TSSS 9章 (2編完結章)
朝。心地よいまどろみの中で、柑橘類を思わせる甘酸っぱい匂いに鼻孔をくすぐられながら、軽く寝返りを打つ。そこで微かな息遣いを感じ、うっすらと目を開けた俺の前に、まつ毛の長い女の子の顔があった。
「ぅわあぁっっ!?」
大慌てでベッドから転がり落ちる。その女の子は「ん、んっ…?」と何か言ったものの、またすーすーと規則的な寝息へと戻っていった。
「うわぁ…やっちまった…」
いつのまにか寝てしまっていたらしい。天城は天城で、安心したような微笑みを浮かべている。
「ま、まあいいか…でも何だろう…軽く頭痛が…」
ふと机の上を見る。すると、昨日飲んだジュースの空カンが、食卓に放置されていた。
「捨てとくか・・・ん?」
商品名 お酒
「え」
え、ええええええええええ!?!?
いや、確かにジュースっぽいカンだけど…てかそもそも何でこの部屋に酒が・・・って北見…お前かアッッ!!!
…しかし、そう考えると昨日のことも色々と合点がいく。
由香が早々に寝てしまったこと、3人の妙なテンションに、夜型の俺が早々に寝落ちてしまったこと。
極めつけは、寝る前の天城の…いや、これ以上はよそう。天城にとっても思い出して気持ちのいいものではあるまい。
額に手を当てたまま時計を見る。学校まではまだ時間があるが、朝、自宅に寄って行かなくてはならない。
由香も同様だ。もう少し天城の寝顔を眺めていたいような気もしたが、切り替えなくてはならなかった。
「おーい由香、起きろー」
すっかり緩んでしまった気を引き締め直す。…そう、俺が天城に、恋愛感情を持ってはならない。
自分で決めたそのルールを破りそうになる前に、俺はこの部屋を出る。
でも…すべきことは、成さなくてはならない。
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学校が解散してすぐ。何やら言いたげな表情の先生の目からそっと逃れ、俺はまた廃ビルへと向かった。
いざこざがあって、天城を気遣って、雰囲気に流されて、結局昨日は何もできなかった。
でもそれは本当の気遣いじゃない。問題から、目を逸らしているだけだ。
いずれその問題と向き合わなくてはならないのなら、先延ばししても結果は同じなのだ。
一度目は全能感に浸り、焦り過ぎたために間違えた。
二度目は彼女を気遣い、傷つけまいとするあまり間違えた。
けれど、今回は違う。傷つける勇気を持って、俺は天城と話す。この状況を、打開するために。
「あっ、玲次。今開けるね?」
決意を新たにしてドアをノックした俺の前に、元気そうな天城がドアからひょこりと顔を出す。風邪はすっかり治ったようで、顔色も随分いい。
「昨日は本当にありがとねー。いやー馬鹿は風邪ひかないはずなんだけど。おっかしいなあ」
楽しそうな天城。楽しそう・・・に見える。…でも、素面の今の俺には分かる。
目が泣いてるんだ。楽しそうな表情を浮かべながら、心の奥は泣いている。
「天城」
「…なに?」
真面目な表情で名前を呼ばれたからか、きょとんとした様子で首をかしげる天城。
「学校。来ないのか?」
俺の問いかけに天城は一瞬固まり、そしてうつむいた。
「先生も心配してたぞ。それにずっとこの部屋に閉じこもってたらそりゃ風邪だって…」
「分かってるよ」
俺の言葉を遮り、うつむいたままで絞り出すように天城がそう口にする。
「分かってるよ。分かってるけど。でもさ」
問いかけるように、確かめるように、そして縋るように、天城は言葉を紡ぐ。
「みんな私のことすごい人だって思ってるんだ。でも…そんなことないんだよ。
勉強もできない。運動もできない。人気だって・・・全部あの子の方が…だから…」
泣きだしそうになるのを押さえながら、手のひらを握りしめて、少女はやっと、一人で抱え続けていた本音を吐露した。
「誰も…私なんて・・・私なんて誰からもッ!必要とされてないんだッ!!!」
それは少女がずっと抱え続けてきた、心の叫びだった。
「カッコ悪いよね。誰かに価値を認めてもらわないと耐えられないなんて、弱いよね。がっかりしたよね。
でもそうなんだもん。私は強くない。いつも笑顔でいるのは、弱いからなんだもん。周りからの奇異の視線とか、ひそひそ噂されたりとか。そういうのに耐えられないからなんだ」
俺のシャツを掴みあげて、しゃくりあげながら、少女は心の叫びを吐き出し続ける。
「あの子が学校記録を出した子だ。走ってるところ見てみたいな。そんな声が聞こえて以来、私は通学路で走れなくなった。授業で当てられて答えられなかったり、間違えたりしたら、そんなことも分からないのかって表情をみんながしてる。そりゃそうだよね。Aクラスどころか、入学さえできない学力だもん」
天城が自嘲気味に笑う。
「私はさ。誰の期待にも答えられないんだよ。みんなからがっかりされ続ける日々を、高校の3年間、送り続けないといけない。みんなを失望させるだけの存在なんて必要だと思う?思わないよね。だって必要ないもん。私なんて…誰からも…」
「やめろよ」
天城の独白を冷たく遮った俺の言葉に、天城は怯えたようにしゃくりあげる。
俺のシャツをぎゅっと握りしめているその手は…ずっと、温もりを求めている。
俺にできることはそれしかない。薄々感付いてはいた。
こいつが求めているものと、俺が抱えている感情にだ。
それは背信行為に違いないだろう。俺を信じて託した先生にも、信頼してくれているもう一人の天城にも、
…そして、2人を救おうと決意した、あの日の俺にも。
でもこの目の前の一人の少女を守るためなら何も要らない。
そう思えてしまったのだから、仕方ないじゃないか。
「誰にもなんて言うな。お前を必要としてる人は、いる。今、ここにいる」
「え…?」
「私なんか、なんて言うな。お前がそんなこと言ったら、その「お前なんか」を好きになった俺は、どうすればいいんだよ」
「今、なんて…」
「お前が必要だからさ。俺が、お前を必要としてるからさ。こんな俺で悪いけど。俺なんかで悪いけど。
でもお前がいないと俺が寂しいから。寂しがり屋で傲慢で我儘な俺のために、学校に、来てくれないか?」
「・・・・・・」
俯いて、黙りこくる天城。あ、あれ、俺なんか予定以上に言いすぎてないか、こう、いろいろと…
「あ、天城…?」
俺が不安になり表情をうかがおうとすると、天城は顔を思いっきり俺の胸に押し付けた。
「え、ちょ、あ、天城・・・?」
心臓が跳ね上がり、頭の中にまで心音が響き渡る。天城に聞こえてやしないかと、緊張してまた心拍が速くなる。負のスパイラルに陥りつつあった俺を、天城の声が呼び戻した。
「俺なんか、なんて言うなよっ」
「え?」
顔をうずめたままもごもごと天城が何やら喋ったがうまく聞き取れず、聞き返す。
「俺なんか、なんて言うなよ。お前がそんなこと言ったら、その「お前なんか」を好きになった私は、どうすればいいんだよ」
今度ははっきりとそう口にして、天城は涙でくしゃくしゃになった顔を上げた。
「ただの慰めで言ってるんだったら、こんなにドキドキしないよね。本当、なんだよね・・・?」
聞こえていたのかという羞恥に耐えながらうなずいた俺に、天城が今度は思い切り抱き着いた。
「ありがと・・・。私、多分待ってたんだと思う。玲次が、そう言ってくれるのをさ」
そう言って、天城は笑った。いつからか見ていなかった、この心からの「笑顔」が、俺にはひどく懐かしく思えた。




