「椿の花咲く辻の道」
剣の道と士の道は違う。
剣士とは、剣の道往く士に非ず。剣を以て士道を拓けば、然るにそれを剣士と呼ぶ。士道は仁道、美徳の道なれば、剣士はどこまでも高潔を求められ、故に仁義なき剣は凶刃として忌み嫌われる。
剣に生きるは獣の牙、剣で生きるは士の刃と、人は云う。ならば一念仁徳を奉じ、剣にて向かう士の道こそ、剣士が進むべき正道なのか。ならば心頭刃を掲げ、士の身で向かう剣の道こそ、獣蔓延る悪道なのか。
ならば。
剣に逝くべき覚悟も無く────
剣で生くべき正義も棄てた────
────この身は一体、何者なのだろうか。
■
山の空に星は近く、夜は満天を覆う。
粛々と光の降る十六夜月の宵。夜天は青く、草の葉は仄白く月光を纏って、天の燐光と地の薄光は、真夜中の闇と混じって薄まる。提灯要らずのこの山道に、ひとり佇む女の影があった。
「………やっと、来ましたか」
括った茶髪に浪人姿、臙脂の瞳で辺りを見廻し、手元に触れるは長刀の鞘。なれどその顔は、得物に似合わずあどけなし────剣士・華耶樹綾は、月光射し込むこの山道にて、薄闇に紛れる何者かの存在を感じ取った。
「姿を現しなさい。そして、願わくば対話を。荒事なく済むのであれば、こちらもそれが望ましい」
口調は穏やかに。されど語気を弱める事なく、綾は姿の見えぬ相手へ向けて言い放つ。ややあって、応える声があった。男の声だ。
「何とも大層な言い分だな。物解りのいい風を装って、それで情を掛けて貰えるとでも思うたか」
少し先の草むらから、返答と共に姿を現したのは、長身痩躯の男だ。綾はそちらに向き直ると、隙なく様子を窺いながら、張りのある声で言い放った。
「情けなど不要。同じくして、不義なる刃を抜く気もありません。しかしそちらがどうしても応じないのなら、私が振るうは義の刃であると知りなさい」
「その身で義を語るとはおこがましい。刀を振るうに義も不義もなし。手前勝手に信義云々と抜かしながら人を斬るお前のような輩が最も度し難いのだ」
綾の威嚇にも男は動じず、ただ感情の籠らぬ三白眼でこちらを睨み付けるのみ。ひと房だけ白く染まった前髪をうんざりと手で払い除けると、男は腰元の刀へと手を掛けた。
「こちらも仕事だ。恨むなよ」
「っ…………やはり…………………」
そこで綾は確信した。冷血を固めたかのような無表情、話を跳ね除ける態度に、熟達した構え。心のどこかでもしも間違いならと思っていたが、最早疑うべくもなし────この男こそ、綾の探していた標的。近頃この周辺を騒がしているという、謎の辻斬りだ。
ならば───斬らねばならない。刀を抜く直前、綾は最後に問いかける。
「我が剣は慈悲の剣、抜かれる事なく仕合を収めればこそ、剣の神髄。最後に警告する。このまま逃げ帰り、心を改めよ!! さもなくば無慈悲の刃を抜かせた報い、その身に刻んで天罰と成す!!」
「言葉を返そう。慈悲など不要、貴様が振るうは義なき刃と心得よ」
「ならばッ───いざ、勝負!!」
大喝一声、綾は即座に抜刀する。放たれた刃は夜天を仰ぎ、まるで月明かりを纏うかの如く、刃紋に紅い光が流れてゆく。
それは綾の心の投影だ。剣は剣士の精神を映し、その志を吸収する。心の光を刃に満たし、全力渾身の一閃と共に、尋常ならざる斬撃を打ち放つわざ────
────人はそれを、剣技と呼ぶ。
「やあああああッ!!」
夜空に紅い斬線が閃く。次いでそこから流れ出たのは、真紅に輝く椿の花びらだった。解けるように刃から飛び立っては、辺り一帯に舞い踊り、たちまち綾を中心に花の嵐を形成する───これこそ綾の剣技。刀から花びらの刃を乖離させ、相手を無尽に切り刻む華やぎの斬撃。
周囲を薙いだ紅の旋風はやがて収まったが、そこに男の姿はなかった。防御も兼ねて周り一帯に展開したのが仇となったか────綾は辺りを見廻すが、影も形も見当たらない。
「くっ、不覚です────ん…………?」
奇襲に備えて構えを取り直した綾の膝に何かがぶつかる。先ほど剣技を発動した時は自由に動けていたのだが────勢い余って岩でも掘り返してしまっただろうか。
怪訝に思った綾が、視界を下に移すと─────
─────土下座。
「は……………!?」
─────土下座。であった。
先ほどまで対峙していたはずの男が、綾の足元で深々と土下座している。
「…………えっと、あの……………?」
「すいませんでしたああああああッ!!!」
「うわあ!?」
まさに地の底から響くような大声で、男が謝罪の言葉を叫ぶ。困惑した綾が何も返せずにいると、男はやや頭を上げて綾をチラ見、そしてまた豪速球のように頭を地面に打ち付ける。
「すいませんでした」
「えっと、あの…………?」
「すいませんでした」
「いや、でもあなたさっき『慈悲など不要』って……………」
「要ります。慈悲要ります。超欲しいです。すいませんでした」
────チラ見。
「すいませんでした」
「いちいちチラ見して私の顔色窺うのやめてくれませんか!?」
「わかりましたチラ見しません。怒らないで下さい。許して下さい」
─────ああ、えっと、うん。
成程解った、この人は駄目な人だ。辻斬りがどうとかではなくて、もっと根本的なとこから駄目な人だ。
未だに地面に額を擦り付けてチラ見しませんチラ見しませんと連呼している男へ向けて、綾はとりあえず声を掛けてみる。
「えっと…………いろいろと訊きたいことはありますけど、まずはなんであんなことをしてたんですか?」
「いや実はその………お金なくて…………お給金高かったから………………」
「お金がないから人斬りに手を染めたんですか!? 言語道断です!!」
「うわあ怒った!? 仕方なかろう、生活に窮していたのだ!! それに、人斬りと言えど辻斬り退治ならそれは正義だろう!! 超正義だろう!!」
「あなたさっき『刀に義も不義もなし』って言って─────辻斬り退治?」
必死に弁明する男の言葉、その最後の一節に、綾は反応する。辻斬り退治────とは。
「そうだ、辻斬り退治だ!! 請けたくもない荒仕事を無理矢理押し付けられて、どうにか不意打ちで倒そうと隠れていたが……………見てみたら意外と弱そうで、安心してカッコつけた台詞を吐いてたら実は強くてこのザマだ!!」
綾は殊更当惑する。辻斬りの男が、辻斬り退治。
否、つまり、まさかこの男は。
「あなたが……………辻斬りじゃないんですか?」
「はあ? 何を言う?」
「私は、辻斬り退治の為にここにやって来た者です。もしかして、あなたは辻斬りではないん………ですか……………?」
─────沈黙する。
全く何の言葉も発さぬまま、男と綾はしばし見つめ合う。
やがて男は立ち上がり、体に付いた土を払うと、慇懃に一礼して言った。
「俺は犬童辻兵衛と申す者。この山の麓に住まい、辻斬り退治の依頼を請けやって来た。貴嬢を件の辻斬りと断じて勝負を挑んだが、どうやら勘違いだったようだな。無礼千万、深く詫び致す」
「いや、今さら挽回できませんからね!? あなたが土下座して謝りまくっていた事実は消えませんからね!?」
「土下座? 何の事を言っている? ちょっと拙者よくわかんない」
「消えませんて! 言ってましたからねすいませんすいませんって!」
「というかこちらが名乗ったのだから貴嬢も名乗るべきだと思うのだが? 初対面の人に名前も言わず騒ぎ立てる人って拙者ちょっと常識を疑うのだが?」
「ぐぬぬ…………頑なに現実を認めようとしない………………わかりました、わかりましたよ」
論点をすり替えまくる男───犬童辻兵衛の態度に辟易した綾は、ついに根負けする。ひとつ咳払いをした後、綾は名乗った。
「私の名前は華耶樹綾。東の帝都から旅立ち、昨日ここ平逆に至りました。先ほど言った通り、平逆を騒がす辻斬りを退治するという依頼を請けてやって来たのです」
「帝都とは………随分な都会から来たものだな。何故にこんな辺境に?」
「自分の剣の腕がどこまで通用するのか、武者修行に。平逆は魔種の多い地と聞きましたので」
「うむ。成程な、承知した。然らば貴嬢、お帰りはこちらだ。向こうに脇道がある故、そこから下山されるがよかろう。四半刻もすれば里に辿り着く」
「はい………? 下山?」
辻兵衛は半歩身を引き、山道の先を指し示す。確かに登る道の脇に、山を抜けて下ってゆく細道があるようだが───何故今そんな事を言うのだろうか。
「えっと、じゃあ、はい。山を下りる時になったら使わせて貰いますね」
「否、今すぐ下山されよと申しているのだ」
「え? どうしてですか?」
「解らんか。もしも貴殿が俺より先に辻斬りを倒してしまったら────」
一拍。置いて。
「───俺が金を貰えなくなるだろうが!!」
「は、はああっ!? そういうことですか!? いや、こういうのってアレじゃないんですか、力を合わせて辻斬りを討ち取ろうー、ってなる展開じゃないんですか普通!?」
「ああ、都会の剣士はこれだから。言っておくが田舎ではこういうことばかりだ。ご近所で仲良くするフリしながら実は他所で悪口を言い、ひとたび何か噂が立てば住人みんなからハブられる。アットホームな雰囲気醸し出しといて移住者の精神をブチ折る魔所なのだ」
「スローライフを夢見てやって来た都会派に暗い現実を突き付けないでください!! というか、今それは関係ないでしょう!!」
全然話が纏まりません、と嘆きをそのまま口にして、綾は茶髪をがしがしと掻く。齢十七、まだまだ若輩なれど、人生で見た中でここまで身勝手な男もそういない。それともこれが平逆町民のデフォルトなのかと考えると気が重くなる。
未だに田舎の悪いところ百選を語り続ける辻兵衛には背を向け、綾は山道の先へと歩き出す。不満げに何か言い出しかけた辻兵衛を目で制すと、綾はきっぱりと言った。
「自力で倒すことができなければ報酬はなしと、私も依頼元から言われています。公平に行きましょう。先に退治した方が報酬を貰い、できなかった方は潔く去る。あなたも剣士なら、一端の気概を見せて下さい」
「…………詮方なしか。よかろう、承知した。後で泣き面をかいても知らんぞ」
「泣き面をかいてすいません連呼していたのはあなたでしょう」
「………そろそろ忘れてくれぬかな」
「あなたが勝ったらすぱっと忘れますよ、それも報酬の内という事で。それでは」
バツの悪そうに顔を顰める辻兵衛を差し置いて、綾は山道を歩き出す。ややあって、後ろから響く足音。さすがに付いてきて横取りする気はないらしい────ほっと胸を撫で下ろす。
────一歩。二歩。
だが、撫で下ろしたその胸の中。
────三歩。
ちろりと、一抹の違和感が首をもたげる。
────四歩。
後ろから響く、足音。規則的に、止まらずに───同じ音で。
────五歩。
遠ざからぬ、音で──────。
────回転。
「──────たあああッ!!」
振り向きざま、裂帛の一閃。
腰の鞘からそのまま抜き放たれた斬撃は、綾の頭上から振り下ろされていた刃をちょうど迎え撃つ。あと一瞬でも反応が遅れていれば、抜刀の間もなく肩を抉られていただろう。
辻兵衛の去る足音に紛れて襲い来た、夜闇の奇襲者。この男こそ────
「くッ───あなたが………!!」
────辻斬りか。
上下で鍔迫り合いになり、目の前に相手の顔が迫る。襲撃者の男の顔は、ボロ布の中で暗く陰っており、その正体が解らない。明るい月夜の中で不自然な程暗い男の顔に、綾は違和感を感じたが、考えている余裕はなかった。力では負けている、このまま押し潰されそうだ────苦悶の声を漏らしたその時。
「貰ったぞ────」
いつの間にやら辻兵衛が舞い戻り、綾と押し合う男の背後、大きく腰だめに剣を構えている。競り合いの最中、辻斬りはその不意打ちに対応できない。
いくら駄目人間のドゲザムライと言えども、この距離、この構えで、無防備な相手に一撃を外すはずもないだろう。
癪に障るが辻斬り退治は自分の負け、あとはこの相手を抑えるのみと、最後の踏ん張りを掛けた────が。
「きゃあっ─────!?」
「ぬわ───────!?」
─────消えた。
消えた、のだ。たった今、目の前で鍔迫り合いを演じていた黒い男が、突如として霧のように消失した。
男を挟んで振りかぶられていた二人の剣は、唐突にその目標を失い、お互いに弾き合う。辻兵衛と向かい合って尻もちをついた綾は、唖然と辺りを見廻した。
「今…………どう考えても………!」
「……………ああ、消えたな」
いの一番に立ち上がった辻兵衛が、隙なく構えたまま周囲を睨み付ける。綾も慌てて剣を取り直すが、やはりどこにも、男の姿はない。それどころか────
「もういない、か」
「そのよう……………ですね」
────相対している時に感じた粘つくような殺気が、最早感じられない。どうやら襲撃者は、本当にこの場から消え去ってしまったようだ。
「それにしても────」
ゆっくりと剣を納め、辻兵衛に向き直る。
「辻兵衛さん。あの男ですが」
「ああ。間違いなく、落人であろうな」
「……………やはり」
「奴らの事は知っているらしいな。まだ帝都にも出るのか」
ええ、と綾は頷き、
「落人───帝都では落武者とも、落ち刀とも呼びますが。棄てられた刀が邪悪な意思を得て、遂には人の形を採って顕現した魔物ですね。屈強な体と狂暴な気性を持ち、加えて私たちと同じ剣技をも扱う。都でもたびたび出現しては、無辜の人びとを傷付けています」
「成程、勢い盛んなる帝都には剣士多くして、剣の製造も多い。なれば、落人の増えるも当然か」
「平逆には?」
綾が問うと、辻兵衛は腕組みをして唸った。左手で白い前髪を弄りながら、彼は答える。
「少ないな。数ヶ月に一匹、出るか出ないかだ。平逆に現れる妖魔なら、どちらかと言えばケモノの方が多い。俺も実際に戦うのは初めてだ」
「そうですか───落人は動物と違って、普通の攻撃はあまり効きません。精神が形になった、言わば思念体ですからね。ですが心の刃たる剣技ならば、彼らにも通用します。だからこそ、帝都では落人狩りは剣士の仕事なのです」
「…………剣技しか、通用しない……………」
消え入るような声で、辻兵衛が綾の言葉を反復する。そんなに苦い顔をして、何か変な事でも言っただろうか───疑問に思いながらも、綾は辻兵衛に提案する。
「先ほどは勝負などと言いましたが………正直、私はあれをひとりで倒せるかどうか自身がありません。無礼を承知で言いますが、どうか共闘をお願いしたいのです────」
剣士の気概を見せろ、などと言っておきながら、結局協力を仰ぐ自分に、やや気恥ずかしさも感じたが───辻兵衛の話では、平逆の人びとは落人の出現に慣れていない。帝都出身の自分がここで討ち取らなければ、被害の拡大は免れないだろう。恥を偲んででも倒さねば───その一心で、綾は頭を下げる。
ややあって、平逆の剣士は深く頷いた。
「うむ、そうだな。うむ。俺もその方がいいと思っていた」
「あ、あれ? 意外と素直ですね?」
「………貴嬢、いよいよ真顔で失礼な事を言いよるな」
案外快く申し出を受ける辻兵衛に、綾はぱちくりと目を瞬かせる。身勝手なこの男のこと、散々こき下ろされるのだろうと覚悟していたのだが。
「ともかく、だ。あの落人を倒すまでは、貴嬢に協力しよう。報酬の如何は………まあ、事が終わってからだな。犬童の剣、貴嬢にお貸しする」
「────はいっ!! ありがとうございます!!」
なんだ────初めて会った印象は最悪だったが、案外頼りになる男ではないか。第一印象に任せていろいろと失言を言ってしまったこと、謝らなければいけないだろう。
だがそれは、辻斬りを片付けた後だ。団子のひとつでも奢って謝礼としよう────平素よりやや軽い足取りで、綾は歩き出す。
「では、行きましょう!」
「うむ」
斯くして、月下に影なき敵を求むる暗夜行が開始された─────。
■
前言撤回だ。
「前言撤回です」
「……………何が」
「少しでもあなたの事を信頼できると思った私が馬鹿でした…………」
「ねえ貴嬢、自覚ある? 貴嬢すごく失礼な事を言っているよ?」
───そう、前言撤回だ。
結論から言えば、二人はその後もう一度、あの落人に襲撃された。辻兵衛が柿の木の根に足を引っ掛けて転んだ時、その後ろにいた綾へ向けて、再び背後から斬り掛かってきたのだ。
綾は辛くもこれを受け止め、すかさず剣技を発動し、華の嵐の中に相手を閉じ込めた。後は辻兵衛の剣技で止めを刺せばよかったのだが───。
まさか、まさかこの男。
「…………剣技が使えないなんて、想定外すぎます」
「うぐっ………!」
そう、犬童辻兵衛は───剣技が使えなかったのだ。
「確認しますけど、刺青は入れてあるんですよね?」
「ああ。この通りだ」
何故か自信ありげにそう言い、辻兵衛は袖をまくって右腕を見せつける。確かに、剣技を発動するための術式───刃紋へと精神を流す刺青の模様が、しっかりと刻まれていた。
「刺青もある、刀もおかしなところはない───なのになんで、剣技が使えないんですか!? 手習いのちびっこでも何かしらは出来ますよ!?」
「鉄棒で逆上がりが出来ない者になんで出来ないのとか訊くのは愚問だと思わんか? 最悪いじめに発展するぞ」
「あなたは逆上がりどころか鉄棒にぶら下がる事すら出来てませんからね!? そういうレベルですからねこれ!?」
剣技が弱い、というのは誰しもが抱く悩みだが、剣技が使えない、というのは最早問題外だ。全くの初心者でも、刺青を入れてしっかりと訓練すれば、一週間ほどで斬線を放つくらいはできるようになる。だが辻兵衛はそれすらできないと言うのだ。
「…………つまりはあなた、剣技が使えなくて落人が倒せないから、さっきの提案を受け入れたんですね? だからあんなに聞き分けがよかったんでしょう」
「ぐっ……いや、その…………はい」
もごもごと呻きながらも、辻兵衛はそれを認めた。だがまあ、仕方のない事とも思う。剣技なしに落人を狩るのは極めて困難だ。
そもそも斬撃とは、それ自体がひとつの精神の塊だ。集中、錬気、喝声、専心、高めた心は刃に集約される。そこから放たれるのは一種の精神攻撃なのである。故に、剣技ではない通常の攻撃も、落人に通用しないという事はない。
だが、刺青と刃紋を繋げて、最大効率で刃に精神を送り込み発動する剣技と比べれば、やはりその威力は雲泥の差だ。
だからこそ────それが使えぬ辻兵衛を、もう戦力として数える事はできない。
「辻兵衛さん、もうお帰り下さい。正直言って、あなたがあの落人に挑むのは危険です。あとは私にお任せを」
「いや、しかし…………貴嬢…………」
「………心配、してくれるんですか?」
帰宅を促す綾の言葉に、なおも辻兵衛は食い下がる。その目に浮かぶのは、悲観───というより、何かを案じるような心配の色だ。
「当たり前だ、不安で堪らん」
「────ふふっ」
真顔で言い放つ辻兵衛のその言葉に、綾は思わず苦笑してしまう────駄目侍だが、案外可愛いところもあるものだ。
「私は大丈夫です。華耶樹綾の名に掛けて、きっとあの落人を退治してみせます。あなたは平逆の里に戻り、吉報を待っていて下さい」
「いや、そうではなくてだな」
「え、ではどういう…………?」
綾が聞き返すと、辻兵衛はやや言い淀む。ややあって、剣士は口を開いた。
「いや…………。
その場合、俺の報酬はどうなるのかと心配で心配で───ぐはあッ!?」
────全力ビンタした。
「き、貴嬢ッ!? ビンタはないだろうビンタはッ!?」
「グーじゃなかっただけありがたいと思いなさい! この後に及んでまだお金なんかの心配ですか、神経を疑います!」
「お金なんかとはなんだお金なんかとは! やはり都会人はこれだから駄目だ、説教するなら金をくれ! いやマジで!」
「あああああ、もう怒りました!! 落人を倒す前にまず、あなたの腐った根性を叩き直してあげます!!」
「スポ根漫画の熱血教師みたいな台詞ッ!? いや待て貴嬢頼むから待てまてまてッ!?」
般若の如き様相で拳を振り上げる綾へ向けて、辻兵衛は全力で制止を叫ぶ。あわやもう一発の全力ビンタかという所で、辻兵衛のある一言が綾を止めた。
「貴嬢、未だに奴が消える理由を解明できてはいなかろう?」
「は───? え、ええ。まあ」
「で、あろうな。くくッ………ならばこの仕事、まだ俺の出る幕はあるらしい」
そう呟いて、犬童辻兵衛は不敵に笑う。
綾が手を止めたのは、何も図星を突かれたからではない。先ほどまで見苦しく弁明していたこの男が、急に纏ったのだ───奇妙な自信と、意味ありげに余裕な雰囲気を。
「………どういう、ことですか?」
怪訝な顔でそう訊く綾へ、辻兵衛は不気味な笑みを返す。人を唆す蛇のように意地汚く、されど悪戯を仕掛ける童子のように無邪気な、二律背反の笑い顔。
────男は嘯く。
「俺は解ったぞ。奴を倒す方法がな」
■
汚れなき清流であった。
平逆の裏山、木々の合間を縫って流れる河川。平逆の人びとも頻繁に利用する水源であり、簡素だが丈夫な橋も渡っている。
その橋の真ん中に立つ影があった。目を閉じ、肩をいからせて仁王立ちする男───犬童辻兵衛。刀も納め、構えを取る事もなく、ただただ腕を組んで佇んでいる。
風は凪ぎ、清流は穏やかに、夜半の静寂を崩すことはせぬ─────だが。
─────ざくり。
不穏な音が響き渡って。
────辻兵衛の肩から、血潮が吹き出た。
「があッ─────!!」
──────奇襲。
苦悶の声を上げた辻兵衛は倒れ込み、目を見開いて背後を見上げる。体の上では、飛び散った血液が空中で静止しており───やがてそこに、血濡れた落人の姿が現れた。
「──────!!」
声なき声で落人は雄叫びを上げ、辻兵衛の右肩を踏み付けると、頭上で刀を振り上げる。傷口を踏まれた辻兵衛は逃げ出す事ができない。
その胸元目掛けて猛然と刃が突き下される──────直前。
「─────捕まえたぜ」
落人の足首が、がっちりと掴まれる───傷を負ったはずの、辻兵衛の右腕により。負傷しているにも関わらず、その力は強く、落人を離す事はない。
想定外の行動に落人が怯んだのを見逃さず、辻兵衛は叫ぶ。
「今だッ!!」
その呼び声に応えるは─────
「やああああああッ!!」
────紅色の刃。
大喝声と共に打ち放たれた綾の斬撃は、足を掴まれ動けない落人の体を深々と斬り裂いた。
致命の傷を負った落人は死に物狂いで辻兵衛の拘束を解き、橋から逃げ出すと、再び姿を────
────消せなかった。
「無駄だ。体をよく見ろ」
むくりと立ち上がった辻兵衛が、鋭い声でそう指摘する。肩口から朱色の血糊を流しながら。
空中に血液が浮かんでいる。よくよく見れば、それは人の形をしていた────血を浴びた落人の姿だ。
斬撃の反動で川に着地した綾が、やっと橋を上って辻兵衛の脇に立つ。血液によってその姿を晒した落人を見て、綾はようやく気が付いた。
「消えたのではなく───透明になっていただけ?」
「そうだ。これこそ奴の剣技。鏡のように磨き上げた刃を形成して体に展開し、光の屈折を操って自身を透明に見せていた、たったそれだけのことだ」
そう言われた綾は、落人の方をまじまじと見つめてみるが、血に濡れた部分以外は全て透過して何も見えない。成程これでは、まるで突然消失したかのように見えてしまうだろう。だが────
「───どうして解ったんですか?」
綾の問いに、辻兵衛は誇らしげな笑みを返す。
「最初に疑問を感じたのは、貴嬢が剣技で奴を捕らえた時だ。刃の嵐に包まれながらも、奴は姿を消さなかった。本当に消失して別の場所に転移できるのであれば、すぐに抜け出せたはずだ。
そこで気が付いた。奴の消失は瞬間移動などではなく、ただ透明化するだけなのだと」
「成程………でもそれなら、透明化したまま戦えばいいのでは? 何故わざわざ姿を現して……………」
「それは駄目だ。何故ならば奴は、姿を消したまま戦う事はできない────そうだろう、名も知らぬ落人」
辻兵衛の言葉に、姿を現した落人は明確な反応を返した。図星である、という事だろうか。
「先ほど言ったろう、奴の剣は鏡だ。そして体の全体を覆っている。もしも姿を消したまま戦って、万が一にも剣を受ければ、鏡は傷付く。鏡が傷付けば、上手く光を反射できない────姿は消せなくなる」
「だからこそ、背後からの奇襲ですか」
「そうだ。だが奇襲の時にも、姿を現してはいけない。もしも鏡を展開したまま敵を斬れば、返り血を浴びてしまう。鏡は汚れ、透明化はできない」
辻兵衛の指摘は悉く当たっているようで、落人は俯き、怒りを抑えるように震えていた。
「今までは返り血を浴びても問題はなかったのだろう。血を浴びてもどこかで洗えばいい───だが、こと我らを相手取る時に於いて、それは通用しない」
「二人いるから────ですね」
そうだ、と辻兵衛は強く頷き、
「二人が固まっていては、片方を斬って血を浴びたらもう片方に見つかってしまう。だから背後に忍び寄り、攻撃の時だけ鏡をしまい、姿を現して斬り倒すことにした。自分の体がいくら血に濡れようと、鏡で覆ってしまえば姿は消えるからな。
だが、姿を現しての奇襲に二度も失敗した貴様は、これではいかんと方法を変えたのだ。即ち、一人ずつに分断された瞬間を狙う事にした」
滔々と語る辻兵衛を、綾は戦慄しながら見つめていた。
この男は───得体も知れぬ落人の行動を、たった二回の邂逅で解き明かし、先読みしてみせたのだ。
「だから、貴様が最も望むような状況を用意してやった。いるのは俺一人。脇には体を洗うに最適な水場。絶好の機会だ、襲ってこないはずがない。さぞ興奮したのだろうな。奇襲をやり返される危険も省みない程に」
辻兵衛の語気が荒くなっていくにつれて、落人の怒りも高まってゆく。ただならぬ殺気を感じた綾は刀を構えるが、辻兵衛は左手を上げて制した。
「よき剣士に出会っていたならば、貴様はさぞ誉れ高き名刀となっていただろうよ。何せ不可視の刃だ。
だが、その身は既に落人───剣士足り得ぬ貴様には、技量も武勇も全く足りぬ。
鏡が傷付いてなお、透過を保つ技術。あるいは、姿を消せなくとも、戦いを挑まんとする勇気。貴様がそのどちらか一方でも有していたなら、況や我らが負ける事もあったやも知れぬ。
────だが最早、その機会は永久に途絶えた!! 傷に怯え、卑劣にも不意打ちを狙った愚かな負け犬!! 貴様の帰結はそれのみだ!!」
辻兵衛の痛烈な言葉に、いよいよ以て怒りを爆発させた落人が、ついに刀を抜き放つ。だがそれにも怯む事なく、辻兵衛は止めと言わんばかりに叫んだ。
「遣い手を失い、鉄屑と成り果て、然れど斬撃の美を忘れられず、戦を求める凶刃よ!! 貴様は最早剣士の友たる刀に非ず、衆生一切に仇成す魔剣だ!!
その禍つ業、この場を以て悉く断ち切ってやるッ────俺じゃなくてこいつがな!!」
「ちょっ!? ここで私に振るんですか!?」
「当たり前だ!! 俺では倒せん!!」
唐突に丸投げされ、辻兵衛に抗議する綾。しかし既に、落人は刀を振り上げこちらへ向かってきている。いろいろと理不尽を感じながらも、綾は剣を構え直した。
「願わくば新たな来世にて、その罪咎の晴れるよう。今ここで、あなたを次なる贖罪の場へと送り出します」
───心から腕へ。腕から刃へ。力が流れる。
集中、錬気、喝声、専心───その果てに在りて、花は華開く。
然るに咲くは、華やぎの斬撃。
「冥福を──────たあああああッ!!」
────そして落人は、椿の散華に呑み込まれた。
■
橋の真ん中に、小さな鉄の破片が落ちている。尖ったそれを摘み取って懐に入れると、犬童辻兵衛は深々とため息を吐いた。
「つくづく馬鹿だ。俺の挑発になど乗らず、川に飛び込み血を洗っていれば、まだ勝機はあったろうに」
「そこまで考えての、あの説教だったんですか?」
「まあな」
この男はどこまで計算ずくなのか───少し怖くなりながらも、綾はちらりと辻兵衛の肩へ目を落とす。そこでは落人に刻まれた痛々しい傷跡が、じゅくじゅくと泡立っていた。
「ずっと思っていたんですけど、肩痛くないんですか? 膿んでますよこれ………」
「ん、肩? ああ……なんだ貴嬢、気付かなかったのか」
「気付かないって、何がです?」
辻兵衛の言葉が理解できずに、自分の口元を撫でる───その指先が唐突に引っ掴まれ、辻兵衛の肩の傷に押し付けられた。
「ひっ、きゃああああッ!? な、何をするんですか!?」
「嗅いでみろ」
「………はい?」
「嗅いでみれば解る、と言っている」
嗅ぐのか、これを。
グロテスクに赤色が滴る自分の指、言われるがままに匂いを確かめてみると────
「これ…………まさか、柿!?」
「よもや本当に斬らせるわけにもいくまい。奴は二回両方とも、右肩を狙って上段から斬り掛かってきた。たぶん癖なのだろうと思って右肩に柿を仕込んでおいたが、大当たりだったな」
「ああ、変に肩を張っていたのは柿が入っていたからですか………」
そういえば、二回目の襲撃の直前に、辻兵衛が転んだのは柿の木だった。あの時に摘んでいたのか────。
「まさか、最初からこれに利用する為に柿を?」
「いや? ただ単に食いたかった」
「………そうですか」
事件解決の道具が柿とは、何とも間抜けた話だが────まあ、それくらいがこの男には丁度いいのかもしれない。抜けているのか抜け目がないのか、どうにも掴めぬ妙な男だから。
滑稽に思って苦笑していると、辻兵衛に言い咎められた。
「………貴嬢、何か失礼な事を考えてはいまいな?」
「え、ええっ!? いやいや、そんな事は全く。さあ、帰りましょう!」
「………まあいいか。ここからなら、先ほど言った抜け道が近い。行くぞ」
橋の向こう側へ引き返す辻兵衛を追い、綾も歩き出す。帰路に着いて少しした頃、綾はふと思い出して、言った。
「辻兵衛さん、ひとつだけ解らないのですが」
「ほう、何でも訊くがいい。無知な者が知恵者に教えを乞うのは何ら恥ずべきことではなし」
すっかり探偵面でそんな事を宣う辻兵衛に対して、綾はため息を吐きながらも、素直に疑問を述べる。
「一番最初、あの落人は私と鍔迫り合いをしている最中に消えましたよね。それで私とあなたの剣がぶつかった時、落人は間にいたはずです。なのに何故、剣は落人に当たらなかったんでしょうか?
横に飛び退いたとも考えられますが、そうなら足音が聴こえるはずです。透明化しているだけなのですし」
「簡単な事さ、いたんだ。間に」
要領を得ない辻兵衛の回答に、綾は首を捻る。その様子を見た辻兵衛は続けた。
「奴の気持ちになって考えるぞ。前後から刀が飛んでくる。しかし足音を立ててはいけない。貴嬢ならば、こんな時はどうする?」
「ええっと─────?」
「ではヒントだ。貴嬢と最初に出会った時、俺は貴嬢に何をした?」
「何って、土下座─────あっ」
成程、そういう事か。
前後から刀が飛んできたなら、姿勢を下げれば避けられる。そう、まるで────
「我らの剣の下、足と足の間に頭を低くして縮こまり…………奴の姿が見えていたなら、土下座そのものであったろうな」
「………ふふっ」
あの恐ろしい落人が、体を縮めて土下座している画を思い浮かべて、思わず笑いを零してしまう。
「俺たちが奴を探している時も、気配を殺して潜んでいたのだろう。もしかするとあの剣技、自分の気配を抑える効果もあったのやも知れん」
「そうですね────ところで、辻兵衛さん」
したり顔で語り続ける辻兵衛を、綾はにやりと笑いながら見上げる。そう、たまには言いくるめてやらねば。
「あなたさっき、自分が土下座した事、認めましたね?」
「………………………」
「認めたんですね!?」
「何の事かなあ、拙者よくわかんない」
「この後に及んでしらばっくれますか!!」
無表情を崩さずそう返した辻兵衛に、綾は嘆息する。まあ思えば、凶暴無比な落人を、柿と弁舌だけで騙くらかしたこの男に、口論で勝てるはずもないか。
「はあ…………あ、見えてきましたね」
「うむ、あれこそ平逆。冥土の境と呼ばれる町だ」
辻兵衛に付いて歩いていると、やがて灯りの点った門が見えた。あれが平逆の入口らしい。文明の明かりが目に入って、大袈裟ながら、生きて帰れたことを実感する。
────ああ、それにしても。
「ねえ、辻兵衛さん」
「なんだ。お小言はもう聞き飽きたぞ」
「今日は────ありがとうございました。やっぱりあの時言った通り、あなたがいなければ、私はあの落人を倒せなかったです」
────辻兵衛さんの、おかげです。
柔らかく笑ってそう言う綾。辻兵衛はひとつ苦笑を返すと、優しい顔で言った。
「────ではやはり、辻斬り退治の功績は俺が頂くという事でよろしいな?」
「綺麗に締まりそうだったのに、あなたって人はッ!!」
門を通過しながら、辻兵衛の頭をひっぱたこうとした時。夜分遅くにも関わらず、向こうから走ってくる小柄な影があった。
「旦那ぁ!! 華耶樹さまぁ!! お帰りなさいやせー!!」
妙な訛りに、快活な声。提灯揺らして走り寄る、その顔には見覚えがあった。白いお下げを揺らしながら、目の前でぜえぜえと息を吐くその娘へと、綾は声を掛ける。
「あなたは確か、独楽一座の」
「へえっ!! 平逆が独楽一座は若頭、朱矢つくもでごぜえやす!!」
息も整えぬまま威勢よく名乗った白髪の少女────朱矢つくも。一日前、綾が平逆に入って、最初に知り合った人物だ。
「そんで、華耶樹さま」
「綾でいいですよ、つくもさん」
「そいじゃ、綾さま!! 首尾の方はどうです、上々ですか?」
「ええ、辻斬りはしっかりと退治してきました。ああ、でも、私だけではなくて───」
「本当ですか!? いやあよかった、安心しやした。これで綾さまも、我が独楽一座の一員ですねえ!!」
「いや、つくもさん、あの────」
────独楽一座。つくもが若頭を務める組織であり、綾に辻斬り退治を要請した依頼元だ。平逆を纏める大元であるこの組織に、綾は依頼の報酬としてある事を要求した。それは────
「つくもさん。確かに私はこの辻斬り退治の報酬に、ここ平逆での住居と、独楽一座での雇い入れを要求させて頂きました。ですが、私はしっかりと依頼を達成できなかった」
「と、言いやすと…………?」
「依頼書には、私の実力を測るため、部外者の手を借りてはいけないという旨が記されていましたよね。
けれど、私は一人だけでは辻斬りを倒せず────こちらの、犬童辻兵衛さんの助力を乞うてしまったのです」
「………おい、貴嬢………」
脇に立っていた辻兵衛が、声を潜めて綾を呼ぶ。綾は、
「もう、大丈夫ですよ。あなたの方に報酬が行くよう話をつけますから。後でそちらの雇い主にも説明しに行きましょう」
「………いや、そうではなく」
「なんですか、もう?」
うんざりと聞き返す綾へ向けて、辻兵衛は真っ青な顔で言った。
「…………俺の依頼元は、独楽一座だ」
「──────へ?」
一瞬、耳を疑う。
「わ、私の依頼元も…………独楽一座さん、ですが」
「………おい、独楽屋。これはどういう事だ」
苦虫を噛み潰したような顔をした辻兵衛が、唸るようにそう問い掛ける。当の独楽一座、つくもは素知らぬ顔で、
「え? いやさ、お聞きの通りで。犬童の旦那にも綾さまにも、両方に依頼させて頂きやした、ええ」
「そうではなくてだな………お前、同じ依頼を二人の人間に出したというのか? なぜそんなややこしい真似を」
眉間に皺を寄せた辻兵衛が問い詰めると、つくもは両手をぶんぶんと振って否定する。
「いやいや、違いやすよ!! この依頼は元から、お二方で解決して頂こうと思って出した依頼でして!!」
「それなら何故その旨最初から伝えておかなかったのだ!! 知らされていれば俺は土下座なぞする必要は─────」
「はいい!? 伝えやしたよ伝えたじゃないですか!! 帝都から華耶樹綾さまという方がいらっしゃるので、旦那が一緒に依頼を解決して力量を測ってみて下さいって!!」
いよいよ以て声を荒げる辻兵衛に、つくもは涙目でぎゃんぎゃんと抗議する。夜半時にだいぶ近所迷惑なやり取りだが。
「いいや知らん!! 俺はそんな事一言………一、言………も……………」
「………辻兵衛さん?」
言い返した辻兵衛の語勢が、まるで口が麻痺したかの如くもごもごと澱む。
嫌な予感が脳裏を過ぎった───もしかして、この男。
「………あなた、まさか」
「あー………えっと、その、うん………言われた、かも………ねー…………?」
気味悪い口調で情けなく宣う辻兵衛に対し、いよいよ綾は嘆息を返した。
「………もう糾弾する気も起きません」
「つ、ついに呆れられた………!? ああ解った、すまん、悪かった!!」
「あーあ………ってぇ事は旦那、たぶんあの事も言ってやせんね? っていうか完全に忘れてやすね?」
必死に頭を下げ続ける辻兵衛に向けて、呆れ顔のつくもが何やら不穏な事を口走った。この上にまた何か厄介事があるのだろうか。
目を丸くしてつくもを見返す辻兵衛に対して、独楽屋は一層呆れを深めながら言った。
「まずですね。お二人は見事辻斬りを退治できたようですんで、報酬はしっかりどちらともお払い致しやす、はい。
旦那には金子を。そんで、綾さまには────」
「住居と、独楽一座への専属。ですね?」
「その通りで。一座の加入はまあ、そのまんまです。綾さまを用心棒として雇い入れ、いろいろと仕事をお頼み致しやす。立場的には、旦那と一緒ですね」
「後輩という事か。精々働いて貰おう」
「頼り甲斐のない先輩ですね」
「なんだと胸ぺったん」
「やりますかロクデナシ」
売り言葉に買い言葉で口喧嘩を始めかける二人の間で、つくもが困ったように苦笑する。咳払い一つで場を整えると、少女は続けた。
「問題は、住居の方なんですが」
「住居に問題………? 私は屋根さえあればどんな場所でも構いませんよ。清貧を家訓に教えられてきましたから」
「ああ、いえ。しっかりとした家です。むしろ広いくらいです───一人で住むなら」
「なら問題ないのでは?」
「はい、えっと………ですねえ…………」
「おい、独楽屋」
お下げを弄りながら言い澱むつくもに向けて、辻兵衛が低い声でその名を呼ぶ。つくもは猫のように、びくりと体を震わせた。
「お前が勿体ぶる時は、大抵悪い知らせを隠す時だ。良い癖ではないぞ」
「は、はい……すいやせん」
「別段怒る事もない。だから、早く言ってみろ」
穏やかな声音でそう言う辻兵衛は、傍から見れば柔和な好青年のようにも見える───あなたが忘れてたからこうなってるんですけどね、とは言わないでおく。
「……怒らないで、くだせえよ?」
「いいから言えと言うに」
「大丈夫です、つくもさん。私たち、もっと酷い目に遭ってきましたから。ちょっとやそっとじゃ驚きません」
「…………はい。じゃあ、お伝えしやす」
そこで、つくもは一旦言葉を切った。す、とひとつ空気を吸って、言い放つ。
「綾さまの住居。それは────」
「…………はい」
「───────旦那の、家です」
─────────ふぇ?
「旦那の家に綾さまをお招きして、そこで二人で住んで頂きやす。一応同じ用心棒ってことで」
旦那の家に、お招き。二人で生活。
────旦那って誰だ。こいつだ。ドゲザムライだ。お招きって何だ。招待だ。招待されるのは誰だ。私だ。
それは─────。
「───────つまり」
「旦那と、綾さまの…………同棲、という事に………なりやすね」
同棲。
同じところに棲む。この駄目男と、ひとつ屋根の下で。
ひとつ。やねの。したで。
は。
「はあああああああああああッ!!?」
────盛大にハモった二人の声が、夜明けの鳥の目を覚ます。飛び立つ羽の向かう先は、明るみ始めた東雲の光。暁光が溢れ、辻斬り騒ぎの夜は明けた。
朝日が顔を覗かせる───何の因果かここに出逢った二人の剣士、その素っ頓狂な道往きを、観客席から眺めるかのように。
(第一話 了)