び退いた。遅れた左足を鋭利な石つぶてが掠めてゆく。背筋をひやりと凍らせながらも、足を止めずに走り出す。既にいくつもの土流の筋が、こちらへ向けて駆け上ってきていた。

  野鼠(のねずみ)のように丘を逃げ回り、危うい攻撃を刀でいなしながら、辻兵衛は思考を巡らせる。


  自らの剣技を明かした矢先、唐突に攻撃の勢いが激しくなった────否。己が手の内を知られぬよう、()えて剣技を発動せずにいたのだ。先ほどの奇襲といい、どうにも知恵の働く落人だ。

  それだけではない。あれと打ち合っていた時の綾の動き────剣捌(さば)き、足運び、その一挙一動に言い知れぬ違和感があった。逃さぬはずの一刀を逃し、見送るべき一閃を無理に突き入れる。神に操られるが如く、落人の方へ有利に働く一手が積み重なっていったのだ。未だ隠し持つ二つの剣技、そのどちらかの効果だろうか。


  ───刹那、足元の衝撃に思考が停止する。


  「ぬう………!?」


  足元の地割れに気付かず、辻兵衛は大きく前につんのめった。その隙を逃さず、落人が土塊を切り飛ばす。体勢を立て直して刀で弾き返すも、砕けたつぶてが全身を掠めた。

  見れば、もはや辺りは荒地の様相。これ以上走り回って逃げるのは、最早不可能だろう────しかし、足と思考を回す内、ようやっと一つ、策が思い浮かんだ。


  「うむ────よし」


  相手はまだ二つ、隠し玉を残している。そんな状況で仕掛けるのは無謀にも思われたが────このままでは消耗も必至、決めるならば早い方がいい。


  畢竟(ひっきょう)、刀を打ち込み続ける以外に勝つ方法はなし。ならば────


  「───存分に斬り刻める場を設えてから、ゆっくりと殺してやる」


  挑戦的に言い放ち、辻兵衛は落人目掛けて走り出した。放たれる土流や石つぶてが猛然と襲い掛かるが、その量は先ほどよりも少ない────当然だ。そちらの方が、奴にとっては好都合なのだから。


  獲物を追い詰め、退路を塞ぐ。進退極まった相手は必ずこちらへと向かい来て────必ずや、その瞬間は訪れる。悪賢い彼奴(きゃつ)の狙いは、その一瞬だ。


  「………………ならば」


  ならばその一瞬こそ、最大の好機。

  獣を討たんとするならば、自らその爪牙の下へと体を差し出さねばならぬ。窮鼠(きゅうそ)の勝利は、その先にこそ在る。


  走る。走る。(たけ)る獣の口内へ、自ら勇んで飛び込むかの如く。

  駆ける。駆ける。焼ける鉄火場(てっかば)の最中へと、火中の蝶を求むるかの如く。

  そして、駆け、走り、両者の影が重なる寸前──────


  「────────!!」

 

  ────荒地と化した丘の空に、極大の岩壁が突き上がった。


  「……………………」


  巻き上がる砂煙。眼前を(らち)なく打ち砕いた岩の剣を、落人は無感動に見つめる────そう、これこそが狙いだ。

  土石流の追跡、飛来するつぶて、悪くなる足場。相手は消耗の果て、必ず襲い掛かってくる。後は接敵の瞬間、容易く打ち上げてやればよい。肉体と精神を(ことごと)く疲弊させた獲物は、その一瞬に気付かない。誰であっても、その瞬間を狙うだろう─────


  「────そうだ、俺でも狙うさ」


  刹那。

  狩られたはずの獲物の影が、砂塵の合間より来襲する。


  「──────!?」

  「逃げる鼠を追い討つよりも、来たる鼠を迎え討つ方が容易い。ならば当然狙うであろう、なあッ!!」


  責め立てる言葉と共に、辻兵衛が落人の体を押しやる。不意を突かれた落人は、至近距離での交戦に対応できない───そのまま、辻兵衛は背後の土壁へと、落人の体を押し付ける。


  「だが貴様は見誤った────俺が無能に逃げ回る野鼠とでも思うたか!!」


  すかさず、辻兵衛は刀の(みね)で落人の剣を打ち上げた。落人の拘束は解かぬまま、放り上げられた刀を受け止めた辻兵衛は、そのまま落人の右手へ深々と突き刺し、腕を封じる。抵抗して振り上げられた左の腕を危うく掴み取り、懐から抜いた短刀を、その手の平へ突き穿った。

  瞬く間に────(はりつけ)にされた罪人の如く、落人は土壁に縫い止められた。


  「俺は窮鼠、牙持つ窮鼠よ。どうだ三面六腕────俺はその爪を()(くぐ)り、(おご)り高ぶる(きさま)の喉笛を食い千切(ちぎ)りに来たぞ」


  獰猛に言い放ち、辻兵衛は刃を突き付ける。落人は身じろぎひとつせず、虚空の瞳でこちらを見返していた。


  「覚悟せよ」


  冷酷な眼差しで、辻兵衛は刀を振り上げる──────が。


  ──────何だ。


  落人を縫い止めた二本の刀。岩壁に深々と突き入れたはずの刀が、かたかたと震えている。しかし、落人はひとつの動きも見せていない。得体の知れぬ危機感を感じ、一度距離を置こうとした────その時だった。


  刃紋が、(きら)めいて。


  「───────ぐ、がああッ!?」


  突如として土壁から跳ね飛んだ二本の刀が、辻兵衛の両肩を斬り裂いた。鮮烈に走った二つの痛みに耐え兼ねて、辻兵衛はその場に(ひざまず)く。


  「何がッ─────」


  ─────起こった。

  落人は全く動いていなかった。にも関わらず、突き刺さっていたはずの刀が唐突に引き抜かれ、襲い掛かってきた。

  落人の隠す二つ目の剣技、その能力だろうか───しかし、一体どのような能力なのか検討も付かぬ。


  「…………………」


  困惑する辻兵衛の眼前に、落人が屹立し────落ちていた剣が、その手に吸い込まれるように収まった。


  ─────そこで、辻兵衛は気付く。

  この落人の剣技は、土を操るなどといったものではない。これは。


  「誘引………反発。引力と斥力(せきりょく)を操る───そういう事か………!!」


  弾き飛ばす力。引き寄せる力。一対となる二つの能力こそ、この落人の剣技だ。

  これで全て合点(がてん)が行った。土の隆起はそれ自体が能力ではなく、反発を操り大地を打ち上げただけの事。綾の苦戦も、恐らく剣の軌道を引力と斥力で阻害された事が原因だろう。同じくして、彼女の剣技を無傷で受け切ったのも。

  しかし、剣技の正体が解ったとて、もはや─────。


  「おのれ───!」

 

  肩の痛みに(さいな)まれながら、苦し紛れの突きを放つも、手負いの一刀が届こうはずもない。容易くいなされ、そのまま剣技が発動される。突き上がった土塊に、辻兵衛は敢えなく吹き飛ばされた。


  「ぐ………あッ………!!」


  荒れた大地を転がり、辻兵衛は地に伏せる。砂塵に(かす)む視界の中、落人がゆっくりと歩み寄ってくるのが見えた。

  今のは足を奪う為の一撃。次の剣技こそ───正真正銘、命を刈るべき致命の一閃となるだろう。


  ────ああ、くそ。動かぬ。


  半身を覆う痛みに、体は悲鳴を上げて動こうとしない。どうにか動く両腕で這い出そうと思ったものの、両足ががっちりと土に掴まれてしまっている。執拗(しつよう)な事だ、と心の中で苦笑しながら、辻兵衛は首を巡らせた。


  「ふん…………逃げた、か……………」


  見慣れた茶髪と緋色の羽織(はおり)を見つけられず、辻兵衛は安堵と嘆息の混じったようなため息を吐いた。

  ────ならば良し。良しだ。共倒れなど冗談ではない。お節介な独楽屋の事、同じ家なら同じ墓へなどと言い出し兼ねぬ。あのような若姑(わかしゅうと)と墓穴も共にするなどまっぴら御免、寝るなら一人で悠々寝かせろ。

  下らない事に思索を巡らせていると、眼前に立つ足が見えた。これはあの落人の足か。俺もここまでか。


  いや。

  知っている。

  擦り切れた草履に華奢(きゃしゃ)な足を、俺はよく知っている。

  そう思って痛む首を持ち上げた、そこには─────


  「………馬鹿………者が────!!」


  ────背中に血を(にじ)ませた、華耶樹綾の姿があった。



 ■

  (きし)む体を立て直し、なんとか両足を地に噛ませる。大丈夫だ───私はまだ、戦える。


  「貴嬢…………何故逃げなかった、死にたいか!!」

  「それはこちらの台詞です───私なんて、置いて逃げればよかったのに!!」


  助けられた身で、自分でも身勝手を言っている自覚はあった。けれどそれ以上に、こうも傷だらけになってまでも、一人で戦おうとした辻兵衛に対して、綾はとてつもない悔しさを感じた。

  ────また。この人は、一人で背負い込もうとしている。傷も痛みも引き受けて、その果てに命を落とすとしても。


  「自分を犠牲に、なんて………そんな事、させませんから…………!」

  「もういい、早く逃げろ!! そんな体で、奴に勝てると思うか!!」

  「それも、こちらの台詞ですよ………何で、あなたは───」


  私を頼ってくれないんですか。


  言葉にする前に、否応なく体が動いた。


  「──────!!」

  「くうッ!」


  眼前に近付いてきていた落人の一刀を、震える刀で受け止めた。大上段からの斬り下ろしは、まるで落石の如き衝撃を伴って、全身の鈍痛を呼び覚ます。骨という骨に亀裂が走ったかのような痛みを受けながらも、綾は何とか刃を受け流した。


  「…………ッ、……………!!」


  しかし、落人の攻撃は止まない。先ほどの綾の猛攻をそのまま返すかのように、痛烈な殴打を繰り返している。

  だが、耐えなければならない。耐え続ければ、必ずどこかに隙が生まれる。その隙を突いて再び剣技を発動し、落人を閉じ込めれば────先ほどのように無傷のまま(しの)がれても、辻兵衛と共に逃げ出す程の時間は稼げるはずだ。


  「く…………う─────!!」


  綾は(こら)え続ける。上段より落とされ、下段より駆け上がり、右へ、左へ、足へ腕へ胴へ頭へ、嵐の如く乱れ舞う斬撃の奔流を、綾は辛くも耐え続けた─────そして、その一瞬がやってくる。


  「──────今、ですッ!!」


  上段から右へ流した剣。その僅かな力の緩みを見逃さず、渾身の一刀を放つ。綾の剣は投げ出された剣先を正確に叩き、落人の体を大きく上にのけ反らせた。


  そして、綾が剣技を発動する─────


  「───────」


  ────その時。

  綾より先に、落人の剣が輝いた。

  次いで──────


  「───────きゃあッ!?」


  綾の右手に、ざくりと刃が食い込んだ。先ほど辻兵衛の肩を裂いた短刀。落人はそれを引力で引き寄せ、綾へと撃ち出したのだ。鋭い痛みに、たった一瞬の隙が生まれ─────されどその一瞬が、命運を分ける。


  「………あッ…………!!」


  眼前。振り上げられる刃。

  三度目の危機に、しかしもう活路はない。


  ああ─────私は。

  ユズリハの頼みを聞きながら。彼を護ると誓っておきながら。華耶樹の武者でありながら。


  結局。結局────負けるのか。

  私が死ねば、動けない辻兵衛もまた。護るべきものに助けられ、それでもなお私は、彼を道連れにしてしまうのか。


  嫌だ。

  嫌だ。

  そんなのは、嫌だ─────!!


  刹那。

  どこかから。




  『おーけいあややん、お助けしよう』




  気の抜けるような、声が聞こえて。


  「きゃッ………!?」


  綾の懐から、何かが舞い出でる。

  複雑怪奇、奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)、カオス溢れる落書き人物画。三つの顔に六本腕の、その人物の名は─────


  「さ───サンメンロクワーヌちゃん!?」


  その呼び声に反応するかの如く、落書きは(まばゆ)く光り輝き────放散する。

  放射状に放たれた純白の糸が飛び回り、落人の体を絡め取ってゆく。身動きの取れないほど縛り上げられた落人を、唖然と見つめる綾────その時、聞き慣れた声が響いた。


  「一糸流麗(いっしりゅうれい)二条交錯(にじょうこうさく)三網茫漠(さんもうぼうばく)四界満天(しかいまんてん)


  淡々とした詠唱。揺れる白髪。

  一語一句の度に、拘束は強まってゆく。


  「五体束縛(ごたいそくばく)六道封鎖(りくどうふうさ)七魄不動(しちはくふどう)八卦掌握(はっけしょうあく)

  ────抵抗は無駄だ。既にこの場は蜘蛛糸の結界、お前は私の網に囚われた」


  そして、落人の眼前まで歩み寄り、ずびしと指を突き付けながら、彼女は言い放った。


  「観念するがいい、三面六腕。そして────我らが公式マスコットとして第二の生を受けるのだ!!」


  氷の無表情に片眼鏡、微妙な口調と奇妙なテンション。絵に書いたようなドヤ顔で、縛られた落人の前に立つ、この女は─────


  「こ────このえ、さん!?」

  「はろーあやのすけ。あいあむざ救世主(メシア)


  ────間違えようもない、独楽一座が変人番頭。朱矢このえその人だった。


  「どうしてこんな所に………いえ、それよりこの状況は……………!?」

  「うむ、独楽一座番頭とは仮の姿。愛と正義とあややんを護る、スーパーメルヒェンマジカルヒロイン・コノエ=レッドアローとは私の事だ」

  「いや、そういうのはいいですから…………」


  このえの登場により、緊迫していた場の雰囲気が即効で緩み切る。ここでも電波オーラを放ち続けるこのえを三白眼で睨めつけながら、辻兵衛が言った。


  「………まあお前の事だ。何かしら茶々(ちゃちゃ)を入れに来るとは思ったが」

  「むん、読まれていたか」

  「当たり前だ、相手は如何(いか)な書物にも載っていない新種の落人。お前が黙って見ているわけもなかろうが」

  「…………えー……っと……?」

  「────ああ、貴嬢は知らんか」


  二人の会話に小首を(かし)げる綾に気が付き、辻兵衛が説明した。


  「この番頭の名が知れているのは、何も頭の緩んだ変人だからというだけではない」

  「脳みそゆるりんこ」

  「黙っておれ。

  はあ────これでも此奴(こやつ)はな、怪力乱神の専門家として帝都にも名の伝わる、妖魔の学者なのだ」

  「学者………って、このえさんがですか!?」

  「おーいあややん。そこまで露骨に驚かれると私のアイアンハートもギザギザハートまっしぐら」


  不満げな顔で───よもや本当に怒っているわけでもあるまいが───白い頬を膨らませるこのえ。辻兵衛の口振りから察するに、どうやら本当の事らしい。


  「確かに私は、妖魔や怪物、落人の生態を研究する学者としても活動している。あややんに渡した術符も、落人を捕らえる為に作ったものだ」

  「作ったって、あの紙が───ですか?」


  うむ、とこのえは頷く。

  どう見ても子供の落書きにしか見えなかったあの紙が、実は捕縛用の術符であったのだという。その上、このえは依頼の説明をする片手間にこれを書き上げたのだ。著名な学者であり、術を扱う道士────抱いていたイメージががらりと変わる。


  「あの術符の発動条件は二つ。捕縛の対象が絶命しかけた時か、所有者の身に危機が迫った時だ。後者の機能は不要かとも思ったが────付け加えておいて正解だった」

  「ええ……………本当に。ありがとうございます、このえさん。あなたの術が無ければ、今頃は────」

  「私の方も調査不足だった。二人を危険に(さら)した事、謝らなければならないな」

  「気にしないで下さい! このえさんのお陰なのですし、今もこうして無事に─────」


  少し沈んだ様子のこのえを見て、綾は慌てて言い(つくろ)う。先ほども言った通り、このえの術符が無ければあのまま負けていたのだ。礼は言えども、謝られるなど。

 

  ────その時。


  「…………無事、だと?」


  背後から、ぞっとするほど冷たい声が響く。


  「………何、ですか。辻兵衛さん」

 

  綾は振り返る。白い前髪の間から、ぎらついた瞳が覗いていた。


  「貴嬢は何度死の危険に晒された? その上で無事だったからよいなどと───自分の犯した愚を解っているのか」

  「なっ………確かに私は、三度も危機に(ひん)し、あなたやこのえさんに助けられました。申し訳ないと思っていますし、助かったから問題ないなどと言うつもりはありません。

  愚策だったとは自覚しています。三度も奇襲を受けるなど────」

  「違うッ────!!」


  にわかに、辻兵衛は声を荒げる。


  「一度目、二度目。それはよい。だが気を取り戻した後、何故貴嬢は逃げなかった! 手負いで討ち取れるような相手とでも思うたか!」

  「何故、って………! あのままでは、あなたはあの落人にやられていたじゃないですか!」

  「(しか)り、殺されていただろう。だが貴嬢が来たとてどうなる! 落ちる首が一つから二つに増えるのみよ、これを愚行だと言うておるのだッ!」

  「だとしても、私はッ───!」

  「自ら死にに行くような負け戦に(のぞ)むな─────大馬鹿者ッ!」

  「───────ッ!!」


  瞬間、綾は見えない拳に殴られたかのような錯覚を受けた。

  死にに行く────負け戦。綾の行為を、辻兵衛はそう評した。綾はその言葉に、その目に、その心に────


  ────自分に対する一抹の信頼さえも、感じ取れなかった。


  「………助ける事さえ────許されないのですか」

  「………………………」


  呟いた声が震えているのは、自分でも解っていた。

  しかし、(せき)を切って奔流する感情の波は止まらず、胸から喉を越え、音となって流れてゆく。


  「………救う事さえ…………救おうと、する事さえ────私には」


  辻兵衛は応えない。(うつむ)き目を伏せる綾には、その表情は見えない。怒りか。呆れか────失望か。

  そして、流れ続ける想いの渦は、やがてその最奥へと到達する。


  「あなたは───私を─────」


  ────頼って、くれないんですか。

  最後の問いが溢れ出る、刹那。

 

  破裂音が、響いて。

  振り向いたその時、時間が停滞した。


  ───めり裂けた落人の体。

  ───何かを叫ぶこのえ。

  ───こちらへ襲い来る刃。

  ───目の前に(おど)り出た、誰かの影。


  「え─────────?」


  ───振り向いたはずの綾の目前に、いつの間にか辻兵衛が立っていた。汗の滲んだ蒼白の顔が、こちらに向いている。

  何かが垂れた。汗ではない。赤い。

  胸元から、垂れた。


  赤い。

  血が。

  刃が。


  「あ───嫌─────」



  綾の脇を通り過ぎ、ゆっくりと男が倒れてゆく。背中に血濡れ刀を生やしたまま。

  ────最後まで、綾に触れる事なく。




  「嫌ああァッ───────!!」



 

  悲痛な叫びを聞き届け、月は雲間から、天に隠れる。

  明かりは夜に消え往けど、暴かれた闇の黒色は、いつまでも消える事はなく。

  月光の去った下界の夜は、暗く、(くら)く、また(くら)い。



(第三話 了)

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