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咲くは椿、華に満たすは四ツの辻  作者: UNIX(うにっくす)
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「平穏なる魔境」

  自分が何故に旅立ったのか。その初心に、思いを巡らせる。

  魑魅跳梁(ちみちょうりょう)魍魎跋扈(もうりょうばっこ)の魔所。そうした噂を聞き付けて、自分はこの地にやって来た。己の力量を測り、剣の鋭気を一層高め、華耶樹(はなやぎ)の名に恥じぬ剣士になるために。魔なる所と人の呼ぶ、ここ平逆(ひらさか)に住み着けば、武者として、人として、更なる高みに立てると信じて。

  自分の目指した剣士の姿とは、どんなものだったのだろうか。自分のあるべき姿とは、一体どういうものだろうか。


  「……………はあ」


  ────それはきっと、包丁を握って大根を刻み続ける今のこの姿ではないだろう。断じて。絶対に。


  「朝からため息とは陰鬱な。辛気臭さが移るので止めて貰えると助かるのだが」


  後方から響く聞き飽きた声には耳を貸さず、綾はひたすら野菜を刻んでゆく。ゴボウは輪切り。ネギは斜め切り。大根はいちょう切り。あとは─────


  「聞こえてますかー。鍋煮立ってますよー。眉間に(しわ)寄ってますよー」


  ────うん、こいつは微塵切りにしよう。跡形もなく。


  「もうすぐで出来上がりますから、少し静かにしていて下さい。ご飯はどれくらい盛りますか?」

  「おかずだけでよろしい。全く、朝餉(あさげ)にそんな手間を掛けなくていいと言うに」

  「駄目ですよ、一汁三菜しっかり摂らなくては心身共に支障が出ます。

  ────はい、出来ました。残さずお食べ下さい」


  小さな茶卓に、質素な朝食を並べてゆく。焼き魚、味噌汁、和え物。どれも綾が下ごしらえから調理まで済ませたものだ。不機嫌そうな顔で、いただきます、と呟くと、辻兵衛は焼き鮭をほじくるように摘み始める。


  「箸遣い、汚いですよ」

  「これだから焼き魚は嫌いだ。必死に格闘する内に、ここまで苦心して食う価値があるのかと疑問になってくる」

  「なら苦心しないよう、もっと上手に食べられるようになって下さい」


  綾の言葉に嘆息を返しながらも、辻兵衛はじれったい手付きで食事を進めてゆく───どうやら本当に、箸が得意ではないらしい。妙な癖もあるものだと怪訝に思いながら、綾も茶碗に手を伸ばした。


  「どうにも難儀よ。召使いが出来て生活が楽になるかと思えば、逆に面倒になったとは───塞翁(さいおう)が馬よな。悪い意味で」

  「…………あのですね。確かに居候の身で働かないのは失礼ですから、私はいろいろと家事を行っています。けれど、あくまで私はあなたの同僚。しもべ扱いしないで下さい」


  辻兵衛のあんまりな物言いに苦言を呈するが───まあ実際、召使いと言われて否定はし切れない。

  この数日綾がやっている事と言えば、炊事、洗濯、掃除に買い物。これで一介の剣士也(なり)と言っても、説得力に欠けるとは思う。おかげで八百屋の女将さんとはずいぶん仲良くなってしまった。

 

  ────私、武者修行に来たのになあ。


  武者というより嫁入りの修行をしているような現状に、思わず少しへこんでしまう。そんな気持ちを吹き払うように、綾は辻兵衛に訊いた。


  「今日は仕事、ありますか?」

  「ないぞ」


  きっぱりと返された。


  「………今日もですか。これで三日目ですね」

  「あったと言えばあったのだがな」

  「あったんですか!?」


  辻兵衛の言葉に、綾は目を輝かせて反応する。

  ────そう、ここ平逆には実戦を積みに来たのだ。無論訓練を欠かしてはいないが、やはり求めるのは本当の戦い。仕事があるならば、どんなものでも請けたいと思う。


  「ああ。野菜畑を荒らす動物がいるようでな。どうやら猪の魔物のようで、町民では退治できんという話だった」

  「なら請けましょう! 私が成敗してきます!」

  「話は最後まで聞け。まあそれぐらいなら請けてもいいかと、独楽屋(こまや)と話していた時だ。農家の息子がやって来て、嬉しそうにある事を(しら)せた」


  そこで一旦話を切って、辻兵衛は茶に口を付ける。勿体(もったい)ぶるような仕草にやきもきしながらも、綾は次の言葉を待つ。

  ややあって、辻兵衛は言った。


  「────八百屋の母親がぶっ飛ばしたそうだ」

  「…………パワフルだなあ、女将さん……………」


  筋骨隆々な女将の姿を想起しながら、綾は深々とため息を吐く。ちなみに町でのあだ名は大根ゴリラ、命名した悪ガキはぶっ飛ばされていた。もうあの人が剣士になればいいんじゃないかな。

  だが────それはそれとして、平逆の人たちは強い。腕っぷしだけではなく、危険に対する心持ちが。

  辻兵衛にそう言ってみると、当たり前だ、と返された。


  「魔所平逆に在って、鬼種魔物に怯え竦むでは話にならぬ。昔の事は預かり知らぬが、ここの人びとは代々ずっと、妖魔との付き合い方を教え継いできたのだろうよ。強靭な心、豊かな風土と共にな」

  「……………へえ」


  ────感嘆の声を漏らしたのは、平逆の伝統に対してだけではない。

  この男────勝手と無遠慮を押し固めたような犬童辻兵衛が、平逆の事を語る時、その語気を少し和らげたのだ。意外にも愛町心の深き男なのだと、素直に感心する。


  「…………まあ、剣客商売のし難さは認めるが」

  「今の所私たち、剣士っていうよりは人足ですもんね」


  綾が嘆くのも無理はない。平逆に来て約一週間、二人の行った仕事と言えば、大工仕事や蔵の警護、材木切りに畑の手伝いなど。人に(あだ)成す妖魔を斬ると言うて、切るのが丸太では話にならぬ。

  菜っ葉の和え物をもさもさと咀嚼しながら、辻兵衛は呻く。


  「今まではもう少し剣客らしい仕事も入っていたのだが、ここ最近は魔物の数が少ない。正直言って未曾有の事態だ」

  「喜ぶべき事なんでしょうけど…………なんだかなあ」


  仕事が少ないという事は、それだけ世俗が平穏であるという事。実に重畳(ちょうじょう)、喜びはすれども嘆くのはお門違い────そうは解っていても、剣士たるこの身では少し複雑な心境だった。それは辻兵衛も同じなのか、朝食を食べ進めるその手は重い。ただ単に箸が下手なだけかもしれないが。

  ややあって、食事を終えた辻兵衛がぼそりと言った。


  「今日は鍛冶屋を訪ねに行く。包丁やら鍋やら、金物が壊れていたら言うがいい。ついでに修繕を頼んでくる」

  「…………鍛冶屋さん、ですか?」


  辻兵衛の口からは初めて出た単語に、綾はやや過敏に反応する。鍛冶屋────最早ただの便利屋と化している綾にとっては、剣士らしさを感じる魅力的な単語だ。興味を惹かれ、辻兵衛に訊いてみる。


  「私もついていっていいですか?」

  「駄目だ」


  再び、きっぱりと。


  「何でですか!? 見てみたいです鍛冶屋さん!!」

  「召使いは召使いらしく家で控えておれい。俺が帰る頃には昼食の準備をしているように。天ぷら蕎麦を所望する」

  「ぐうっ、昼からまた絶妙にめんどくさいものを…………っていうか、私は召使いじゃありませんから!!」


  猛烈に抗議する綾を尻目に、辻兵衛は玄関に立ち、戸を開ける────と、その手が唐突に止まった。


  「………いや待てよ………ふむ………くくくっ」

  「何ですか、気持ちの悪い」

  「……………女子の何気ない一言こそ一番ダメージデカいのだぞ?」


  何やら思案した後に、気味の悪い笑いを響かせる辻兵衛。やや身を引く綾に向けて、彼は言った。


  「よし、貴嬢。来るがいい。俺が贔屓(ひいき)にしている鍛冶屋、貴嬢にも紹介すべきだと判断した。さあ来い今来い」

  「…………嫌な予感しかしないのですが」


  この男が譲歩する時は、決まって裏に何かある。それは初めて会った時から、痛切に感じていた事だ。そもそも完全に悪巧み顔だし。

  しかし────魔所平逆の金物事情を一手に引き受ける鍛冶屋。辻兵衛の企みを差し引いても、行ってみる価値は充分あるように思えた。


  「わかりました。どちらにせよ挨拶には伺うべきですし、私も行きたいですし。

  …………けど、変な事したら怒りますからね」

  「うむ、善き(かな)。では行くぞ、目指すはあそこだ」

  「あそこって、結構近いんです────え?」


  家を出て、辻兵衛が指さしたもの。それは─────


  「───────神社?」


  ────山中にそびえる、鳥居だった。



 ■

  平逆の町を一望する高台に、その社はあった。


  「────弓弦(ゆづる)、神社」


  鳥居の語る名前はそれだ。読みが合っているかはわからないが。


  「あの………私たち、鍛冶屋さんに向かっているんですよね?」

  「向かっているというか、もう着いた。ここ弓弦(ゆみづる)神社こそが、俺の通う鍛冶屋だ」

  「ああ、ゆみづる、ですか」


  読みを訂正されて、もう一度鳥居に架かった名前を見る。弓弦神社────どこを読んでも、鍛冶屋という文字列は出てこない。不思議がりながら、綾は唸った。


  「確かに、刀と縁深き場所ではありますが」


  ────そう、鍛冶職と神職には、切っても切れない関係がある。

  剣士の扱う人外のわざ、剣技。それは剣士の修練だけでは、どれほど鍛えれど開眼し得ない。精神を刀に伝える刺青(いれずみ)。精神を刀に(まと)わせる刃紋。そして───


  「ああ。刀に神を宿らせるには、こうした神所にて(みそぎ)をさせねばならぬ」


  ────精神を力に換える、神の力。その三つを有して初めて、尋常の一刀は超常の一閃へと昇華する。故に、剣技が発明された頃からずっと、加持祈祷(かじきとう)鍛冶鍛刀(かじたんとう)は同列のものとして扱われてきたのだ。

  その神社が、鍛冶屋────というのはどういう事だろうか。神社の境内に鍛冶場が配備されている、という事か。


  「何をしている、行くぞ」

  「あ、はい!」


  鳥居を見上げて考え込む内に立ち止まってしまっていた。振り返ってじとりとこちらを見る辻兵衛を、慌てて追いかける。

  ───まあ、行ってみれば解る事だ。

  そう思いながら猫背の辻兵衛についていく。しばらく境内を歩いていると、辻兵衛は草履(ぞうり)をざりざりと()らせながら、呻くように言った。


  「…………実はな。貴嬢を連れていこうと思い立ったのには、切実な理由があるのだ」

  「悪巧みだけじゃなくて、ですか?」

  「まあそれもあるが」


  ────あるのか。やはり。

  だが、その他に切実な理由というと、どういうものだろうか。


  「俺がいつも仕事を頼む鍛冶職人なのだがな…………正直言って、得意ではない」

  「何か問題のある方なのですか?」

  「…………………食えぬ女だ、相当にな」


  ─────女?

  辻兵衛の発言の意図を掴めず困惑していると、不意に脇からふわりと声が響いた。


  「あらあ、辻兵衛さんではないですかあ」

  「─────ぬうッ!?」


  危険を察知した草食動物のように、辻兵衛がぎゅいんと首を回す。その視線の先にいたのは────(ほうき)を持った小柄な少女だった。


  「お久しぶりですねえ、御機嫌いかがですか?」

  「う、うむ。不景気である。相変わらず息災のようだな、弓弦の巫女」

  「それはもう。毎日しっかり寝ていますよう」


  眠くなるほど緩慢な口調で語る黒髪の少女は、呼ばれた通りの巫女姿。ふんわりとした装束に身を包み、ふやけた笑顔を辻兵衛に向けるその少女は、見るからにのんびりとした性格のようだ。

  それだけで時の流れが遅まりそうな雰囲気に呑まれかけながらも、綾は辻兵衛の裾を引く。


  「あの、辻兵衛さん。こちらは………?」

  「む、ああ、すまん。少々失念していた───おい巫女、自己紹介をせよ。お前の得意客となろうお人だ」

  「あらあ、それは失礼を」


  袖にしまった両手を丁寧に膝元へ添えると、少女は変わらずゆっくりとした口調で名を名乗った。


  「お初にお目にかかります。私は弓弦神社に仕えております巫女───名をユズリハと申します」

  「これはどうも、ご丁寧に。こちらもご挨拶遅れて失礼致しました。私は華耶樹綾────帝都から武者修行でこの平逆に至り、今は独楽一座の用心棒として働いています。

  どうぞよろしくお願いしますね、ユズリハさん」


  深々と一礼する綾に対して、ユズリハは解けるような笑いを見せた。そして辻兵衛に視線を戻すと、こんな事を言う。


  「うふふ、つまりは同僚さんですかあ。とっても礼儀正しい方で、辻兵衛さんには勿体ないくらいですねえ」

  「ええい───お前はいつも一言多いのだ。巫女は巫女らしく(しと)やかに振る舞うがいい」

  「魔物ではなく丸太を切ってばかりの剣士さまに、『らしさ』を語られたくはありませんよう」

  「ぬぐっ…………!」


  成程、辻兵衛が不得意だというのも解る気がする。舌先三寸に定評のある辻兵衛が、ことユズリハの前にあってはあっさりと言いくるめられてしまった。いやまあ、今の指摘は綾にも刺さるのだが。

  悔しげに歯噛みする辻兵衛と、変わらずふわふわとした笑みを向け続けるユズリハの間で、綾は苦笑しながら問うた。


  「ユズリハさん。こちらに鍛冶職人の方がいらっしゃると聞いているのですが、今はいらっしゃいますか? 今後お世話になると思いますし、ぜひご挨拶をさせて頂きたいのですが」


  綾の言葉に、それまで笑っていたユズリハが、ぽかんとした表情に変わる。何かおかしな事でも言ったかと焦っていると、辻兵衛が横から綾に声をかけた。


  「ああ………貴嬢、まだ気付いておらなんだか。まあ初見では仕方なき事だな」

  「え? どういう事ですか?」

  「ええっと、綾さん」


  困惑した綾が辻兵衛に聞き返すと、ユズリハがおずおずとその名を呼んだ。何かを察したのか、巫女はにこりと微笑んで、こう言い放った。


  「────鍛冶職人は、私ですよう?」

  「……………………うぇ?」


  ────思わず変な声が漏れる。

  目の前の、この少女。黒髪もち肌ゆるふわの、この小さな巫女娘が、鍛冶職人。


  「俺も最初は耳を疑ったがな。これで帝都の刀匠よりもいい刀を打つのだ、この白玉(しらたま)女は」

  「もう、そんなにお褒めにならず。褒めても何も出ませんし、ツケもチャラにはしませんよう?」

  「…………勘のいい女は嫌いだぞ」


  綾はしばし唖然として、ユズリハと辻兵衛の顔を見比べていたが────二人の会話から察するに、どうやら事実であるらしい。そこまで思い至った綾は、ユズリハへ向けて頭を下げる。


  「す、すみませんユズリハさん! そうとは知らず無礼な物言いを………!」

  「いえいえ。皆さん最初は驚かれますので、どうかお気になさらぬよう。改めて、巫女兼鍛冶職のユズリハでございます。よろしくお願いしますねぇ」


  焦って謝る綾に対して、ユズリハは変わらずふわふわの笑い顔。どうやら気に障ってはいないらしいと、綾は胸を撫で下ろす。やはり見た目通りの穏やかな性格のようだ。

  ややあって、巫女ははたと思い出したように言った。


  「そういえば辻兵衛さん。今日のご用件は? 何かの修理ですか?」

  「ああ、この前刀を研ぎに出したろう。そろそろ出来上がる頃合いかと思ってな」

  「あらあ、そうでした。少々お待ち下さいね、今取ってきますので」


  そう言って、ユズリハは黒髪を(ひるがえ)しながらぱたぱたと駆けてゆく。小さなその背中を眺めながら、綾は言った。


  「食えない女だ、なんて言ってましたけど、優しくていい人じゃないですか。少し毒舌なだけで」

  「うむ………そうだな。このまま最後までいけばいいのだが」

  「─────最後?」


  辻兵衛の言う意味が解らず、綾は言葉を反復する。だが辻兵衛が答えぬ内に、早くもユズリハが帰ってきた。小脇には、体に似合わぬ長刀を抱えている。


  「はい、どうぞ。それと、頼まれていた打ち粉も仕入れておきましたので、(あわ)せてお渡ししますね」

  「うむ、かたじけない。それでは我らはこれで失礼する。行くぞ貴嬢」

  「え、ちょ、ちょっと?」


  ユズリハから渡された刀と小袋を引っ掴むと、辻兵衛は何やら焦った様子で身を翻した。置いていかれかけた綾が、慌ててその背中を追いかけようとした────その時だ。


  どひゅん。


  「…………………え?」


  がちり。


  「────痛だだだだ、痛あッ!?」


  綾は目を疑った────残像も残らぬ程の速度で詰め寄ったユズリハが、両手で辻兵衛の腕をがっちりと掴んだのだ。万力に手を挟まれたかの如く、辻兵衛が泣き叫ぶ。

  死ぬほど痛がる辻兵衛を、にこにこ顔で見上げながら、ユズリハは言った。

 

  「辻兵衛さん、お代がまだですよう?」

  「がッ───ぐうッ…………つ、ツケでッ………!!」

  「あらあ、そうですかあ。ひいふうみいよお、これで五回目のツケ払いですねえ」


  未だギリギリと腕を絞め上げながらも、ユズリハの顔は変わらぬ笑顔───否、違う。


  「こ、怖っ……………!?」


  笑い顔ながら、そう口走ってしまうほどに威圧的な雰囲気。般若(はんにゃ)面よりも仁王像よりも、この少女の方が恐ろしく思える程に。ぶっちゃけこの前の落人の十倍は怖い。

  殺人スマイルを向けられた辻兵衛が、解った解ったとしきりに繰り返す。やっとこさ解放され、真っ赤に染まった手首を擦りながら、辻兵衛は死人のような様相で呻いた。


  「え、ええい…………よかろう、払ってやる。だが金は無いから、代わりにこの娘の臓器を売って────」

  「私を身代わりにしないで下さい!! そもそも臓器なんて何に使うんですか!?」

  「そうですねえ。それもいいかもしれませんが」

  「いいんですか!? 使い道知ってるんですかユズリハさん!?」


  あわや解体という危機に晒され、綾は猛然と抗議する。涙目の綾に対して終始笑顔を崩さないユズリハは、それでは、と一枚の紙を差し出した。


  「なんだこれは?」

  「今日の私のやることリストでございます。神社や鍛冶屋のお仕事が、大小二十項目ほど取り決めてありまして。

  で、この中のお仕事をですねえ───うーん、ツケが五件ですので、五つほど。辻兵衛さんにやって頂くという事でどうでしょうか?」


  綾と辻兵衛がその帳面を覗き見る。境内の掃き掃除、鍛冶場の手入れなど簡単なものから、金物修理、神社の収支計算、果ては祭礼の儀式など、素人には困難なものまで。内容は様々だ。

  やることリストを目前に、辻兵衛はぐぬぬと唸りながらユズリハに交渉する。


  「二つでどうだ」

  「五つです」

  「じゃあ三つ」

  「五つです」

  「…………四つで勘弁して下さい」

  「五つですよう」


  ゆるふわ笑顔の前で、辻兵衛が撃沈する。ぴくぴくと(うごめ)く男を見ながら、綾は呆れ顔でため息を吐いた。まあ辻兵衛のツケなのだから、当然の報いだろう。

  すると唐突に、辻兵衛が起き上がる。不敵に笑ってユズリハを見ながら、綾の方を指差した。


  「はははははッ、甘いな巫女め!! 俺が何の為にこやつを連れてきたと思っている!!

  仕事は五つ! 人手は二人! (ごお)割ることの(にい)で一人あたり二.五の仕事量に分散だああああッ!!」

  「は、はああああ!? 私もやるんですか!? あなたのツケなのに!?」

  「黙れい居候!! 企みがあると知ってついてきたのは貴嬢よ、その浅薄さを恨むんだな!! さあ箒を持つがいい!!」

  「最初からそれが狙いですかっ!!」

  「あらあ、仲良しですねえ」


  辻兵衛の口車に対しても、ユズリハは余裕を崩さない。怪訝な顔をする二人に対して、でも、とユズリハは切り出した。


  「辻兵衛さん。計算が間違ってますよう。五割ることの二じゃありません」

  「…………………何だと?」


  眉間に皺を寄せ、辻兵衛が聞き返す。

  ────ゆるふわ巫女は、笑顔で言った。


  「仕事は五つ。人手は二人。

  ─────五かけることの二で、十個も仕事が済みますねえ?」


  あ──────



  「──────悪魔だああッ!!」

  「巫女ですよう」



 

  ()くして剣客二人、やることリストの項目半分を埋めるべく、雑用係に従事する事となったのだった──────。

 


 ■

  境内の石畳を掃きながら、眺める空は焼けの色。全力のジャンケン合戦でどうにか掃き掃除を勝ち取った綾は、ため息と疲労を一緒くたに吐き出す。


  「………結局夕方になっちゃった」


  神社に来たのは朝方だから、ほとんど丸一日をここでの労働に()てた事になる。朝食前の朝の訓練以外、今日は剣を振っていない。これで本当に剣士かと、殊更(ことさら)肩が重くなる。

  ────駄目だ。たとえツケの代わりの雑用だろうと、請けたからにはしっかりとこなさねば。

  叱咤(しった)一念やる気を込めて、綾は剣を構えるかの如く、握った箒を持ち直す。その背後で、ゆったりと声が響いた。


  「お疲れ様ですー」

  「あ、ユズリハさん」


  悪魔が────否、巫女がいた。残りの仕事を片しているのか、その細腕には祭具の詰まった重たげな木箱が抱かれている。見兼ねた綾は言った。


  「重そうですね、手伝います」

  「いえいえ、大丈夫ですよう。後はこれだけしまえば、今日のお仕事は終わりです」

  「終わり───残り十個全部、ユズリハさんがやったんですよね?」

  「そうですねえ。綾さんのおかげで今日はとっても楽ちんでした。ありがとうございます」


  ふにゃりと笑う巫女へ向けて、対する綾は複雑な顔。

  普段この少女は、二十もの仕事を全て自分だけでこなしているのだ。綾や辻兵衛が五つ終わらせるだけで精一杯なものを。


  「ユズリハさんは────すごいですね」

  「はい?」

  「こんな大変な仕事を、毎日欠かさずやっている。町の皆さんもそうですが、とても───お強い方、なんだなあと」


  綾の言葉に、ユズリハはしばし困ったように目を伏せていた。次いで、呟く。


  「強い人なんて、いませんよう」

  「……………え?」


  意外な返答に、疑問の声を漏らす綾。巫女は続ける。


  「平逆の人たちは強いと、旅人さんはよく言います。でもこの町には、弱い人ばっかりです。誰も彼も、一人ではなんにもできません。

  それでも平逆町民が強いと言われるのは、人の手を借りる事を躊躇(ためら)わないからです」

  「人の手を、借りる…………」

  「はい。今の私のように」


  綾の握る箒を指し示しながら、ユズリハは言った。


  「普通の人は、誰かの手を借りる事を嫌がります。恥ずかしがります。けれど平逆の人はとっても厚かましくて、平気で他人を頼ります。

  それは、知っているからです。自分一人では襲い来る魔物に敵わない事。でも誰かの手を借りれば、どんな魔物でも倒せるようになる事。

  私たちは強いのではありません。ただ、恥知らずなだけです」


  話を聞く内、綾は思い出した。今朝辻兵衛の言っていた言葉を。


  『ここの人びとは代々ずっと、妖魔との付き合い方を教え継いできたのだろうよ─────』


  そう、平逆の教え継ぐ心とは────手を借りる事。他人を頼る事。そして、それを恥だと思わぬ事。

  そうした心が形成するのは、一種の陣だ。手を貸し、貸され、借り、借りられ、個々の力を繋ぐ戦陣。その陣中に在ってこそ、平逆の人びとは、魔種に屈さぬ強き民として立脚する。個人ではなく、団体として。


  何とも─────。


  「…………すごい、ですね」

  「そうでしょうか?」

  「ええ。すごい事です。憧れます」


  ───そう。素直に、憧れた。

  同時に思い返す。あの日、あの夜、辻兵衛の力に見切りを付けて、一人で落人退治に(おもむ)こうとした自分を。もしもあのまま辻兵衛を帰らせていたら、不可視の刃の謎を解けずに、あの辻斬りの餌食になっていただろう。

  恥じて────いたのだ。謎が解明できぬ自分を。人を頼ろうとする自分を。弱い、自分を。

  思いのままに、言ってみる。


  「私も、なれるでしょうか。恥知らずに」


  ────巫女は笑う。


  「なれますよう。だって綾さんは、平逆に────恥知らずの町に、住んでいるんですもの」


  ふわり。

  笑顔は柔らかに。心根は正直に。巫女ユズリハはどこまでも、優しい。

  ───ややあって。けれど、とユズリハは言う。


  「お一人だけ、いるのです。平逆に住んでいながら、人の手を借りられない方。ずっとずっと独りの方が」

  「………………独りの、人ですか」

  「はい」


  ユズリハは、慈しむように遠くを見やる。その視線の先にいるのは、長身痩躯、白黒髪の剣士────


  「があああああッ!! 羽虫どもが、そこに直れい!! この俺が全員ハチミツ漬けに────ちょっと待って着物の中に入るのは反則ですやめてお願いやめぎゃああああああああああッ!!」


  ───大騒ぎしながら蜂の巣駆除の死闘を演じる、犬童辻兵衛である。大変な仕事は最初に終わらせればよかったのに。

  そこで、綾は気付いた。


  「え────まさか?」

  「はい、そうですよう。笑ってしまうくらいの、恥ずかしがり屋さん」

 

  辻兵衛が────恥を。


  「…………そうは見えませんが」


  蜂に群がられながら転げ回る辻兵衛を呆れ顔で眺めながら、綾は呟く。むしろ恥知らずの極みにいるような男だと思うのだが。

  苦笑しながら、ユズリハは続けた。


  「綾さん。もう一つだけ、お仕事を頼んでいいですか」

  「はい───なんでしょうか?」

  「…………あの人は、あなたをいじめると思います。拒否すると思います。手を、()ね除けると思います。

  けれど、どうか見捨てないであげて下さい。この世は一人では生きられない────なのに、あの人は独りになろうとする。それではいつか、壊れてしまいます」


  だから。

  ─────巫女は、笑う。


  「ずっとあの人の隣にいてあげて下さい。ずっと手を差し伸べていてあげて下さい。

  ────そしたらきっと、恥ずかしがりのあの人でも、いつかはその手を掴むはずだから」

  「…………………………はい」


  ─────この人は。

  ユズリハは一体何を知っているのだろう。辻兵衛に一体何があったのだろう。

  一体どうして─────



  ────そんな、哀しく笑うんだろう。



  「うおおおおお───とったどォォォォッ!!!」


  突如響いた喝采(かっさい)に、綾はびくりと身を震わせる。見れば、ついに蜂の巣を切り取り袋に封じた辻兵衛が、腫れ物だらけの両手を掲げながら叫んでいた。働き蜂と(なま)け侍の異種格闘技戦は、どうやら決着が着いたらしい。

  嘆息しながら、ちらりとユズリハの顔を見ると───少女はもう、元のふわふわ笑顔に戻っていた。


  「辻兵衛さーん。壊さないように持ってきて下さいねえ。綺麗な巣は高く売れますからあ」

  「…………ユズリハさん、そこまで計算ずくで?」

  「さあ、どうでしたかねえ」


  とぼけるユズリハと戦慄する綾の前に、辻兵衛が戻ってくる。未だにぶんぶんと唸る麻袋をどさりと置くと、剣士は息も絶え絶えに言った。


  「………帰るぞ、貴嬢…………もう疲れた……………」

  「はいはい。それじゃあユズリハさん、私たちはこれで失礼しますね」

  「本当に助かりましたあ。辻兵衛さん、もうツケを溜めたら駄目ですよ?」

  「心配せずとも、もうお前になど頼まぬわ…………!」


  最後の意地で捨て台詞を吐いた辻兵衛が、石畳に(つまず)いて大きくよろける。慌ててその肩を支えると、綾は呆れ顔で言った。


  「もう、よろよろじゃないですか。ほら、肩を貸しますから」

  「要らん、女の肩を借りるなど………やめろ馬鹿者、放せ………!!」

  「────────ふふっ」


  半ば担がれるような形で引きずられていく辻兵衛と、文句を言いながらもその肩を離さない綾。鳥居を(くぐ)る二人の背中を眺めながら、ユズリハは小さく呟いた。


  「…………四ツ辻、道の開きますよう」


  ふわり。再三、巫女は笑って。

  黒髪を翻し、沈む西日と共にその場を去った。



 ■

  町は夜闇に(ひた)されてゆく。


  結局、綾と辻兵衛が家に戻ったのは日が落ちてからだった。見るのが久しぶりにも感じる戸口の前に立ち、二人は大きなため息を吐く。


  「…………連れてかなきゃよかった」

  「神社から帰るまでに、もう五回は聞きましたよそれ。ツケなんて溜め込むあなたが悪いんです」

  「仕方がなかろう。他の四件はいざ知らず、刀研ぎは火急の用事だったのだ。

  まあ、今ではそれも無駄に────む?」

  「どうしました?」


  先に家に入って灯りを点した綾だが、辻兵衛がいつまでも入ってこないのを怪訝に思い、再び戸口を出る。家の前で佇む辻兵衛────その手には、綾にも見覚えのある、一枚の書状が握られていた。

  回るコマの朱印が押された、純白の書簡─────


  「これは………………」


  ─────独楽一座の、依頼書だ。


  「家に直接───何か急ぎの依頼でしょうか?」

  「………………先ほど、刀研ぎは火急の用事だった、と言ったな。あれは何も言い訳ではない」


  真剣な面持ちで語りながら、辻兵衛は書状を綾へと渡す。そこに書かれていたのは────


  「…………巫女の仕事、無駄にはならなかったようだな」



  ────三面六腕ノ落人現レリ。



  「─────落人………!」



  町が静まれば、魔は騒ぐもの。


  絆の強きは平逆の町。なれど未だに魑魅魍魎の多くして、跳梁跋扈は静まらぬ。

  ────月は雲より下界を覗く。宵の暗きに明かりを当てて、夜中(やちゅう)の闇を見せつけるかの如く。


 

(第二話 了)

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