序章1
ここは日本の首都であり、世界最大の都市、東京────だった場所。今は世界中の都市と同様、死の街と化している。
アンデッド、ゾンビ、グール、キョンシー、軍隊アリ、活性死体、人喰い病、多臓器不全及び反社会性人格障害、様々な名前で呼ばれる歩く──否、“走る”屍にこの街は支配されていた。
走る屍たちは生ける者を食らおうと街をさ迷い、それはもはや人の姿形をした死の媒介だった。人々は生きたまま彼らに食いちぎられ、引き裂かれ、そして完全に死ぬと彼らの仲間となって再び歩きだす。死が死を呼び、人々は絶望の淵に立たされ、ただ飢えと恐怖に苦しみながら食われるときを待つしかない哀れな存在となっていく。
それでもまだ希望を捨てずに助けを求める者がいた。そして彼らを助けようとする者たちがいた。
助ける側に立った陸上自衛隊第1師団第1偵察隊に所属する那智有希3等陸曹は航空自衛隊航空救難団百里救難隊に所属するUH-60J多用途ヘリコプターの機内にいた。
日本の首都が壊滅し、政府機能は北海道に移されていた。初動の遅れから大きな被害を被った警察と自衛隊では現状の治安回復は絶望的であった。都市の治安回復を放棄し、感染地域内からの救出活動に作戦がシフトするのに時間はかからなかった。限られた人員と機材を駆使し、今も恐怖のなかで助けを待つ人々を一刻も早く救助しなければならない。
「五分前!」
声がかかり、那智は機上整備員に向かって頷いた。正面に座る板垣悠太3等空曹と顔を見合わせる。
板垣は航空自衛隊航空救難団の救難員だった。その手には救難隊の装備ではない64式7.62mm小銃が握られている。
機内には那智と板垣、そしてF/Eの3等空曹と航空士の空士長、操縦士二人が乗り込んでいるだけで、十人を乗せて運ぶことの出来る兵員室は広く感じる。
「ビビってる?」
スモークの入った〈ワイリーエックス〉のシューティンググラスをかけ、不敵に笑った板垣が聞いた。
「当然」
いっそ清々しいくらい潔く本心を吐露した那智は89式5.56mm小銃の銃把を強く握った。ヘリがホバリング態勢に入り、機首を持ち上げて制動をかけた。Gに倒されそうになりながら踏みとどまる。
「降下後は速やかに降下地点より離れろ。ゾンビに囲まれるぞ!」
F/Eが頭上で騒音を響かせる二発のT700ターボシャフトエンジンに負けないように怒鳴る。
「了解!」
那智はやけくそ気味に怒鳴り返す。
「ドア開放用意!」
F/Eが声を張り上げ、那智はスライドドアのレバーを下げ、ドアを僅かに開ける。
「開放!」
一気にスライドドアを開け放つ。人の気配の絶えた暗い街並みが眼下に広がる。やがて目標の建物の屋上が見えてきた。
「幸運を」
「そっちもな!生きて帰れたら今度は遊覧飛行を頼む!」
「任せろ!」
肩を叩かれ、飛び出す態勢に入る。ヘリは高度を素早く下げた。ビルの屋上が迫る。
「卸下点よーし!」
窓から5.56mmミニミ機関銃を構えたC/Cが怒鳴る。
「That others may live」
F/Eが板垣に声をかけた。板垣は力強く頷く。
「行こう!」
板垣の声を聞き、那智は頷く。
「卸下!」
那智と板垣はヘリの床を蹴ると二メートルほどの高さから屋上の砂利へと飛び降りた。